光の女神の祝福を #4

 侯爵という身分は、存外忙しい。

 何故ならば、王をトップに据えたこの国のNo.三の地位にあるのだから。そして意外にも、王家との血の繋がりは近い。並びとして王、公爵、侯爵、その他と肩書きとしては続いていくが、実際のところ、多大な領地を統べる者の方が権力を持っている。我がプレラティ侯爵家が、その最もたるいい例だ。

 

 国のあらゆる領地を統べ、挙句ガチガチの武人であり、一度戦場へと立てば必ず武功を上げ帰還する。そんな男が、侯爵家当主。それも"勇者"持ちというのだから、それはもう、王すら動かせるほどの権力者と言えるだろう。

 

 その"勇者"が真っ当な後継者であったなら。

 

 実際は忌み子鬼子、最近は実は魔王の手の者では、とまで言われ始めてきた"勇者"に、父上からすれば相当頭を痛めていることだろう。しかも自らも憎たらしく思っているのだから救えない。

 さて、何をダラダラと話しているのかといえばだ。

 

「ねえウォルター様、わたくしとお茶でもいかが? いい茶葉が手に入りましたのよ」

 

「……申し訳ございません、ミス。またの機会に」

 

 要は現実逃避だ。

 

 侯爵家が忙しいというのは本当のことだが、家督を継いでいない自分にはまだ関係がない。父上的にも、どちらかと言えば、家業の手伝いよりも剣を振るいに外へ行ってほしかろうと、技を磨きに外へ出ればこれである。手の甲へキスをし、場を離れる。ちなみにこの令嬢で既に三人目。貴族の住居が集う場所を歩いているとはいえ、この遭遇率はどうしたというのだろうか。そもそも俺を見る目は恋する乙女でも、侯爵家の権力を狙う野心家のものでもない。ただありありと恐れが浮かんでいるだけ。

 

「……なにがしたいんだ」

 

 大きく深いため息をひとつ零して、知らずに寄っていたらしい眉間のシワを手の甲で伸ばす。忌み子鬼子呪い子と、蔑まれることに慣れてはいるが、そうわかりやすく恐怖の念を向けられて平然としていられるほど、精神は冷えきっていないのだが……。いささか乱暴になっていた歩調。その足音をかき消す、かすかに震えながらも媚びた声。

 

「あらぁ、ウォルター様。おひとりですの?」

 

「……ごきげんよう。ミス」

 

 俺はいつになれば、鍛錬場にたどり着くことができるのだろうか。

 

 

 結局、アレからさらに追加で三名の令嬢を躱し、屋敷を出てから一時間半ほどかかってようやく鍛錬場にたどり着いた。普通に歩けば三十分もかからぬ距離を。一時間半かけて。

 

 この鍛錬場は王立騎士たちが使う特別性。いくら強大な魔術をぶっぱなそうが、本気で振りかぶった斬撃を飛ばそうが、床にも壁にも傷一つつかない。何故ならば王室お抱えの魔術師たちが総出で結界を貼っているから。

 故にここならば思い切り力を振るうことが出来るだろうと、わざわざ足を伸ばしてやってきたのだ。国王に賜ったこの大太刀。身体強化と斬撃強化、耐久力強化の術が施してある。その他に重さも弄られてるな。大したものだ。

 

 まあそれはそれとして、仮にも十歳で父上をぶっ飛ばすほどの力を持ったこの俺が、お抱え魔術師による加護を施された大太刀などを無遠慮に振るおうものなら、実家が灰になる。これ以上父上から憎まれるのは困るしそもそも家が灰になるのも困る。故に、此処だ。

 

 鍛錬場の、分厚く頑丈そうな鉄の扉を推し開けると、思ったよりも随分軽くその口を開いた。中からは騎士団の中から選び抜かれた精鋭たちの鍛錬に励む声が聞こえる。俺が入ってきたことに気がついた騎士たちが、ぎょっと目を見開くのを感じるが、こちらは国王陛下からこの場を使って構わないと許しを得ている。よって無視。

 だいぶ狼狽えた彼らの邪魔にならぬようにと、隅の方に移動し大太刀を抜いた時、ふと大きな陰が落ちた。顔をあげれば、そこに居たのは精悍な顔つきの、眉間から頬にかけて大きな傷が走った体格のいい男がいた。

 

「ごきげんよう、勇者殿」

 

「……これはこれは、騎士団長。団長自ら直々に挨拶とは、痛み入る」

 

 動く度にガチャガチャと音を鳴らす、重厚な鎧が非常に良く似合う、まさに騎士と言うものを絵に描いたようなその男――ヴィクターは快活に笑った。この男は珍しい。何が珍しいかと言うと、俺に対して恐れや侮蔑を抱いた目をしないのだ。

   曰く、あなた様のような、とても人間に近い姿かたちをした魔族は寧ろ友好的ですからな。たとえ勇者でなくとも、疎む理由はない。とのこと。ナチュラルに人間だとは思ってないんだなあなんて考えながら、ちょっと嬉しかったのを覚えている。

 疎まれず恐れられなかったことなんて、この男と出会うまでなかったから。

 

「本日は鍛錬を? この場にいる人間では誰一人叶いますまい」

 

「……鍛錬は、なにも誰かに相手をされなければならない訳ではありません」

 

「ははは! 相手にならないということはご否定にならないのですな。いや素直で結構」

 

 やっべ。

 

 やってしまったと思いつつヴィクターを見上げるも、そんなことは気にも止めていないと言わんばかりに可笑しそうに笑っていた。少しほっとして、剣を握り直し、素振りをするから離れてくれと伝えようとした時、地を揺らすほどのけたたましい鐘の音が鍛錬場に――いや、国中に響き渡った。次いで聞こえたのは、腹に響く重低音を伴った破壊音。なにかが破られたような、固いものが砕かれたような音だ。地響きを伴ったそれに、完全に気を抜いていた俺や騎士たちは一瞬足を取られ、その場に膝を着くもの、壁に手をついて身を支えるもの、様々な反応を示しながら、一様に同じ疑問を口にしていた。

 

 

「なんだ?」

 

 俺はと言えば、生まれて初めて感じる異様な気配に、全身の産毛が逆立つような感覚に見舞われていた。――なんだ、この、禍々しい気配は?

