第80話アリエル編 エピローグ ~異世界における、とある少女と勇者のその後~  後編


 どうせ外で話をするなら……と、俺はサカグチさんを家から少し歩いた丘まで連れてきた。

 ここは金持ちが住む景観地の公園で、大きな樹木が一本立っている。



 そうして、俺たちは木を昇って太い枝に腰掛けて、眼下を見下ろした。

 見上げても、見下ろしても光の奔流。

 つまりは、空には一面の星の大海、そして眼下に広がるのは人の営みである――電灯という名の星の海が広がっている。

 と、まあそんな感じの場所にサカグチさんを連れてきた訳だ。


 

「綺麗だろ? 子供のときからの俺のお気に入りの場所なんだ」


「……」


「異世界のあの時さ、お前……夜空が綺麗だって言ってただろ。人間は汚い、綺麗なのは自然だけだって……」


「そんなこともあったかもね」


「だから、ここを見せたかったんだ」


「……」


 俺はサカグチさんの肩に手をポンと置いた。


「人の営みの景色だってちゃんと綺麗だ。お前は人間の汚いところしかみてなかったから、それを俺は伝えたかったんだよ。あの時にそのことを伝えることができなかったから」


 そこでサカグチさんは呆れたようにため息をついた。


「馬鹿じゃないの?」


「……え?」


「今更アンタなんかに教えてもらわなくてもそんなことは知ってるって言ってんの。こんなくだらないもの見せて、本当に馬鹿なんじゃないの?」


 突き放すような言い方に、ちょっと俺はイラっときた。


「お前な? そんな言い方はねーんじゃねーか? ここは俺のお気に入りの場所なんだぞ?」


「アンタが……姫様が、そしてアナスタシアさんが教えてくれたんじゃん。ちゃんと私にキッチリ教えてくれたんじゃん。人間だって捨てたもんじゃないってさ。こんな景色なんかよりも……あの時にアンタ等と過ごした時間のほうが何億倍も説得力があったわよ」


「……」


「そして私はセラフィーナ達に出会えた。アンタ等のおかげで出会えた人たちを……セラフィーナ達を信じることができた。おかげさまでアンタなんかに心配されなくても、私はちゃんと幸せです」


「そっか、なら良かった」


 いや、本当に良かったと思う。

 言ってることも分かるし、そういう風に思ってくれてたなら本当に嬉しい。

 だが、やっぱりちょっとこの言い草にはイラっと来る。

 と、俺はそこで拗ねたフリをした。


「まあ、とはいえ……俺のお気に入りの場所をくだらない場所って言われたのはちょっとショックだったかな」


「……え」


 サカグチさんが驚いた風に目を見開いたところで俺はため息をついた。


「そんなにこの景色ってダメかな。子供の時は俺は感動したんだが……」


「……え?」


 再度、俺は深くため息をついて暗い表情を作った。

 そこでサカグチさんは睫毛を伏せた。


「あー……」


 小声で何やら呟いて、何かを考え始めた。


「むー……」


 と、いうか俺の反応を受けてどうして良いかわからずに困っているらしい。


 そこでサカグチさんは意を決したように頷いた。


「あのさ……ありがとうね」


「ん?」


「異世界のあの時、生きる希望も気力もない、どん底まで落ちていた私を助けてくれて本当にありがとうね」


「おう」


「あ、あ、あとね?」


「ん?」


 少しだけ挙動不審に目を泳がせながらサカグチさんは言った。


「それはさておき、この景色は純粋に綺麗だと思うわよ。そ、それに……ア、ア、アンタが……わ、私……私のためにとっておきの場所を見せてくれたことは……わ、私は……た、ただ、そ、それだけのことが……」


