義翼

ヒロシマン

第1話

 青年が目覚めるとそこはビルの外階段の踊り場だった。

 青年は、かっぽう着のような、前から袖に腕を通すような服を着て、袴をはいていた。


 辺りを見渡すとそこには、町工場に併設されたビルで、その側には幅の広い河が流れている。


 外階段の下を通行人が歩いているのが見えたので、青年が呼び止めた。

「ねぇ、ちょっと。君も翼がとれたの?義翼をつけに行くの?」

 通行人は青年の方を見上げながら、首をかしげ、なにも言わず無視するように去っていった。それと同時に怒鳴り声が下から聞こえた。

「こらぁ、お前は誰だ。そこを動くな」

 そう言って、作業服を着た白髪まじりの小太りの男性が、ホウキとチリトリを持って階段を上がって来た。


 男性が、息を切らしながら上がると、言われたとおりじっとしている青年がいた。

 二人はしばらく、お互いの姿を見ていた。そして、男性の方が先に口を開いた。

「お前、どっかの祭りで酒でも飲んで、酔っ払ってここで寝てたのか?」

 青年は、少しおどおどしながら答えた。

「い、いえ違います」

 男性は不審な顔をさらに疑い深そうにして聞いた。

「その服は祭りの衣装かなんかだろう?」

 青年は、自分の服に目をやった。

「いえ、違います。この服は普段着です」

 男性は、考え込むように黙った。それで、青年の方が聞いた。

「あなたも翼がとれたんですか?」

 男性は、驚いたように答えた。

「翼なんかあるわけないだろ」

 青年は、反論するように言った。

「そんなことないでしょ。翼がなければ生活できないでしょ」

 男性は、少し笑みをこぼして言った。

「何言ってんだお前。やっぱり酔ってるんだろ。もういいから下りろ」

 青年は、不安そうな顔をした。

「下りるって、これ何?」

 階段を下りかけた男性は、青年の方を振り返って言った。

「これって、階段に決まってるだろ。変な奴だな」

 青年は、初めて見るように階段を触った。

「これは階段と言うのか。歩いて下りれるんだ」

 男性は、この青年に興味がわいてきた。

「お前、名前はなんて言うんだ?」

 青年は、恐る恐る階段を下りながら答えた。

「飛鳥キトラです」

 男性も自分の名を名乗った。

「私は佐奇森作造。ここの会社の社長だ。翼翼ってしきりに言ってるけど、お前には翼があったのか?」

 キトラは、まじめな顔をして言った。

「もちろんです。空を飛んでたら、翼がとれて、気づいたらここにいたんです」

 佐奇森社長は、キトラが階段を下りるのを待って言った。

「キトラ君だったね。ちょっと後ろ向いて見せてくれ」

 キトラは、言われるまま後ろを向いた。すると、背中が丸出しで、翼がついていたような痕跡があった。しかし、ケガをしているような痛々しさはなく、スポッと外れたような跡だった。

 佐奇森社長は、少し考えながら言った。

「君は、宇宙人か未来人じゃないだろうね?もしそうだとしたら、なんで日本語をしゃべってるんだろう?」

 キトラは、首をかしげながら言った。

「日本語?今しゃべってるのは日本語。言葉は一つでしょ。他にもあるみたいなこと言って」

 佐奇森社長は、少し笑いながら言った。

「他にもあるよ。英語にフランス語、イタリア語、沢山あるよ。君のいた世界にはないのか?」


 とりあえず、二人は社長室で話をすることにした。そして徐々にキトラのことが分かってきた。

「ようするに君のいた世界は、すべての人に翼があり、高い塔の立ち並ぶビル街のような所で生活していたんだね。・・・それってバベルの塔のことかな」

 佐奇森社長が考え込むと、キトラが言った。

「塔に名前はなく、番号で区別していました。僕のいたのは2013番です」

 佐奇森社長が聞いた。

「なるほど、それでその塔には階段がなく、皆、飛んで部屋に入ってたんだ。だったら君のように翼がとれたらどうなるんだ?一番下の階に住んでいたのか?」

 キトラが答えた。

「一番下の階も高いから住むのは無理です。もともと、塔に住むようになったのは、過去に大洪水があって、ほとんどすべての生き物が死んだからだそうです。義翼がなかった時は、皆死んだと聞いてますが、ひょっとしたらどこかで生きてて、それが佐奇森社長のような地上を歩く人になって生活してたのかもしれません。そうだとすると僕は過去の世界にいて、今、未来の世界に来てることになりますね」

 佐奇森社長が興味深そうに聞いた。

「その義翼だけど、義手とか義足のようなものかね?やっぱり、それをつけると空を飛べるようになるのかい?」

 キトラはうなづいて言った。

「はい。もちろん。少し慣れるまでに時間はかかりますけど」

 佐奇森社長が悩むように言った。

「作るのはそうとう難しいんだろうね。私たちも人力で飛ぶような仕組みを考えたが、結局、人力飛行機が出来たぐらいだ。そういえば、ロサンゼルスオリンピックでロケットマンっていたなぁ。でも長時間は飛べなかった。今はドローンや空飛ぶタクシーが開発されているが、大掛かりなものになってしまう」