 その問いに答えたのは、場にいた騎士団長たるヴィクターでも、精鋭の騎士たちでも、まして俺本人でもなく、音のした方向から聞こえた咆哮のような叫び声だった。

 

「て……敵襲! 敵襲ーっ!!」

 

「て、敵襲!? 一体どこの国が……!?」

 

 誰かが叫び声に反応した。どこの国? 問うまでもない。やっとわかった。この気配の正体が。禍々しく、まるで真っ黒な影がこちらに手を伸ばしているかのような、恐ろしい気配の本質が。

 剣を一度鞘に収め、鍛錬場の出入口に駆け寄る。蹴破らんばかりの勢いで扉を開けば、後ろから慌てたようなヴィクターの声がした。

 

「ど、どうなされた!? 勇者殿!」

 

 どうしたもこうしたもないだろう。ヴィクターたちには分からないのか? この気配が。視線だけを後ろに投げやり、狼狽えている騎士たちに、幾ばくかの呆れを感じる。

 

「――魔族の襲来です。騎士団長殿。私に続いてください」

 

 言うや否や駆け出した俺に、ヴィクターがまた動揺の声をあげているが、もはや気にしていられない。そうこうしている間に、気配の数は濃くなってきているし、叫び声や戦闘音が激しくなってきた。俺のいる場所は王宮のある中央区画。対して魔族が襲撃してきたのは恐らく一番外側にあたる外角区。駐屯兵や警ら隊は居るだろう。だが、中央区に配属されている精鋭たちには絶対に敵わない。ならばどうなるか? 考えなくてもわかる。この気配、恐らく個体数はひとつでは無い。感じたのは今回が初めてだが、本能でわかる。

 

 魔族とは下級のものですら一個体を倒すのに一般兵士を三人は要する。元々群れをなすものでなければ個体で行動するが故に、まあ討伐できないものではなかった。しかし、そんな魔族が徒党を組んで襲ってきたとあれば、群れをなし壁を破り、明確な殺意を持って襲ってきたとあれば、どうなるのかは自明の理。

 

 魔族による蹂躙が始まる。このまま走っていたのでは着いた頃には街は壊滅。しかも逃げてきている人間が邪魔でトップスピードが出せない。こうなったら、もう屋根の上かその辺を走った方が早いな。おそらく元から身体能力がずば抜けている上、洗礼鎧をつけた俺ならば軽く飛ぶだけで飛び乗れるだろう。ぐっ、と足に力を込めていざ飛び上がろうとした時、背後から声をかけられながら外套を引かれ、強制的に足止めを食らう。なんだこんな時に誰だ。イラつきながら後ろを睨めば、怯えたように、というか実際に怯えているのだろう。小さく震えたさっきの令嬢たちがいた。先陣を切って口を開いたのは俺の外套を摘んだ金髪の、薄緑のドレスに身を包んだお嬢さん。

 

「う、ウォルター様……! わたくしのことは守ってくださいますわよね……?」

 

「……は?」

 

   何を言ってるんだこの女?

 

 意味がわからず首を傾げれば、その金髪の斜め後ろにいた栗毛がさらに声を上げた。

 

「わ、わたくしですわよね!? だ、だって先日、パーティーでご一緒したでしょう!?」

 

 栗毛の次は黒髪をストレートにしたご令嬢。

 

「だったらなんだと言うのかしら!? わたくしを守ってくだされば、ウォルター様、父上に取り成して結婚の約束をしたって構いませんわよ!」

 

「な、ならわたくしも!」

 

「いいえわたくしですわ! わたくしが一番身分が高いのですから、お控えになって!?」

 

 嗚呼。

 

「ウォルター様、いえ、勇者様! どうか外角なぞ捨ておいてくださいまし!」

 

 分かった。なぜ怯えながら、コイツらが俺に媚びを売りに来ていたか。

 

「どうかわたくしを守って!! 庶民なんかどうでもよいでしょう!?」

 

 有事の際に、自分を優先して守らせるためか。

 

「……ウォルター、様?」

 

 正直、吐き気が止まらなかった。自分が今どんな顔をしているのか、どんな目でこいつらを見ているのか、自分では分からない。しかし、さーっと青ざめていくこいつらの顔色からして、あまり好意的とは言えぬ顔をしているのだろう。

 外套をつまむ金髪の手を、なるべく、なるべく優しく引き剥がし、ご令嬢たちから一歩後ろに下がった。

 

「もちろん。お守りしましょう」

 

 その言葉に、令嬢たちがぱあっと顔色を明るくさせた。次いで出す言葉に、瞳から色を無くすことも知らないで。

 

「他の民たちと同じようにね」

 

 声を失ったように、ぱくぱくと、金魚のように口を開閉させる令嬢たちにできるだけ優しく微笑んで、外套を翻しながら嫌味な程綺麗に芝居ったらしくお辞儀した。

 

光の女神ブリギッドの祝福を」

 

 言い終わった瞬間、地を蹴り上げて屋根へと移る。やはり乗れるもんだな。ああ、クソ。無駄な時間を喰ってしまった。あのアバズレどもが。

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碧羅の天は狼月に恋をする 四十川 烈 @aikawa____a

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