第2話 凛とした姿
2.
クラス委員がエリの挙手に気がついたのはエリの後ろの席の子が大きな声でそれを指摘したからだった。それまで1、2分の間、エリはずっと黙って手を挙げ続けていた。
「ねぇ〜、桜澤さんがさっきから手挙げてるよ〜!!」
その声にクラス中の視線が声を上げたエリの後ろの席の子に集まって、すぐにその前で手を挙げているエリに集まった。
あたしの席からはエリの表情は見えない。
「あ、えっと、…桜澤さん。クラスリレーに出てくれるということですか?それとも何か意見があるんですか?」
女子のクラス委員がかしこまってそう訊いた。
指名を受けてエリは静かに立ち上がった。
ザワザワと騒がしかったクラスが徐々に静かになっていく。
完全に静まるのを待っているのかは分からないが、エリはなかなか発言をしなかった。単に緊張しているだけなのかもしれない。
「なに?言いたいことがあるなら早く言えばいいのに。」そんなヒソヒソ声が聞こえ出した頃、エリが静かに言った。
「わたしが出ます。」
「出ます、というのは、クラスリレーに立候補するってことでいいですか?」
クラス委員の声に教室がしんと静まりかえる。
エリは今度はほとんど間を置かずに応えた。
「はい。」
短く小さな声だったけど静かな教室に大きく響いた。エリの声をクラス全員がハッキリと聞き取れただろう。きっと初めてのことだ。
良く観察してみるとエリに緊張している様子はないのかもしれないと思えてきた。
普段とは少し違うエリ。
授業中に指名された時などは緊張からか声が震え、言葉に詰まることがしばしばある。だが、今のエリからはどこか自信に溢れているような、覚悟を決めたような、そんな強さが感じられた。
思い返せばエリからこの手の雰囲気を感じることがしばしばあった。
例えば、エリはあたしのことを『ナナカ』と呼ぶ。この呼び捨ての呼び方がいつからかというと、エリに委員会の頼まれごとをされた翌日からだった。
最初に声をかけた時こそ神城さんと苗字に“さん”付けだった。それが、次にあたしの名前を呼ぶときにはナナカと呼び捨てになっていた。
つまり、エリがあたしを神城さんと他人行儀に呼んだのは最初の一度だけということだ。
後から分かったことだけどエリは誰彼構わず、人を選ばずに呼び捨てにしているわけではないようだった。きっとエリのこういうところも一定の女子から反感を買う。
あたしは驚きはしたけど、別に不快ではなかった。
心の中で「いきなり呼び捨てかよ。しかもモノ頼んでおいて。」とは思ったけど、むしろそんな無神経とも大胆とも思えるところがその普段のキャラクターとギャップがあって面白いと思った。
あたしを初めて呼び捨てにしたときも、エリは妙な自信とも覚悟とも呼べるような雰囲気をまとっていた。
クラスメイトとはいえその日初めてまともな会話をした相手をいきなり呼び捨て、それも下の名前を呼び捨てにするのは、それなりに度胸がいることだと思う。それをエリはあっさりと淀みなく少しの不自然さも感じさせずにやってのけたのだった。
普段の内気で人見知りな雰囲気が消し飛ぶほどに堂々と。
そういう時のエリは凛とするという言葉がしっくりくる。
今、エリの背中はやっぱり凛としていた。その姿を「カッコいいな。」と思った。
いつも少し斜に構えて、そのくせ「自分は物分かりがいいんですよ。」というフリをして自分と周りを欺くあたしには絶対に持ち得ない姿だった。
初めて「エリと友達になりたい」と思った。エリに興味が湧いていた。
「それでは、クラスリレーの女子選手は桜澤さんということで皆さんいいですか?」
クラス委員がクラス全員に一応の賛否を問う。まばらな拍手と「オッケー」とか「はーい」と言った声が賛成の意思表示としてあげられる。
あたしも小さく目立たないように拍手をした。
「それではクラスリレーには桜澤さんに出てもらいます。桜澤さん、頑張ってください。」
クラス委員が無機質にそう言うとエリは頷き静かに座った。
エリの隣の席の子が二言三言何か話しかけエリもそれに応えているようだけど、何を話しているのかまでは分からなかった。
「じゃあ、無事決まったことだし、ホームルーム終わるぞ〜。ほかに何か連絡事項がある奴はいるか?いなければ各自解散。帰る奴は気をつけて帰れよ。部活のやつはほどほどにな。」
ホームルームの間中、黙って座り、成り行きを見守っていた先生が立ち上がりながら一つ伸びをして解散の合図を出す。
先生が言い終わる前からもうすでに何人かは席を立ち教室を後にしていた。待ちきれなかったのだろう。
あたしはしばらく人の流れを眺め、「ばいば〜い」とか「じゃあ、また来週ね」と言う友達に適当に挨拶をしていた。「ナナカいっしょに帰ろ」と言う友達には「用事があるから、ごめん、本当にごめんね」と丁寧に断りを入れて謝った。
自分が悪いなんて少しも思っていないのに。
エリの方を見ると1人黙々と帰り支度をしていた。教室には数人残っているだけで、エリの周りにはすでに誰もいなかった。
あたしはエリに気づかれないようにゆっくりとエリのそばまで近づき、そして大きな声で「わっ!!」と声をかけた。ボリュームの調整に失敗して、自分でも驚くくらい大きな声が出てしまった。
教室に残っている何人かが一斉にあたしとエリの方を見たのが分かった。
「きゃっっっ!!!!えっ!!!?なになにっ!!?」
エリは露骨に驚いてみせた。