 キトラが平然と答えた。

「義翼はそんなに難しくありませんよ。材料さえあれば、僕でも作れます」

 佐奇森社長が驚いた顔をして、腕を翼のようにばたつかせて言った。

「本当かい?」

 キトラが笑いながら答えた。

「そうじゃありませんよ。こうです」

 そう言ってキトラは、水泳の準備体操のように手首をブラブラさせて翼を羽ばたかせるようにしてみせた。

「佐奇森社長のように腕を動かすと疲れるでしょ。これだといつまでたっても疲れません。この原理を応用したのが義翼です」

 佐奇森社長は、あっけにとられたように見ていた。

「へぇぇぇ」

 そして、同じように手首をブラブラさせてみた。


 佐奇森社長は、キトラを工場に案内した。その工場には誰もいない。

「今日は土曜日で休みなんだ。皆、今日明日は休んでいるから誰もこない。というか、もう少しすればこの会社は閉鎖になるかもしれない」

 キトラは、佐奇森社長が肩を落としたのを見て聞いた。

「なぜです?」

 佐奇森社長は、作りかけの部品を触りながら答えた。

「この会社は、自動車という地面を走る乗り物を動かすエンジンの部品を作ってるんだが、これからは電気自動車の時代になって、エンジンが必要なくなるんだ。だから、この会社も新しい仕事を見つけないと閉鎖することになるんだ」

 キトラは、同情するようにうなだれて聞いていた。

「もし、キトラ君の言う義翼が作れるようになれば、この会社は生き残れるかもしれない。キトラ君、助けてくれないか?」

 佐奇森社長は、拝むようにキトラの手を握って言った。

 キトラは、少し考えて言った。

「分かりました。やってみましょう。僕も義翼が必要だし」


 こうして二人にとって、元の世界に戻るためと社運を賭けた闘いが始まった。

 キトラは佐奇森社長の家に泊まり、他の社員には秘密で、土日を利用して義翼の開発に取り組んだ。

 二人はまるで親子のように意気投合していった。


 仕事がひと段落して、一息ついていた佐奇森社長とキトラの雑談が盛り上がっていた。

「社長、そうじゃありませんよ。まず、地上に最初に進出した生き物は、昆虫です。その次にその昆虫を捕食する海中の生き物が鳥に進化して進出したんです。その後、地上で色々な生物が進化をして、その中で僕たちが鳥を捕食するために進化したんですよ」

 佐奇森社長が疑問を投げかけた。

「私たちは、鳥は恐竜が進化したと思っているけど、違うのかい?」

 キトラが残念そうに答えた。

「そんなことあるわけないじゃないですか。社長はハチドリって知ってます?」

 佐奇森社長はうなづいた。

「ハチドリも恐竜が進化したと思いますか?ありえないでしょ。まず色々な鳥がいて、その中の大型の鳥が地上で生活するようになったのが二本足で歩く恐竜になったんですよ。僕たちは、その恐竜を食料にするために大型化させていったんです」

 佐奇森社長にまた疑問がわいた。

「だったら恐竜の絶滅は?やっぱり隕石の落下かい」

 キトラがあきれたように言った。

「そうじゃありません。恐竜が絶滅したのは伝染病です。私たちが恐竜を巨大化させたのは、食料不足にならないためだったんですけど、数を増やさなかったんです。そしたら、伝染病に一気に感染して、絶滅したんです。だから、生き物を巨大化させるのをやめて、数を増やすことを始めたんです」

 佐奇森社長が聞いた。

「氷河期があっただろう。君たちはどうやって生き残ったんだね?」

 キトラは首をかしげて言った。

「氷河期?そんなのありませんよ。僕たちの住んでいた場所は火山地帯だから、寒くはなりませんよ。それに、僕たちは火も使えますから、他の動物たちも助けて、生活していましたよ」

 こうした雑談を夜遅くまでしていた。


 やがて義翼の試作品が完成した。

 まず、50キロの重りを付けて動かしてみた。

 義翼は、ゆっくりと動き出し、次第に羽ばたきを強くして、重りを持ち上げた。

 二人に笑みがこぼれた。

 その後、調整と改良が繰り返され、量産できる義翼が完成した。


 キトラは、完成した義翼を身に着け、空を見上げた。そして、側にいた佐奇森社長に言った。

「僕は身体障害者になりましたが、社長のおかげで、飛び立つことができます」

 佐奇森社長が言った。

「君は身体障害者じゃないよ。私たちは生まれた時から翼がない。私たちと同じじゃないか」

 キトラが質問した。

「だったら、生まれた時に手がなかったり、目が見えなかったら身体障害者じゃないんですか?」

 佐奇森社長は、困ったように答えた。

「そりゃ確かに、そういう人たちは身体障害者だよ。だけど翼は・・・」

 キトラが遮るように言った。

「同じですよ。僕も社長も翼がなければ身体障害者なんですよ。だから、補わなければいけないんです。自分だけが自由に生きられる世界にしちゃいけない。そうでしょ」

 佐奇森社長は、深くうなづいた。

「ああ、そうだね。私も身体障害者なんだ。そうか、たしかに義手や義足や義翼は身体障害者には必要なものだが、そんなものがなくても生活できるようにすることで、梯子や階段やエレベータなどが発明され、イノベーションが起きる。すべての人が身体障害者だという発想が必要なんだね」

 キトラは、義翼を羽ばたかせながら言った。

「僕がもし、元の世界に戻れたら、塔に梯子や階段をつけるつもりです。社長に教わったエスカレーターやエレベータも作りたいと思います」

 佐奇森社長が言った。

「私も身体障害者がそのままの姿で自由に生活できる世界にしてみせるよ」

 キトラは、ゆっくりと地上を離れた。

「それじゃ社長。お元気で」

 佐奇森社長は、手を挙げて言った。

「君もな。元気で」


 キトラは、飛び立つと光の玉となって一瞬にどこかへ行ってしまった。

 佐奇森社長は、いつまでも空を見上げていた。


 終わり

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