第4話 彼女は僕のストーカー?

 僕は朝が嫌いではない。どちらかというと、好きな方だ。

 一日の始まりが気分の良いものだと、その日一日が何だか良い日のように思えてくる。その点でいうと今日の始まりは比較的良い始まりだといえた。


 目覚ましの音に叩き起こされることがなく、カーテンの切れ目から差し込む陽光で自然に目が覚め、朝食も僕の好きなものが用意されていた。更に、テレビの星座占いも、僕の星座である魚座がその日の運勢ランキングで二位だと言っていた。

 別に、たかがテレビの占い結果など信じてはいない。それでも、自分の星座の順位が高いとそれはそれで少し嬉しい。男の僕でさえこうなんだから、同年代の女子たちが眉唾な占いに一喜一憂するのもわからなくはない。


 それから支度を調えると、いつもの時間に家を出た。見慣れた通学路だが、やはり目覚めが良かったからか、いつもとは少し違う新鮮な光景に思えてくる。どこかから聞こえてくる小鳥のさえずりが心地良い。学校まで朝の運動も兼ねてひとっ走りしようかとさえ思えてくる。そんなことをしたら、汗をかいて制服が蒸れることになるからやらないけど。

 

 横断歩道の手前、ぐるりと周囲に視線を巡らせて人がいないことを確認してから、頭に浮かんだメロディーを口ずさみながら信号が変わるのを待つ。

 そして鼻歌がサビにさしかかった時だった、背後でザッとコンクリート地面と靴底の擦れる音が聞こえた。即座に鼻歌を中断する。

 身体が一瞬こわばり、緊張が解けると同時にブワッっと全身を熱を帯びる。

 聞かれた。鼻歌を聞かれた。

 耳に届いた靴音はすぐ近くだった。てっきり周りに誰もいないものだと思い込んでいた僕は、まあまあの音量で鼻歌を歌っていた。あれで聞こえていないはずがない。しかもマズいことに、僕が歌っていたのは今流行のアイドルソングだ。毎日のようにCMで流れるせいで、脳裏にこびりついてしまった。

 だが、聞かれてしまったものは仕方ない。恥ずかしいが、もう少しの辛抱だ。信号が変わった足を速めて一気に距離を取ろう。せめて、聞かれたのが見ず知らずのおじさんであってくれ……!


 そう願っていると、再び靴音が聞こえて背後の人物が僕の横に並んだ。僕はそちらを向くことなく、ただ信号を睨み続けた。けど、どうしても気になって、目だけを動かして僕の隣に並んだ人を見てみた。どうか知らないおじさんであってくれ! そう思いを込めて僕は見た。


 横に立っていたのは、藤崎華だった。制服に身を包んだ藤崎がそこには立っていた。しかも、あろうことは彼女は僕の方を見ていた。

 間違いない。藤崎は僕の鼻歌を聞いたんだ。


「お、おはよう、藤崎さん」


 無理矢理に笑顔を作って、僕はそう言った。

 藤崎はそれに「おはよう」と返した。彼女は笑っていなかった。

 それが少し怖かった。どうせなら、思いっきり笑って欲しかった。そうすればネタとして流すことができるのに。


「……好きなの、その曲?」


 そんなことを思っていると、突然に藤崎がそう訊いていた。


「いや、好きっていうかさ、勝手に頭の中でグルグルこの曲がかかっててさ。それでつい気がつくと歌っちゃうんだよね。ほら、そういうことってあるでしょ?」


 僕は咄嗟にそう言っていた。


「ふぅん。そうなんだ……」


 けれど藤崎はそう言って、何度か小さく頷いただけだった。

 それから信号が変わると僕たちは歩いて横断歩道を渡った。



 僕が前を歩き、その少し後ろを藤崎が歩く。

 最初はどうにも気まずいから早歩きでさっさと距離を離してしまおうと思ったのだが、そうすると何故か藤崎も歩調を速めて僕の後ろに続いてきた。なんだと思って、今度はゆっくり歩くと、それに合わせて藤崎も歩調を緩めた。何度かそれを繰り返して、やがて無駄だと思って結局そう言う形に落ち着いた。一体何のつもりなんだ?

 後ろを振り向いて見るのはどうも気が引けたので、道路脇に立てられたカーブミラー越しに彼女の姿を盗み見る。


 そういえば、こうして朝の登校途中に藤崎と会ったのは初めてな気がする。

  藤崎は僕の家の近くに住んでいるのか? けど、そうだったらこれまでに一度も見たことがないのはなぜだろう。


「ねえ」


 首を後ろに回し、藤崎を見る。


「藤崎さんは、どの辺に住んでるの?」

「どうして?」

「どうしてって……こうやって朝に会うのは初めてだなって思ったから、僕の家の近くなのかなって思って」


 藤崎は顔を上に向けた。それから少しして顔を僕に戻して、


「まあ、近いと言えば近いかな」


 とよく分からないことを言った。


「ふうん」


 教える気はないということか。まあべつにいいけど。

 それきり会話は途切れてしまい、再び僕たちは口を開くことなく歩いた。

 結局、藤崎は学校に着くまで僕の後ろをひっついてきた。目的地は一緒だから仕方がないといえば仕方がないのだが、ただ無言で、おまけにニコリともせず少し怖いくらいの表情をしながら時折こちらを見ているのが少し怖かった。いったい僕が何をしたっていうんだ。