肌の白いキレイな顔がみるみるうちに紅潮していく。あたしの声に驚いたのと同じくらい自分に視線が集まったことが恥ずかしいのだろう。
さっきクラスリレーに出るとクラス全員の前で宣言した時はあんなに堂々としていたのに不思議だ。まるで別人のようなエリはあたしが知るいつものエリだった。
「もうっ、ナナカ!なに?」
エリはそう言うと「ふぅ」と一息ため息を吐いた。
「えへへ、ビックリした?脅かそうと思ったんだけど自分でもビックリするくらい大きい声になっちった。」
そう言っておどけるとエリも少し笑った。
「ナナカの方からわたしに声かけてくれるの初めてだね。」
エリは嬉しそうに言った。
「そうだっけ?」
「そうだよ。あ、挨拶をしてくれることはあったかな。だけどこうやってふざけて話しかけてくれるのは初めて。」
「そうかな?あんまり覚えてないや。」
本当に覚えていなかった。
言われてみればいつもエリの方から話しかけてきてたような気もする。そんなこと意識したこともなかった。
「それでそんな記念すべき初めてなんだけど、どうしたの?どうかした?」
エリは心配そうに訊いた。
「どうかしたか?訊きたいのはあたしの方だよ。クラスリレーに出るって自分から言い出すなんてかなり意外っていうか…エリって足速かったっけ?」
あたしがそう訊くとエリは少し黙ったあとで言った。
「う~ん…足は全然速くないかな。あ、ごめん、わたしもう帰らないといけないんだ。ごめんね。…あ、ナナカも一緒に帰る?少し早歩きで帰ることになっちゃうけど…。そしたら詳しい理由教えるよ。」
エリは言い終わらないうちにカバンを持って席を立つ。「どうする?」と首をかしげてこちらを見ていた。
「分かった。じゃあ一緒に帰ろ。と、言ってもエリの家ってどこなの?」
「真っ直ぐ家には帰らないよ。寄るところがあるから駅まで行くの。ナナカの家は養蜂園でしょ?それなら途中まで一緒かなと思って。じゃあ、行こ!」
そう言うとさっさと足早に歩き出した。
「ちょっ…ちょっと待ってよ!!」
あたしは慌ててエリを追いかけた。
もったいぶってるわけではないだろうが、誰もが嫌がるクラスリレーに出るのにどんな理由があるというのか。見当もつかなかった。
目立つことを嫌うエリが、まさか本当にクラスリレーに出たくて手を挙げたわけではないだろう。
下駄箱で上履きを外履きに履き替える。
校門を出るまであたしもエリも無言だった。校門を出たところで「ふぅ。」と息をつくとすぐそばに立っていたエリがこちらを見て上目遣いに笑った。
肩にかけたカバンから木の棒が2本飛び出ていた。少し大きめのサインペンくらいの太さだった。
「それで、なんでクラスリレーなんかに立候補したの?」
エリに並んで早足で歩きながら切り出した。
「えへへ。ホントはわたしも出たくないんだけどさ…足だって遅いし…ねぇ、ナナカ足速そうだし、走り方教えてよ。」
「質問の答えになってないよ。なんで出たくもない、黙ってれば出なくてもいいもんにわざわざ立候補したの?」
「ダメかな?やっぱりやめといたほうが良かった?でも、こうするしか他に方法が浮かばなかったんだよ。キャンセル…ってできないよね…?やるって決めたことやめるのもなんか嫌だし、クラスに迷惑かけないように頑張るけど……。」
どんどんあたしが訊きたいことから離れていく。ぶつぶつと独り言のように続くエリの言葉を遮るようにして言う。
「いや、ダメってことはないけど…。でも、正直意外。だってエリってそんなに目立ちたくないって思ってるタイプでしょ?それに足も速くないってさっき言ってたし、それならなんで自分から立候補したのかなって。」
「それはね、早く帰りたかったからだよ。」
「帰りたかったって…それだけ…?」
「うん。だって、あのままだったらきっとホームルーム遅くまで終わらなかったでしょ?今日はわたし用事があるし、帰るのあんまり遅くなりたくなかったんだ。」
「だからって……。」
言いかけて、続く言葉が出てこなかった。
対抗リレーに出る人が決まらなくて、「早く帰りたい」とゴネる声で教室が騒がしくなり始めたとき、あたしは「そんなに早く帰りたいなら自分が出ればいいのに」と思った。だけど、騒いでた連中は誰もそうしなかった。あたしも「帰りたい」と思う1人だったのに立候補してまで早く帰ろうとはしなかった。
でも、エリはそれを実行したのだ。
最近、こうして2人っきりで話しているときはほとんど感じないようになったけど、エリは人一倍内気で人見知りだし、目立つことを嫌う。
そんなエリがそうまでしてすっぽかすわけにはいかない用事とはなんなのだろう。
「どうしたの?」
あたしが言葉に詰まっているとエリはあたしの顔を覗き込んだ。なんだか小動物みたいでやっぱりカワイイと思った。
「ううん、なんでもない。でも、エリがそうまでして早く帰りたい用事ってなんなの?」
あたしがそう訊くとエリは立ち止った。
急いでいるのではなかったのか、と心の中でつっこんだが口には出さない。
「どうしようかなぁ…。ナナカになら言ってもいいかなぁ。」
ぶつぶつと言いながら嬉しさと恥ずかしさが入り混じったような顔でこちらをちらりと見ると、カバンから飛び出ていた木の棒を引っ張り出して言った。
「えっと、これ。わたしね、ドラム習ってるんだ!!今日はドラム教室の日なの。」
全く予想していない答えだった。
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