第39話 ~異世界における、とある少女と勇者の顛末~

注意

過去編ですが、番外編ではありません。本編の一部分です。

これを読んでおかないと次のエピソードから意味不明になります。

また、最初はかなり暗い感じから入りますが、ちゃんとハッピーエンド的な何かになりますのでご安心してお読みください。


  





 ――舞台は異世界に移る。


 ――それは、森下大樹が魔王を討伐する1年前の物語。








 サイド:アリエル 


 吸血鬼。

 そして天翼人……一部では天使とも呼ばれる種族。

 夜の支配者と光の代名詞。

 その二つの種族の混血――忌子が私達兄妹だった。




 母親が天翼人で、父親が真祖の吸血鬼。

 そして、私と……兄(にぃに)との4人家族だった。

 凄く小さい頃、私達家族は森林の湖のほとりにある古城で住んでいた。

 父さんも母さんも共に種族の禁忌を犯して結ばれたとのことだ。

 そして、駆け落ち同然で二人は誰も住んでいない古城に辿り着き、狩猟で獲物を取って人間の里で金と物資を得て生活をしていた。

 勿論、人里に降りる際には種族を隠して。


「大きくなったら私――にぃにと結婚するんだ」


 花が舞い散る古城の中庭――花壇で私がにぃにへと贈った言葉。

 決して豊かな生活ではなかったけれど、今思えば、あの頃が一番幸せだったのだと思う。

 家族みんながいつも笑っていて……でも、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。

 父親がヴァンパイアハンターである聖皇国の聖騎士に討たれたのだ。


 それから私達は母親の実家である天翼人の都へと移り住むことになった。


 ――吸血鬼の混血ではなく、人間との混血児との嘘をついて。


 しばらくの間は、混じり物としての偏見の目と扱いがあったものの……まずまずの平穏な日々が続いた。

 でも、ほどなくしてお母さんの嘘が暴露され、私達――兄妹が魔物との混じり物があることが暴露された。

 私達を捨てるか、あるいは家族全員で都を出ていくかを迫られて……母さんは家族全員で都を後にする道を選んだんだ。

 それから人間の街へと移り住んで――



 薄汚い娼館。

 希少種族を扱った……半ば見世物小屋のようなところで、母さんが梅毒で死んだのは私が6歳の時だった。

 行き場もなく、スラムですらも居場所をなくした私たち兄妹は――街を追われて山をさ迷い歩き、山賊に捕まった。

 そうしてアジトにしている洞窟へと連れていかれ、身体の見聞を受けた際に、すぐに私たちが吸血鬼との混じり物ものだとバレることになった。


「しかしもったいねえな。やせっぽちの6歳のガキとは言え、これだけの上玉だ」


「だが、魔物じゃあ売り物にならんな」


「待て……まあ、ツテも無いこともないんだ」


「魔物にサカる変態の知り合いでもいるのか?」


「無論、捨て値になるがな」


「それじゃあ今度街に盗品を売りさばきに行くときに……二人とも連れていくか……兄貴の方も美形だし、変態相手なら銀貨数枚にはなるだろう」


「いや、良くないな。食料のストックが無いんだよ。こんなガキ共の為に俺らの飯を減らされちゃあかなわん。まあ、せいぜいが余剰分はガキ一人分だ」


「じゃあ、どうする?」


「犬にでも食わせれば良いんじゃないか?」


「そいつは面白い」


 そうして私たちは山賊達が猟犬代わりに飼育している狼の魔物――シルバーファングの檻の中に投げ捨てられた。

 檻の大きさは5メートル四方と言ったところ。

 中央では涎をボトボトと垂れ流しながら……シルバーファングがこちらを見ていた。


「まあ、こいつは大喰らいだから……二人とも食っちまう公算のほうが高いがな! ゲハハっ!」


「おい、一人は残すって……」


「残そうが残すまいがどっちでも構わねえだろうよ」


「まあ、それもそうか。ははっ! 確かに面白い見世物が見られるならそれで良い!」


 下卑た笑いと共に、檻の中で行われる見世物を肴に二人は酒を飲み始めた。

 心の底からの嫌悪感を私が抱いていたその時、にぃにが私に尋ねてきた。


「アリエル? どうしようか?」


「にぃ……に?」


「もう俺は……ここで終わっても良い。ここで生き残ったとして、このままいけば俺は男娼でお前も娼館行きだ。しかも俺たちは魔物の混じり物……身体を売って生きるにしても……悲惨な目にしか遭わない。それでもお前は……生きたいか?」


