第5話 彼女はアイドルらしい 1
「間島君」
その日の朝のこと。いつも通りに登校を終え、教室で1時間目の用意をしているところに声がかかった。
誰だろう?
そう思って、声をかけられた方へと顔を向けると――
「ふ、藤崎さん!? な、何どうしたの?」
僕の側には、あの藤崎華が立っていた。彼女は僕のことを見ている。彼女が僕を呼んだことは明らかだった。
「ちょっと話したことがあるんだけど」
「う、うん。何?」
突然藤崎から声を掛けられたことで動揺する僕。けれど彼女は僕の目から視線を逸らそうとせず、真っ直ぐにその瞳を向けてくる。かつてない距離感に思わず目が泳ぐ。
前々から思っていたことだが、近くで見る藤崎の顔はやっぱり整っている。
いつも人の目を引くようなことはせずにおとなしくしている彼女だが、その実男子の間では密かに人気を集めている。その中学生らしからぬ大人びた所作と整った顔立ち。美少女と形容しておかしくはない存在だ。それでいて頭も良いと言うんだから非の打ち所はない。そんな彼女が一体僕に何の用があるというのだろうか?
……もしかして昨日の授業のノートを見せて欲しいのか?
僕も意地悪な人間ではない。一言「見せて」と言われれば見せてらないこともないが……。
「その……驚かないで聞いて欲しいんだけど」
「うん」
彼女の表情は、緊張しているのかいつもより少し固かった。今からノートを借りようとする人の見せる顔ではない。
それから藤崎は声を潜めて、僕だけに聞こえる声で言った。
「実は私……アイドルなの」
「えっ! ……アイド、んんっ!」
驚きのあまり声を大声を上げかけた僕の口を彼女の手が塞いだ。
「だから、驚かないでって言ったでしょ」
「……ご、ごめん」
藤崎の手が僕の口から離れる。彼女は懐からハンカチを取り出すと僕の口を押さえた手を軽く拭いた。……ちょっとショックだ。朝、家を出る前にはしっかりと歯磨きだってしてるのに。
いやいや、そんなことより。
「アイドルって……本当に?」
そう訊ねた僕の声は疑いに溢れていた。
でもそれもしょうがないことだ。藤崎が突然、「自分はアイドル」だなんて言い出したのだから。あまり人のことを疑ってかかる僕ではないが、これは話が違う。一体何の冗談だ?
そう思って藤崎の顔を見つめ返すが、彼女の顔は至って真面目。僕をからかって騙そうという風には見えない。けれど、よく見ると少し頬が赤くなっている気がした。
「嘘だと思う?」
藤崎はそう言って僕の目を見つめ返してくる。結果、僕と藤崎は至近距離で互いのことを見つめ合う形になる。
1秒、2秒……たまらなくなり僕から先に目を逸らした。逸らした視線の先には壁掛け時計。あと数分で朝の会が始まる頃だった。
「じゃあ、話の続きは昼休みに」
すると藤崎も時間に気づいていたようで、席に帰っていった。
それから間もなく担任の先生が教室に入ってくると朝の会が始まった。
授業中、僕は右前方に座る藤崎から目を離すことが困難だった。授業に集中しなければ。そう思っても自然と目は彼女の方に吸い寄せられる。それもこれも藤崎が突然にあんなことを言うからだ。
僕はペンを握って授業を聞く姿勢を作りつつも、相変わらず眠そうにして時折あくびを漏らす藤崎のことを盗み見ていた。
藤崎がアイドル……考えたこともなかった。そんなことありえるはずないだろう、そう言って一笑に付してやりたかったが、それができなかった。
思ってしまったのだ。藤崎がアイドルかぁ……ありえない話ではないな、と。
そして昼休みになると、藤崎は僕の席へと再びやって来た。彼女は僕の前の席の椅子を借りるとこちらを向いて座った。
「朝の話の続きなんだけど」
「うん」
「その前に、実は、少しだけ嘘をついちゃったんだ」
「嘘?」
僕は藤崎を見た。彼女はやはり少しだけ恥じらっているように見える。
「そう。正確にはアイドルっていうより、アイドル見習いって感じ。研究生っていうのかな?」
「へぇ、そっか」
「……やっぱり証拠でも見せないと信じられない?」
「へ?」
藤崎はそう言った。
「だって間島くん、私の話信じてないでしょ。そんな顔してる」
「べつにそんなことは――」
「授業中もずっと私のこと見てたでしょ? それは私の話を疑ってるからでしょ?」
「き、気づいてたの!?」
急激に体温が上昇した。額に汗が滲む。
「あれだけ見てたらね」
