第5話

 翌朝、秘部の強烈な痛みで目を覚ました。意識が覚醒していくにつれ、他にも耳や首筋の痛みも自覚する。

 あれだけ強引に散らされてよく眠りに就けたものだと少し笑って――未だ私の胸に埋もれて眠る小津を見る。

(赤ちゃんみたいだったなぁ)

 どこか浮世離れしていた彼女が、行為をしている最中はその余裕をなくしてとにかく必死で。

 何度も何度も『お母さん』と呟きながら涙している姿を思い出した。

「……んっ……おはよう、恭子」

「おはよう」

 館内のざわめきを厭うように小津が目を覚まし、昨晩処女一人を強姦した人間したとは思えない笑みを浮かべる。

「ふわ~! ちょうどいい時間かな~。帰ろっか、恭子」

「うん」

 小さな小さな箱から出ると、その爽快感に驚きつつも、それ以上にぬくもりをなくした寂しさが大きかった。

 ロッカールームへ向かい身支度を整えフロントへ。

 そこは退館ラッシュとでも言うのだろうか、とにかく人、人、人でごった返していた。

「恭子、こっちこっち」

 その行列に並ぼうとした私の手を引いて、小津は靴の入っているロッカーまで移動して、何の気無しに、解錠をする。

「え? なんで、鍵は預けてたはずじゃ」

「あはは、あれはダミーだよ。刺さってた適当な鍵引っこ抜いて渡しただけ。重量感知とかの細工がないとできちゃうんだよねぇ。ほら、さっさと出よう? 混んでる今しかチャンスないよ」

 一切躊躇せずに靴を履いて邁進する小津と共に、閉まりかけたエレベーターに足を突っ込んで阻止して乗り込み、全ての料金を踏み倒して施設を後にした。

「ほんとはもっと他人に迷惑掛ける方法もあったんだ、誰か知らない人のロッカーキー使うとか。でもまぁ、今日は恭子っていう足手纏もいたし……あれで済ませてあげたんだよ」

 テーブルいっぱいに並べられたご飯も、丹念に行ってくれたマッサージも、見晴らしの良いサウナも心地いい温泉も、処女を散らしたカプセルホテルも、全て、支払うべき対価を支払わずに、逃げてきてしまった。

 彼女は平然とそれを犯して、そして私も――共犯者、なんだ。

「どうしたの恭子、顔色悪いよ」

 施設から完全に離れ、過労とは違う原因で暴れ回る心臓を押さえつけるために立ち止まると、小津は下から私を覗き込んだ。

「もう、やめる?」

 だが。全てを知りたいと言ったのは私だ。

 ここで彼女と道を違うのは、もう、ありえない。

 それに私は昨晩彼女が言った通り――

「ううん。大丈夫」

 ――もうとっくに、同情して絆されて、不気味な引力のせいで、離れられない。

「そっか。じゃああれだ、お昼ごはんでも食べに行こっか」


×


 温浴施設を出た後も、彼女と行なう姑息な犯罪は止まらない。

 牛丼屋で食い逃げをして、コンビニで万引きをして、タクシーを無賃乗車して。

 日が完全に暮れる頃、私達は二人で最初に訪れた場所――小津の家に帰ってきていた。

「ねっ、ヘアゴムも足の速さも必要だったでしょ」

 汗を拭うと――相も変わらず仮面のような笑顔を貼り付けたまま――太い縄を持ってそう語りかけた小津。

「今まで体験してきたのはね、全部父親に教えてもらったんだ。家見てわかるでしょ、凄い貧乏だって」

 何度も締めて輪を作ると、小津はそれを外側のドアノブに掛けた。

「親からもらった唯一のプレゼントそのヘアゴムだけだし。恭子には想像もできないよね」

 更に反対側にある端を自分の首に絡めると、執拗に固く結んでいく。

「でもさ、遂に風俗代ケチって私に手を出そうとしたもんだから……お母さんの復讐も兼ねて殺しちゃった。そしたらさ、なんかもう……わけわかんなくなっちゃって。もう一回殺したらなんかわかるかなーって」

 全ての準備を終わらせた小津は、ようやく仮面を外して、冷たい瞳を静かに閉じた。

「恭子も覚えておいてね。人間が一番簡単に死ねる方法だから」

 それは昨日と同じ、死へのアプローチ。散歩の休憩でもするように――湯船にでも浸かるように――小津の腰が音もなく落ちる。

「待って!」

「っ……もう、またぁ?」

 肩を抱いて窒息を阻むも、完全に脱力している体は酷く重く感じた。

「悪いことは全部一緒にしてきたでしょう? まだ……私だけしてない。私はまだ、小津を犯してない」

「……あーそっか。じゃあいいよ、はいどうぞ」

 恨むように、挑発するように、私を睨む小津。

「でも無理かな。私もう恭子のこと好きだから……和姦になっちゃうよ、あはは」

「……しない。私が犯せば小津が死ねるって言うなら、してあげない」

 どうすれば足に一切の力を入れようとしない彼女の邪魔をできる。解くのは無理だ。切断も――

「っ」

 ――手を伸ばして反対側に掛かっているだけの輪を外すことで、二度目の妨害に私は成功した。

「小津を苦しめた人間となんて、二度と会わせてあげない」

 生とか死とか未来とか過去とかそんなのは関係ない。こんな私を一瞬でも必要してくれた彼女が離れてしまうことに、魂を削られるような恐怖を覚えた。

「でももう……教えてあげられることなんてない。私はこれで全部。こんなんが、私の全部なんだよ」

「なら今度は私が教えてあげる。そんな小津に縋り付く惨めな存在を」

 既に冷たさも怨念も失っていた小津の瞳が、ゆっくりと泳いで私を捉えた。

「それでいつか私が呆れられて、嫌われて、疎まれたら、その時初めて犯してあげる」

 力ない彼女の指が、私に付けた痕をなぞる。

「私が出てくるまで、時間かかるよ?」

「ずっと待ってる」

「たった今約束を反故しておいてよく言うよ」

 小津はスマホを手に取り、一と、一と、零を入力し――

「次嘘ついたら、本気で道連れにするから」

 ――躊躇わずに発信した。

「うん。一緒について行くよ」

 恐怖も罪も消すことはできない。

 だから二人で背負って、二人で償っていこう。

「どこまでも、いつまでも」

 やがて昨日と同じ西日が部屋に差し込み、私達を咎めるように、憐れむように、橙色で包み込んだ。

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私が彼女を犯す時 燈外町 猶 @Toutoma

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