第3話 ドラム教室
3.
ドラム教室に向かう途中の電車は比較的空いていた。
車内は西日に照らされて普段は真っ青なシートが空と同じオレンジ色に染まっていた。
あたしとエリは少し間を空けてシートに座った。空いているからというのもあるけど、2人の微妙な距離感を表しているようだった。
隣に座るエリは手と足を使って本当に微かにではあるけど、リズムを取っていた。
今になって思い返してみれば、エリはこうやってリズムを取っていることが多かったように思う。最初はてっきり緊張とか不安から貧乏揺すりのように自分を落ち着かせているのだと思っていた。けれど、訊けばドラムの練習の一環なんだと言う。
「ドラムセットとかスティックを使わなくても練習はできるんだよ。」
と言ったその顔は嬉しそうで、見たことがないくらいキラキラと輝いていた。
やっぱりあたしにはエリがドラムを叩いている姿が想像できなかった。だから、見てみたくなって、エリについて行くことにした。
完全に思いつきで決めた。いつもの気まぐれ。
「ドラム教室。あたしも付いて行っていい?」
あたしがそう言うとエリはかなり驚いていた。
「え?ナナカってドラム叩けるの?」
驚くポイントが、あたしが思うポイントからかなりズレていたけど。天然とも少し違う。着眼点が独特だなと思う。
「いやいや、ドラムなんて触ったこともないよ。たぶん実物を見たこともないと思う。なんていうか、エリがドラムってちょっとイメージが湧かないからさ。叩いてるところ見てみたいなって思って。付いて行ったら邪魔かな?迷惑?」
もしかしたら嫌がられるかもしれない。断られても強引に付いて行こうと思ってはいたけど、わざとエリが断りやすいように隙を与えたつもりだった。
「ううん、邪魔じゃないよ。じゃあ一緒に行こうか。レイカさん…あ、ドラム教わってる人のことね。レイカさんには連絡しておけばたぶん大丈夫だと思うから。」
急な申し出にも関わらずエリは快く、そしてあっさりと受け入れてくれた。
こうしてあたしは、急遽エリの通うドラム教室に行き、飛び入りで見学することになった。
帰りが何時になるか分からなかったから一応、お母さんには連絡しておいた。
これは完全に余談だけど、うちのお母さんは怒るとすごく怖い。
向かっている道中、ドラムやドラム教室のことをエリから色々と教えてもらった。
一見貧乏ゆすりに見えるリズムを取る練習のこともその1つだった。
「もうほとんど癖みたいになってて、貧乏ゆすりみたいで嫌なんだよね。」
言葉とは裏腹に、その顔はやっぱり嬉しそうだった。
「それから…」と言って、エリはあたしの左耳にイヤホンを挿し入れた。イヤホンからは「チクチクチクチーン」と規則正しい機械音が鳴っていた。
「なにこれ?…時報?」
あたしがそう訊くとエリは笑った。
「違うよ。これはね、メトロノームの音。この音に合わせてリズムを取るんだよ。リズム感を養う練習なんだぁ。」
これでリズム感が養われるのかどうか、あたしには想像もつかなかった。こんなのずっと聴いてたら眠くなるに決まってる。
地味な練習だなと思った。
考えてみればドラムっていう楽器は地味な楽器だ。
テレビで見るバンドもボーカルが1番目立つ。ギターの人もソロを弾くときは前に出てきて魅せるように弾く時があるから顔と名前が分かる人はいるけど、ドラムは1番後ろでスポットライトも浴びずにただただ黙々と叩いている。
あたしがその顔を覚えてる人はほとんどいない。
そういう意味では、エリっぽい。初めてエリとドラムのイメージが重なった。
それでもこの身体の小さなエリがドラムを叩いているというのはやっぱり想像ができなかった。
その後も手にできたマメを嬉しそうに見せてくれたり、エリは終始ご機嫌で饒舌だった。
あたしの知っているエリはもっとオドオドしていて、いつもポーッとしている。そんな女の子だ。だから、すごく意外に思うのと同時に「ドラムがすごく好きなんだ」というのが伝わってきて、なんだか羨ましかった。
あたしには誰かに嬉しそうに語れるようなものはない。
