第12話 試行錯誤
最初、私はどうにかして間島君の下校時間をずらそうと考えた。トラックの方をどうにかできるとは思えないから、そう考えるのが当然のことだった。
だから私は彼に話しかけてみた。これまで全くといっていいほど話したことがなかったからどうしようかとも思ったが、そんなことを言っていられる場合ではなかった。
「間島君」
朝、私がそう話しかけると彼は驚いたように私を見た。
「ふ、藤崎さん? な、なに? いきなりどうしたの?」
「ええと……」
声を掛けてから、どうしたものかと思いはじめた。だが、すぐに思い至った。
「……今日の放課後、少し時間ある?
ほんの少し、彼の下校する時間をずらすだけでいいのだ。そうすれば不幸にも彼をはねるはずのトラックは何事もなくあの道を通り過ぎるはずだ。
「ちょっとだけでいいから話したいことがあるんだけど?」
「……今じゃダメなの? その、話っていうのは」
「うん。ダメ」
私はきっぱりと言った。
彼は少し戸惑った様子だったが、少ししてから頷いてくれた。
「……わかった」
「ありがとう」
それだけ言うと私は席に戻った。
――これでもう大丈夫だ。
そう思った。これでもう安心だと思った。
放課後、朝に伝えたとおり間島君は教室に残ってくれていた。帰りの会が終わってからすぐに話しかけようかとも思ったけど、念には念を入れて教室から人がいなくなるまで待った。そして、私達以外に教室から人がいなくなると、私は席を立って彼に近づいた。
私が席を立つと、間島君はビクッと小さく身体を跳ねさせた。強ばった面持ちの彼の前にたち、私は言った。
「今日の給食はおいしかった?」
「…………は?」
彼は素っ頓狂な声を上げた。
「給食って……え?」
「そう。給食。どうだった?」
話なんてなんでも良かった。ただ彼を少しでも足止めすることができれば。
そう思って適当に振った話題に、彼は律儀に答えてくれた。
「まあ、いつも通りで、普通だったけど……」
「そっか」
チラリと時計を見る。
昨日――正確には繰り返す前のオリジナルの今日に学校を出た時間を、五分ほど過ぎていた。これで目的は達成できた。
「付き合ってもらってありがと。――それじゃあ、帰り気をつけて」
「え? これだけ!? 話って、今日の給食のことだったの!?」
驚きからか大きな声を出す間島君のことを置いて、私は荷物を持つと教室を出た。けれど私は真っ直ぐに家には帰らず、前回事故が起こった交差点が一望できる場所に先回りした。念には念のためだ。
それからすこしすると、間島君の姿が見えた。彼は何やら考え事をしている様子でどうも心配になる足取りだった。それでも信号はしっかりと見えているようで赤信号に足を止めた。
信号が変わって、すぐに彼は歩きだす。
そして――ドンッという鈍い音がした。それに続いてドサッと何かが地面に落ちる音が聞こえた。
ほんの一瞬、安心して目を離した間にそれは起こった。
彼は地面に赤い染みを作って倒れ、彼を跳ね飛ばした車が少し走って止まった。今度はトラックじゃなかった。白い普通自動車だった。ボンネットはへこんで赤い染みが点々と浮かび、運転席からはスーツを来た男がフラフラと出てきた。
「どうしようどうしよう……電話。電話しないと」
男は挙動不審に、倒れた間島君と腕時計とを交互に見てはブツブツ何かを呟いている。私はゆっくりと、倒れた間島君の元へ近づいた。集まりつつある野次馬の中から「お、おいっ!」と制止する声が聞こえたが構わなかった。
間島君の側にかがみ込むと、彼の腕を取って脈を取る。……脈はなかった。
そして気がつくと、わたしはまた自室のベッドの上にいた。
「ダメだった……」
そう言って上体を起こす。ベッドから降りると、前後左右に身体を反らして身体を目覚めさせる。
自分でも意外な程に、私は冷静だった。繰り返しても藤崎君が死んでしまったというのに。
「――さて」
私は顔を洗うために部屋を出て階段を降りた。
洗顔後リビングに行くと、テーブルの上にはすでにその日の新聞が置かれていた。中を見ずとも何が書かれているかはすでに知っている。
『通り魔 5人が死傷。犯人自殺』
その字面が頭の中に浮かんでくる。
「無駄な抵抗は止めろ。間島俊の死は変えることのできない運命だ」
そう言われている気がした。
私はテーブルの上の新聞を乱暴に掴むと、そのままゴミ箱に放り込む。少し気持ちが良かった。
「ちょっと! それ今日の新聞。まだ読んでないんだから捨てないで」
