商品棚にはご用心
ぐいんだー
商品にはご用心
「暇」
巨大商業都市リールの隅っこにある誰も来ない店のカウンターで一人の少女が独りごちた。
長袖のシャツを肘まで捲ってカウンターに置いた上腕に顎を乗っける。この時間は退屈なのでボーッと最近の事を思い出すのが日課だ。
思い出すことは身の回りで起きている様々なことだ。例えば、店内に不思議と買い取っていない物品が増えていたり、庭の謎の植物が私の育てている野菜から栄養を根こそぎ吸い取っていたり、近所の猫が朝から晩まで盛っていたり、この付近の元貴族の魔法使いが結婚したと騒がしかったり、日常的な部類ばかりだが。
カランカラン。
「あら、こんにちは店主さん」
「こんにちは、ノアールさん」
そして、今私の店の前に来た魔法使いのお姉さん、20代後半位だろうか。鈍色のローブを纏っていて顔立ちがスっとしている綺麗な方だ。特に金色の髪をお下げにしているのが特徴的で、その人が頻繁に私の店に来るということが最近気になっている。大体私の店に来るのは物好きか興味本位で来る暇な連中ばかりで若い女性が来店するのは珍しい。若い私が言うのもなんだが。
彼女は店内の商品の遺物に見向きもせずカウンター前まで来る。流石に何か見る振りくらいはして欲しい。一応私は店主なのだ。
今私の経営している遺物専門店。実家を出て態々この店をオープンしたわけだが、理由は単純でオープン当初、商業都市が建設されたばかりの草創期でブームだった。そして多種多様な店が建ち並び始めたと噂を聞き私もその勢いに乗って自営業を始める、という薄っぺらな理由で開業した。
隆盛だったのは最初だけで次第に勢いが萎んでいくと店を畳んでこの都市に定住する選択をする商人が大多数を占めた。私もひとつの選択肢として考えたがそれでは実家へ逆戻りだ。それにそこそこに大きな迷宮が近いこともあり様々な店が立ち並ぶこの都市では仕事が豊富で早々に食いっぱぐれることは無いので貯金が尽きるまではここでゆったりするつもりだ。
「あら? 新しい遺物を仕入れたのね?」
「誰も買いませんけどね」
遺物は摩訶不思議な物品だ。私が扱っている遺物というものは私達が使っている文字と全く類似点が無くどこの誰が作ったものなのかは不明だ。一応解読は進んでいるが完全では無い。これらは迷宮から取れ、たまに危険性が高く強力な兵器に成りうる遺物も出土しそれらはオーパーツ、特級遺物に区分される。そういった特級遺物は私の店では取り扱っておらず国が管理している国営特級遺物専門店で厳重に保管されており信用と大金があれば購入可能だ。要するに私の店にあるのは飾り、もしくはガラクタ。なので来るのは一部のマニアと暇をしている奴と決まって来る客は顔馴染みばかりになっている。買ってくれるなら有難いが大抵、私と暇つぶしの雑談をして帰るというのがお決まりなので期待はしていない。
この人、今日も今日とて店に遊びにやってきたノアールさんも漏れなくそうだった。
「飽きもせず連日来てますが何かお探しですか?」
「捜し物……そうですねぇ、探し物は見つかっているのですが少々手こずっていてね」
「手こずっている、とは? お気に召した商品があるなのでしたら値引き交渉も可能ですよ」
商品が売れることには越したことはない。まだまだゴミ……ではなく入荷したばかりの新商品も加えて売れてない物が多い。
「いえ、こっちの事情ですのでお構いなく」
「……そうですか、あっ、どうぞ紅茶を」
お客さん用のティーカップに甘く香る紅茶を入れる。
こぽこぽこぽっと湯気立つ紅茶は緋色に輝く。
「あら、どうもありがとう……んー、今日も甘いわ」
お上品に紅茶を啜る姿は様になっているが貴族でも無い。一応この人は迷宮探索家で魔物と戦い戦利品を売ることを生業としている。
「アマラスティアの紅茶は全部甘いらしいですよ」
「先日頂いたものもアマラスティアのだったのね。あちらの地域には立ち寄ったことがないのでぜひ今度行ってみたいわ」
アマラスティア、そこは年中暖かく果物が豊富なので別名果実の王国と呼ばれている。私の友人がアマラスティアへ今滞在しておりお土産として色々と貰ってしまった。
「暖かい気候で過ごしやすいらしいので定住も視野に入れてみるのもいいかもしれませんね」
「ここが気に入っていますので定住は考えてないわね。まあでも、想い人がそちらに行きたいと言うなら行くけれど」
これは面白いことを聞いた。今日は少しくらい退屈を凌げそうだ。
「意中の人がいるんですか?」
「……えぇ、実は最近出来たのよ。聞いてくれる? 私、色々とアピールしてるのに全く振り向いてくれないのよ」
まだまだ恋する乙女なのか年甲斐もなく頬を膨らませて怒っている。
「それはアピールが足りないのでは無いですか?」
「そうかしらねぇ? ただ知り合ってそこまで長くないからあまり強く言い寄れないのよ」
「それは難儀ですね。いっその事包み隠さず好きと言ってもいいんじゃないですか? 案外そういった直接的な愛の告白は憧れますよ、まあ私目線では、ですけど。それにお姉さんは女の私から見てもとても素敵ですし大抵の男性は虜になってしまうんじゃないですかね」
「あら……とても褒めて下さるのね、なんだか照れくさいわ」
頬に手をあてニコニコと笑う。
こんな風に目の前で可愛らしく照れでもすればイチコロだと思うのだがよっぽど恋愛に疎い方が相手なのだろう。
「常連さんですからね」
「あら、じゃあ営業用? 本心だと思って受け取ったのに残念ね」
「それはお客さんの捉え方次第ですからね」
煽てるわけで何かこちらに益になるようなことは無いが将来的にノアールさんが上手くお付き合い出来た日には記念に遺物を買ってくれるに違いない。打算に満ちた、と言うと冷たい人みたいだが互恵関係を生み出せるシチュエーションは商人にとっては好ましいので許して欲しい。だからといって本心を織り交ぜるのも忘れていない。
「狡い人ね」
「生きていくために培った話術です」
「それにしてはいつもカウンターに突っ伏してやる気なさそうにしてるけど活かせてるの?」
「……それもお客さんの捉え方次第です」
バツが悪くなり後ろを向く。
ただその時、偶々目に映ったのは好機と言えるだろうか。
今朝見つけたのだが仕入れた記憶の無い不明の遺物。危険性は分からないが相手をメロメロにしている絵が書かれたラベルに、薄桃色の液体が入った小瓶が商品の陳列棚にあった。もしかしたらかなり昔に入手したものなのかもしれない。効き目があるかは不確かだが、まあ気晴らし若しくはおふざけ程度で買ってくれるかもしれないと思いこれを売りつけることを心のなかにいる小さな商人魂を燃やした私が囁く。
ゴミを掴ませる可能性が高いがノアールさんなら許してくれる気がする。それにいつも何も買わずにお茶だけしに来るのは商人として戴けない。要するにこれは今までのお茶代だ。理由を頭の中で必死につけて納得した私はつま先立ちで私より高い位置にある陳列棚から遺物を退ける。背が小さいこともあり私はぴょんぴょんと跳ねると腰まで伸ばした長い髪をばっさばさと揺れて鬱陶しい。そして小瓶に手を伸ばし人差し指にあたったので私は迷わず摘んだ。
