月に溺れる夜

読永らねる

【百合官能】月に溺れる夜

 天井の近くの細長い窓を見つめると、月光がまぶしいほどに私を照らしている。

 普段はまったく気にしていなかったが、ベッドと違い、床に敷いた布団から見上げると、見慣れた窓がとても高く感じる。


 カーテンのようにさらさらと揺れる夜空よりも黒い髪が月光を遮った。そしてそのまま彼女の顔が近づいてきて、私の額にそっと口づけをする。

 彼女の首元から柔らかで甘い香りがする。あとで使っているボディーソープの種類を聞いてみよう、そんなことを思った。


 私の肌の上を細い指が滑る、あんなに頼りなく感じたTシャツ一枚の壁がどれだけ大きな存在だったか思い知らされる。

 お腹のあたりから滑らかに上を目指す五本の指が私の鎖骨を撫でる、思わず体を硬くする私の体をより優しい手つきで彼女は侵す。

 その優しさが、今は、とても、ずるい。


「あっ」


  自分の意志とは無関係に漏れた声、羞恥に耳まで赤く染まるのが自分でもわかる。

 目を背けて右手で顔を覆う、指の隙間からそっと彼女を見た。


――目が合った。


 優しくて、嬉しそうで、蕩けそうで……怖かった。

 自分はどうなるんだろう、どうされるんだろう……どうなりたいんだろう。


 彼女がそっと顔を近づけてくる、その肩から滑り落ちた黒い髪が私の頬をくすぐった。

 彼女は私の右手と自分の髪をそっと手で払いのけ、そのまま唇の端に触れる。


「嫌なら……避けてね?」


  彼女の声が耳から滑り込んで、そのまま心を、頭を、私の全てを溶かしてしまう。

 避けれない……嘘、避けたくない。


 レモンの味も、いちごの味もしない、生温かな舌が私の口に。

 想像したよりもずっと深く潜り込んでくるそれが私の舌を逃がさない。確かな肉感を持ったまま、何もできない私を責め続ける。

 口にすべての感覚を寄せている私を置き去りに、彼女の指が今度はゆっくりと脚の方へと降りていく、私はそれに気づけない。


 胸が、腕が、お互いの体の触れ合っている部分全てが熱い、私の熱と彼女の熱はそのまま気分を高揚させ、それがまた大きな熱を生む。背中は風邪を引いて熱を出したときのようにぐしゃぐしゃだった。

 今すぐシャワーが浴びたいとか、エアコンの温度を下げたいとか、そんなことを考える余裕は無かった。


 分かったことがある、彼女が意図的かどうかなど関係なく、お互いが触れ合っている間、触れ合った部分だけに意識がいくことなど無いのだ。

 熱を感じている間、それと同じくらい何も触れていない部分が気になって仕方が無い。触れられるか分からないことのほうがずっと身構えさせてくる。


 そんな感情がいつの間にか『触れてほしい』に変わってしまっている気がして、私はまた羞恥に駆られる。

 言葉にはできない、彼女の優しさでできたブレーキを外すような事があれば、今度こそ本気で私は鳴くことになる。


 少しだけ、ほんの少しだけ、それでもいいと思ってしまった、そんな感情はまた快感の波に飲まれ、遠くに行ってしまったけれど、確かに一瞬私の中にあった。

 気がついたら腕を伸ばしていた、快感にからめとられ、必死に頑張っているわずかな理性が、警笛を鳴らす。


 そっと伸ばした両手、彼女の背後で私の手がクロスする、あとは少しだけ両腕を手前に引くだけで私は彼女を抱けるだろう。


 そうすればきっと彼女は私を『本気で抱いてくれる』だろう。


 なんとなくわかっている、彼女は手加減をしている。

 これは私の勘であって、確かな確証があるわけではない。私は私の感覚に絶対の信頼は置けないけれど、確信をもって言える。


『彼女は手加減をしている』


 これは私の信頼の出した答え、やさしい彼女はきっと、一方的に私を抱くことに疑問を抱いているだろう。

 こんな状態で私がこの行為に合意していないわけはないし、彼女もそれは分かっている。

 それでも優しい彼女は明確な答えを出さない私を相手にし、躊躇いを消せずにいるのだ。


 喉がゴクリと鳴った。

 あぁ、あぁ、あぁ、こんなに前向きな背徳感は久しぶりだ。

 例えるなら料理のつまみ食い、授業中の昼寝、罪悪感なき背徳、自分を満たすための行為なのに、どこか後ろめたく、それがえもいえぬ快感をもたらしてくれる。


 イチニノサン、イチニノサン。心の中で掛け声を繰り返す。

 何度やっても力が入らない、何度言っても力が入らない。

 重力に従うようにだんだん手が下りていく、そして今、彼女の背に、触れる。


 あぁ、触ってしまった、触っちゃった。でもこれは仕方のないこと、うん。

 彼女の背中は汗でしっとりとしていて、私に対して一生懸命なのが伝わってきて、それがたまらなく愛おしい。


 そのまま彼女の腰を抱き寄せて、無理やりベッドの上に座らせる。今にも泣きだしそうな彼女を抱き寄せる。また甘い香りがした。


「私で……いいの?」

「貴方がいい……ううん、貴方じゃなきゃ……ダメなの」


 唇が重なる、さっきみたいな受け身のキスじゃない。唾液の交換、舌が絡んで、息が出来なくなる。

 少しだけ漏れる浅い呼吸がお互いを高ぶらせて、いつまでも離れられなくなる。

 もう肌の境界があいまいで、ただただ熱だけを感じている。


 腰に回した腕に自然と力が入ってしまって、いつの間にか彼女の背を強く引き寄せていた。

 彼女がそっと私の肩を抱き、私を剥がした。思い出したように肩で荒い息をしながら、名残惜しそうに唇がはなれる。


 悪戯っぽく笑った彼女が、気の抜けた掛け声で私を押し倒した。

 今の「えーい」を録音したい、毎朝それで起きたい、好き。


「もう無理って思ったら手を上げてくださいねー」


 そんなことを言いながら彼女がそっと私に触れた。あ、ヤバイ、これは大変なことになるやつだ。

 明らかにさっきまでとは違う、私をその気にさせるための動きじゃない、私を歌わせる、躍らせる、そんな感じ、表現できる余裕がない。

 どうしようもなく彼女の指は優しくて、ベッドの軋む音なんて聞こえない、遠くで自分の喘ぐ声が聞こえる。は、あ、あ。


 もうどこが気持ちいいのかわからない、甘い快楽が心を満たして、理性がただただゼロだ。触られているとか、重ねているとか、そんなことはもう些細で、行為そのものが純然たる熱量で私を満たす。


 私はベッドの上でおぼれていて、何もないシーツの端っこを力なく蹴るだけ。

 衣擦れの音じゃもう誤魔化せない。出したことも無い自分の声で耳の裏まで真っ赤に染まる。無理、無理無理無理。


 僅かに上げようとした手をすかさず彼女は掴み、やさしくキスをした。


「ごめん、手加減できそうにないから、ね?」


 あー、諦めに似た感情に呆れのような物が混じる。でも何故だろう、可笑しくって仕方ない。彼女の背を指でなぞり、耳元で囁く。破滅の呪文。


「手加減、しないで」


 もう一度、夜が始まる。

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月に溺れる夜 読永らねる @yominagaraneru

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