第8話 彼女は未来がわかるらしい 2

 昼休みになると、藤崎がやって来て言った。


「私の言った通りだったでしょ」

「……うん」


 認めざるをえなかった。一つや二つが一致しただけなら偶然ということもあり得るが、書いたこと全てがその通りとなると、信じる他なかった。

 

「でも、一体どうやって? どうやってこんな細かいことまで把握できたの?」

「言ったでしょ。私は未来が分かるって」

「何か仕掛けがあるんでしょ? あらかじめ皆にこうするように言っておくとか。ねえそうでしょ」

 言いながら自分でもそんなわけはないと分かっていた。けれど、到底認めることはできない。こんな魔法みたいなことがあっていいはずがない。

 藤崎はそれには首を振るだけで、言った。


「私が今朝、間島君に言ったこと覚えてる?」

「僕に何か良くないことが起こるってやつでしょ」


 朝の時点ではただの冗談だと思っていた。だが、今は状況が変わった。紙に書かれた事が実際に起こって行く度にその言葉は僕の中で存在を大にしていき、僕の中で得体の知れない恐れを産みだすまでに成長していた。


「それって何なの? 教えてよ。何だか怖くなってきたんだけど……」

「じゃあ、今からでも早退して家に帰ればいいの」


 藤崎は僕の質問に答える代わりに、そう言って早退を勧めてくる。

 そういえば朝も「家に帰れ」と言ってきた。ということは、学校で何かが僕の身に起こるのか……?


「先生に言えば早退させてもらえるでしょ」

「でも……無理だよ。絶対理由聞かれるし。先生に『不吉な予感がするから早退します』なんて言ったら絶対怒られるに決まってるよ」

「そんなの適当に『頭が痛い』とか言えばどうとでもなるでしょ。どうせそれが本当かどうか確かめることは先生には出来ないんだから」


 僕は藤崎のその物言いに驚いた。

 普段教室ではおとなしくしているから、そんな平気で嘘をつこうとする人には思えなかったのだが。どうやらそうでもないようだ。


「……何?」


 その考えが顔に出ていたのか、藤崎が訝しげな目を向けてくる。

 僕は正直に思ったことを口に出そうとも思ったが止めた。その代わりに、別の疑問を口にしていた。


「いや……藤崎さんはどうしてそんなに親身になって忠告してくれるのかなって思って。僕たちってこれまで全然話したことなかったよね。なのに、突然どうしてなのかなって、少し思って」

「それは……」


 藤崎は少し迷うそぶりを見せた。


「……そんなの簡単。自分のためよ」

「自分のため?」

「そう。じゃあ逆に訊くけど、あなたは誰かが不幸な目に遭うって知っててそれを見過ごせる? あとで、あの時こうしておけば良かったって後悔したりしたことはない?」

「それは……あるかも」


 大したことではないが、藤崎が言ったような「後で後悔」する経験はこれまでにも何度か経験したことがあった。


「それとおんなじ。私はそういう後悔をもうしたくないから。自分のためにこうしてるの」


 藤崎が一度言葉を句切ると、今度はさっきよりハッキリと言った。


「だから、早退して。今すぐ家に帰って」

「…………」


 僕は悩んだ。

 そして、悩んだ末に言った。


「……やっぱり、早退はできない」

「なんで!?」


 藤崎は語気を荒げた。


「嘘をつくのが嫌だって言うなら、私が先生に言ってあげるから!」

「そうじゃなくって」


 たしかに嘘をつくことに多少の抵抗はあるがそうじゃない。


「ほら、もうすぐ期末テストだろ? だからできるだけ授業は聞いておきたいんだよ」


 藤崎にテストで負けたくない、というのがその裏に隠れているのだが。

 すると彼女は言った。


「テスト? そんなのどうでもいいでしょ」


 ……どうでもいい?


「学校のテストが何だっていうの。そんなものより大事なことがあるでしょ」


 ……テストがどうでもいいだって?