「あっ」
摘んだだけなので気を緩めた瞬間手からするりと転げ落ちた。そのまま床へクルクル回りながら落ちて割れてしまう寸前の所でヒュっと姿勢を正した小瓶はカウンターへと着地する。
「お見事です」
「ちゃんと踏み台を使いなさいな」
流石魔法使い。この程度の魔法はお茶の子さいさいなのか手に持った杖をくるくると回し、シュパッっと火花を散らせて跡形もなく消えさせた。
「嫌ですよ、自分がチビだって認めたことになるじゃないですか」
「別にあなたの背丈がどうのこうの言う人いるのかしら? 寧ろ健気に高いところの物を取ろうとしてるのを見たら後ろから取ってあげたくなるわ」
私とノアールさんの背の差はかなり大きい。必死こいて取ろうとしているものを後ろからヒョイッと取られたら心にかすり傷くらいは負いそう。
「屈辱的ですね」
「ご褒美じゃないの?」
「はい?」
ほらほらと胸を揺らしているが何をしているだろう。私の反応に何故かため息を付いてるがよくわからない人だ。
「……まあいいわ、それで貴方が懸命に取ろうとしてたこれは何なのかしら」
ピンっと弾かれた小瓶は中の液体を揺らす。
「これ紛い物かもしれませんがハニートラップ用の飲み薬みたいなんですよね」
嘘を言うのはなんとも心が痛むが嘘を吐いた手前もう後には引けない。
「へぇ、そんな珍妙な物が」
顎に手をあててじっくりと物珍しそうに見ている。
「私の店には珍妙な物以外置いてませんけどね」
「どのくらいの効果があるのかしらね?」
「さぁ、私もよくわからないんですよ。というか勧めといてなんですがこれ使うんですか?」
「手段を選んでいる程私は余裕が無いのよ」
随分お熱みたいだ。この人をここまで惚れ込ませた人は一体どんな人なのかお目にかかりたいところだ。
「まあ一滴飲んでみるのも良いかもしれないですね」
本当に飲むこともしないだろうと少し冗談を言った。
「じゃあ遠慮なく」
「へ?」
そう言うと私の目の前で全部飲み干した。
「んくっ……はぁ……」
口を袖で拭い空の小瓶を無言でジッと見つめている。全部飲んでしまったのだが大丈夫なのだろうか。というか効果が合ったとして一体誰に……私か? それよりもし体調に問題が出てもこちらで責任取らねばならないのかそれが心配だった。
「ねぇ」
心做しかうっとりとした表情でカウンターに乗り出して私の頬に触れる。
「はいッ……な、なんでしょうか」
「これすごいわね」
「すごい、とは?」
上気した顔で私を見ている。
「気持ちが溢れて来てすごいの。今なら何でも出来ちゃう気がするわ」
艶やかな唇を眼前で舌なめずりされると色香に惑わされそうだ。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ」
不味いと思い私はぱっと離れて小瓶の説明文を読もうとラベルを回して見る。だが見たこともない文字が書かれていた。遺物文字を多少勉強していて、読めるはずなのだがこんな文字は見たことが無い。だがノアールさんの様子からしてこれは本当に惚れ薬のようだ。変に体に害が無いことはいいのだがこのままではノアールさんが私に取り返しの付かないことをする可能性は否めない。
私だって……まだキスと言った粘膜接触行為を一度もしたことが無いしもしノアールさんの唇がまだ誰のものでも無かった場合私はノアールさんいなんて謝罪を申さなければならないのか。いや、待てよ。そもそもの原因はノアールさんじゃないか。私はただ冗談で言っただけで真に受けるようなボケた人間が早々いてたまったもんじゃない。私は悪くない。飲んだ本人の責任だ、なんて言い逃れが出来るなら良いが。
「あぁぁぁー……」と頭を抱えて唸っているといつの間にカウンターを乗り越えたノアールさんが私に覆いかぶさってきた。
「店主さん捕まえちゃった」
「……重いんで退いてください」
「私の愛が重いの? そうよね? 頑張って受け取ってね店主さん」
完全に色ボケ女になってしまった。こんなところ見られれば蜂の巣をつついたように話が広まり私の穏やかな日々がゴシップ好きの住人たちの肴になるのは目に見える。
「と、とりあえず店を閉めさせてください」
「あら……じゃあここはもう二人だけで秘め事をする場所ね。大丈夫、お姉さんも経験ないから二人で一緒に……ね?」
「……」
「……いいの?」
「えいやー!」
「きゃあー!」
背中に覆いかぶさっていたノアールさんを床に転がす。かなり派手な音がしたが、気にせず陳列棚を縫うようにして店の戸口へ走って【CLOSE】の看板に裏返した。
「やっぱりここでシちゃうの?」
戻るとカウンターの内側で仰向けに倒れたままノアールさんは自分の両足をすりすりと擦り寄らせている。もちろん頬を上気させていた。重症だ。このまま外に放り出したいところだが変な噂が立っては一層客が寄り付かなくなる。
「お医者様に行くので立ってください」
「医者? 私の恋煩いを治せるのは店主さんだけよ?」
「置いてきますよー」
病院へとノアールさんを引っ張ってきたわけなのだが。
「えーっと……どうされましたか」
お医者様を前にしてなんと言えばいいのか。傍から見ればイチャついてるカップルが冷やかしに来たと思われる。
「あー……惚れ薬用の解毒剤ってありませんか。見ての通り間違って服用してしまいまして」
腕に抱きついてグリグリと猫の様に私の首に頭を擦り付けてくるノアールさんを手で押しやりながらお医者様に事情を説明する。
「惚れ薬ですか……そういった類は病気では無く呪いに分類されるので私がお出しできるのは鎮静剤くらいしか」
「そうですか……困りましたね」
「もっと困らせちゃっていい?」
黙らせようと口を抑えると指を咥えられざらりとした感触が指を這い、ちゅっちゅっと卑猥な音が響く。
「ちょっ! ノアールさん!」
看護師さんは顔を赤らめ逃げていった。
「……因みにその惚れ薬は何処で入手したんですか?」
「特級遺物専門店からの流れもので、これが惚れ薬の入っていた小瓶です」
スラスラと出る嘘に前職は詐欺師かと疑われても仕方がない程だと思う。だがそれは必要な嘘だ。なんてったって売りつけようとした相手が横にいるので薬が切れた後何をされるか分かったもんじゃないからやむを得ない。
「ふむ、またややこしいところから手に入れましたね……そうですね、恐らくそのままの状態が続くことは無いと思いますので暫く様子を見て、問題がありそうでしたら鎮静剤を飲ませる、それが良いでしょう」
恐らくお医者様もお手上げなんだろう。呪いの類であれば呪術師の方に聞けば良いのだが何分広大なこの商業都市で呪術師を探すとなればかなり手間がかかる。
「わかりました」
「私も友人の伝手を頼って詳しい方に聞いてみます。何かありましたらまた来てください」
私は代金を支払い鎮静剤を貰う。鎮静剤だけで随分とお金がかかるものだ。病院を後にして寂しくなった財布を気にする。明日から本腰で遺物を売らないと。そんな悩みは露知らずのノアールさんに手を繋がれているが、女同士で手を繋ぐのは普通だろうか?