「べつにあれは疑ってたわけじゃくって! あれは……不可抗力だよ。僕じゃなくても、いきなりあんなこと言われたら気になるに決まってる。これが当然の反応だよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
僕がそう答えると、藤崎は顎に手をやった。
「じゃあ、間島くんは私の話を信じてくれたってことでいいの?」
「……まあ、一応は」
藤崎がアイドルの卵だということはわかった。彼女からわざわざ言い出したことだ。嘘をつく理由は特にないはずだ。仮に嘘だったとしたら、自分で自分をアイドルだと言い出したことになる。その場合、嘘だと発覚したときのリスクが大きすぎる。だから僕は彼女の話は本当だと考えた。
だが、それでも府に落ちないことがあった。
「藤崎さん話が本当だとして……どうして僕にそれを話してくれたの?」
言っちゃなんだが、僕と藤崎の関わりなどこれまでなかったに等しい。僕がテストの度に一方的に対抗心を燃やしているだけで、彼女は僕のことなどさして気に留めてなどいないはずだった。それなのに、僕だけにそんな話をするなんて考えづらい。普通は同性の、それもかなり親しい友達に話すはずだ。
「それは……」
「?」
藤崎はその理由を応えようとはしない。
少しして一度息を吐くと、藤崎はその理由を教えてくれた。
「……私がクラスの女の子に、自分がアイドルだなんて言ったら皆はどういう反応をすると思う?」
「どうって、すごいとか、そんな感じの反応をするんじゃないの?」
「そんな単純ならいいんだけどね」
む。何だかバカにされた気がする。
「じゃあ、どうなるっていうの?」
「確かに表面上は間島くんが言うように、そういう反応を返してくれると思うけど、その後影で皆噂するの。『あの子、アイドルなんだってさ』。そんな風に言って皆で笑いものにするの」
僕は教室の中を見回した。教室の中には数人の女子達が集団を形成して会話を楽しんでいたり、男子達がバカをやっている。
「そんなことをするようには思えないけど……」
「それは間島くんが女子の裏の顔を知らないから」
「そう、なのかな」
「そうなの」
「……そうなんだ」
よく分からなかったが僕はとりあえず頷いてみた。確かに藤崎の言う通り僕は女子のことを理解しているとは言いがたい。けれど、それだけにクラスの女子がそんなことをするとは思いたくなかった。
「――まあ、それはそれとして」
藤崎がどうしてクラスの女子に話さないのかはわかった。けど、それでも分からないことがあった。
「どうして僕にそのことを話してくれたの?」
「それは――」
僕が聞くと藤崎は答えた。
「――今度、オーディションがあるの」
「うん」
「それで、実際にオーディションを受ける前に誰かに見てもらって意見をもらおうと思って」
「それで僕に?」
「そう」
藤崎はそう言って指先で髪の毛をクルクルと弄った。どことなく恥ずかしそうだ。
「それは別に良いんだけど……」
僕は言った。
「僕、あまりアイドルとかに詳しくないからアドバイスなんて出来ないと思うんだ。もっと他の人の方が適任なんじゃないかな。ほら、隣のクラスの増田とか。あいつ確かアイドルとかに詳しかった気がするんだよ」
それは藤崎のことを考えてのことだった。僕はアイドルに詳しくないからもっと適役がいる。そう言ったつもりだった。
けれど、僕の思いは藤崎にしっかりと伝わらなかったようだ。
「それは私に付き合いたくないってこと?」
藤崎はそう言って不満げな顔で僕を見た。
「そういうんじゃないけど」
「じゃあ、いいでしょ?」
「う、うーん……わかったよ」
結局僕は彼女の勢いに押されて放課後に彼女に付き合うことを承諾してしまった。
そして話が終わると藤崎は、「それじゃあ放課後。黙って先に帰ったりしないでね」と、そう言って教室を出て行った。
別に嫌なわけじゃない。話し相手として僕を選んでくれたことは素直に嬉しいし僕に出来る限りの協力はしたいと思っているが、それでもどうして僕なんだろうという疑問の方が大きかった。僕の記憶にないだけで、彼女のお眼鏡に敵うような何かをしたのだろうか? ……わからない。
残された昼休み中考えてみたが、納得できるような答えは見つからなかった。数学の問題なら決められた答えがあるのに。
……もしかすると、案外藤崎の中にも筋道だった考えなんて無いのかもしれない。ほんの思いつきで、僕に言ってみたということもあるかもしれない。とりあえずは、そういうことにしておこう。
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