 僕は藤崎のその言葉が許せなかった。他の誰かが言ったらそこまで気にしなかったかもしれない。だが、彼女がその言葉を言うのだけは許せなかった。常に僕より良い成績でありながら「テストなんてどうでもいい」と言う彼女が許せなかった。なんだか、相手にされていない気がしたんだ。

 だから、僕は言ってやった。


「――早退はしない。午後の授業に僕は出る」

「なんでよ!?」

「どうしても」


 藤崎は僕がどうして首を縦に振らないのか判らないようだった。それがまた僕の対抗心を燃やす。


「とにかく僕は早退なんかしない。……藤崎には負けない」


 今度のテストこそ絶対に藤崎にテストの点数で勝ってやるんだと、僕は直接宣言した。彼女はそれには何も言わなかった。

 それから少しして藤崎が言った。


「――どうしても私の言うことは聞かないっていうの?」


 怒りと諦めが混ざったような声だった。


「うん」

「そう……」


 僕が答えると、彼女はそう言って深い溜息をついた。それから彼女は僕の席を離れて、自分の席へと戻って言った。


「――――」


 去り際に彼女が何か言った気がするが、小さな声で聞き取る事が出来なかった。

 間もなくチャイムが鳴った。

 この学校の昼休みは短い。僕は思った。

 

 それから午後の授業が始まる。

 午後のことに関しては藤崎から何も聞かされてはいなかった。

 六時間目の授業中、村田と成田が授業中にも関わらず突然二人で喧嘩を始めるという事件が起こった。すぐに先生が仲裁に入って事なきを得たが、彼女はこのことをあらかじめ知っているのか、と僕はそんなことを思った。



「――それじゃあこれで帰りの会を終わりにする。気をつけて帰るように。部活に行く生徒は怪我しないように気をつけろよ。はい、じゃあさよなら」


 先生の締めの言葉で帰りの会が終わった。終わる前からソワソワしていた何人かはすぐに教室を飛び出し、それから他のクラスメイトたちもそれぞれに行動を開始する。

 結局、学校が終わっても僕の身には藤崎の言う「不幸なこと」が起こることがなかった。


「……なんだ、やっぱり冗談だったのか」


 そう呟きながら藤崎の席に目をやる。彼女の姿はなかった。もう帰ってしまったらしい。何か用事でもあったのだろうか。

 それから僕も帰りの支度をして学校を出た。


 帰り道はいつもより気をつけて歩くことにした。藤崎の言ったことは冗談だと思いたいが、それ以外の予言は全て的中したのだ。どうしてもそのことが気になってしかたなかった。

 なぜ藤崎はそんなことができたのだろうか。

 そんなことを考えていると、この日の朝に藤崎が話しかけてきた横断歩道まで来ていた。ここから僕の家までは歩いてわずか数分。ここまでくればもう何かが起こることもあるまい。

 歩行者信号が青に変わり僕は歩き出す。信号を待っている配達業者のトラックの前を通ろうとしていると、後ろから近づいてくる足音が聞こえた。音の感覚と大きさから走っているようだった。見れば信号が点滅を始めていた。

 誰からは知らないが、道を譲ってやろうと僕は右に身体をずらした。少しして、僕の左側をその人が走り抜けようとする。そして、僕も早いところ渡ってしまおうとして――バランスを崩した。

 一瞬何が起こったのか判らなかった。右足を踏み出そうとしてそれが出来ず、身体だけが前に進もうとして身体の右側から倒れ込むようにして地面に倒れた。両手を支えに上身を起して足先を見ると、右の靴紐がほどけていた。道を譲ろうとズレた拍子に、自分の左足で右の靴紐を踏んで押さえ点けてしまっていたのだ。

 そのままの姿勢で顔を上げると、信号が赤に変わっていた。


「――やばっ」


 急いで身体を起そうとして、すぐ近くで音がした。エンジンの音だ。

 地面に倒れた僕の姿が見えていないのか、トラックがゆっくりと動き出す。


「ま、待って!!」


 思わず叫んだ。だが、その声がトラックの運転手に届くことは無い。

 トラックは一秒よりも短い時間の中でぼくに迫ってくる。そして――――。

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