「ふんふんふーん……くあぁ」
「ノアールさんって一人暮らしですか?」
帰っている途中横で鼻歌をずっと陽気に歌っているノアールさんに適当な話題を振る。
「うん、でもね、てんしゅさんのためにベッドはおおきめにしてるからあんしんして?」
「……どうもありがとうございます」
ふわふわとした喋り方になり呂律が怪しい。それに撓垂れ掛かられ歩き辛いし辞めてもらいたい。これでは本当に交際してるみたいに見られる。ただでさえ人の目が突き刺さるので急ぎたいのに甘えまくってるお姉さんを一生懸命小さな私が運んでいる絵面はノアールさんにとっても後々公開処刑になりえるし説明が面倒くさいのだ。
「もしかして眠いんですか?」
「んー……」
ふあっとあくびをしているので眠そうだ。薬の副作用だろうか。私は引きずるようにノアールさんを店の中へと運んだ。
「ノアールさん、出来ればご自宅に帰って頂きたいんですけど……無理そうですよね」
「んやぁ……」
普段しっかりしてそうな見た目なのにこんなにも豹変されると対応に困る。椅子に座らず今は床へ足を崩して私にもたれ掛かっているのだがいつまでもこのままというわけには行かない。せめて2階にあるベッドに運びたいが動いてくれるだろうか。
「ノアールさん私の家に泊まります?」
「泊まります」
「起きました?」
「んえぇ……」
「……」
条件反射だとしても怪しすぎる反応だったが、もしかしたら欲望に忠実になる瞬間だけ意識が目覚めるのかもしれない。
「じゃあ2階のベッドに行きますんで立ってくださいね」
そう言うと素直に私の手を掴んだまま立ち上がった。
「本当に眠いんですか?」
「眠いわ」
2階へ進んで行くノアールさんは覚醒してるが薬のせいでテンションがおかしくなってるので階段を登り自室へと連れて行く。階段を登って突き当りの左にある扉を開けば私の部屋だ。部屋を開けた瞬間に私の手を離し飛び込んでいった。
「店主さんのベッドはどこかしら?」
椅子とデスク以外は何も置いてない殺風景な部屋だ。嬉々として私の部屋を探索し始めたので首根っこを引っ張って止める。
「ベッドはここです」
ボタンをカチッと押すと床が回転しベッドが現れる。この商業都市特有の造りだ。一目散に潜り布団を被ったノアールさんは満面の笑みだ。
「おやすみなさい!」
「夜になったら起こしますからね」
扉をゆっくり閉めて階段を下る。
店をこれから開けても人は来ないだろうし、今日も売れなかったのでカウンタにーある帳簿にはゼロと書いてリビングへと戻った。特にやることも無く庭に出てところ構わず生える雑草を刈り取る。ジョキジョキと長バサミで刈り取ると緑の香りが風に攫われていく。そういえばすっかり萎んでしまった果実を取り除かないと。植木鉢をひび割れさせている低木にぶら下がっていたはずの果実は見るも無残で、手で触れるとかさかさと中で種を転がす乾いた音が聞こえる。完全に干からびて水の一滴も感じられしない。パリリッ。
「おえっ……ほぼ枯れ葉じゃん」
そして栄養を吸い取った忌々しい植物は姿を消していてなんとも奇妙なことだった。気を取り直すなんて無理そうで、部屋に戻って夕暮れまで庭を眺めていた。無為な時間だなんて思っても何もすることが無いのだから仕方ない。こんな日々を過ごす私もあの植物に人生を吸われているのと変わりないな、なんて木の床に寝そべっていた。
少し眠っていたみたいで起きると部屋は闇に閉ざされていた。寝起きの覚束ない足取りでランプに火を灯す。そしてわずかにあるお金を持ち、出かける為に用意したポーチに手を伸ばしたが、キッチンからちらっと見えた木箱の中には野菜と果物がごった返している。
「今日は作るか」
送られてきた作物を使って久々に豪勢な食事を作ることにした。やはり持つべきものはお土産を定期的に送ってくれる放浪癖のある友人だ。お財布に打撃を与えずに済むのは助かって仕方ない。
ギッギッギッ。木製の階段を登る音がいつもより機嫌が良さそうで、私は早足であがった。扉を開けると薄い布団を被って寝ている。
「こんばんは、もう夜ですよ」
寝台にすやすやと幸せそうに寝ているノアールさんを揺する。
「うぅん……あら、私の目の前に天使がいるわね」
寝惚けるとはまさにこれだ。
「ご飯できてるんで起きてください。それともまだ寝ます?」
「頂こうかしら。せっかく素敵なお嫁さんが作ってくれたんですもの、いくらでも食べるわ」
また性懲りも無く手を繋がれたので仕方なく一緒に部屋を出る。
「お嫁さんになった覚えはありません。私はお金持ちと結婚したいですよ」
「私結構貯金あるのよ?」
無視して階段を下った。
リビングの方へ行くと自画自賛になるが美味しそうな香りがする。
「今日は張り切りました。あ、いえ、人を招くのは初めてだったので深い意味は無いんで期待しないで下さいね?」
送られてきた果物と野菜をふんだんに使った料理だ。今年も豊作なのかアマラスティアでは異様に大きなタポタが出来たらしく一人では食べ切れないのでタポタを使ったタポタパイを作った。
「あら、店主さんは以外にも料理が得意なのね?」
「そんなでも無いですよ。母や父と比べると酷いもんです」
穀物に分類される緑色の外皮を纏ったタポタは非常に栄養価が高い。実の真ん中に種が集中していて、その種をくり抜くだけで調理は楽な部類だ。そしてなんと言ってもタポタはお腹に溜まりやすく、程よく甘いので夕飯の主食でもデザートにでも大変使い勝手が良い食材だ。それ以外にも作物も多く残っていたので色とりどりのフルーツサラダに野菜スティックを用意した。
「全体的に随分とお野菜が多いのね」
椅子に座り目の前にあるサラダをまじまじと見ている。
「がっつりしたものが保冷庫に入ってなかったんですよ。お肉自体高いですしね。商品がもう少し売れたら美味しいお肉が食べられるんですけどお金がですね。すみませんね」
最近は安い魚や保存食ばかり食べているので料理の腕がなまっている気がしなくもない。売上が微妙なせいでまともな食事は久々だ。店をたたもうかと悩むの理由のひとつにもなっている。まあ相変わらず貯金が底尽きる寸前までは粘るが。
「お嫁さんになったら私が養うのに」
「はいはい。未来の旦那さんにでも言ってあげてください」
