1-2 私のなかの銀河

「アルニタク、アルニラム、ミンタカ」


 友人のカグヤと、浜辺の路上バス停で、待ちぼうけを食らっている時だった。聞きなれない名前を口にした彼女が、向かいの山の、空を見つめている。星にまつわる話をよく聞いていたから、三つの名前の持ち主はどこかの星なんだろうと思った。似たような景色の中に、一つの列を作るように並んだ三つの星を見つけた。一際青く、輝いている。


「あぁ、あれ?」

「そう、あの三つ星」

「やけに綺麗に並んでるな」

「だよね」

「あの三つ星が、どうかしたのか?」

「今日も寂しがっているから、私たちみたいだなって思って」

「寂しがっている?」


 首を傾げてしまった。俺たちは今、帰りのバスを待っているだけだ。下山の時間を間違ってしまった、ただそれだけの事。友人たちが先に戻ってしまって、置いて行かれてしまったことを言っているのならまだ分かるが、それを寂しいとは思えなかった。


「俺たちが、帰りの時間を間違えただけだろう」

「それでも、私は寂しいって思っちゃうな。皆が今、いないから」

「バスが来れば、すぐに会えるさ」

「でも、バスを降りるまでは会えないよ」

「それもそうだな」


 相変わらず変な子だな、と思う。


「それで、どうしてあの星たちが、寂しがっているんだ?」

「アマノは、あの三つ星が、何の形に見える?」


 もう一度、あの三つ星を見上げた。青く輝く三つ星は、自ら整列したように見える。ただ、どうしても何かの形には見えなかった。「誰かがそこに並べた、一直線の形には見える」。

「他には?」

「思いつかない」


 そう伝えると、カグヤは口ではなく、鼻で大きく呼吸した。期待していた答えが返ってこなかった小学生のようだった。


「あれはね、ベルトなんだよ」

「あれが?」


 とてもベルトには見えなかった。直線をベルトと捉えるなら、短剣やペンのほうがまだ似合っているのではないか。


「オリオンのベルト」

「オリオン?」

「そう、オリオン。ベルトの下に台形を作るように広がる二つの星と、上のほうで同じように広がる星を繋げたら、オリオン座」


 言われた通りに三つ星の下に目を移す。確かに青く輝く二つの星が、三つ星の左右と結ぶと台形上に見える。だが、上には結べる星が一つしかなかった。どれだけ目を凝らしても、見つけられない。


「上に星なんてない」

「あったんだよ、昔は」

「昔は」

「ベテルギウスっていう、赤い星があったんだ。だけど、ずっと昔に爆発した」


 少しだけ、想像した。自分が生まれて死ぬまで変わらないと思っていた空が、一瞬にして変わる。当時の人はどう思ったのだろうか。当たり前が当たり前ではなくなって、きっと混乱しただろう。それとも、遠い国は良い部分しか見えないように、めったにない天体現象を楽しんだのだろうか。どっちにしろ、ベテルギウスの爆発は、生きている人がいつか死ぬように、恒星にもいつか終わりが来るということを如実に示している。ただ、そんな当たり前のことが、途方もなく寂しいものに感じた。


「久々に、望遠鏡なしに観測できた超新星爆発だったんだって」


 カグヤは、すぐに当時の映像を見せてくれた。想像した通り、今見ているものとは少し違った星空だった。三つ星を中心に、四つの星がほぼ等間隔に並んでいる。その中の一つが赤く、鈍く光っている。「これがベテルギウスか」

「うん」


 初めは球の形をしていた。しかし時間が経つと共に、楕円になり、球に戻りを繰り返す。明滅を繰り返し、そして少し膨らんだかと思うと、風船が弾けるように、急に爆ぜた。消えたのに、その光は残っている。他の恒星を押しのけるように、オリオン座と呼ばれた一連の星たちの輝きを、陰らせる。


「凄い」


 それが、素直な感想だった。音速旅客機で外国にすぐ着くように、隣の星系にも行ける時代だが、それでも、この天体現象は素晴らしいと感じた。


「ベテルギウスは、地球から六百四十二光年の距離にあったんだよ。だから、この映像は六百四十二年前の爆発を映したってことだよ」


 一瞬で恐ろしく速く進む光でさえも、六百年以上もかかった。光速の速さを知っているからこそ、宇宙の広大さを改めて認識する。


「でも、オリオンを見られなくなったのは、やっぱり残念かな」


 光が失われる瞬間まで、映像は速度を上げた。はじめはもう一つの太陽のように輝いていたベテルギウスも、時間とともに、陰り始める。夜闇に溶けるように見えなり、オリオンと呼ばれた星座がなくなり、俺がよく知っている星空になったところで映像は終わった。


「太陽が超新星爆発を起こしたら、地球はひとたまりもないな」


「大丈夫だよ。太陽は超新星爆発を起こさない」

「そうなのか?」

「超新星ほどの、ってことなんだけど」

「ということは、爆発するわけだ」

「まぁ、少しは、ね」

「少しは、とは」

「今以上の大きさになって、太陽系の惑星を飲み込んで、一気にしぼむんだよ」

「だったら一思いに、爆発してほしいな。そのほうが一瞬だ」

「まぁ、確かに、ね」

「どっちにしろ、超新星なんて俺達にはきっと関係ないことだろうな」

「そんなことはないと思うよ」


 そう言うと、カグヤは口を閉ざし、目を細めて、また空を見上げた。声をかけようと思ったが、なんとなく声をかけづらくなった。彼女はまたあの三つ星を見ていた。海の向こうから風が吹きつけるが、動じる様子も見せない。その姿は、天文学者のようだった。誰もいない場所で、澄んだ空をつぶさに観察し、何かを見出そうとする人に。


「そういえばさ、アマノはいつ飛ぶんだっけ」


 宇宙の話から急に自分の話題になり、たじろいでしまった。


「とりあえず、一年後くらい、だな」

「一年後かぁ」


 学者から子供になったように、カグヤは幼い笑顔を見せた。


「向こうの惑星では、どんなことがしたいの?」


 したいこと。これから行く惑星の名前と、職場のことを知っていればそれでいいと思っていたから、考えたことがなかった。むしろ地球から離れて別の惑星に行けば、その答えが見つかるのではないかと思っていた。


「行ってから、考えようと思っている」

「そっか。それもいいと思うよ」


 思いの外、あっさりとした返事だった。


 暗かった浜辺のバス停に、二つの明かりがちらつく。最終バスが、ようやく来た。

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