第4話
「あんなに格好付けてくれたんですから、今日はスパルタでいきますよ!」
「上等よ。でもスパルタになればなるほど、マッサージへの期待値が膨れ上がっていくことを忘れないでね」
「うぐっ……」
目を覚ました私達は、互いに両目を赤く腫らしていて、笑って、一緒に顔を洗って、パソコンに向き合った。
「それじゃあ張り切って行きましょう」
「はーい」
体が昔の感覚を思い出しつつあるのか、それとも慣れてきただけなのか、少なくとも昨日よりはペースがいい。目標の三万文字は見えている気がする。
「ねぇ」
「なんですか?」
十三時頃休憩となり、ミザンナは喉を、私は両手を休めながら昼食をとった。
「貴女、この小説を書き終えたら消えちゃうんじゃない?」
それは疑問のフリをした、確信の確認。
「さぁ、どうでしょう」
ミザンナは私のコンビニ弁当からメインである唐揚げを勝手に奪って頬張る。可愛すぎて注意などできない。
「とぼけないで。私にとっては死活問題なの」
「幽霊相手に死活を語りますか」
もし、もしも、ふとこの瞬間、私の心の準備が出来る前にミザンナが消えてしまえば、私は今後一生、穏やかな死など得られることはないだろう。
「……まぁ、確証はありませんが、そんな気は私もしますねぇ。おっとと」
飄々と返すミザンナが勝手にどこかへ行かないように、ささやかな抵抗として抱きしめた。私の方がずっと年上のはずなのに、ミザンナは幼子をあやすように頭を撫でてくれる。
「少なくとも、これを書いている今現在は消えたりしませんよ」
それはまるで挑発で、そしてオブラートに包まれた命令だった。
「わかったわよ。私が書き続ける限り一緒にいられるなら……限界なんて知らないわ」
「流石は江渡さん、私の可愛い恋人ですね」
それからはただひたすらに打鍵した。
疲労が痛みに変わり、痛みが無感覚に変わっても書き続けた。
最後に覚えているのは、地球を一周回って再びカーテンの隙間から差し込んできた太陽光。
「えーとーさんっ」
「っ……あれ、私……」
「はい。寝ちゃってました。私が死んだときと、全く同じ格好で」
どうやら机に向かったまま気絶していたらしい。
「こんな感じだったんですねぇ、私も」
ミザンナの口からは、もう物語は紡がれなかった。私の手指も、筋肉痛と痺れでピクリとも動かない。
「良い死に様です。でも……江渡さんには似合ってません」
その声があまりにも穏やかで、私は嫌な予感を確信に変えざるを得なかった。
「もう、完成してしまったの?」
「いいえ、まだです。ラストシーンは、まだ」
私の手を取ったミザンナは、お手々でお手々をふよふよするだけの、可愛らしいマッサージをしながら笑う。
「後は江渡さんにお任せしてもいいですか? 江渡さんが寝ている間に、ちょっくら母に会って聞きたい事が出てきちゃったんですよ」
「それは……良いことね。こんなところで、こんな女と一緒にいるよりは……」
「なーに卑下しちゃってるんですか」
今度はいきなり背中を叩かれ、思わず背筋が伸びる。
「江渡さん、ぶっ続けで十万文字書いてたんですよ? こんなのプロだって不可能な数字です。もっと胸を張って、もっと自信を持ってください」
「ミザンナ……」
「江渡さんがいーっぱい小説を書いて、ちゃーんと長生きしてくれた暁には「マットプレイ?「じゃなくて! 面白い小説を用意してますから!」
これが最後だから。そう示すように、ミザンナは柔らかく、温もりに満ちたその体で、私を包み込んだ。
「だからどうか、穏やかな死なんて求めないでください。足掻いて藻掻いて苦悩して! 死ぬべきその瞬間まで、生き続けてください」
×
目が覚めるとミザンナは本当にいなくなっていて、体温もなければ残り香もない。
あれが白昼夢だったなんてバカな思い込みをする前に、私は小説の最後を紡ぐ。
『少年は老いた猫と、穏やかな死を求めて旅に出る。
西へ東へ、まだ死ねない。
北へ南へ、まだ死なない。
茫漠とした時間を共に過ごし、疲れ果てた一人と一匹は初めて同じ布団で眠りについた。
しかし翌朝、猫はぬくもりごと姿を消していた。
死顔を見せないあいつらしいと少年は思ったが、それじゃあ面白くないなと笑みが浮かぶ。
だから――少年は勘違いすることにした。
猫はきっと、まだ生きている。
もう一度あいつに会うために、この灰色な世界を生きてやろうじゃないか、と。
少年はぬくもりが半分になった布団を蹴飛ばして、朝陽に向かって駆け出す。
街角でふらっと、何の気無しに、あの生意気な髭をたくわえた猫と再会する瞬間を信じて。』
最後の鉤括弧を打ち込んだとき、笑いと涙が同時に零れた。
さて、これでひとまずミザンナとの共作はおしまい。
「さぁ、足掻いて藻掻いて苦悩してやろうじゃない」
これから私は、もう一度貴女に出会うために書き続ける――生き続ける。
残留思念と希死念慮 燈外町 猶 @Toutoma
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