切り分けたタポタパイを皿に乗せノアールさんの前に置く。
「サラダは自分で取り分けるわ」
「じゃあお皿をどうぞ」
渡したお皿は年季の入った古い木製で質素なもの。貧乏性なので使えなくなるまでは使いたのだが、人を招いた際には出しずらい。けどそんなことを気にする様子もなくノアールさんは受け取った皿によそう。私も大皿に入っているサラダを取り分けているのだが特定の野菜は避けられてる気がした。
「あの、もしかして苦いお野菜嫌いですか」
「え、えぇ? なんのことかしら。偶々取り分けた時に入らなかっただけだと思うわよ?」
声が震えている。
「ならぜひ味わってもらいたいのでこのお野菜あげますね」
「い、いいわよ。貴方が折角取ったものだし、人の皿に入った食べ物を他の人に与えるのはテーブルマナーに反しますわよ」
「ノアールさんも私も別に貴族じゃないんですから。それに私と二人きりなんですから気にしなくていいんじゃないですか」
「ふ、ふたりきりってなんだかふしだらな響……」
「鎮静剤あるんで取ってきますね」
「じょ、冗談よ」
「じゃあ食べてください。なんならあーんして上げてもいいですよ」
「……本当に?」
「……やるんですか? 私冗談のつもりだったんですけど」
期待に満ちた目で見られることで私は逃げ場を喪った。雛鳥の様に目を瞑り口を開けたまま待っている。フォークを人に向けるなんて世の中のカップルは危なっかしいったらありゃしない。もしやこれが吊り橋効果というものなのか。
「あ、あーん」
「あ〜ん」
お医者様の所で口の中に指を突っ込んだのを思い出す。多少なりとも意識はしてしまうのは仕方ないだろう。
狙いを定め慎重にフォークを動かす。にしても綺麗な顔に歯並びも美しい。そして人の口内というのはグロテスクにてらてら光っているけれどノアールさんのは不思議な魅力がある。口の中にヒョイっと入れると綺麗に口を閉じられモグモグし始めた。
「あむ……美味しくないわ。でも店主さんの愛が籠もってるから絶品よ」
「愛は込めてないので美味しくないんですよね。後ずっと気になってたんですけど私の名前、もしかして知らないんですか?」
今日一日私の名前を呼ばれた記憶が無い。お客さんも少ないし大抵店主さんと呼ばれるのでたまには名前を呼ばれないと忘れてしまいそうだ。
「あー…………」
顎に手を当てて首を右に左に傾げているが多分教えてないので分からないだろう。
「わからないわ」
「そうだろうと思いました……私の名前はガネット・ハーンです。呼び方は何でもいいですよ」
「じゃ、じゃあガネットさんね」
「なんだかノアールさんにさん付されると余所余所しいですね」
「いきなり呼び捨てってなんだか恥ずかしいのよ」
「思春期ですか」
様子を見るに惚れ薬は切れてそうだ。
料理を口に運びながら話すとお酒も入ってないのに自然とお互いの口がよく開く。
「迷宮探索ってやっぱり危ないんですか?」
「階層とか役職によってまちまちね。私は前衛だから危険度は高いほうよ」
「え、ノアールさんって魔法使いですよね」
驚いた。探索者では無いので詳しくは知らないが魔法職は後衛に配属されるものだと思っていた。
「魔法の杖を剣にして戦ってるわよ? それに普段私が着てるローブは防御力が高い秀品で前衛職をするための能力は十分あるわ」
そういう問題では無い気がする。
「へ、へぇ……そのパーティー良く機能してますね。でも悪い事は言わないんで別のパーティーに入ったほうがいいんじゃないですか」
「そうかしらねぇ。けど、私が抜けたら今のパーティーの陣形が乱れて迷宮に潜れないわ。それに私は支援系の魔法使えないもの。雇ってくれるかしら?」
「支援系が使えない魔法使いなんているんですね……じゃあ他に後方支援してくれる魔法使いの人がいるんですね」
「私含めて全員魔法職よ?」
「は?」
全員魔法職? 私のような迷宮探索の知識がなくともおかしいと分かる。これでは本当に命を落としかねない、と言うか今まで良く死ななかったと思う。
「やっぱりパーティー変えましょうよ。絶対おかしいですってそのパーティー。ノアールさんは他に魔法使えないんですか? 火の玉とか氷の玉出したりとか」
「しばらく使ってなかったから全部忘れたわ。詠唱呪文って長くて……」
「それ魔法使い向いてないんじゃ……」
問題だらけのパーティーに入ったのも不思議じゃない気がしてきた。
「ご馳走様です」
「ご馳走様、なんだか悪いわねベッドまで借りてご飯も頂いちゃうなんて」
「全然構いませんよ、人と一緒に食事を取るのもたまには良いと思いましたから」
まあ薬を渡した私がお礼を言われる筋合いは無いのだが彼女が納得してくれるならこのまま流そう。
「ガネットはいつも一人なの?」
「家族と離れてこちらに来たので一人ですね。この都市でも友人っていう友人が作れなくて基本一人ですよ」
「家族と離れて寂しくないの?」
キッチンで紅茶を入れているとそんな質問が投げかけられた。
「騒がしい家庭に産まれましたからね。最初の頃は静かで快適な暮らしを手に入れたので思う存分羽を伸ばしていましたよ。自分専用の一人部屋があることも嬉しかったですし」
いつも妹や姉と一緒の部屋だったので狭くていつかこの家を出てやると意気込んでいたのが懐かしい。
「兄妹が多いの?」
「ええ、姉が一人に妹が一人、それに弟が一人と私含めて四人兄妹でしたからね。私よりちっこいのご二人もいるんで煩かったです」
「賑やかそうで羨ましいわ、お姉ちゃんは大変そうね」
淹れた紅茶をふーふーっと冷ましてこくりと一口飲み息をつく。
「イタズラばっかされてたんで大変でした。そのイタズラに姉も参加してたのを知った時、姉のお尻を思いっきり引っぱたきましたね」
「ふふっ、可愛らしいお姉さんじゃない。今度合わせてちょうだいな」
「そうですね、もう郷里に帰る時期にもなりましたし姉も帰ってそうですね」
「あら、ガネットは帰っちゃうの? それなら私も一緒にお邪魔してもいいかしら?」
実家に連れていくほど私とノアールさんは仲がいいのだろうか。ただの客と商人の関係だけで収まる距離感を保ってきたので友人、とはまた違うのでは。
「えっと……」
「親しい人を招くのは普通のことよ?」
「ノアールさんと私は友達、ですかね」
