第14話 僕は今日死ぬらしい 3
「――それじゃあこれで帰りの会を終わりにする。気をつけて帰るように。部活に行く生徒は怪我しないように気をつけろよ。はい、じゃあさよなら」
担任の先生の声で、長いように思えたその日の学校が終わった。つまりこれから放課後ということだ。
教室から続々と人が減っていく。藤崎は席に座ったまま、まだ動かない。それから少しして教室から人の数がだいぶ減ると、おもむろに席を立った藤崎が僕に近づいて来て、
「じゃあ、いきましょう」
と言い、僕たちは教室を出た。
教室を出てから藤崎に追い付いて並ぶ。彼女は何も言わなかった。並んで見た彼女の横顔はどこか緊張しているようにも見える。それを見て、何か適当な話でも振ろうかと思っていた僕は彼女にならって口を閉ざした。
無言の行進は学校を出てからも続いた。友人同士や男女のカップルで歩く在校生たちを僕たち二人は黙ってスタスタと追い抜いていく。傍から見ればおかしな光景なのだろう、周りから視線を感じる。だが、そんなこと気にも留めていないのか、それとも気が急いているのか彼女の足取りは早かった。
いつまでこれが続くのかと思ったとこで、藤崎は足を止めた。彼女が突然立ち止まるものだから、危うく後ろからぶつかってしまいそうになってヒヤッとした。
「いきなり止まってどうしたの?」
「こっちの道」
藤崎がそう言って指を指す。
彼女の指の示す先は、車が通れない歩行者専用の道路が続いていた。地面が色とりどりに塗装されていることからこの付近の住民からはカラー道路と呼ばれている。
「ここを通るの?」
僕がそう訊ねたのは、その道路を通っても僕の家には辿り着かないからだった。カラー道路は駅の方に続いていて、僕の家とは違う方向だ。
「そう。途中までだけど」
そう言って藤崎は歩きだした。
あまりこの道は通らないから詳しくないが、藤崎が言うならちゃんと家まで繋がるルートを見つけてあるのだろう。僕はおとなしく彼女の後に続いた。
それからしばらく、藤崎に倣って口を開かずにいたけれど流石に限界が訪れた。それほど親しくもない相手と何もせず何も話さずにいられるほど僕の神経は図太くなかった。
「……ねえ」
「…………」
前を歩く藤崎から反応は返ってこない。けれど、構わずに僕は続きを口にした。
「藤崎さんはこれまでも今みたいに、誰かを助けたりしてきたの?」
彼女の話を聞いた時から気になっていた。今までも密かに、誰に知られることもなくそんな活動を続けてきたのかと思うと、なんだか物語に出てくるヒーローみたいでかっこいいと思った。
「……」
だけどやっぱり藤崎は何も答えてはくれなかった。
しょうがない。違う話題を探すか、と思ったところで前から声がした。
「……してない。これが初めて」
「そうなんだ……」
――それはどうして、と続けて聞こうとして止めた。藤崎は話に乗り気じゃなさそうだし、考えて見れば今回のような出来事というのは人の生死に関わるものだ。気軽に触れていい話題じゃない。自分の至らなさに軽い苛立ちを覚えた。
「――じゃあさ」
それでも何とかこの場の空気を明るくしようと、意識して声のトーンを上げて言った。
「藤崎さんは――」
「間島くん」
前を歩いていた藤崎が、足を止め振り返っては僕の名前を呼んだ。
「な、なに?」
「あんまり気を抜かないで。いくら車が通らない道だとは言っても、何が起こるかは分からない。今日一日だけでいいから最後まで気を抜かないで。あなたの命がかかってるんだから」
「あ、うん。分かってはいるけど……なんだか、どうしても実感がなくてさ」
「わかってるならいいけど」
それだけ言うと、「いきましょう」と再び藤崎は前に向き直った。真剣そのものだった藤崎の顔に、多少のばつの悪さを抱きつつも僕はまた口を閉じてその後に続いた。
そうしてまた無言の行軍を続けていると、カラー道路の切れ目が見えてきた。
「ここ」
藤崎が言う。
「ここさえ渡っちゃえば、他にはもう車が走る道はないから」
そう言う藤崎の目の先にはこれまで通ったことのない横断歩道。駅に続くカラー道路から外れたことを意味していた。
「つまり、ここを無事に渡ればあとはもう安心していいってこと?」
「たぶん……確証はないけど。それで大丈夫、だと思う……」
彼女もあまり自信が無いのか、答える声は歯切れが悪かった。
「ふぅん」
横断歩道の左右を見渡す。どちらにも車の姿はないし、見通しも良い。こんなところで事故など起こるだろうか?