中でも1番嬉しそうに話してくれたのはドラムのスティックのことだった。
「このスティックね、レイカさんにもらったんだ。レイカさんは私の憧れだからもらったときすっごく嬉しかったな〜。だからすごく大切なものなの。でも大事に使ってたらレイカさん怒るんだよね。」
「どうして?」
普段からは想像できないエリのテンションに少したじろぐ。
「ドラムのスティックは消耗品なんだって。だからいつまでも使えるものじゃないし、いつまでも綺麗だと練習してない証拠だって言われてるんだ。でもやっぱりわたしにとっては宝物だからなぁ。複雑なんだぁ。」
ニコニコと嬉しそうに話すエリの話を聴いていると、あっという間にドラム教室にたどり着いた。あたしたちが住む町の駅から5つほど離れた駅。
そこから徒歩で10分くらいのところにエリの通うドラム教室はあった。
電車を降りてからのエリは、身振り手振りでドラムのことを熱く語ってくれた。あたしには話の半分も理解できなかったけど、エリの熱中具合は充分すぎるほど伝わってくる。
なんだかあたしまで嬉しくなってきて自然と笑みが溢れた。
「ここ、ここ!!ここだよ!」
エリが指差す先には大きな一軒家が建っていた。
エリが勢いよく呼び鈴を鳴らすと、すぐに応答があった。
「あ〜、アカネ。やっときたか。開いてるから入ってきな。私はもうスタジオにいるからね。」
アカネに一瞬違和感を覚えたが、そういえばエリの名前は
「は〜い!」
エリはそう元気良く返事をすると、門扉を開けて敷地内に入っていった。あたしもそれに続いた。開けた門扉は一応閉めておこう。
エリは玄関には向かわずに少し離れたところにある地下へ続く階段を降りはじめた。
あたしもそれに続く。階段を降り切るとそこには真っ黒なトビラがあった。夕方だからか薄暗い。
そのトビラをエリは、小さな身体でかなり重たそうに力一杯引っ張る。あたしも手伝って一緒に開けた。
トビラを開けるとそこは10畳ほどの部屋だった。
奥の方に、もう1つトビラが付いていて、あそこから家の中と行き来ができるのだろう。
あたしたちから向かって左側の壁は鏡張りになっていた。右側にはドラムセットと黒い箱のようなものが置かれていた。
そして、ドラムセットの正面にはスラッと背の高い長い黒髪の、とても綺麗な女性が立っていた。この人がエリの言うレイカさんなのだろう。
「アカネ。今日は珍しく少し遅かったね。あら?あなたがナナカちゃんだね?いつもアカネから話は聞いてるよ。初めまして、こんにちは…と言っても、もうすぐ夜になるか。グズグズしてたら遅くなっちゃうね。それじゃ、早速始めるからこっちにおいで。」
レイカさんはそう言って、あたしたちに手招きをした。
あたしはどうしていいのか分からず最初に「こんにちは」と言ったきりその場から動けずにいた。エリは、凄い勢いでドラムセットに向かっていった。
素早くカバンを置くと、中からスティックと学校指定のジャージを取り出した。そして、サッとスカートは履いたままその下からジャージを履いてしまうと、すぐにドラムセットに入っていき、椅子に腰かけた。
あたしがただその様子をボーっと眺めていると、レイカさんがあたしの側に来て肩に手を回して言った。
「とりあえずさ、ナナカちゃんはこっちで座って見てたらいいよ。ほら、おいで。」
あたしは、されるがままにドラムセットの正面の壁際に置かれた椅子に座った。
レイカさんは、あたしの後ろであたしの肩に両手を置いて立っていた。
正面に座るエリの顔からいつものフワフワした雰囲気が抜けて、真剣な顔になる。スゥッと空気が変わったのが分かった。
そのままエリは、両手に持ったスティックを大きく振りかぶった。
ドドッ…スパァァァンッ
お腹の中を鈍く揺さぶり、両耳をつんざくような轟音が真正面からあたしを襲った。
「ヒィッ…。」
あまりの轟音に自分でも聞いたことがないような情けない声が漏れる。一気に身体が強張り、力が入った。握った拳が痛い。