違うの? と言われて私は安心した。ならいいのだ。私が一方的に友人だとか思っていたら赤っ恥をかく。長らく親しい人間が出来なかったせいで少々人間不信気味になっているのかもしれない。
「じゃあ……一緒に、ってノアールさんはそんな暇あるんですか? 私はお客さんガラガラの店を閉じても問題ありませんけど。パーティーの人は困るんじゃ」
「なら明日パーティーを離脱するわ!」
先程までパーティーの心配をしていた人物の発言では無いな。
「まあ早ければ早いほど良いと思いますけど。次のお仕事はどうするんですか。お金も、って貯金はあるんでしたっけ」
「あるにはあるけど早めに新しいのを探すわ……と言いたいところだけれども稼ぎの良い仕事ってやっぱり迷宮探索くらいなのよね」
そうなのだ。普通の遺物でも国営の遺物管理所に持っていけばお金になる。そして特級遺物をとなれば一攫千金。1,2年は働かずとも困ることは無いくらいに懐が暖かくなるのだ。
「リターンが大きいですよね」
「でも危険な仕事はしたくないのよ。私、結婚したいもの」
「もう結婚のことまで考えてるんですか……-」
「相手がその気になってくれない間はのんびりしてもいいかもしれないわね」
弱気だなと思う。そんな時こそ友人だとして背中を押してあげるのは大切だ。
「その気にさせちゃえばこっちの物ですよ。花嫁修業でもしたらどうですかね?在り来りですけど料理とか。ノアールさんって料理出来るんですか?」
「ちょっとだけなら出来るわ。でも相手方の方が美味しものを作ってくれたのよ」
料理をご馳走になっている、という事は家に招き入れてもらっているのだろう。意外にも進展してそうだがもしやその人はノアールさんのことを友人としてしか見ていないのかもしれない。
「うぅん……じゃあ、その、お、押し倒しちゃえばいいんじゃ……ないですかね。ノアールさんは中々に良いボディーをお持ちですし」
卑怯ではあるが相手を最も早く意識させるにはうってつけの方法だ。
「大胆ね。それこそ惚れ薬でも無いと出来ないわ」
「そういえば今日のしかかって来ましたよね。薬の効果って凄いんですね」
好意を抱いていない相手にでもあんなにメロメロにさせることが出来るのであればみんなこぞって使うだろう。もしかしてあの薬は相当危険な代物じゃないだろうかと今更になって青くなる。
「そうね、私もあんな風にはなるとは思わなかったわ。今の私と全然違うわよね」
「そりゃまあ」
覚えてるとは思っていたがいざ本人から話が出されると途端に目が合わせられなくなる。
「やっぱりあそこまで奔放なれないと無理だわ。今日ガネットに甘えたみたいにすれば落ちてくれる保証があれば……」
「うーん、今度は相手の人に飲ませてみたら如何ですか?」
まあ、あんな薬が簡単に仕入れることが出来るとは思えないが。
「んー、それはそれで魅力的なのだけど……でもお薬はもういらないわ」
「どうしてです? 」
「卑怯だもの」
卑怯か、誠実な人だな。だがその誠実さが裏目に出てしまうこともあるのだ。
「でもノアールさん告白出来るんですか? どちらにせよ告白しないと始まりませんよ。他の人に靡かれたら泣くのはノアールさんです」
「そうよねいつまでもウジウジ言っていると他の人に取られるかもしれないわよね」
ノアールさんが落とせないなら他の人が落とせるとは思わないが。
「今から告白するわ」
「い、今から? もう夜遅いんで明日にしたらどうですか? 確かに勢いは大切ですけど突然夜中に告白されても」
「いいえ、言うわ。好きよガネット。一目見た時から好き」
「…………はい?」
対面に座っているノアールさんは震えた声で言った。嫌に、真剣味を帯びた顔だ。
「えーっと……告白の予行練習ですか?」
そうであろう。一体何の冗談で私に告白をすると言うのだ。冗談だ、そうじゃないと困る。友人の私に告白するのは違うだろう。
「ふざけて告白なんてしないわ」
多分……まだ薬の効果が続いているのだろう。私は席を立ち上がり処方された薬を壁にかけてあるポーチに手を伸ばす。
「惚れ薬が残っていますから大人しくしててください。えーっと、鎮静剤は……あった」
後ろを振り向けば座っていたはずのノアールさんは背後に回っていた。
「何をしてっ」
「一生切れない惚れ薬を飲んでしまったかもね」
腕を捕まれ袋から出した鎮静剤は床へ落ちる。
「恋も呪いも大した差は無いのよ」
綺麗な人の顔が近くにある。思考が鈍る。
そして引っ張られ私はノアールさんに抱き寄せられ口を塞がれた。
「ん……!?」
状況を把握するのに数秒かかった。これは接吻、ちゅー、キスだ。ちぅっと吸い付き逃げようとしても身体に力が入らない。
それだけでは飽き足らず、舌をねじ込まれ喉奥に何かを押し込まれる。
こんなこと人生で一度も無かった。
ぬめりとした独立した生き物の様な舌が縦横無尽に暴れまわる。苦しい。脳みそが溶ける。
「んんッ!!」
息が続かなくて私は彼女を突き放した。
「んぐっ……はぁはぁ……人の唇をいきなり奪うとか……はぁはぁ…信じられませんよ……後何を飲ませたんですか」
「今朝、私が飲み込んだ時に口の中で結晶化させた惚れ薬、じゃなくて性欲を高める強めの呪いを籠めた薬よ。おかげでガネットが部屋から出た後ベッドで発散してしまったわ」
じゃあなんだ、店にあったあの薬はノアールさんが仕掛けたってことなのか。というか、人のベットで何をしているんだ。痴女か。
「な、何を! 人が心配して態々運んであげたのに何してるんですか! もう! しんじられませ……んあっ!」
抱き寄せられた状態で太ももへと手が伸ばされ肌と肌が触れ合った瞬間身体の外側から内側へピリピリとしびれるような感覚が巡った。
「速効性の薬だからもう触っただけで感じちゃったのね。かわいい。あなたのアドバイス通りにまずは押し倒すのだっけ?……それから色々と教えてあげる。だから寝室に行きましょ? 」
「ぅあっ」
ふわりと身体を横に倒され天井が視界に収まる。
足腰に力が入らずお姫様抱っこされた私は寝室へと運ばれた。
ボーッとした頭で考えたのは周りが住宅街じゃなくて良かったということだけだ。
「くしゅんっ!」
何時だろうか。身体が重くて動かない上に少し寒い。昨夜の記憶はモヤがかかったように思い出せないけどやたら叫んでいた気がする。