「あ、ごめん」
母に怒られ、私はしぶしぶとゴミ箱から新聞を取り出すのだった。
何度か同じことを繰り返しそれではダメだと私は悟った。ただ話があると言って放課後に誘い出しただけではたったの数分しか彼を引き留めることが出来ず、彼の死は変わらなかった。
だから、私は彼のことを知ることにした。幸い時間は無限と言えるほどあったからそれは簡単なことだった。
それで得た情報を使って、私は彼の興味を惹きつけようと試みた。
彼が最近流行の「異世界転生もの」が好きだと分かれば自分が異世界転生者であると偽ってみたり、彼が登校時に流行のアイドルソングを口ずさんでいることが分かれば自分がアイドル志望であると言ってみたり、その他にも色々と考えつく限りのことは試してみた。
けれど、それも上手くいかなかった。
彼の下校時間がズレる程度のことは、運命の矯正力に抗うことはできなかった。
何度も繰り返し、数えるのすら面倒になってきた辺りで私はふと思った。私はどうしてここまでして間島くんのことを助けようとしているのだろうか、と。
言ってしまえば、彼と私はこれまで話したことすらほぼなかったただ学校と学年が同じというだけの赤の他人だ。彼の死を私がどうにかしなければいけないなんていう責任はない。彼の死は世界が定めた運命なのだと、そう慎ましやかに受け入れて過ぎてゆく時間に身を委ねても良かったはずだ。どうして私はそうしなかったのか。そうしないのか。
……これは贖罪なんだ。
これまで私は何度も人の死を見過ごしてきた。他の人とは違う。私にはそれを防ぐことができたかもしれない力があったにも関わらずだ。誰も私のことを責めることはしない。私の力を力を知らないからだ。
だが、もし知られたらどうなるだろう。亡くなったおばあちゃんや家族はきっと責めない。「仕方のないこと」だと言ってくれるかもしれない。しかし、世間の人はどうだろう。大多数の人は言わないだろうけど、きっと誰かが言うんだろう。「どうして助けられた命を助けなかったんだ」と。
私の中にいる、顔も分からない内なる第三者がテレビや新聞で人死にを見る度にそう言ってくるのだ。私はそれに言い訳をしてきた。
「一日に何人死んでると思う。私1人でどうにかできるものではない。どうしようもないことなんだ」と。
これは間違いではないと思う。事実、一日に各地で何人もの人が命を失っている。例え私が何か行動を起こしたとして、その全てを救う事なんて到底不可能なのだ。けれど、そうは言っても私が死者を見て見ぬふりしてきたことに変わりはない。
だから、今度のことは今までのことに対する、私なりの贖罪なんだ。そう思った。
今度のことは違う。私の手が届く範囲の出来事なんだ。私が行動を起こせばどうにか出来るかもしれないことなんだ。そして、これは自分の為でもあるんだ。ここで間島くんの死を見て見ぬふりしてしまったら、きっと私は一生そのことを後悔する。間島くんの家族や友人の悲しむ姿を見て、きっと自分のせいだと思ってしまう。
だから私は彼のことを助けることにしたんだ。それは自分のためでもあった。
それでも限界があった。
思い付く限りのことは試したつもりだ。それでも彼を死の急行列車から降ろすことは出来なかった。だから私は最後の手段を使うことにした。
「間島君、あなたは今日死ぬわ」
私は彼に直接、彼を待ち受ける運命を伝えた。
これは、出来ることなら試したくない方法だった。
死の運命にある人にそのことを伝えることで何が起こるのか。それは未知の領域だ。
私がそれを口に出して伝えてしまうことで、その未来が覆しようのない確定された事項となってしまうことだってありえる。私はあまりオカルト的なことに傾倒する質ではないが、私の身に起こっていることそれ事態が超常的現象なのだからそういうことが無いとも言い切れない。それに、確証がなくても万が一そうなってしまったら本当にどうすることも出来なくなる。だから、最後まで試したくはなかった。
だが、もうそんなことは言ってられない。
どちらにせよやらなければ彼は死んでしまうのだ。やらぬ後悔ならやる後悔。
当然、彼は突然の死の宣告に困惑した表情を見せた。
これまでは、彼が生存して続く世界のことを考えてどうにか言い訳が出来るように話してきたつもりだが、今はもうそんなことは考えなかった。
「私はあなたを助けるために来たの」
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