 しばし考えて、私は素直な気持ちを言った。


「にぃ……に……私……死にたく……ない……よ」


「分かった」


 そうして、にぃにはシルバーファングへと向けて歩を進めた。


 ――凄惨の一言だった。


 すぐに、にぃにはシルバーファングに左腕を食いちぎられた。

 飛び散った液体が私の頬に鮮血の化粧を施す。


「あ……ァ……あ……にぃ……に……」


 にぃにはシルバーファングに馬乗りになられて、その腹が瞬く間に牙で割かれた。

 細長い内臓が飛び散り、シルバーファングの口回りの銀毛が真っ赤に染まる。

 そしてにぃには――


 ――右腕の指をシルバーファングに突き立てた。


 プチュっと軽い音が鳴り、シルバーファングの眼球が破壊される。


「吸血鬼の生命力を……甘く……見たな」


 そのまま、にぃには更に深くシルバーファングの眼球に指を突っ込んだ。


「キャインっ!」


 片目を潰されたシルバーファングは戦意を失い、檻の隅へと一目散に駆け出して行った。

 

「アリエ……ル」


「なぁに……? にぃ……に?」


「……お前は生きろ」


 それだけ言うと……にぃには血を吐いて、そのまま動かなくなった。


『大きくなったら私――にぃにと結婚するんだ』


 花が舞い散る花壇で言った言葉。


 そんな――遠く昔の記憶がフラッシュバックしてきた。


「にぃに……そんなの……そんなの……嘘……だよね?」


 けれど、誰もその問いには答えてはくれなかった。


 そこには、ただ、内臓を盛大に食い破られ、右手を失い、心臓の鼓動を止め、転がる、にぃにの、躯(ムクロ)しか無かった――。

 













 

 それから私は奴隷用の檻に入れられて――数週間が過ぎた。


 隅で三角座りをしていると、山賊たち二人が私の檻の前で立ち止まった。


「飯を食わねえから痩せっぽちを通り越して……半ば骨だ。オマケに喋りかけても殴っても反応しねえし……変態相手に売りに行っても買い手がつかないってどういうことだよ」


「何なら、ゲテモノグルメの解体屋にでも売っぱらいっちゃいやすか?」


「こいつの体のどこを食えば良いっつーんだよ」


「はは、確かにそりゃあそうでやすね」


「良し、仕方ねえな。もう、ここで殺してしまうのが一番……金銭効率が良い」


 もうここで終わりか。

 私は自らの境遇をどこか他人事のようにそんなことを考えていたその時――


 洞窟内に爆発音が鳴り響いた。


 ほどなく、洞窟内に山賊たちの悲鳴が響き渡る。

 ノッポとチビは慌てた様子で爆発音の現場へと走って行って……数十秒後に二人の悲鳴が聞こえた。

 しばらくして、3人の若い男女が歩いてきて、私の檻の前で立ち止まった。


「洞窟内索敵完了。これで完全に皆殺しよ。ってか、これがマジでAランク級賞金首の山賊団なの? 歯ごたえ無さすぎっつーか……」


 赤髪のとんがり帽子の女の人がそう言った。


「いえ、私たちが強くなったんですよ」


 そう言ったのは青を基調としたシスター風の恰好……金髪の女の人だった。

 

