第2話 彼女は異世界転生者らしい 1
その日、登校してから授業が始まるまでの間に読書をしようと、鞄から本を取り出したところで、僕のすぐ傍に誰かが立つ気配を感じた。
「ああ、おはよう中野。宿題のプリントなら、ほら。これ」
確認もせずに僕はそう言って、机の中から数学のプリントを取り出した。
中野はいつもこうして僕に宿題を見せてくれるように頼みに来る。最初は面倒だともおもったが、別に僕がなにか不利益を被ることはないし、ただプリントを見せるだけで中野が恩義を感じてくれるならそれはそれでいつか役立つかもしれないと、そう思っていた。
だが、差し出したプリントをいつまで経っても中野は受け取ろうとしない。何をしてるんだと、文庫本から目を外して横に向けて僕は固まった。
「ふ、藤崎、さん……?」
僕の傍に立っていたのは中野ではなく、藤崎華だった。彼女は不思議そうな顔で、僕が差し出したプリントを眺めていた。
驚きのあまり手から力が抜ける。その拍子にプリントが手から放れ、ひらりと教室の床に落ちる。藤崎はそれを拾うと僕に手渡した。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
近くで見る藤崎は相変わらず何を考えているのかわからない。
改めてこうして近くで見ると、とても同級生だとは思えなかった。目鼻立ちが整っているからだろうか、それとも普段から物静かにしているからだろうか。
いや、外見の問題ではない。纏っている雰囲気のせいだ。
藤崎は同年代と比べて何歳か年上に見えた。もちろん、それはただそんな感じがするというだけなのだが。
「……それで僕に何か?」
僕はそう聞いた。彼女がこうして朝から僕のところへ来たということは何か話があるはずだ。それが一体どんな用件なのかは検討もつかないが。
「…………」
けれど、藤崎はどう話しを切り出そうか迷っているような、そんな風に見えた。目は泳ぎ、何度も足を組み替えては居心地が悪そうにして、一向に口を開こうとしない。どうしたんだろう?
そこで僕は一つのことに思い至った。
もしかして、昨日の昼休みにした中野のとの会話を聞かれていたのか?
中野は「僕が藤崎のことを好き」だなんていう見当外れなことを口にした。もし運悪く、その瞬間の会話だけを聞かれたとしたら……。
僕の背中を嫌な汗が伝った。もしそうだとしたらすぐにその誤解を解かなければ。
「あ、あの、藤崎さん」
そう言って僕が話を切り出そうとするよりも早く、藤崎が口を開いた。
「ねえ――異世界転生って、知ってる?」
「…………えっ?」
到底クラスメイトの女子から聞くとは思ってもいなかった言葉に、答えた僕の声は裏返った。軽く咳払いをして喉の調子を整える。
「い、今。異世界転生、って言った?」
「うん」
聞き間違いではなかったようだ。藤崎は確かに「異世界転生」という言葉を口にしたらしい。
藤崎がそんなことを言うとは思ってもいなかった。確かに世間ではそういったジャンルが流行っているし、今僕が読んでいる本もそのジャンルのものだけど、藤崎はそういった流行り物とは無縁だと思っていた。
「知ってるけど……それが?」
「私、実はそれなの」
「ん?」
それ、とは?
藤崎が何を言っているのか理解できなかった。
「……どういうこと?」
「私、異世界転生者なの」
「は……?」
わけがわからない。
何を言っているんだ、この女は。彼女なりの冗談なのか?
藤崎の顔を見る。彼女はニコリともせずに僕を見ていた。何を考えているのか、本心は表情から読みとることができない。
冗談にしてはスケールがでかすぎる。だが、藤崎が異世界転生者だなんて、それが本当のことであるはずがない。
だから僕は訊いた。
「――で、そんな冗談をわざわざ僕に言って、何が目的?」
こんな冗談を言ったのは彼女なりのユーモアで、何か本題に入るまえの空気作りだったのかもしれない。勉強はできても笑いのセンスはないんだな。
すると藤崎は真面目くさった顔で答えた。
「冗談じゃないんだけど」
「いやいや、どう考えても冗談でしょ」
「どうして?」
「どうしてって……」
彼女はすぐには冗談だとは認めない。微笑みもせず、いかにも重大な話をするように僕のことを見つめている。そして僕は気がついた。彼女の行動の真意に。
……きっとこれは藤崎から僕に対する論戦の申し込みなんだ。動機はわからないが僕を言い負かしに来たんだ。そうに違いない。
少し考えてから僕は言った。
「だってそんなの現実にあるはずがないだろ? 異世界転生だなんて、そんなものは物語の中だけの話だよ。本当にそんなことがあり得たら、この世界はもっとおかしなことになってるはずだ。なのにそうなってないんだから、そういうことでしょ」
「そうした人達が、目立つような力の使い方を控えているからだとは考えないの?」
「仮に異世界転生者が実在していたとして、どうして彼らが力を隠す必要があるの? 彼らは凄い力を持ってるんだ、それを使わない手はないでしょ」
「じゃあ、もし間島くんがそういった力を持っていたらそれを積極的に使うってこと?」
「うん。きっと使うだろうね」
「そう」
「あ、いやっ、もちろんそれは人に迷惑をかけたり怪我をさせるためとかじゃなくて、あくまで自分の為にって場合に限っての話であって、悪い事に使おうとかそういうつもりではないよ」
藤崎が突然顔を下にうつむけてしまったことで、僕は咄嗟にそんな弁解の言葉を並べていた。
……なんで僕がこんな言い訳じみたことを言ってるんだ?
本当なら、幼稚な嘘を僕に暴かれた藤崎が言い訳の言葉を並べ立てているはずじゃないのか?
「いや、そうじゃなくて――」
話の主導権を取り返そうと僕がそう切り出そうとしたタイミングで朝の会の開始を知らせる予鈴が鳴り教室に担任の先生が入ってきた。それが論戦の第1ラウンド終了の合図でもあった。
藤崎は何も言わずに自分の席に帰っていく。
最後に少し押され気味になってしまった。第一ラウンドは、僕の判定負けかな。
それから先生が出欠を取り、風邪が流行っているから気をつけるようにと言って教室を出て行くと入れ替わりで1時間目の先生が姿を現し、すこししてから授業が始まった。
僕は机の上に教科書を広げながら、チラリと藤崎の様子を窺う。相変わらず彼女の机に筆記用具は見えない。すると、彼女の頭がわずかに動いたかと思うと彼女は僕の方を見た。視線がぶつかる。思わず僕は視線を教科書に戻した。
これまで藤崎が僕の方を見るなんてことはなかったのに、一体どういうつもりなんだ。
そのおかげで、藤崎のことがいつも以上に気になり授業の内容なんてちっとも頭に入ってきやしなかった。
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