第128話 お守り

 前の世界の飛空艇の名は「オルフェウス」。

 そして、この新世界の飛空艇の名は「エウリュディケ」。


 オルフェウスやエウリュディケは、リバーステラのギリシャ神話に登場する神の名であり、二柱の神は夫婦だった。


 エウリュディケの死後、オルフェウスは冥府まで彼女を連れ戻しに行くが、決して振り向いてはならぬという冥府の王ハデスとの約束を破ってしまい、彼女を連れ戻すことに失敗する。

 このエピソードは、日本神話におけるイザナミの死後、イザナギが黄泉の国に向かい彼女を連れ戻しに行ったものの失敗してしまうエピソードと酷似している。


 しかし、テラには神話はひとつしか存在せず、神も一柱しかいない。

 なぜ飛空艇にオルフェウスやエウリュディケの名がつけられているのか、レンジには不思議だった。


 前の世界で、レンジが行くことがなかった海の向こうの召喚魔法大国ヘブリカ。

 その国の召喚師たちが召喚する存在には、伝説以上の神に等しき力を持つ存在がいると聞いたことがあった。

 アルビノの魔人の力を取り戻したステラは、召喚魔法を使うことが出来た。召喚魔法から派生した機動召喚という、伝説や伝説以上の神に等しき力を持つ存在から武器や防具だけを一時的に借りる魔法を実際に使って見せた。

 だからレンジは、それらの存在は本来テラにも存在したはずの神話の神々であり、何者かが時の精霊の魔法で過去に遡り、世界各国の神話の存在をなかったことにしたのではないかという仮説を立てていた。



「ピノア、時の精霊や次元の精霊がその身を隠したのはいつ?」


「レンジのお父さんが大厄災を起こしたすぐ後だよ」



 レンジは余剰次元のダークマターしか存在しない暗黒空間にいた父をリバーステラに帰したつもりだった。

 だが、父はゲートの行き先を変える力を持っていた。

 ゲートをくぐる瞬間に行き先をテラに変えていたのだろう。


「時を巻き戻してどうにかしたかった。

 でもオロバスちゃん、今度こそ激おこプンプン丸だったから」


 激おこプンプン丸て。

 エーテルによる自動翻訳機能が前よりもひどくなっていた。


 リバーステラのそういった言葉は大体女子高生が生み出すものだ。

 セックスをエッチと呼ぶようになったのは、明石家さんまが最初だと聞いたことがあったし、2020年は都知事が「三密」という言葉を産み出した。

 だから、流行語は必ずしも女子高生が生み出すものではないが。


 激おこプンプン丸は、父がまだリバーステラにいた頃の言葉ではなかっただろうか?

 神となった父は、エーテルによる脳への干渉、自動翻訳機能までも掌握しているのだ。


 そして、激おこプンプン丸は、ただのおふざけではない。

 おそらくは父からのメッセージだった。


 レンジはそう信じたかった。



「大厄災が起きたのは、レンジとショウゴとステラがゲートを抜けてから、1ヶ月後くらいかな。

 確かアンフィスの誕生日だったような気がする。朝から何回も聞かされてうんざりしてたから。

 そしたら、いきなりわたしの目の前でアンフィスが消えた」



 城下町も城も、そこに住み働く人々も、飛空艇も、何もかもがなくなってしまい、荒野にたたひとり残されたピノアは世界中に生き残った人がいないかどうか探し回ったのだという。



「父さんのせいで、ピノアだけに寂しい思いをさせてごめん……」


「大丈夫だよ。精霊たちがずっと一緒だったし、動物や植物は消えなかったから。魔物も生まれたし。あと、ドラゴンもいたし」



 前の世界はともかく、この新世界に神話がひとつしかないのは、誰かが時を遡って本来あるべき神話を消したわけではないのだろう。


 前の世界の神が誰であったのかはわからないが、この新世界の神はレンジの父だ。

 父は、自分以外の神の存在を認めなかった。

 だから、この世界には神話がひとつしかないのだ。



「旅をしてる途中で、この世界の神になったレンジのお父さんにも会ったよ」


 父はジパングにいたという。

 別の世界とはいえ、父が生まれ育った国であったからだろうか。


「わたしが消えていないことにびっくりしてた。

 でも、これから神として最初にやるべきことをするから、わたしに見ているように言った」


 父はピノアの目の前で、自らに似せて人の男女を作ったという。

 はじまりの男・アダムは、父にそっくりだったということだった。

 はじまりの女・リリスは、父には似ていなかったという。


「わたしがオロバスちゃんの力を借りて、1分後や2分後、3分後のわたしを召喚するパーフェクト・ピノア・イリュージョンとは全然違ってた。

 たぶんゲルマーニにあったっていう髪の毛や爪から人の複製体を作る再生医療魔法だと思う」


 父は自らの髪の毛からはじまりの男を作り、懐から大事そうに取り出した小袋の中から別の髪の毛を取り出し、はじまりの女を作ったそうだった。


 なぜ父がそのような形ではじまりの女のベースとなる髪の毛を持っていたのかはわからないが、その髪の毛が誰のものであるかレンジには予想がついた。


 レンジは、自分のスマホではなく、父のスマホの中の画像フォルダの中から、母の写真を探し、ピノアに見せた。


「どうしてリリスが、レンジのお父さんのスマホの中に……?」


 レンジの予想通りの反応だった。


「この人はぼくの母さんだよ」


「そっか、はじまりの女はレンジのお母さんだったんだね……」


 レンジは、アダムとリリスのふたりの息子であるカインとアベルは自分に似ていて、娘であるルルワは妹に似ているんだろうなと思った。


 だとすれば、父が持っていた小袋というのは、もしかしたら……

 レンジは財布の中からお守りを取り出した。


「父さんが持ってた小袋って、これに似てたりする?」


 ピノアはうなづいた。


「小袋から取り出した髪の毛、もしかして、ちぢれてたりしてた?」


 ピノアはもう一度うなづいたが、「ちぢれていた毛」がただの髪の毛ではないと察したらしく、顔を真っ赤にしていた。


「ったく、いくら父さんが原発で働いてたからって、とんだバカップルだな、父さんと母さんは」


 レンジはピノアに、リバーステラの日本にはかつて、戦地に向かう恋人に女性がちぢれた毛をお守りの中に入れて渡すという風習があったことを話した。


 宇宙世紀という時代を舞台にしたリバーステラの架空戦記においても、小説版ではセイラさんがアムロにそれを渡すというエピソードは、小説版ではアムロが戦死してしまうことより有名なほどだった。


 ピノアは、よくわかんない風習、ばっかみたい、と言った。

 レンジがほしいなら、別にあげてもいいけど、とも言った。



「わたしね、レンジのお父さんに、どうしてレンジやわたしたちを裏切ったのか聞いたんだ」


 すると、父はこう答えたという。


 レンジが犯した過ちを正すためだ、と。



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