「……」


「……う、う、うっ……嬉しいから」


 そこで俺は吹き出してしまった。


「はは、サカグチさんって本当に素直じゃねーな。最初に文句をつけてからじゃねーと素直にお礼もいえねーのかよ」


「サカグチさんって呼称はいい加減にやめなさいよ。もう思い出してるんだし、だったら色々おかしいでしょ?」


「まあ、そりゃあそうだな」


「レーラで良いわ。で、話を戻すわね……ってか、アンタさ?」


 レーラはプクリと頬を膨らませる。


「素直じゃないって……可愛くないって言いたいワケ?」


「いいや、そういうところは嫌いじゃない。たまに可愛いと思う時もあるぜ」


「え、可愛いって……な、な、な、何言ってんの? ば、ば、バ……バッカじゃないのっ!?」


 そこでレーラは頬を赤らめさせた。


「まあ、レーラはそんな感じのツンデレのままで良いんじゃねーか?」


「うん、私はこれで良い。なんせ天才美少女だもんね。でもさ? アンタはそれで良くないわよね?」


「っつーと?」


「日本に戻ってきて腑抜けちゃってるし、MP切れとかするくらい抜けてるし、スケベだし、阿倍野輝夜に頭が上がらないし、私のこと忘れちゃってたし、気づきもしないし」


「……事実なだけに返す言葉がねーな」


「それにオマケに成績も中の下だし、服装のセンスもないし、それに私のこと忘れちゃってたし、気づきもしないし」


「……」


「それに阿倍野輝夜だけじゃなくて、委員長にも鼻の下伸ばしてるし、巨乳の女子生徒がいたら絶対に視線を胸に向けるし、それに私のこと忘れちゃってたし、気づきもしないし」


 よっぽど……気づかなかったことに恨みがあるらしい。

 っていうか、まあ、大体事実なので言い返す言葉が本当に無い。


「挙句の果てには私の気持ちにコレっぽっちも気づいていないし、本当の本当にロクデナシよねっ!」

 

 と、そこで俺はサカグチさんに尋ねた。


「……私の気持ちに気づいていないって?」


 はー……っと、サカグチさんは深くため息をついた。


「全部言わなきゃわかんないのっ!? アンタ一体どんだけなのよっ! 成績が良くないアンタが嫌い! 服装のセンスの無いアンタが嫌い! 他の女をエッチな目で見るアンタが大嫌いっ! 阿倍野輝夜と仲良くしてるアンタが嫌い! 私のことを忘れていたアンタが本当の本当に大嫌い!」


 そこでサカグチさんは大きく大きく息を吸い込んだ。

 

「嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 大嫌いっ! でも、優しいアンタは嫌いじゃないっ! お人良しなところは嫌いじゃないっ! もう、本当に最低ねっ! どうしてアンタはそうなのよ! どうして……どうしてそうなのよっ! アンタなんて……アンタなんて――」


「アンタなんて……なんだよ?」


「アンタなんて……だ、だ、だいっ……だいす、すっ、すっ……す……」


「す?」


 俺の質問に、サカグチさんは暗闇でも分かるくらいに顔を紅潮させてブンブンと首を左右に振った。


「ダメ! やっぱ言えないっ! あ、あ、あのさ? これから、ちょっとだけ……アリエルとしての私で……アンタに……色々話をするから……そうすれば少しだけ素直になれそうな気がするからっ! だから……今からの私の言葉は、絶対にレーラ=サカグチとしての私の言葉だとは思わないでね?」


「……どういうこっちゃ?」


「あのさ、あの時さ……異世界での別れ際のこと覚えてる?」


 ってか……本当にどういうことなんだ?

 まあ、ここは質問に素直に答えるしかないか。


「ああ、覚えてるよ」


「あの時さ、お嫁さんにしてくれるって言ったよね?」


「それは……」


「分かってる。あれは別れ際の優しい嘘だって分かってるから。だから、それは良いの。でも、私は――忘れられていて、とっても寂しかった、とっても苦しかった。本当の本当に辛かったんだよ?」


 サカグチさんが……いや、レーラが素直に弱音を吐いているだと……?


