第161話居心地の良い場所

そう教えてくれた旦那様にわたくしはお礼の言葉を言うと、『さば』の上に大根おろしと醤油を数滴たらして、口に入れる。


『さけ』の時も薬味として備え付けられていたように、もしかすれば焼き魚にこの大根おろしと醤油はどの魚にも合うのかもしれない。


そんな事を思いながら『さば』を口に入れ瞬間、そこには先ほどの様な魚臭さも、油くどさも無く、むしろ魚臭さや油くどさがあるからこそ完成されているかのような一つの料理がわたくしの口の中で広がっていた。


『さけ』の時とはまた違う、口の中で奏でられるハーモニーに最早伸びる手が止まらない、のだが『おはし』のせいで上手く食を進める事が出来ずにもどかしく思ってしまう。


「とりあえずは食事時はナイフとフォークを使って、空いた時間にでも小物を挟む練習をするというのはどうだ?」

「お気遣いありがとうございますわ。ですがこの食べ辛いというもどかしさこそが何よりもの成長できるスパイスであるとも思いますので、頑張ってみますわ」

「そうか、頑張れ」

「はいっ!!」


そんなわたくしを見て旦那様が「『おはし』の扱いに長けるまでは食事時は使い慣れたナイフとフォークを使ってはどうか?」と提案してくれるのだが、感謝の言葉を述べたうえでわたくしはそれを断ると、旦那様はわたくしの頭にポンとその大きな手を乗せるとあまり見せない笑顔で「頑張れ」と言ってくれるではないか。


今までの人生、何かをやりたいと言っても王妃には必要ない、相応しくない、庶民臭い等々、様々な理由をつけて否定されて来たわたくしにとって、わたくしのやりたい事を肯定してくれ、そして応援してくれる。


ただそれだけの事がどうしようもなく嬉しく思ってしまい、思わず口元がにやけてしまうのを止められない。


貴族、特に王妃として素の表情を表に出さないようにと言われ、育ってきたのだが、ここシノミヤ家に嫁でからというもの、周りの使用人からしても皆表情豊かでありどうにもわたくしはそれに引っ張られるのか我慢できずに自分の感情を表にだしてしまう事が増えたように思う。


それと同時にはしたない娘だと、シノミヤ家に相応しくない娘だと思われやしないかと少しばかり不安に思う事も、素の表情が見られた事が恥ずかしいと思う事もあるのだが、それと同時に素の感情を表に出しても咎められない環境がこれ程までに心地よく、逆に素の感情を隠して過ごす事の息苦しさというものに気付いてしまう。


そう、まだ嫁いで来てたった数日にも関わらずここシノミヤ家はわたくしにとって、とても居心地の良い場所となり始めているのであった。

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