第2話

「江渡さーん、おはようございまーす」

「ん」

「わわっ! ……もー、今日からはちゃーんと私のために打鍵してもらいますからね」

 目覚めると、だらしないタンクトップを着た美少女が無防備にほほえみ掛けたため、思わず腰に抱きついてしまった。

 この高い体温、そして弾力と包容力を兼ね備えたたまらない肌触り。ああ死にたい。今この瞬間にぽっくりと逝ってしまいたい。

「ほらほら、はい、座ってください。パソコン立ち上げてくださーい! それでワープロソフト起動してくださーい!」

 抱きつかれたまま移動し私を机の前まで導いたミザンナ。ここまでされれば仕方がない。協力してやるか。どうせ私は聞いたとおりに指を動かせばいいんだし。

「ごめん、どっちもないんだけど必須? 買おうか?」

「無いなら……仕方ないです」

 というわけでメモ帳を起動した。キーボードを叩くのは久しぶりだが、前職でも学生時代もバリバリに触っていた。少し続けていればすぐに感覚は思い出せるだろう。

「では早速行きますね。『その町の住人はいつも急いでいた。まるで明日の存在が信じられないようで、僕と野良猫だけが――』」

「ちょ、あんまり耳元で喋られると変な気分になる」

「もー! 江渡さんの色情魔!」

 なんと言われてもそうなってしまうのだから仕方ない。むしろ私を色情魔とさせるミザンナが悪い。

「はい、じゃあこれくらい離れて……続き行きますよ」

「ん」

 こうして私とミザンナの、共同作業が本格的に始動した。


×


「お腹空いた。お昼」

 ミザンナの美しい声を私の腹の虫がかき消すことも多くなり、というか単純な疲れでタイプミスが多くなって入力と出力のペースが大きくズレてしまい、私は休憩を提案した。

「えー! いいところだったのにぃ」

 唇を尖らせながらもそれを許諾してくれるミザンナ。

 というか、もう二時間もぶっ続けでパソコンに向かい合っている。書いた文字数は……七二三八文字……? そんな、これでまだ一万文字も書けてないのか? 二時間掛けて、こんな疲労感に見舞われて、まだこの程度……?

「ミザンナ」

「なんですか?」

「今日は何文字書く予定?」

「一応四万文字くらいですかね、正直江渡さん次第なところが大きいです」

「……なる、ほど」


 ×


「嘘、ですよね、まだいけますよね、江渡さん!?」

 朝一からパソコンに向かい続け遂に日が暮れてしまった。

「ごめん……あのね、私も可愛い彼女のために頑張りたい気持ちはあるの。だけどもう……手が……動かないのよ」

「むぅ……わかりました。今日のところはこんな具合でいいでしょう」

 結局、二万二千文字を超えたところでギブアップ……というよりかセルフドクターストップ。自己判断だが正しいはずだ。疲労で使い物にならなくなったとき、困るのはミザンナなわけだし。

「では江渡さん、不肖私めがマッサージをして差し上げますね」

「っ! お風呂入ってくる!」

「えっ、ちょ、そんな大層なやつじゃなくて……って服脱ぐのはやっ!」

 来た来た、ご褒美イベント。このために頑張った。腱鞘炎になってしまうのではという恐怖と戦った。耳元で可愛い女の声を聞き続けるという拷問に耐え抜いた。全てはこのときのために……!

「マッサージって……これ?」

「はいっ、ここのツボは眼精疲労にも聞くんですよ~」

 カラスもびっくりの速度で全身を丹念に洗い、自己最高新記録で上がった私を待ち受けていたのは、お手々をお手々でふよふよするだけの、横浜の中華街でも同じようなことをされた記憶のある簡易なソレだった。

「ぬるぬるのマットは……?」

「ありません。設備も、可能性も」

「えっちになる蒸気みたいなやつは……?」

「オブラートに包むってことを知ってください……」

「そんな! こんな詐欺がある!?」

「私彼女になることは許諾しましたけど、性欲処理マシーンになったつもりはありませんから!」

「むぅ……確かに」

 それを言われてしまえば、一応淑女として振る舞いたいのでこれ以上の糾弾はできない。大人しく、ミザンナの食感と体温を堪能することにした。

「江渡さん、あの……怒ってますか?」

 私が無言になったから心配になってしまったのだろうか、可愛いところもあるじゃないか。否、可愛いところしかないじゃないか。

「なってないよ。普通に幸せ過ぎて死にかけてた」

「そうでしたか。それは光栄です」

 マッサージもほどほどにしてもらい(これ以上は私が変な気分になってしまうため)、布団に移動して愛しい彼女と向き合う。

「……ねぇミザンナ」

「なんでしょう?」

「……私さ、もっとミザンナのこと知りたいな」

 彼女は何故、死して尚小説に縋るのか。

 こんな女から縋りつかれてでも、小説を綴ろうとするのか。

 その疑問はキーボードを叩いているときから徐々に大きくなっていた。

「死ぬ前のこと、教えてくれない?」

「あんまり、面白い話じゃないと思いますよ?」

「お願い、聞かせて」

 我ながら最低な質問だと思う。そんなこと忘れたいに決まっている。口にしたくないに決まっている。

 それでも私は、彼女の全てが知りたいという欲求に抗えなかった。

「もう、甘えん坊な年上彼女ですねぇ、こんなに可愛いと断れないじゃないですか」

 ミザンナは私を抱きしめて、更には頭を撫でながら優しく紡ぐ。

「でも、胸糞悪い話もあると思いますから覚悟してくださいね、聞くに耐えなくなったらキスで口を塞いでくださいねっ」

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