「あ”ー……枯れてる」
水を飲もうとベットから出ようとした時、隣で暖かくて柔らかい人肌のようなものがモゾりと動いた。中からは金色のサラサラとした髪が覗いてる。
「……あぁ、どうしよう」
裸でベッドに二人、何をやってしまったのか大体想像が着く。初めてだったのにまさかノアールさんと……思い出しそうなので頭を振る。
するともぞもぞと布団を被っていたノアールさんが顔を出した。
「ふあぁ……おはようガネット」
散々寝たくせにまだ眠そうだ。
「……おはようございますノアールさん。って、ちょっと布団から出ないでください! お、おお互い裸なんですから服着ないと! 」
「んんー……何を今さら恥ずかしがってるの? 昨日あんなに懇願してき……」
「し、知らないです! と言うかノアールさんは羞恥心が無いんですか!?」
「あるわよ? けど好きな人の前だとそれもスパイスになるわ」
「惚れ薬切れてないんじゃないですか……」
こんなに変態だったかな。昨日店に来た彼女とは別人だ。
「惚れ薬じゃなくて性欲増強剤よ。それに何度も言わせないで頂戴。私はガネットが好きなの。あー好き好きほんっとうに大好き!薬なんて関係なしにね!」
起き抜けで歯が浮きそうなくらい好きと言われると耳を塞ぎたくなる。
「分かりましたから、ただ仮に好きだとしても理由がわからないんですよ。こんな寂れた店の貧乏店主の何処が良いんですか」
「何よ仮にって」と呟きながら私の胸に蹲った。直接肌に髪が当たってくすぐったい。
「んー……最初は興味本位でこのお店に来た時、退屈そうにしてる貴方を見つけてお話でもしようかなって思ったの」
「私は珍しく若い女性が来たなと思いまし、あっ、こら!やめないか!」
何処とは言わないが先端を摘まれたので頭を引っぱたいた。痛そうにしているがこちらもビックリするから自業自得だ。
「痛たた……続けるわね、ただ話をしに来るだけなのに蔑ろにしないで私の話聞いてくれるじゃない? ちょっと無愛想だけど」
「無愛想は余計ですよ」
「でね、遺物の話になると一生懸命色々とお話してくれるところとかが何だか素敵だなあと思ったのよ。それに可愛かったわ」
「まあ、商売ですしお客さんが興味持ってくれたら買ってもらえるかも、なんて期待もあるんですよ、しかも私のお店は火の車、必死ですよ。それで?」
その後に決定打になるような事があるのだろう。でなきゃ同性に惚れ込んなんて有り得ない。
「それだけよ」
「はい? そんなわけないじゃないですか」
「そんなわけないじゃないですかって何よ。まるで私がおかしいみたいじゃない」
「おかしいから否定してるんです。大体人を好きになるにはもっと過程があるはずです」
「過程ねぇ、じゃあガネットは恋したことある?」
恋愛する程に人脈が無かったし、地元にいる同じ歳の異性を見ても特にそういった感情を抱いたことは無かった。
「こ、恋ぐらいしたことありますよ」
「見栄っ張りさんね」
嘘をついた小さな子供を見るような、そんな生暖かい目だ。
「ど、どういう」
「ガネットはわかりやすいのよ。嘘をついてるときはお顔が険しくなるの」
「なっ……」
私は眉間に手を当てる。当たり前だがシワはよっていない。するとノアールさんは笑いだした。
「かまかけたのだけどその反応は嘘ってことね?」
まんまと騙された。普段の私ならこんな幼稚な引っ掛けにかからないのに。きっとまだ薬が残っているんだろう。
「嘘を言うほど私のことが嫌いなの?」
「そ、そんなこと……無いですよ」
何故私は否定したのだ。昨日までは友人だった彼女に、だったではない、友人だ。断じて夜だけのお友達ではない。その友人である彼女に何だかモヤッとした感情が湧き上がっている。
「じゃあ好き?」
好き。好きってなんだろう。この感情が好きってことなら一夜を共にしただけで誰でも好きになる尻軽女だ。そんなの不健全だ。恋愛とはそう単純であってはいけない。父や母はもっとロマンティックな出会いをして告白するまで長い間お互いを想いあっていたという。だから私は彼女に言う。
「……好き、じゃないかもしれません」
「そうよね、好きよね…………て、あれ? 嘘でしょ? もしかして私、今失恋したのかしら? えぇ? あれぇ?」
この感情が何だかわからない。けど今までに感じたことがない不思議な感覚。決して嫌な感覚では無い。
「恋……」
「こい?」
疑問符を頭に浮かべてボケっとしている彼女に言った。
「なんでしょう」
「うーん?」
彼女は更に疑問符を増やし首をひん曲げている。
「独り言です。それより早く服着てくださいよ。私の故郷に来るんですよね? なら支度をしないと」
「え? 今日?」
ベッドの上でくしゃくしゃになったシャツの袖に腕を通せば元の日常だ。
「あ、馬車取るお金が無いです……」
「私の箒に乗る?」
何度か箒には乗ったことはあるがノアールさんの腕を信じていいものか。魔法を忘れる魔法使いだ。正直ちょっと怖い。
ものすごいスピードで進む箒は箒を使った競走選手に引けを取らないほどの速さだった。その御蔭で普段商業都市から馬車で半日程なのだが、たった一時間で着いたのは素直に感心する。
「ガネットの実家って料理屋さんだったのね」
母と父が経営しているこの店は地元の人からは評判でそこそこ繁盛している。
「まあ小さいですけどね。お母さんただいまー」
店の裏口から入るとリビングに繋がる。
昼が終わったくらいなので店内には人がぽつぽつとしかいない。お客さんを捌き終わったのだろう。
「ガネット? あんた帰ってくるの早いよ」
実家に帰ってきて第一声がこれだ。リビングから見える調理場ではフライパンをせっせと振るってる母は汗を拭って見向きもしない。
「みんないないの?」
「アンタ一月位帰ってくるのが早いんだよ。ナーシャもセインもまだ帰ってきてないよ!」
どうやらまだ帰ってくる時期じゃなかったようで姉と弟は居ないみたいだ。
「寂しんぼさんね」
ノアールさんはニマニマとニヤけている。
「ち、違います。今年はお店が忙しくなるんで……」
「ふーん? 店主さんは忙しい日もあるのね?」
「いじわるですよ……」
「お待ちどうさまです!」席に着いているお客さんに料理をだし終わった後、母は私たちのいるリビングへと来る。