 全くもって身に覚えがなかった。


 授業中になってからもそれは続いた。

 藤崎の座る席は僕の右斜め前方なのだが、彼女が前から回ってきたプリントを後ろの生徒に渡すときに、なぜだが僕のことを見ている気がした。昨日まではそんなことはなかったのに。


 昼休みになって、僕は中野に訊いてみた。


「なあ、お前。藤崎さんに話したりしてないよな?」


 僕がそう問い詰めると、中野は首と両手をブンブンと横に振った。


「まさか。言ってないよ」

「ホントか? 嘘じゃないだろうな?」

「嘘じゃないって」

「本当なんだな? 本当に言ってないんだな?」


 何度もしつこくそう訊ねると、だんだんと中野の機嫌が悪くなってきた。


「だから、言ってないって!」


 そこまでして否定するということは、中野の言うことは本当なのだろう。僕は中野に「疑って悪かった」と素直に謝った。


「いいけど……何かあったのか?」


 僕の謝罪を受け取ると、中野は訊ねてきた。


「うん。何だか、藤崎さんの様子が変なんだよ」

「変? 藤崎さんが?」

「ああ。ほら……」


 僕はあごで藤崎の方を見るように促す。中野はそれに従って視線を動かす。


「うわっ」


 中野が驚いて視線を戻した。


「藤崎さん、ずっとこっち見てんじゃん」

「そうなんだよ……」

「お前、何か怒らせるようなことしたのか?」

「まさか。それがわからないから聞いてるんだろ」


 僕もチラリと藤崎のほうを見る。目が合った。けれど藤崎は僕から視線を外そうともしない。彼女は間違いなく僕を見ていた。


「……なあ、中野。ちょっと聞いてきてくれよ。僕が何かしましたか、って」

「嫌だよ」

「なんでだよ」

「だって今日の藤崎さん、変じゃん。いつもはもっと落ち着いた感じなのにさ。変な事言って、お前みたいに睨まれたくないし」

「この薄情者」

 

 こいつ、僕がいつも宿題を見せてやってる恩は忘れたのか。


「それより、本当に心あたりはないのか」


 中野がもう一度確認してくる。


「……やっぱないよ」

「本当か? 影で悪口とか言ったりしてないか」

「してないよ!」


 いくら藤崎が僕のライバルだからってそんなことはしない。ライバルであって、決して嫌いなわけじゃないんだ。ただ僕は彼女に勝ちたいだけなんだ。

 それから昼休み中、中野と二人で色々考えて見たがやっぱりそれらしい原因には思い至らなかった。その間も藤崎は僕のほうを窺っていた。

 午後の授業もそれは続いた。

 帰りのホームルームが終わって放課後になると、僕はすぐさま席を立って教室を出た。意味の分からない藤崎の視線に耐えきれなくなってのことだった。誰よりも早く教室を出て、廊下を走った。階段を駆け下りる。少し乱れた息を整えながら、今降りてきたばかりの階段を振り返る。


「な、なんで……」


 階段の踊り場に、同じく走って追いかけてきたのか手すりに身体を預けて大きく肩で息をする藤崎の姿が見えた。


「なんで付いてくるんだよ!?」


 もうわけが分からない。朝から始まり、今の今まで藤崎はまるでストーカーのように僕の後を追ってきた。これ以上は我慢の限界だった。


「ずっと僕のことを監視して、何が目的なんだよ!?」


 僕は声を震わせた。

 けれど、藤崎はそれに動揺を見せることなく静かな顔で僕を見ていた。やっぱり、その表情からは心の内を読み取れない。


「僕が何か藤崎さんの気に障るようなことをした?」


 ゆっくりと、彼女は口を開いた。


「違う。私はただ間島くんのことを見ていただけ」

「どうして?」


 けれど、藤崎はそれには答えなかった。代わりに彼女はこう言った。


「帰り道、気をつけてね」

「え、ああ、うん」


 それだけ言うと、藤崎は階段を降りて僕の横を通り過ぎていく。彼女が僕の傍を通るとき、彼女の鞄に付つけられた古びたお守りの鈴の音がチリンと聞こえた。そして、僕の視界から彼女は消えた。

 ……いったいなんだったんだ。

 朝からしつこくつきまとってきた彼女は、あっさりと行ってしまった。彼女が何を考えていたのかは、結局分からずじまいだった。

 心にもやを抱えたまま、それから僕も家路についた。



 

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