009 奪還
〖反応はこの辺りだけど、一体どこに?〗
一行が現場周辺に辿り着いたとき、辺りに敵は存在しなかった。
ここはアルティの下宿付近。道中で襲撃に遭ったのではないかとはヒューゴの予測だ。周囲同様に、破壊された街並み、そして――人々の死体が広がっている惨状。
〖……危険だけど、いったん降りて捜索しよう。ルチルは車内で待機していてくれ〗
〖わかったわ。2人も気をつけて……〗
千明は車上のアダマスティアを持って先に降り、運転席が開く。
「――ッ⁉ これは……」
途端、降りたヒューゴが鼻を押さえて呻く。今の千明には分からないが、周囲に漂う血の匂いにあてられたようだ。
「大丈夫ですか、博士」
「……うん、大丈夫だ。それより先を急ごう」
千明の心配を制し、ヒューゴは足場の悪い道を進んでゆく。瓦礫の間を通り抜け、亀裂の入った建物の角を曲がり。
「――嫌っ、離してっ!」
「てこずらせやがって……! この、いい加減にしろ小娘!」
通路の先から争う声が聞こえた。顔を見合わせ、声のした方へと向かう。
様子を伺うと、怪しげな青いローブの集団が、ひとりの少女を拉致しようとしていた。被害者は先日キリアと外出した折に邂逅した少女――アルティだ。
「――アルティ⁉ くっ……落ち着け。何か策を練らないと」
駆け寄ろうとするヒューゴが辛うじて踏み止まり、慎重に周囲を探る。
敵の数は五人。ひとりが少女を羽交い絞めにし、残りが包囲している形となる。周囲には、倒れ伏したローブが五人程横たわっているのみだ。
何とか抗っているものの、アルティが自力で逃亡できる可能性は低いだろう。
状況を分析したヒューゴは視線を動かさずに。
「千明、君は対人戦の経験はあるかい?」
「……キリアとの模擬戦が精々ですね」
「……わかった、君は回り込んで後ろからあの子を救出。それだけに集中して欲しい」
アルティを囲む男たちを睨みつけ、
「アイツらには――僕が術を叩き込む」
「了解です、博士」
短い相談の後、千明は建物や瓦礫の影に隠れてローブたちの背後へと慎重に回りこむ。
その間に少女は手足を縛られて猿轡をされ、呻く以外の抵抗を奪われていた。
「中々厄介だったが、もはやこれで抵抗できまい」
「ふん、それにしてもなかなかの上玉だな。これは輸送中愉しめるぞ」
「連れて行きさえすれば、あとは自由にしていいとか気前の良い依頼主だったな」
「本当、こっちの人間は綺麗どころが多いっすからね。あとで俺にも回してくださいよ」
ローブたちの下卑た会話を聞き、アルティの瞳に絶望が浮かぶ。己が末路を想像したのか、はらはらと涙を流す少女。
そんな姿を見た千明の内心に、我知らず沸々とした憤りが湧き上がる。
逸る気を抑え、指定のポイントに到着した千明は通信機越しに、
「配置に着きました。行きます」
〖了解。頼んだよ、千明〗
一呼吸数えてから――飛び出して集団の背後へと滑らかに接近。常人を超えた速度で駆け寄り、少女を肩に担ぐ男の後頭部に手刀を一撃叩き込む。
頽れる男からアルティを強引に確保し、一気に駆け抜ける。救出された本人すら、声を上げる間もなく行われた早業だ。
数瞬後、ようやく我に返ったローブが、
「た、対象を奪還しろ!」
慌てて追跡に入るローブたちを無視し、千明は脚を緩めない。腕の中で固まるアルティを安心させるように、
「安心してください。先日会ったキリアの荷物持ちです」
内容を理解したのか、少女の強張りが解けた気がした。
やがて千明は速度を緩め、物陰へと目配。
追走するローブたちが隠れるヒューゴの前を通った刹那――
「――カラミティブレイド!」
黒刃の乱舞。数多の漆黒刃が舞い踊り、蹂躙された男たちの悲鳴が上がった。
肉を断ち切る鈍い音が断続的に響き、どす黒い赤が辺りに飛び散る。腹部を貫かれて倒れ伏す者や、眼球を引き裂かれて狼狽える者。刃に全身を貫かれて宙に磔にされた者や、四肢を切断されて地面に頽れる者。
ヒューゴ自身も怒り心頭で放ったのだろう。各々が過剰とも言える裂傷を負っていた。
それでも理性の均衡を保ったのか、誰ひとり死んではいない。
