第37話 ステラの覚悟

 ステラにはレンジが何をしようとしているかすぐにわかった。

 だから、瞬時に彼とレオナルドの真下から突風を巻き起こした。


 レオナルドは狼の姿になったとしても、魔装具であることに変わりはないだろう。

 おそらく甲冑の姿でレンジがその身にまとっているときと同じように、エーテルを触媒とした魔法をすべて無効化してしまうに違いなかった。

 たとえそれがただの突風に過ぎず、本来なら発生するはずの真空の刃が発生しないよう威力を抑えた攻撃魔法ですらないようなものだったとしても。


 だから、レオナルドとレンジを空高く舞い上がらせるため、ステラがそのとき巻き起こした突風は、ダークマターを触媒とした魔法だった。


 これまでステラはダークマターを魔法の触媒としたことは一度もなかった。

 自分には、この世界に生まれた者には、ダークマターを魔法の触媒とすることはできない、そう教わってきたからだ。信じ込まされていたからだ。


 だが、そうではなかった。


 ダークマターの扱い方はエーテルと同じだと聞いていた。

 実際にレンジが手のひらにダークマターを集めるのを見た。

 大賢者がダークマターの魔法を使うのも見た。


 だから出来た。

 威力をうまく抑え、ふたりに傷を負わせないようにすることもできた。


 しかし、魔法を放った瞬間、ステラの全身に激痛が走った。

 それはただの激痛ではなかった。

 身体がバラバラに引きちぎれてちまうのではないか?

 そんな風に感じてしまうほどの激痛だった。


 それを扱うことが、どれほど危険なことかは理解していた。

 きっとレンジも理解していた。おそらくステラ以上に理解していたはずだった。


 彼にとって、それは父親を魔王に変えたものだったからだ。

 仮にもし自分でそれができるなら、彼はきっと自分でしただろう。

 だが、今の彼にはまだ出来ない。

 小さな火や雷の魔法を放つことができるようになったばかりだ。


 彼は自分を好きでいてくれている。

 たとえそうでなかったとしても、風の精霊の魔法をうまく扱えるのがステラではなくピノアであったとしても、彼は自分ができないからといって、平気でそれを人に押し付けられるような人ではなかった。

 それはステラが、この世界で一番わかっていた。


 彼女もまた彼を好きだったからだ。


 秋月レンジがそういう人であったから、ステラ・リヴァイアサンは彼を好きになった。


 それでも、彼は自分にそれを頼んだ。

 それがどれだけつらい決断だったか、ステラには痛いほどわかった。

 今、その全身に走る痛みよりもはるかにレンジの心は痛いに違いなかった。

 だから、耐えられた。



「ステラ、少し休んでて。ニーズヘッグ、ステラをお願い」


 ピノアがステラのそばに駆けつけてくると、彼女のそばにいたニーズヘッグに言った。


「ピノア……? どこへ……行くつもりなの……?」


 声を発することさえもままならなかったが、ピノアが何か無茶をしようとしているのはわかった。

 だから、止めなければと思った。


「わたしはレオナルドとレンジを手伝ってくる。だから、ステラの盾を貸して」


「手伝うって……、あなた……どうやって……」


 ステラはそう尋ねたが、それは愚問だとすぐに気づいた。



 あの秘術が魔法のようにエーテルを触媒とするものならば、ピノアのガントレットをうまく利用すれば、もしかしたら城下町だけじゃなく、もっと範囲を拡大できるかもしれない。

 ピノアは、おそらくそう考えているのだ。


 範囲を拡大できれば、城の玉座かどこかで高みの見物してる国王に、ダークマターの魔法を使わせないようにできるかもしれないのだ。


 国王がエーテルの魔法しか使えなくなれば、レンジの魔装具はその魔法を無効化できる。

 国王がたとえ大賢者のように自らをアンデッドと化していて、手のひらに結晶化したエーテルを埋め込んでいたとしても、それは同じだ。

 エーテルの魔法同士なら、ピノアの魔法の方がその威力は高い。

 ステラの魔法にはそこまでの威力はないが、相殺くらいはできるだろう。


 ガントレットによる秘術の範囲拡大が不可能だとわかれば、ピノアはあの秘術の術式を解読し、範囲を拡大する魔法を新たに作り出すつもりなのだろう。


 彼女にはそれができるだけの才能があり、それができるだけの努力をしてきた。

 ステラがそれを一番よく知っていた。

 幼い頃から、彼女をずっとそばで見てきたからだ。



「ステラ、ごめんね。わたしが風や土や光の精霊の名前をちゃんと覚えてたら、ステラやレンジにこんなつらい思いさせずにすんだのに」


「ピノアにダークマターを使わせてしまったとしても、レンジは同じくらいつらかったと思うわ。

 彼は自分ができるなら、自分でしたはずだから。

 それに、わたしは今のピノアのような気持ちになっていたと思う。

 だからこれでいいの。今はこうするしかなかったんだから」


 ピノアは、そうだね、と言って、


「わたし、精霊の名前、ちゃんと覚えるね。ちゃんと精霊に謝るね。許してもらえるまで何度でも謝って、ちゃんと力を貸してもらえるようにするね」



 ピノアは風神の盾から突風を巻き起こすと、空高く舞い上がった。


 ステラには、その盾に彫られた風の精霊の顔が微笑んでいるように見えた。


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