第122話 第三の聖書 ①

 国王はこの世界でも多忙らしかった。


 謁見の間の前に用意されたソファで、レンジとショウゴはもう1時間以上も待たされていた。


 レンジはイルルから手渡された分厚い本をめくりながら、前の世界ではじめてこの場所に来たときのことを思い出していた。


 ステラからゲートのそばにあったATMを使ったかどうかを尋ねられたレンジは、ATMから引き出した十万円が入った財布の中身を見せた。

 十万円はこの世界の通貨に換金されて機械から出てきていた。

 リバーステラでは1ヶ月暮らすのが精一杯の金額でしかなかったが、この世界での十万円は1000万ρ(ロー)という、城下町の一等地に土地を買い、大きな家を建てても一生遊んでくらせるだけの金額だった。


 彼とステラとピノアは、国王との謁見という、RPGなら絶対に飛ばせない旅立ちの前のイベントを飛ばして、その金で魔装具店に向かった。

 そして、そのことを後になってから3人が3人とも後悔した。


 前の世界とこの世界はあまりにも違う。違いすぎる。

 だから、前の世界のように有益な情報を国王から得られるとは限らない。

 だが、今は少しでも情報が欲しかった。

 たとえ情報が得られなくても、体に大剣を突き立てられていない国王に、レンジは会いたかった。



 ショウゴはあくびを噛み殺しながら、


「それ、さっきイルルから渡された本か? 何の本だ?」


 レンジの手にある、まるでDSのゲームについてきた魔道書のような装丁の本を指差した。

 その装丁は前の世界でレンジのスマホにあった異世界転移アプリのアイコンによく似ていた。


「この世界の聖書だよ」


 とレンジは答えた。


「救厄聖書か」


「大厄災を起こした者を神とする、ね。

 ぼくらの世界の旧約聖書と前の世界の救厄聖書もいろいろと違っていたけど、これはさらに違う」



 テラでは、リバーステラにも存在する(かつて存在した?)「神が7日間かけて天地創造を行ったとされる年を元年とする『世界創造紀元』」という暦が用いられている。

 それは、この新世界でも変わってはいなかった。

 レンジがテラに転移したのは、リバーステラでは西暦2020年11月11日のことであり、前の世界のテラでは世界創造紀元7529年11月11日のことであった。

 時を戻されたレンジたちのスマホの画面には、西暦2020年11月11日と表示されていた。

 おそらくこの新世界のテラでも今日は同じ、世界創造紀元7529年11月11日なのだろう。


 この新世界を含めた3つの世界は、神が7日間かけて世界を作ったという、同じ神話を共有していた。


 しかし、リバーステラにおける旧約聖書は、テラでは新旧の世界共に「救厄聖書」と呼ばれており、3つの世界の聖書に記されたエピソードや固有名詞にはかなりの差異が存在していた。

 3つの神話は似て非なるものであった。


 どの聖書も、第一章「天地創造」において、神は自らの姿に似せて人を創造したとある。その際に男と女を同時に創造したとはっきりと記されている。

 はじまりの男の名はアダムであり、はじまりの女の名はリリスである。


 しかし、旧約聖書の第二章「エデンの園」には、神はアダムがひとりでいるのは良くないと考え、彼のために、彼から取ったあばら骨で二人目の女を造り、そしてアダムはその女をイブと名づけたとある。

 そのエピソードは、救厄聖書には存在しない、旧約聖書だけのエピソードであった。

 つまり旧約聖書における神は、最初に男と女を同時に造ったが、それにもかかわらず、男の肋骨から女を造ったことになる。


 はじまりの男アダムとはじまりの女リリスとの間に何か不都合なことがあり、アダムは男やもめになってしまったのだろう。

 それを憐れんだ神が、彼のあばら骨から彼にふさわしい再婚相手として、2人目の女イブを造ったという事になっている。


 救厄聖書にはイブは登場すらしていなかった。今レンジの手にある新世界の聖書もまたそれは同様だった。


 あくまで神話の上での話ではあるが、リバーステラの人類はアダムとイブの子孫であり、テラの人類はアダムとリリスの子孫であった。


 旧約聖書のアダムとイブは蛇にそそのかされ、禁断の果実を口にしたために楽園から追放されたが、救厄聖書のアダムとリリスは、禁断の果実から産まれたドラゴンにまたがり、自らの意思で楽園を飛び出していた。

 はじまりの男と女は、人類の始祖であると同時にランスの竜騎士とペインの戦乙女の始祖でもあった。


 だが、そのアダムとリリスのエピソードは、イルルの話の通り前の世界だけのものであった。


 新世界の聖書では、アダムとリリスは楽園で子を産んでいた。

 最初に産まれた子どもは五体不満足であったため、楽園に存在する禁断の果実を実らせる世界樹の葉で作った小舟に乗せられ、川に流されて楽園から地上へ遺棄されていた。

 まるで日本神話のヒルコ神のように。

 2番目の子もまた同様だった。


 3番目の子ども・ルルワは女性であり、アルビノの魔人であったという。

 だがリリスは、ルルワの持つ強大な力によって、出産の際に死亡してしまっていた。

 それは日本神話のカグツチ神のようであり、まるで『レンジが愛するステラのよう』でもあった。

 そのため、アダムは娘であるルルワとの間に男児をもうけようとした。


 アダムとリリスは、「神の子」として誕生した。

 そして、やがてふたりは人類の「真の父母」となり、「王の王」となるはずだったという。

 人は本来、宇宙をも愛で包むことのできる存在であり、神が創造した大自然の美しさもさることながら、人が持つ霊魂と肉体の機能は更に優れたものだったという。


 つまりは、アダムとリリスもまたアルビノの魔人であったということだろう。


 しかし、アダムとリリスは神の子ではあったが、リリスを失ったことによりアダムは「真の父母」になれなかった。

 ふたりが「王の王」となるためには、まずは「真の父母」にならなければいけなかった。

 それは、単なる万物の成長プロセスとは異なり、人は「万物の霊長」「宇宙万物の主人」として、神による「真の愛」を完成させて、天地創造に対する責任を果たさねばねばならなかった。


 だからアダムは、娘であるルルワを死んだリリスの代わりにし、「真の父母」になろうとした。

 だが、ルルワはそれを拒絶した。

 彼がルルワを愛していたのなら、彼女は彼を受け入れたかもしれないが、ルルワはアダムが「王の王」になるためだけに、自分に子を産ませようとしていることがわかったからだった。


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