「――ところでこの子は? 見た所……6歳か7歳ってところか?」


 私の檻をのぞき込んできたのは、白銀の甲冑を身にまとった黒髪の男の人だった。

 次に、赤髪のとんがり帽子の女の人が檻をのぞき込んできた。


「瞳の焦点が合っていないわ。相当無茶をされたみたいね。多分……精神的に相当追い込まれているんだと思う。後、面倒臭いことに、この子……吸血鬼のハーフよ」


「ハーフヴァンパイア……ですか」


「子供が一人で今後も生きていける訳も無し、実質的に見殺しになっちゃうけど放っておくのも手かもしれないわね。ここで下手に助けたって……私達も正直面倒見切れないし」


「どうしますかダイキさん?」


 黒髪の男の人は檻の中の私に話しかけてきた。


「色々と悲しいことがあったみたいだな。人間と吸血鬼のハーフ……事情は非常にややこしいみたいだ。今後もお前が生きていくには苦難の連続だろう」


 この人達は私と人間と吸血鬼のハーフだと思っているらしい。

 まあ、そもそも天翼人と吸血鬼が交わることなど……ありえないのだから無理もない。

 と、そこでその人は私に手を差し伸べて、少し悲し気な表情で私に尋ねてきた。


「それでもお前は……生きたいか?」


 ――にぃにと同じ言葉で、黒髪の男の人は問いかけてきた。


 生きたいかと聞かれても、今の私には分からない。

 でも、これだけは分かる。

 にぃには最後に私に――生きろと言ったのだ。


「……死にたく……ないよ」


 私の言葉に……黒髪の男の人は大きく頷いた。


「分かった。なら――お前は生きろ」


 ――やっぱり、黒髪の男の人は……にぃにと同じ言葉を言った。


 微笑を浮かべる黒髪の男の人の、優し気な眼差しは……とっても……にぃにと良く似ていた。


「しばらくは俺が面倒を見てやるから安心しろ」


 そこで赤髪のとんがり帽子の女の人が声を荒げる。


「ちょっとダイキ!? 本気なの?」


「ああ、本気も本気……大本気だ」


「私たちが今から行く国がどこか分かってんの? 魔物嫌いで有名な聖皇国よ!? 人間と吸血鬼の混じり物なんて……連れて行くだけでリスクに過ぎるわっ!」


「見た目は人間と変わらねえんだから問題ねえだろ」


「それに、凄腕の……はぐれのヴァンパイアハンターがうろついているって、この前ギルドで聞いたでしょ?」


「吸血鬼に家族をみんな殺されて……頭のセンがぶっとんで無茶苦茶やってる奴の話か?」


「ええ、吸血鬼を殺すためなら人間の村や街一つを丸ごと潰すようなトチ狂ったS級賞金首よ。勇者一行の私たちですらも、恐らくは攻撃することにためらわないわよ!?」


「まあ……とりあえずこの子は連れていくからな」


「言い出したら絶対に聞かないもんねアンタ。はァ……分かったわ。でも、聖皇国までよ? そこで孤児院にでもソッコーで引き渡すから。こっちもギリギリの旅をやってんだから、ガキのお守りまではやってらんないわ」


 と、赤髪のとんがり帽子の女の人が頭を抱えたところで、私はダイキさんに何故だかこんなことを口走ってしまった。


「あの……」


「何だ?」


「にぃにって……呼んで……良い……です……か?」


 3人はしばらく固まって……そして3人同時に口を開いてこう言った。



「「「ハァ!?」」」










 2週間後の深夜。

 みんなより先に寝袋に入って、少しウトウトしている時、少し離れたところで焚火を囲む3人の声が聞こえてきた。


「寝ているようだな」


「良い子ですね。私達の旅の雑用ごとを進んでやってくれていますし、とても助かります」


「ねえ? あの子の事だけど……聖皇国についてからも、本国に帰るまでは面倒見れないかな?」


「そりゃあまたどうして?」


「吸血鬼と人間のハーフの女の子なのよ? 魔物との混血に対して偏見があるのはどこの国でも一緒だけど、この子を……魔物への憎悪マックスの聖皇国で孤児院に預けるなんて……そのままそこで死ねって言っているようなもんじゃない?」


「あら? 一番最初に……見殺しになるけども、助けずに放っておこうって言ったのは誰だったかしら?」


「そりゃあ拾っちゃったら情が移るよ。それに――」


「それに?」


「私達に見捨てられないように気を使って……ただただ、ずっとあの子は私達の機嫌だけを伺っているのよ。なんだか……昔の私を見ているようで……他人とは思えなくて」


「そういえば奴隷出身の成り上がり魔術師だったな。お前は」


「後、ダイキの事を……にぃにって呼んでるでしょ?」


「俺はお前の兄貴じゃねえっていっつも言ってんだけどな」


「あれも精神の逃避行動だと思うのよ。失ったものが大きすぎて、その身代わりを作ることでギリギリで精神の均衡を保つっていうのかな。上手く説明できないんだけど……本当につらかった時……私にも覚えがあるし……」


「一種の……緊急避難……か。でも、俺はあいつの兄貴じゃねえしな」


「いいじゃんダイキ。あの子は……とっても辛い目にあったんだよ? 大切なモノを失っちゃったんだよ? だったら、旅の間くらい……失った人の代わりにあの子に優しくしてあげなよ。それこそ、本当のお兄ちゃんみたいにさ」


「それに、ダイキさんだけじゃなりません」


「どういうことだ姫さん?」


「貴方がこの子の兄上なら、私達はこの子の姉上です。だから……それでいいじゃありませんかダイキさん」


「つっても、にぃにって呼ばれるのは気恥ずかしいっていうか」


「……良いじゃありませんかダイキさん」

 

「睨むなよ姫さん! ってか、つまむなよアナスタシアっ! おい、蹴るなバカっ! 俺も本気出すぞ!?」


 そうして、しばらく……じゃれあっているだろうというドタバタ音が聞こえてきた。


「分かった分かった。オーケーだ。了解したよ」


 にぃにの言葉を皮切りに、3人は心の底から愉快だという風に笑い始めた。


 そして……私の頬を涙が伝った。


 ――生まれて初めて私は他人に優しくされている。


 胸が幸せな何かで一杯になって、寝袋の中で声を殺して泣いて……いつの間にか寝入ってしまった。











 山岳地帯の荒地。

 いや、渓谷地帯の岩肌と言ったほうが近いだろうか。

 周囲には緑は一切見えず、崖に挟まれた岩肌の道を延々と歩き続ける。


「でもダイキ? 本当にこのルートで良かったの?」


「崖を上れって話か?」


 にぃには難しい顔をして崖の上を見上げる。


「私たちのステータスならアリエルを背負っても崖は登ることができるよね? それに、この谷にはアレがいるわ」


「土のエンシェント……ドラゴンか」


「以前に、聖剣を手に入れる際……火のエンシェントドラゴンに私たちは惨敗を喫している。その時に……貴方をかばってヤンは……」


 遠い目をしながら、にぃには悲しげな表情を作った。


「だから、俺たちは強くなった。一旦……全ての計画を見直して……1年の無茶な修練を積んだんだ。姫さんはどう思う?」


「確かに私たちは以前とは比べ物にならないほど強くなりました。それに、魔物の格として土のエンシェントドラゴンは火のエンシェントドラゴンよりも劣ります。ですが……危険に過ぎます。さすがに安全マージンは必要でしょう?」


「魔王軍の侵攻状況からして、ここらが人類が反撃を行うことのできる戦力を保っている……ギリギリのタイムリミットだ。これ以上、俺等は悠長にレベルアップにいそしむ時間はない。聖剣だって、今回の旅を終えればすぐにガルハ火山に取りに行かなくちゃならねえ」


「そりゃあそうかもしんないケドさ……」


「それに、今から1ヵ月後がヤン兄貴の誕生日だ。弔い合戦の時期をそれよりも遅くするつもりは俺にはねえよ。だから、今現在の俺たちの仕上がりを試すためにも、ここで敢えてこのルートを選ぶ必要がある。土のエンシェントドラゴンに今の俺たちで勝てないのなら、どの道……魔王への反抗の世界連合を組んだところで……決戦の際に……その時の俺たちでは魔王には到底かなわないだろう。だから、今、ここでやるしかないんだ」


「ダイキさん?」


「どうしたんだ姫さん?」


「安全マージンを取らない理由は分かりました。ですが、崖の上にはアレがあります……行く価値はあるはずです」


「行っても意味がねえと思うがな。人間では相手にされないだろう」


「確かに崖の上は天翼人の都です。魔物を忌み嫌い、それどころか人間にすら心を開かない排他的な種族です……ですが……アレがあるはずなのです」


 にぃには難しい顔をして、そして大きく頷いた。


「アレ……超古代文明の禁忌の技の数々だな」


「ええ、その最たるものが……エクストラポーションです。死んでさえいなければ瞬く間に瀕死の重傷を治してしまうという……禁断のアイテムです。今後の私たちの旅にそれは必要なものでしょう」


「さっきも言ったが……奴等は人間には協力しないから、行っても無駄だろうがよ」


「でも、それはあくまでも普通の人間に対してです。勇者であるダイキさんであれば……」


「まあ、ひょっとするとエクストラポーションを少し分けてくれるかもしれねーわな」


「だったら――」


「でも、それでもやっぱり崖を上がるルートは必要がねえんだ」


「完全回復魔法をアイテムで代用できるのですよ? 完全回復魔法と言えば、過去1000年のプリーストの歴史でそれを為しえたのは……数人しか扱えないような奇跡の業なのですよ?」


「だから、必要がねえんだ。何故なら、すぐに姫さんが完全回復魔法を使えるようになる訳だからな」


「え……?」


「何を驚いた顔をしてやがんだよ。そもそも、それくらいになってもらわなくちゃ俺が困るんだぜ? なんせ、姫さんは人類最強のパーティーの虎の子の最強プリーストになるんだからな」


 姫様はしばし固まって、呆れたように笑ってから頷いた。


「簡単に言ってくれますね……しかし、確かにダイキの言うとおりです。奇跡の業を扱えずして、どのようにして魔王を討伐できるというのでしょうか」


「話がまとまったところで――おいでなすったぜ?」


 と、そこで……にぃには立ち止まった。


「――エンシェントドラゴンだ」








「ボロボロ……だな」


「でも……勝てた……私たちが……エンシェントドラゴンに……勝てた……本当に……勝てたんだよね?」


「ドラゴンの生命活動は完全に停止しています。私たちは――勝ちました」


 それは凄まじい戦いだった。

 大地を割らんばかりに炸裂した爆発魔法が渓谷地帯に幾つもクレーターを作り、勇者の剣撃が大岩と龍のウロコをバターのように切り裂いた。

 対するエンシェントドラゴンも負けてはおらず、岩をも溶かす灼熱のブレスは……一面を焼け野原の黒焦げにした。

 挙句に、にぃにの腕がドラゴンに食いちぎられても姫様の魔法で……すぐに元通りになる。


 常人の私からすると、それら全ての光景は奇跡の御業の賜物以外には見えなかった。




 白銀の剣で魔を払い、弱き民に救いの手を差し伸べる。

 そんな御伽噺の中だけの、強くて優しい英雄達が……今、ここにいるんだ。

 この人たちが魔王を打ち滅ぼして、世界の偉い人になってくれたら……私や……本当のにぃにのような子供は……いなくなるのかもしれない。


「にぃにって……本当に……勇者様なんだ」


 うん、と私は頷いた。

 ほんの少しの間だけれど、この人たちと旅をできることを……私は誇りに思う。


 ――と、その時。


 空から黒い何かが降ってきて、唐突に……にぃにの心臓から剣が生えた。

 いや、正確に言うのであれば、背中から腹側に向けて剣で貫かれて――にぃには崖から飛び降りてきた男に心臓を貫かれていたのだ。

 そうして、にぃにはその場に崩れ落ちた。


「ゴファっ!?」


 黒装束の男は剣にこびりついた血糊を油紙で拭きながら頷いた。


「2週間チャンスを伺っていた。まともに勇者とやりあえば私には勝機はない。が……さしもの勇者もエンシェントドラゴンを倒した直後とあれば体力も気力も枯渇している――そう、私が勇者を殺れる程度にはね」


 そこで魔術師――アナスタシアさんが黒装束の男を睨みつけた。


「アンタが……ギルドで噂になっていた凄腕のヴァンパイアハンターっ!?」


「いかにも。この……吸血鬼の娘を殺すだけならチャンスはいくらでもあった。だが、その場合は勇者が追手として現れる」


「まるで私達じゃあアンタをどうにかできないって話をしているように聞こえるんだけど!?」


「近接職である勇者ならいざ知らず、タメの長い大砲――魔術師と、回復しか能のないプリーストが……疲弊しきっていた上の不意打ちとは言え、勇者を一撃で屠った私を近接戦闘でどうにかできると?」


 黒装束の男の言っている事は正しいようで、姫様とアナスタシアさんは悔しそうな表情を作った。

 と、そこで――


「なっ……心臓を貫かれていると言うに……?!」


 一瞬の出来事だった。

 その場に倒れていた……にぃにが起き上がり、黒装束の男が動揺している所で白銀の剣を一閃。


 ボトリと黒装束の男の首が地面に落ちる。


「スキル……食いしばりっつーんだよ。致命傷でも少しの間……HPがギリギリ1だけ残るんだ。つっても……心臓貫かれてるんだ。流石に……ここで終わりか」


 にぃにはそう言って、地面に横たわる黒装束の男の上に倒れこんだ。









「致命傷です。現在、ダイキさんは半分死人の状態です。現状維持が精いっぱいで……私にはどうすることも……」


「アンタ……プリーストでしょ!? 回復職でしょ!? 助けなさいよ! 救いなさいよ! ダイキが……ダイキがこのままじゃ死んじゃうっ!」


「全力でやっていますっ! ですが……完全回復魔法を扱えない私では……心臓を貫かれている状態では……延命が精一杯なのですっ!」


「じゃあ、どうすりゃ良いってのよ!」


 涙を流すアナスタシアさんに、姫様は難しい顔をして崖の上を指さした。


「手は……あります。完全回復魔法であれば……助かるのです」


「完全回復魔法……。天翼人の都にあるっていうエクストラポーション? 確かにそれなら……。でも、選民思想と排他主義の権化のようなあいつらが私達のような……人間に手を貸すなんて」


