第7話:笑う門には友来たる
彼は卒業が近づき、次第に中学校に対する不安が日に日に渦巻いていくようになった。
一方、妹たちは普段と変わらない毎日を過ごしていたが、お母さんからいろいろなことでも指摘されているのだろうか?妹と母親がいる下の階にあるリビングが騒がしい。
知り合いで同じ学校を受験する子たちがスポーツ推薦で40人、一般入試で25人いるのだ。ただ、健太朗の小学校からはスポーツ推薦が10人、一般入試は彼1人だった。彼自身も覚悟はしていたが、まさかこんなことになるとは思わなかった。それ以前に、自分の学力でエリア内人気進学校である東山国際学園中学校の1次試験が通るとは思っていなかった。そして、最終面接はなんと個人イントロダクションとビジョンを英語でスピーチすることになっていた。
正直、健太朗は勉強だけは必死にしてきたが、英会話と英語の授業が得意ではなく、最高成績が4だった。ただ、学校では6年間英語はやってきた。しかし、どうもうまく話すことが出来ず、英語の先生がクラスの合間で彼の英語面接対策のアドバイスをしていた。もちろん、彼が東山国際学園の国際部に合格すると彼の通っていた公立小学校から初の国際系への進学者が出ることになる。これは、どの先生も今まで経験したことがないため、先生の間でも戸惑いが隠せなかった。
なぜなら、この学校は偏差値がエリア内の学校の中で最も高い学校で毎年入試倍率も平均3.0倍と周辺にある他の私立中学校よりも倍率が高くなっている。
そんな学校に進学できる子供がいると思うと先生は一段と気合いが入った。そして、健太朗はいつも仲良くしてくれていた友人たちと距離を置き、受験勉強を始めた。元々塾に通っていたため、一般試験の出題傾向はある程度抑えられていた。しかし、彼には試験が出来ても面接がクリアできないと入学することは出来ない。そのため、一緒に受験する子たちで集まって一緒に面接の練習をした。
そして、試験当日になり、健太朗はかなり緊張していた。なぜなら、周囲の子たちはほとんどが区外の進学校と言われている学校からの受験生が多かった。
それもあって、受験生の子たちを見た瞬間に彼の血の気が引いてしまった。ただ、最後は自分が笑えるようにと思いながら試験に臨んだ。
まず、午前中は3科目の試験を行い、昼休憩を挟んで午後から個人面接と試験に1日かかるのだ。彼はその日は朝からすごく緊張していた。そのため、その緊張をどうやってほぐそうかと考えていた。
そしてついに筆記試験の時間になった。これ以降は自分しか頼ることが出来ない。彼はゆっくり深呼吸して答案を解き始めたのだった。
彼の中では試験中は手応えがあった。しかし、科目が進んでいく度に前の科目が“手応え”が“不安”に変わっていった。そして、最後の科目である英語が始まる時にその事件は起きた。それは、配られた問題用紙を“始め!”の合図めくった時に目次欄を見て目を疑った。それは、問題用紙に見慣れない紙が挟まっていた。そこを見ると“英作文”というタイトルが見えた。実は彼自身英作文は対策としてやってきていたが、毎回6割程度の点数しか取れず、評価もB評価常になることはなかった。そのため、彼は英作文が難しいタイトルではないことを願っていたが、その希望は絶望に変わってしまったのだ。なぜなら、課題タイトルが【What do you interest which manifest promote in your value ?”】という政治系の質問が出たのだ。実は政治系の質問は過去10年の間に2度出たが、問題は“改善点”・“提案すべき政策”など個人に考えさせる問題としては出たことがあるが、興味・関心がある政策を自身の価値観や理論を用いて書かせるという今までの問題を融合させた形式になったことで受験生たちの臨機応変な対応を見ているのだろう。
そして、英語のテストが終わり、英作文に移ったときのことだった。そこには問題が3問あり、うち2問は文章題を読んで文章題の中のことを解説する問題、1問は与えられたテーマに関して完全に自分の意見を800語以上で書くことという問題だ。
