光陰矢の如し #2

 長かった。

 

「我が身朽ち果てようと、この国の剣となりて、魔王を討伐することを、ここに誓います」

 

 今日に至るまで、本当に長かった。

 

 跪く俺を取り囲むは王立騎士隊。選びに選ばれた精鋭たち。その奥から俺を見るのは貴族の中でも王族に近い血筋を持つ、有力なる領主たち。そして最奥の最上段、豪奢な装飾が施された玉座に君臨するは、この国の王。国の有力者たちが揃いも揃って、俺を見つめていた。一様に同じ感情を目に宿して。

 

 頭を垂れていても分かる。伊達に勇者と呼ばれる力を持っていないし、そもそも俺は人の感情の起伏には敏感だ。俺に向けられる感情は歓迎でも、尊敬でも、期待でも、好意でもない。――畏怖と侮蔑。たったその二つだけ。

 

 そんな目を見ていると、いや、そんな目線を一心に受けていると思い出す。文字通り血反吐を吐きながら生き抜いてきた、地獄のようなあの日々を。

 

 十三年前、俺はただの子供だった。勇者だとか、忌み子だとか、好き勝手に呼ばれていはしたが、男として育てられていたりはしたが、冷遇され尽くされてはいたが、まあ、まあまだ普通の子供だった。なにもできない、一人では魔物一匹狩れやしない、無力な子供。だった。五歳の誕生日を迎える、その日までは。

 

 誕生日とは名ばかりの、いつもと変わらぬ静かな日々を過ごしていた。まだなんの力も持たないが"勇者"らしき俺は、護衛という名目で部屋の中に軟禁されていた。唯一の外とのつながりは部屋にある本だけ。まだ五歳だというのに読み書きの習得スピードが早すぎて、家庭教師すら俺のことを化け物と接するような目で見るようになったっけな。本を読むことしかすることがないんだ。仕方ないだろう。使用人に声をかければ恐れられるし。未だに誰とも――家庭教師、特に礼儀作法の先生を除けばだが――まともに話したことがない。

 

 閑話休題。その日も、いつ通りの日々だった。誕生日といえど何ら変わりなく、いつものように本を読み、窓の外で元気に遊ぶ同い年くらいの子供をなんの感慨もなく見つめていた。そんな時、いつもは食事の時間にしか開かぬ扉が、固く閉ざされているはずの洗練された扉が、突如開かれた。

 

「……ち、父上……?」

 

 扉の向こうに居たのは、木刀を二本携えた、この国最多の領地を総べる侯爵。フランチェスコ・カルーナ・プレラティ。その人がいた。その人はまるでひっくり返ったダンゴムシの裏側を見るような目で俺を見ると、ポイッと軽い動作で、一本の木刀を俺の前に投げ置いた。

 

「拾え」

 

 腹に響くような、凡そ親が子へ語りかけるには些かおかしいほどの威圧感を伴って、父はたった一言放った。訳をわからぬまま、父の機嫌を損ねたくないという一心で、恐る恐る、初めて触る木刀というものを握った。父の顔色を伺えば、従順な姿勢に幾分気分が良くなったのか、一つ鼻を鳴らすと、くるりと俺に背を向ける。訳の分からぬままその背を見つめていると、視線だけで振り返った父上が、吐き捨てるように俺の、何故何がありありと浮かんだ視線に答えてくれた。

 

「貴様にもようやく、剣を握らせる時が来た」

 

「え……」

 

「さっさと着いて来ぬか、愚鈍めが」

 

 言うだけ言ってスタスタと歩いていってしまう父の背を呆然と見つめる。今、あの人はなんと、なんと言った?

 

 剣 握らせる ようやく ようやく? これはなんだ 木刀 何故 本でしか見たことが いや、だが従わねば 従う 従って? 着いていく? 部屋を出る? 本 読んだ 剣術 稽古 最悪の場合 最悪、そう。最悪、待っているのは、

 

 死。

 

 だがここで従わなくとも、おそらく待っているのは――死。

 

 息が荒くなり、汗が止まらない。鼓動が早く、心臓が痛い。どちらにどう転んでも、何を選択しようが、待っているのは、絶望的な未来だけ。何故俺がこんなにも焦っているのか? それはあの人がどれだけ俺を憎み嫌っているのか、どれほど始末したがっているのかを肌で感じとっているから。表立って"勇者"は殺せない。だが、稽古の際の事故としてならあるいは――?

 

 既に父が出ていって一分は経った。これ以上遅れれば機嫌を損ねかねない。正直に言って、怖い。恐ろしい。まだ見ぬ魔王なんぞよりも、生きていれば戦わねばならない強敵なんかよりも、今目の前にある絶対的な支配が、ただ恐ろしい。

 

 どうする、どうする、どうする。

 

 そこまで汗水垂らして考えて、ふと肩の力が抜けた。

 

 どうするもなにも、従うしかない。

 

 そう、従うしかないのだ。どれだけ怖くても。どれほど死を身近に感じようとも。手に感じる硬い感触が、いくら幼い手のひらを痛めようとも。生きるためには。この場を凌ぐためには。たとえ殺される気で来られたとしても。生きる、ためには。

 

 やるしかないんだ。

 

 子供の小さな足音なんぞ吸収してしまうほどにふかふかの絨毯を踏みしめ、父の後を追わんと地を蹴った。既に二分は経っている。早く追いつかなければ。

 

 

 それからはもう、まさに地獄の日々だった。さすがに、死ぬ直前まで追い詰められはしても、殺されることはなかったが。その代わりと言わんばかりに父から与えられる、稽古という名の暴力。

 数多の死線をくぐりぬけてきた猛者の前に、圧倒的な独裁者の前に、為す術もなく。殴られ、打たれ、蹴られる毎日。避けようと、いなそうと、受け止めようと、必死に努力した。しかしダントツの体格差と、さすがの経験による技術で、全てが無に帰していく。――殺されぬだけ、マシだとは思うが。

 

「げほっ! が、は……ッ!」

 

「立たぬか鬼子。"勇者"なればこの程度で膝を着いていいはずがない」

 

「も゛……ゎ゛げ……!」

 

 声が出ない。無理やり声帯を震わせた耳障りな音が、口をついて出る。それに苛立ったのか、父の刃物にも似た鋭い蹴りが、無防備な鳩尾へと吸い込まれるように叩き込まれた。

 

「ヵはッ……!」

 

 息が、できなかった。蹴飛ばされた衝撃で吹き飛ばされた体勢のまま、必死に息を吸おうと咳とえづきを繰り返す。えづく度に口からは血反吐が吹きでる。内蔵がやられたかもしれない。いよいよ死ぬのか? そんな弱腰の俺に、期待はずれだとでも言わんばかりの冷めた目をした父が、言葉少なに「今日はこれまで」と告げて去っていった。

 

 シン、と静まった稽古場。自分の必死な呼吸と、その度なるヒューヒューという風切り音だけが響く。

 

 目の前の景色が、大きく歪んで、鼻の奥が痛くなった。

 ぽた、ぽた。地面に滴り落ちるのは、吹き出た血反吐に混じった透明な液体。目からこぼれ落ちる大粒のそれは、大理石で出来ているらしい稽古場の床の色を、瞬く間に変えていく。

 

 何故、ここまでの扱いを受けなければならぬのか。

 何故、俺は愛し愛されることが出来ないのか。

 何故、こんな髪と目の色に生まれてしまったのか。

 何故、俺が"勇者"であるのか。

 

 ――何故、俺は母上を犠牲に、生き残ってしまったのか。

 

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