あたしの肩に手を置いていたレイカさんにそれが伝わってしまったようだった。レイカさんは優しく両手で肩をポンポンと2回叩いた後、今度は、頭を2回同じように優しく撫でてくれた。
その後ドラムの音は、ドンタンドドタンと一定のリズムを刻み始めた。
最初の衝撃波のような轟音ではなくなっていたが、それでも「ドンッ」のタイミングでお腹に鈍い振動を感じた。
エリは両手をクロスさせて、右手のスティックで小さなシンバル、左手のスティックですぐ前にある太鼓を叩き、そのまま一定のリズムを刻んでいた。一定のリズムの中たまにドコドコだったりドタタタといった音が混ざった。
その度にエリの身体は左右に揺れ、バネのようにまた元の位置に戻った。
そして、しばらくすると腕を鞭のようにしならせて、タタタタタタタタタタッと乾いた音を連続で鳴らすと最後にズシャァァンと大きなシンバルを叩いて、動きを止めた。
エリの短い黒髪がシンバルに合わせて揺れている。
エリは、しばらく肩で息をしながら下を向いていた。そして、ゆっくりと顔を上げた。恍惚、といった表情だった。
ある種のトランス状態なのか、目の焦点がどこにもあっていないように見えた。
「うん、調子は良さそうね。」
レイカさんがそう声をかけた。
あたしの耳はボーンと耳鳴りのような気持ちの悪い閉塞感に覆われていて、レイカさんの声がさっきまでとはまるで別人のもののように聞こえていた。
「ねぇ、ナナカ。どうだった?」
エリがあたしの側まで来てそう言った。
「うん…すごくビックリしたけど…すごかった。エリ、かっこいいね。」
後ろでレイカさんが「エリ…?」と言うのが聞こえた。
「耳がさ、ボーンってなって変な感じ。」
あたしがそう言うとエリは驚いた顔になって、そのあと申し訳なさそうな顔になった。
「そうか、ナナカはあんまりこういう大きな音に慣れてないんだもんね。ごめんね。イヤーマフとかした方が良かったのかな?耳、大丈夫?」
エリは心底申し訳なさそうな表情で、さっきまでとは打って変わって弱々しい声で言った。いつものオドオドしたエリだ。
改めてドラムを叩いている時とのギャップに驚く。
「大丈夫。少し良くなってきたから。それよりもエリすごいよ!!良く分からないけどドラムすごくうまいんじゃない?」
あたしがそう言うと、後ろでレイカさんが大きな声で笑った。
「あはははは。アカネ、良かったじゃん。うまいってよ。」
エリは何故だか恥ずかしそうに少し顔を赤くしていた。レイカさんの言い方とこの反応を見るとあまりうまくはないのかもしれない。
「レイカさんの意地悪。ナナカは優しいからそう言ってくれてるって分かってるよ。まだまだ全然うまく叩けてないところも多いし、それにリズムだってバラバラで少し走り気味だもん。」
「自分で分かってるなら上出来だよ。それにアカネ。あんた筋はいいんだよ。多少走ったっていいからあんたの叩きたいドラムを叩きな。」
「う〜ん、でもレイカさんはもっと安定してて、心地いいビート叩くのに…。」
「あんた私とと張り合うつもりだったの?私と同じレベルになるなんて10年、いや20年早いよ。」
ところどころ2人が何を言ってるか分からなかったが、エリのドラムはあたしが思ったほどは上手くはないらしいことは分かった。
あたしは決してエリが言うようにお世辞で「うまい」と言ったわけでも「カッコいい」と言ったわけでもなかった。本当に心底そう思ったから出た言葉だった。
ドラムを叩いているエリはあたしの知らないエリだった。
たまに見せる『凛とした』姿。ドラムを叩いている時その姿はより強く感じられた。
そう思うと、あたしの中で沸々となんと形容したらいいのか、うまく当てはまる言葉が見当たらない不思議な感情が芽生えてきた。
それに気がついた数秒後には口に出していた。考えたわけではない。思いついてしまった。
「あたしも…。」
一瞬、迷いがあったけど、打ち消すように今度は一息に言った。
「あたしもドラムやってみたい。」
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