 いや、違うか。

 これが嘘偽りの無い彼女の素直な本心の吐露なんだろう。

 彼女はこれまでガーディアンズを率いて、指揮官として強くならなければならなかった。

 今まで、誰にも弱音を吐くことができなかった。

 そして、自分の中でも……強がらないことについて、色んな抵抗があるんだろう。


 だから、アリエルとしての自分で話をするって事で自分で自分をごまかして……いや、自分に言い訳をして。

 

 ――本当に素直じゃねえな、こいつ……と。


 でも、泣きそうな顔で素直に気持ちを伝えてくる、小刻みに震えて涙を浮かべる弱々しいその姿は、ごく普通の、本来そこにあるべき当たり前の16歳の少女の姿に見えた。

 だから、俺も素直に彼女の気持ちに応じよう。


「気づいてやれなくて……ごめんな」


 頭に手を置いて、ポンと撫でてやる。


「……うん」


「本当にごめんな」


「……うん」


 そこで俺は時計に眼をやった。

 そろそろ11時で……時間としてもそろそろ頃合だ。


「そろそろ樹から降りようか」


 樹から降りて、俺たちは家へと向かった。

 そうして、歩くこと10分程度が経過し、俺の家の前に到着した。

 と、そこで、俺はレーラに言った。


「じゃあ、今日はここでサヨナラだ」


 フルフルとレーラは首を左右に振った。


「違うよ」


「違う?」


「別れるときにはサヨナラじゃなくて『またな』って言うんだよ?」


 そういえば異世界のあの時、最後にそんな言葉を俺がこいつに言ったんだっけ。

 そっか、ちゃんとあの時の言葉を覚えててくれたんだな。

 と、何故だか俺の胸に熱い何かが溢れてきた。


「ってか、本当にもう良い時間だ。それじゃあまた……学校で」

 

 そこで、レーラは両手を広げ、俺に力一杯に抱きついてきた。


「おい……? レーラ?」


「もう絶対に離れないんだもん。絶対の絶対に……離さないんだもん」


 アリエルとしての私っていうのは……まだ続いてるみたいだな。

 言葉遣いも目つきも……さっきから普段のキツイ感じは消えて優しい感じになってるし……まあ、それは良いか。


「……ああ、もうあの時みたいに離れ離れにならないから安心しろ」


 ギュッと強く抱きつきながら、レーラは俺を見上げてきた。

 身長が低いから、丁度、俺の胸の辺りから見上げられる格好になっているというのが今の状況だ。


「あのね? あの時、何でもお願いを聞いてくれるって言ったよね?」


「……うん」


 俺の首筋に両手を伸ばして、そしてレーラは背伸びをして――。


 それは不意打ちだった。

 そう、本当に不意に……柔らかい唇の感触が俺の唇に伝わってきたのだ。


 ――互いに、ファーストキス。


 触れているだけの軽い奴だけれど、それはお互いにとって確実に大事な経験のはずで……。

 ドギマギする俺に、レーラは悪戯っぽく笑った。


「お嫁さんにしてくれるって約束を反故にされたんだもんっ! 嘘つかれたんだもんっ! だから、これくらいやっても……絶対にバチは当たらないんだもんっ! 私は悪くないんだもんっ!」


「おい、おま……」


 レーラは俺から離れて家へと向かう。


「ちょっと待てよっ!」


 そうして、彼女の家の玄関のドアの前で振り返った。


「また明日ねっ!」


 そのまま両手を振りながら、向日葵を咲かせたような元気一杯の笑顔でレーラは言った。


「あの時も、今も、これからもっ! ずっとずっと大好きだよ――にぃにっ!」


「大好きってお前……」


 ってか、ここで……にぃにって言う言葉は反則だろう。



 正に天使としか表現できないような、そんな愛らしい底抜けの笑顔を浮かべて手を振る少女に、その時、俺は確かに心を奪われながらそんなことを思ったのだった。




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