「じゃあ、さっさと渡っちゃおうよ」
僕は信号脇の押しボタンに触れた。それに応じて、車道側の信号が黄色に変わる。
「車もないし、今なら絶対大丈夫だって」
「ちょっ、ちょっと待って! そんなうかつな……」
歩行者信号が青に変わった。車の姿は見えない。藤崎の制止には構わず、僕は横断歩道を渡った。
一歩、二歩、三歩……。
設けられた横断歩道は短いもので、五秒と掛からずに僕は反対側の道に辿り着いた。
「ほら、藤崎さんも早く渡っちゃいなよ。信号変わっちゃうから」
依然その場に立ち止まったままの藤崎にそう呼びかける。彼女は困惑した表情を浮かべていた。
信号が点滅を始める。
「ほら、早く」
もう一度そう呼びかけると、藤崎は戸惑いながらも横断歩道を渡った。彼女が渡りきると、それを待っていたように信号は色を変えた。
渡りきってからも、藤崎は何度も今渡ったばかりの横断歩道を振り返っては微妙な表情を顔に浮かばせていた。
「ねえ」
そう呼びかけると、彼女はビクンと肩を跳ねさせてこちらを向いた。
「あとはこの道を進んでいけばいいの? そうすれば僕の家に着くんだよね?」
「あ、うん」
「もう車が通れる道は無いって言ってたよね?」
「そう、だけど……」
「だけど?」
「……ううん、なんでもない」
藤崎はぶんぶんと首を横に振ると、
「間島くんの家まではまだあるから、気を抜かずにいきましょう」
そう言って再び歩き始めた。
「着いちゃった……結局何も起こらずに……」
僕の家の前で、驚きを隠すことなく藤崎は言葉を洩らした。
あのあと、横断歩道を渡ってからというものの特に変わったことは起きることなく、僕たち二人は無事に目的地である僕の家まで辿り着いたのだった。
「なんで……?」
藤崎は道中ずっと「きっと何かが起こる」と、そう言って警戒を怠らなかった。だからこそ、何も起きなかったことで余計に不安になっているようだった。
「藤崎さんがこれまで頑張ってきたからじゃないの?」
僕が当たり前の事をいうと、
「それにしてもこんなに簡単にいくはずがない。絶対に、何か別の理由があるはず」
藤崎はそう思っていないようで、より一層眉間にしわを寄せた。
「でも、そうは言ってもこうして無事に家まで来れたんだし」
「それはどうだけど……」
放っておけば、藤崎はずっと考え込んでいてしまいそうだった。
「――とりあえず」
僕がそう言い出すと、彼女は顔を上げて僕を見る。
「僕はこのまま家に入って、外に出ないで今日一日おとなしくしてればいいんだよね? まだ何か起こるかもしれないことに備えて」
「うん。……家の中でも階段から落ちたりとか、考えられる死因は色々あるから」
「わかった。階段を使うときは必ず手すりを掴むし、風呂に入るときも足下に気をつけるよ」
「そうして」
「じゃあ、また明日」
「うん。明日」
それから家の門に手をかけ、僕は我が家に帰った。
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