「でそちらの綺麗な人は誰なんだい?」
「私、ノアール・フレイガスと申します。ガネットさんのこいび」
「親友! 親友なの! もうすっごい気があってね」
焦って余所行きとは違うハイトーンでしゃべってしまい、ノアールさんはくすくすと笑っていた。
「おおガネットにやっと地元の人間以外を友達に出来たのか?」
どこへ行っていたのやらお店に帰ってきた父がひょっこりと出てくる。それにしても酷い父親だ。まるで私が人見知りのようだと言わんばかりだ。友達くらい作ろうと思えば作れた、ただ機会と必要性が無かっただけで作らなかったに過ぎない。
「べ、別に前からいたもん」
「あら、そうなの? でもいつも1人って」
揃いも揃ってこの人達は余計な事を言う。
「あんたが親友だなんて言葉を発したの初めて聞いたわよ。この子あんまり人と馴れ合わない子だから良くしてやってねノアールちゃん」
「ぜひ、なんなら親友以上に大切にしますよ」
「良い友達が出来たねぇ」
母よ、良い友達は人に性欲増強剤を飲ませて襲ったりはしないんだよ。言ってやりたいが言えば白目を向かれ、余計なことを言われそうだ。そんな話をしていると裏口から走ってくる音が聞こえてくる。私達が飛んでいるのを見て外から帰ってきたのだろう。恐らく妹だ。
「わぁ!やっぱりガア姉だ! お帰り! さっき箒で来たのガァ姉でしょ? 珍しく帰ってくるの早いね!」
「うっ……」
妹のカリンが駆け寄ってきた。うちの家族はデリカシーを犠牲に積極性でも手に入れたんだろうか。
「おねーさんはだぁれ?」
私とは違いショートボブの快活な子で人見知りもしない出来た妹だ。
「あら、この子が妹さん?」
「はい。妹のカリンですよ年は……あれ、何歳だっけ」
「10歳!」
「元気な子ねぇ。私はノアールよ、君のお姉ちゃんの特別なお友達かな」
「特別? 親友ってこと?」
「ちょっと違うかも、特別な友達って言うのは一夜を」
「ちょっと! 妹に変なこと吹き込むのやめてください」
「変な事? 友達の在り方を教えようと思っただけなのに」
「お姉ちゃん喧嘩は良くないよ? 仲悪いの?」
「そんな事ないよ。私は君のお姉ちゃんのこと大好きだからね」
「そうなの? でも私の方が好きだよ」
「いいえ? 私の方が好きよ?」
「私はもっと前からもっと好きだもん!」
しょうもない論争が始まったので私は珍しく進んで店の手伝いをした。
実家の店は夜になるとバーになり店番は父になるので、手の空いている母が自慢の料理を存分に奮ってくれた。一年ぶりに食べた母の作る料理の味は良い意味で変わっておらず故郷に帰ってきた事を何度も実感させられていた。団欒の中で毎年思ってはいるが他の兄妹と違って素直に声を出して言えないがやっぱり美味しい。私よりも多めに取り分けていたはずのノアールさんはいち早く食べ終わっていた。ノアールさんはニコニコしながら母と会話している。打ち解けるのが早いのはやはり彼女の人柄によるもので食事中である私ではなく母と楽しそうに会話しているのは少しもやもやする。
「ご馳走様でした。こんな美味しい料理久々でしたのでついつい頬張ってしまいましたわ。ありがとうございますお義母様」
「はははは! 口が上手いね。褒めてもらえると舞い上がってしまうよ。なんなら毎日振舞ってあげるたくなるわ」
何か母を呼ぶ呼び方に違和感を感じたが気のせいだろう。
「それはもう家族じゃないですか。あははは」
「ノアお姉ちゃんが本当にお姉ちゃんになれないの?」
「カリンも随分ノアールちゃんのこと気に入ったんだね。 じゃあ今日から家族になる? お婿さんとして」
流れが不穏だ。スープを啜りながらジトッとノアールさんを窺うと目がバチッと合う。そして意味深に目を細めた。
「あらあら、出来ればガネッ」
「ご馳走様! ノアールさんお風呂入ろ!」
私は立ち上がってノアールさんを引っ張った。これ以上ややこしくされると母がお酒を入れて調子に乗り始めるので早めに退散するとする。
「じゃあ一緒に」
「入りませんよ!」
「私も入る!」
「ははは、仲がいいね」
お風呂でも騒がしかった。先に入ってと言ったのだが一番風呂は私にと譲られ湯船に浸かっているとノアールさんが妹を連れて突撃してきたので追い返そうにも出来なかった。仕方なく狭いバスタブに三人ぎゅうぎゅうで入ることになり気が休まるはずもない。
「はぁ、疲れを取るために入ったのに何故疲労が溜まるんですかね」
私の話を聞かず妹ときゃっきゃっしているノアールさんはまだまだ元気そうで自分の方が歳を食ってる気がする。
「お母さん、空いてる部屋ってある?」
「生憎客人をもてなす為の部屋は無くてね。あんたが前に使ってた部屋で寝な」
私が昔使っていた部屋で寝ることになった。姉と2人で使っていた部屋で昔と変わりない。
「わたしもガァ姉と寝るー!」
「おいで」
「二人きりになれると思ったのにー」
「良い抑止力ですよ」
照明を落としてベットに潜る。するりと私の隣にデカい女が入ってきた。
「せま」
私の右にノアールさん、左妹とまたもやぎゅうぎゅうだ。
「なんでこっちに来るんですか。ノアールさんは隣のベッドに行ってくださいよ」
「嫌よ、あなたの体温じゃないと寝れないわ」
「面倒な……」
「ガァ姉あったかいもんねー!」
「はいはい、じゃあ早く寝なさいね」
「嫌だもん! いっぱい話すからまだ寝なーい!」
「じゃあ私も参加するわよカリンちゃん」
カリンはお花屋さんになりたいらしくずっと花の話をしていた。植物収集癖があると思っていたがそこまでだとは思ってもいなかった。今度次第に喋り疲れ今度はノアールさんの小話が始まる。彼女の迷宮探索での話は面白かった。特に彼女の武勇伝は滑稽な物で面白おかしく笑い声を押し殺すのに苦労した。
久々に私と寝れて嬉しいのかいつまでもお喋りをしそうだと思ったがパタリと止んだ。
次第にすーすーと妹から寝息がし始めたのでまだ眠ってないであろうノアールさんを立つように促す。
「隣のベッドに移りますので退いてください」
「じゃあ私も」
「あのですねえ」
「しー、言い争ってたら起きちゃうわよ。折角幸せそうに眠ってるのに」
仕方なく二人で隣のベッドに移り一緒に寝る。流石に向き合って寝るのもおかしいと思い、私はノアールさんに背を向けて横になった。