彼は文章題を解くのは得意だったが、自分の意見を書くことは不得意でこれまでの問題でも自分の意見を書くことが出来ていなかったのだ。しかし、彼はテストの後に毎日のように勉強をして、少しでも良い成績を取るために奮闘したのだ。もちろん、毎回先生には添削を頼んでいた。彼の場合、いつも分析は模範解答のように解答が出来ても意見を言うことが出来ず、毎回減点が大きい部分が“あなたの意見を述べよ。”という自分の意見をその分析結果を評価しつつ問題定義と解決・改善策を織り交ぜて作る問題で正答率3割から4割しか答えられず、英作文の試験の比率としては分析が2割、自分の意見を述べる問題が8割程度と自分の意見を述べることが出来ないと合格は難しいのだ。
そして、彼は今まさに自分の意見を書く問題にさしかかっていた。ただ、分析で得た情報を基に説明文を書いていたのだが、データの信憑性やデータの元となる根拠を証明する部分がなかなか解読できなかった。そして、別紙の検討用紙を使いながら書く内容を組み立てていた。そして、自分の納得のいく解答が出せたこともあり、自信を持って書いていた。そして、この学校の入試は毎年面接終了後に英作文のみコピーで解答用紙と模範解答が配られるのだ。
そして、筆記試験が終わり、お昼の休憩になった。試験会場が国際科と普通科で違うため、試験が終わったみんなと外で会った。健太朗は開口一番「なんかヤバいかも」と本音を漏らした。というのは、彼の中で手応えはあったものの、問題文が英文になっていて、一部勘違いをしているのではないかとおもったのだ。そして、他の子たちは筆記試験で試験内容が一部違っており、英作文→小論文、問題も日本語で書かれている。これは今まで勉強してきた内容と何ら変わりない。その時、彼は「こういう難関中学校を受験する子たちはみんな英語出来る子ばかりなのだな・・・。」と今まで勉強はしてきたものの成果があまりにもふがいなかった彼はふとそう思っていた。
そして、午後の試験が始まり、面接順が出た。彼は28組目の2番目だったため、安心してしまった。というのは、この学校の受験生の間で「50組の中に入らないと不合格確定らしい」という噂があったからだ。そして、ドキドキしながら控え室で彼の面接順を待った。すると、彼の前に座った同じ学校の制服を着た男の子と女の子が何かを話している。彼は、その会話に耳をそばだてて聞いてみるとなんと過去問を英語で話していたのだ。しかも、かなり流暢な英語だったため、一緒に受ける自分に自信がなくなってしまっていた。
そして、前の組が終わり、いよいよ健太朗の順番になったのだ。彼はかなり緊張していて、うまく話せるか分からなかった。ただ、1対1の個別面接だったため、他の受験生たちと一緒に何かすることはなかったため、彼にとってはリラックス出来る余裕はあっただろう。しかし、頭に入れてきたさまざまな質問で一杯になっていた彼は手汗をかいていた。
入室はうまくいったが、質疑応答でつまずき、個人プレゼンテーションは思ったよりは出来たが、話している内容がちぐはぐになることもあり、緊張が最後までほぐれることはなかった。面接が終わり、帰路に就いたときに彼はふとある人が言っていた言葉を思い出した。それは“高校受験が本当の人生の選択”という進路指導の田村先生の言葉だ。先生自身ここ最近は難関校を受験する生徒は1人程度だが、今回は同じ学校から複数人出てきてくれたことが先生には嬉しかった。
試験日の翌日、学校に登校した健太朗たちは先生に無事に受験が終わったことを報告に行った。すると、「無事に合格すると良いですね。」と校長先生に言われて受験した子供たちは安心したのだろう。
そして、2週間後の合格発表を待ちながら残りわずかの小学校生活を楽しんで過ごしていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます