第82話 幕間 ラーメン大好き輝夜にゃん 後編

 ラーメン屋は行列だった。

 並ぶこと10分ほどして、阿倍野先輩が突然こんなことを言い出してきた。

 

「ねえ、森下君? これから私と――うんちのお話をしましょう」


「いきなり酷えなっ!? これから飯食うんだぞ?」


「いえ、これは科学的な話なのよ」


「科学的……ですか?」


「腸内フローラという言葉を知っているかしら?」


「善玉菌と悪玉菌がどうのこうのっていう話ですよね」


「ええ、そうよ。そして腸内の細菌バランスは健康にとって……とても大事なのよ」


「なるほど。それで?」


「理想的に配合されたうんちを、大腸内に移植することで腸内フローラの改善を促すという……そういう技術なのよ」


「ふむふむ」


「それでね? 私は思ったのよ」


「思ったというと?」


「ええ、恐らく貴方は私のうんちを移植するとこの上なく――」


 阿倍野先輩は押し黙った。

 そして大きく大きく息を吸い込んで彼女はこう言った。



「――異常なレベルで興奮するだろう……と」



「本当にアンタは俺の事を何だと思ってやがるんだっ!?」


 俺の言葉をガン無視して、阿倍野先輩はフルフルと首を左右に振った。


「でも、ごめんなさいね森下君? さすがの私もそのプレイは高度すぎて……付き合うことはできないわ。だから、うんちを提供することはできない」


「そもそもの最初からその気はないですけどっ!?」


「そうね……」と阿倍野先輩は空を見上げて、儚げに呟いた。


「私が付き合えるのはせいぜい……赤ちゃんプレイまでね」


「赤ちゃんプレイ?」


「そうよ。赤ちゃんプレイよ。つまりは――」


 阿倍野先輩は押し黙った。

 そして大きく大きく息を吸い込んで彼女はこう言った。



「赤ちゃんと母親の……母乳プレイよ」



「母乳プレイっ!?」


 絶句する俺に阿倍野先輩はコクリと頷いた。


「ちなみに赤ちゃん役は私で――母親役は森下君よ」


「どういう状況なんですかそれっ!? 高度すぎて何一つ理解できませんよっ!?」


 マジで酷いなコイツ……と、俺はその場でコケそうになる。


 と、そこでラーメン屋さんの店員が、外に並ぶ俺達にオーダーを聞きにきた。


「さて、それじゃあ……そろそろ店に入る時間になったようね」








「麺カタメ。ヤサイマシマシニンニクチョモランマで――お願いするわ」

 

 爆盛りモヤシラーメン。

 モヤシの頂点部分には富士山の雪のようにアブラの塊がぶっかけられ、更に言えばキザミニンニクが山のように端に盛られている。

 ってか、尋常じゃねえなあのニンニクの量。

 一カケラとか二カケラじゃなくて、3玉か4玉の分量はあるぞ。

 阿倍野先輩が頼んだそれは豚ダブル大盛りとも言われる、現役のラグビー部大学生ですらも中途で撃沈するような可食部分で1キロを超えるような超ド級のシロモノだ。

 

「先輩……マジでそれ食えるんですか?」


「……ギルティ」


 先輩の冷たい視線が俺に突き刺さる。


「ここは神域」


「神域っ!?」


「そう。神域である店内で無駄口はご法度よ? たくさんの人が並んでいるの。それが分かっているの森下君?」


「あ、すいません」


 先輩の言葉で、俺は豚マシ小盛りラーメンに箸をつける。

 ちなみにコールはニンニク超少な目、ヤサイ少なめだ。

 ってか、小盛りだってのにとんでもない量だ。

 チャーシュー麺くらいの感じで豚マシを頼んだが……赤ちゃんのコブシ大はありそうな豚の塊がゴロゴロ盛られている。


 俺は箸で麺を何本かすくって、ゆっくりと口に運ぶ。

 うん、美味い。

 見た目の下品さで衝撃を受けたが、味は確かに超一流だ。まあ、見たまんまの強烈な味で好き嫌いはすげえ分かれるだろうけど。

 そうして、俺は再度麺を何本かすくって口に運ぶ。


 そこで、阿倍野先輩が再度氷のような視線を向けてきた。


「……ギルティ」


「えっ?」


「もう一度言うわよ。たくさんの人が並んでいるの。それが分かっているの森下君?」


 早く食えって事か。

 まあ、外待ちで1時間だもんな。早く食べて外に出ないと迷惑なのは分かる。


 そうして俺は丼を手に持って、一心不乱に麺をかっこみはじめた。


 ズズっ……ズズっ……っと麺をすすっていると、隣から猛烈な音が聞こえてきた。



 ズビィーーーっ! ズビィーーーっ! ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズビィーーーっ! ズビィーーーっ! ズビィーーーっ!


 およそ女の子が発しては良い類ではない猛烈な効果音と共に阿倍野先輩が丼を平らげていく。

 軽く白目を剥いているし――


 ――正直、引く。


 そして彼女は4つ隣席の女性客を強烈に睨み付けていた。

 彼女は確か……小盛りの更に3分の1の麺量でオーダーしていた女性客だ。


「あんな女に……負けるわけにはいかないっ!」


「負けるって何のことだよっ!?」


 と、そこで俺は気がついた。

 どうやら、早く食い終わるかどうかの話らしい。

 どこまで負けず嫌いなんだよ……くだらなさ過ぎるだろ……正直、引く。

 

 ズビィーーーっ! ズビィーーーっ! ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズズっ……ズズっ……ズズっ……ズっ――ズビっ……ズビビっ……ズビィーーーっ!

 ズビィーーーっ! ズビィーーーっ! ズビィーーーっ!

 

 ドン引きしている俺の視線を横目に、阿倍野先輩は白目を向きながら猛烈な速度でブツを胃に放り込んでいく。

 そうして、麺とモヤシを全て胃の中に放り込んだ彼女は丼の中の豚の塊を睨み付け――



「ウオオオオオオオっ!」



「女子高生がラーメン屋で……大声で叫んだ……だとっ!?」


 気合の咆哮と共に彼女は豚の塊次々に放り込んでいく。

 30秒の後、口に豚を全て収納させた彼女はモゴモゴと口を咀嚼させながら席を立つ。

 そして、俺に向けてこう言った。


「モゴっ、ムグっ――おしゃきに (お先に)」


 5分後に俺が食べ終えた後、店の外で阿倍野先輩はすまし顔で立っていた。


「どうだった? 森下君?」


「ええ、美味しかったですけど……」


「そう。あのお店はとても美味しいわ。けれど――」


「けれど?」


「薄利多売でやっているのよ。あれだけの量とあれだけの質の豚よ? 恐らく原価ギリギリで回しているわ。だからお客さんが協力する必要があるの」


「と、おっしゃいますと?」


「回転率を上げて、とにかくお客さんを回さないといけないの。売り上げを増やさなければ店を維持できるだけの利幅は取れない。だから、お客さんも早く食べる必要があるの」


「なるほど」


「ギルティとか言ってごめんなさいね。驚いたと思うけれど……そういう事情だから」


 何やら満足げに阿倍野先輩は頷いた。

 どうやら、店の常連として一見である俺に、上から目線でのレクチャーをしているつもりらしい。


「そうなの。あれだけのコストパフォーマンス……店だけでも成立させることは無理、お客さんだけでも成立させることは無理。双方が協力して、回転率を高めて……初めて可能な、この値段でのあのクオリティーなのよ。一言で言うならあの場所――神域は店と客の合同でのオーケストラのようなものね」


「なるほど」


 そうして先輩は何故か誇らしげに胸を張りながら言った。


「そして私は何も知らない新人客――素人の演奏者に道を導く指揮者(マエストロ)」


「マエストロ、ご高説ありがとうございます。ってか、どうでも良いですけど先輩?」


「何かしら?」


「尋常ではないニンニク臭が耐え難いので……しばらく喋らないでもらえますか?」


 いや、まあ、3玉はありそうなニンニクの山を食ってたからなこの人。


 俺の言葉で、阿倍野先輩は大きく目を見開いて口を押さえた。


 割とマジで凹んだらしく、それから駅で別れるまで阿倍野先輩はガックリと肩をうなだらさせていた。



 ――と、まあ、そんなこんなで俺達の初ラーメン屋デートはクソミソな結果に終わったのだった。


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