「ねぇ、ハグしていい?」
か細く聞こえた声は遠慮がちだ。昨日あんなに無理やりした癖にらしくない。
「……それ以上しないなら良いですよ」
やった! と嬉しそうに後ろを向いてる私を抱きしめ私の手を取られる。こんな風に子供みたいに甘えるくせに少し骨張った手は大人の手だ。最初に会った時はしっかり者の頼れそうなお姉さんだと思っていたのに、触れていると変わるものだ。暫くしてそろそろ眠くなってきたと感じた時、背中越しにノアールさんが呟いた。
「勢いで貴方を襲ってしまったのは反省してるわ」
反省か。あれが彼女なりの愛の伝え方なのだろうか。器用なようで不器用だ。回りくどい割に拙いやり口で私を落とそうとして失敗したわけでやはり残念な人だと思う。
「今度やったら許さないですよ」
「……うん」
年上の癖に情けないものだ。大きな妹が出来たみたいで、でも後ろから抱きしめられるのは悪くない。私の言いつけを無視して好き勝手やられる覚悟はしてたけど欲望を抑えて必死に我慢してるのだろうか。それはそれで面白いのでちょっと煽ってみたくなるけど怒られそうだ。恋とは一緒にいたい気持ちが溢れ出て触れたくて仕方ないのだろうか。
「恋ってどんな感じ?」
午後、店の手伝いをしている時に父に聞いた。
「恋? 恋なぁ……その人の事をずっと考えて周りが見えてない感じかな。若い頃父さんも母さんに夢中だったから家業なんてほったらかして毎日会いに行ってたよ」
「それだけで満足だったの?」
「いいや、会えば会うほど胸が苦しくなってね。でも父さんは度胸がなかったから告白なんてとても出来やしなかったんだ。そしたら母さんがさ痺れを切らして、告白するならさっさとせんか! なんて怒鳴られて仰天したよ」
母っぽいなと思う。
「お父さんはビビリだったんだね」
「ははっ。まあ、あのまま自然消滅してたかもしれんしな。母さんに救われたさ。しかし珍しいなこんな話しを聞きたいなんて」
「一年経てば珍しいことの一つや二つ出るよ」
「そうか。頑張れよ」
父の話しを聞いても結局恋とは何なのかわからなかった。けどこうして一緒に寝て触れられてるのが心地よいと思う気持ちは恋になるのかな。確かめる為にノアールさんと恋人になる。
変な感じだ。
ただの店員と客であったはずなのに体を交え、今も隣で寝ているのに恋人じゃないなんて。
その違和感を正すにはたった一言で良い。
「お付き合い、考えておきますよ」
寝惚けてつい言ってしまったのかな。けど何か彼女に仕込まれたわけでもなくこれは私の本心だって気付く。
「寝ちゃいましたかね」
聞こえていなかったならそれでも良い。こんなの寝言だ。まだ成熟しきっていない彼女への想い。けどこうやって二人で寝ているのも悪くは無い。隣で寝息を立てている彼女の顔が見えないのはもどかしい。
出来れば彼女の想いが冷める前に。
明日にでも。
重ねた手はしっかりと握り返してくれた。
「もう帰るのかい?」
私達は朝食を食べた後家から出る準備をしていた。妹には内緒だ。駄々を捏ねられると家から出してもらえなさそうだからだ。
「来年また来るよ」
荷造りという程滞在していないので直ぐに終わり玄関へと向かう。
「じゃあ今度は時期を間違えないことだね」
「……」
母と話すと突っつかれるので黙って玄関の扉を開けた。
「ノアールちゃんもまたおいでね!」
「はい! お世話様です。また機会があればぜひ!」
私達は玄関口に立ち眩しい太陽に目を眩ませた。ここのところ偏照りで今日も迷惑な程の快晴になり絶好の外出日和だと巣に籠もっていた鳥達が空を自由気ままに飛び回っている。
「なんで急に帰るなんて言い出したの? 一日しかここに泊まってないのに早過ぎない?」
早すぎる。彼女の言う通りだ。
「ここにノアールさんを置いておくと余計なことを言って家族を困惑させそうですから」
「えぇ? そんなの別に……」
もちろんノアールさんが余計な事を言うのも理由の一つではあるが、そんなのは些細なことで。ただいつまでもノアールさんとの関係をなあなぁで引き伸ばしていては、いずれ自然消滅してしまうかもしれない。柄にもなく脆い関係に怯えてしまってるのかもしれない。だからって昨日の今日で告白をするなんてちょっと性急すぎるかなとは思う。でも気が変わる前に言わなきゃ後悔しそうだ。
「しばらく泊まろうと思ってたのに残念ね」
しかし随分と高級そうな収納宝石を片手にブツブツと文句を言っているが何泊するつもりだったんだろうか。結構な量の荷物が入ると思うが。まあでも丁度いい。これから荷物と思い出を増やすつもりなんだ。
「ならこのまま旅にでも行きませんか? 例えばアマラスティアとか」
そう言うとキョトンとした顔をされる。
「あら、もしかして覚えててくれたの?」
「さぁ? ただ私が行きたいだけかもしれないです」
旅をしよう。アマラスティアは中々に綺麗な街並みでロマンチックな場所が多い。
「つれないわね」
ぶすっとした表情になる。
「はいはい、行きますよノアール」
つまらない顔をしてるのでちょっぴりサービスするとすぐ顔を綻ばせるのが面白い。本当に愛らしい人だ。
「ノアールね。ノアール、んふふ、よろしい。なら私の箒で…………あ、この箒ダメかもしれないわ」
「はい?」
杖で出した箒に魔力を注いでるようだが地面に倒れたまま浮かぶ様子はない。
「昨日魔力を過剰供給したせいで動かないの。スピードを限界まで上げたのが要因ね。あぶないあぶない……」
要するにあの猛スピード状態での飛行は下手すれば途中で壊れて箒諸共落ちていたかもしれないという事だ。
「アホなんですか!? 落ちたら私たちお星様になってましたよ!」
「それもまた一興ね」
「適当なことを……それよりどうします。このままじゃアマラスティアなんて行けないですよね」
「さぁ? でも何とかなるわよ。取り敢えずここの付近にある迷宮潜ってきて良いかしら? そんなに危険性はないからガネットも行きましょ? 綺麗な水晶があるらしいのよ。ぜひ見たいわ」
「はぁぁぁ……」
告白までは長そうだ。
商品棚にはご用心 ぐいんだー @shikioriori
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