目を覆いたくなる惨状からアルティの視界を遮り、千明はヒューゴと合流する。抱えていた少女を地面に降ろして縛を解き、安心させるように、
「もう大丈夫です」
と告げるのだった。
§
「アルティ! 大丈夫? 怪我は無い?」
「ルチルさん……っ! わたし、わたし……」
「いいのよ、今は何も言わなくても。貴女が無事で、本当に良かった……」
涙ながらに抱き合い、再会を喜ぶルチルとアルティ。その姿はまるで本当の親子のようで、千明も心に込み上げてくるものがある。救出できて良かったと、心底安堵できる光景だった。
「それにしても、全員が服毒自殺するとは思わなかったね」
「はい、そのせいで手がかりがほとんど無いのは痛いですね。残ったのもこれだけですし」
青ローブたちは尋問前に全員が毒で死亡しており、事情は一切不明となってしまった。
収獲としては、彼らがまとっていたローブとその下にあった独特な民族衣装。そして、星と髑髏を組み合わせたようなデザインのアミュレットくらいであろう。
「……博士は、アルティさんの誘拐未遂と街の襲撃。何か関係があると思いますか?」
相手の遺品を手に、千明はヒューゴへと尋ねる。
この誘拐未遂は、異形たちの襲撃に合わせるかのようなものだった。余りにもタイミングが良すぎる。必然的に結び付く双方の関連性について、千明はヒューゴへと意見を求めたのだ。
「……情報が少ないから何とも言えないね。もし関係あるとすれば、相手は僕たちの予想もつかないほどの組織かもしれない」
言い終えたヒューゴは、首を振り、
「今は考えていても埒があかない。アルティも無事だったことだし、早くキリアとも合流しよう。ここに長居は危険だ」
「ええ、分かったわ。アルティもそれでいい?」
「はい、大丈夫です……」
いまだ震えるアルティと、少女の手を引いたルチルが後部座席へと座る。
千明は運転席へと乗り込み、再度車体は地面を離れ、
「次の目的地は学園だ」
「はい」
当初の目的を達成した一行は、次いでキリアと合流すべく学園へと向かう。微かに啜り泣く少女を、ルチルが子供をあやすように優しく包んでいる。
やがて気持ちが落ち着いたのか、アルティは眦を拭ってから一行へと向き直り、
「助けてくださってありがとうございます。皆さんが来てくれなかったら、わたしは……」
「いいのよアルティ。私たちは家族ですもの。困ったときは助け合わないと、ね」
「ルチルさん……」
自身を気遣う優しい言葉に再度涙を流しかけたアルティだが、ぐっと堪える。
そんな少女へと、ヒューゴは遠慮がちに、
「辛いかも知れないけど、話を聞かせてくれるかな。何があったんだい?」
「……はい。提出する課題を部屋に忘れたみたいで、取りに帰っていたんです」
アルティは「そうしたら」と言葉を切って。
「強い月震が起きて、そのあとに黒い球が街中にたくさん現れました。その中から黒いマガツキみたいなのが出てきて、街の、人たちを……」
当時の状況を思い出したのだろう、再びアルティの言葉に嗚咽が混ざり始める。
黒い球という言葉に反応しかけた千明だが、今は問い返すことができなかった。
「辛いなら無理をしなくていいんだよ」
「いえ、大丈夫です。……余りにも数が多くて、ひとりじゃ対応できないと思って隠れていました。そこにあの人たちが現れて、急にわたしを……」
「……良くわかったわ。ありがとう」
再び彼女を抱き寄せるルチル。やがて緊張の糸が切れたのか、アルティは彼女の腕の中で眠ってしまう。
ルチルは少女の頬を伝う涙を拭い、
「辛い思いをしたのね、間に合って本当に良かったわ。ふたりともありがとう」
「感謝なら千明に、だね。あの救出は千明の協力あってこそのものだ」
状況が状況だったのだ。ヒューゴの言葉どおり、夫妻のみでは少女の救出は難しかったかもしれない。
だが千明は、恩に着せることはない。
「……いえ、当然のことです。オレも少しは役立てたみたいでよかったです」
それはファルスマイアー家の人たちに救われた己の、偽らざる本心だった。
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