「天翼人は魔物を忌み嫌います。故に、いくつかの伝承では、魔を払う勇者にアイテムを授けたという話もあるほどです」


「でも、それは勇者だから……アイテムを授けてくれたんでしょう? ダイキをここから動かせない以上は……私が行っても聞く耳なんて持ってくれないでしょうに?」


「勇者が危篤状態だと伝えれば……あるいは」


「それを連中が信用すると思う? 筋金入りの排他主義・選民思想の持主の連中よ?」


「……」


「……」


 そこで姫様は溜息をついた。


「……やはり八方塞がりですか」


「一か八か……連中の都に強襲をかけて強奪でもしちゃう?」


「それも手ですが……ケルベロスの呪縛と言う伝承もあります」


「天翼人の都から盗みを働いた者はファラオの呪いヨロシク……呪い殺されるってヤツ? おとぎ話の世界じゃん?」


「それを言うならエクストラポーションもおとぎ話でしょうに。まあ、それは置いておいても……まずは、貴方単独で都を一つ落とすことは無理でしょう。それに、仮に成功したとして、天翼人を神の使いとして崇拝する教圏の総本山である……聖皇国を口説くことは不可能になるでしょうね」


「聖騎士団が参戦してくれないとなると……魔王軍には対抗できない。くっそ……一体全体どうすりゃ良いって言うのよ!?」


 私はギュっと拳を握りしめる。


「私が……行きます。エクストラポーションの場所なら知っていますし……盗むだけならどうにかなると思うんです」


「……え?」


 私は上着と肌着を脱いで、ナイフで切り込みを入れる。

 そして、背中から――翼を出現させて、再度、肌着と上着を着こんだ。

 

「黙っていてごめんなさい。私は人間と吸血鬼のハーフではありません」


「あなた……ひょっとして……」


「はい。吸血鬼と天翼人のハーフです」


 それだけの言葉で全てを納得した二人はゆっくりと頷いた。


「任せたわよ。アリエル」


「完全回復魔法でも死人の蘇生はできません。だから――アリエルさんが戻るまで……ダイキさんは私が絶対に死なせません」



 そして私は崖の上に視線を移し――純白の翼を広げた。









 崖の頂上――天翼人の都までは高度にしておおよそ500メートル。

 基本的に私の翼は垂直上昇仕様にはできていない。

 つまりは、今から私は相当な無茶をしようとしている。

 本当なら崖に張り付きながら……小さい飛翔を繰り返すというのが一番良いのだろう。

 でも、今は一刻一秒を争う。そんな事をしている暇はない。



 翼を大きく羽ばたかせて、私は数メートル浮き上がった。

 垂直方向に空を舞うという事を無理やりに例えると、途中で辞めるのできない全力走ということになる。

 酸素と筋力の消耗は正にそのままの意味で全速力で地を駆けるのと変わらない。

 常に全速力で走り続け、力尽きれば奈落へと真っ逆さまという寸法だ。


 でも……と私は思う。


 ――私のせいだ。


 そう、全ては私のせいなのだ。

 私をつけ狙っていたヴァンパイハンターのせいで……。

 私のせいで、私なんかと関わったせいで……今、人類の歴史が変わろうとしている。

 いや、変わろうとしてしまっている。


「だったら――私が責任取るしかないでしょうがっ!」


 胸から熱い何かが込みあげてくる。

 背中の翼がバシュっと大きく、そして激しく空を打った。



 ――加速。加速。更に加速。

 全力、全開、全速力。

 溢れる思いを力に変えて、私を空を駆け上がり――そして舞い上がる。



 が、しかし、気持ちだけで……できることには限界がある。

 酸素を異常に消費する運動であるところの飛翔。

 無茶をすれば必然、限界がくる。

 すぐに息が切れ、手足が重くなってきた。


 いや、重いどころか、酸素が足りていないのか、手足の先がしびれてきた。

 しびれが手足から全身にひろがり、思考がボヤけて、だんだんと何も考えられなくなっていくる。



 ――渡り鳥は肺から血を吐きながらも海を渡るという。

 それと同じく、限界を迎えつつある私は――ゴフっと血の息を吐き出した。


 そこで、にぃに……勇者様の横顔が私の脳裏に浮かんだ。


 ――私に優しくしてくれた人。


 ――本当のにぃにみたいな人。


『大きくなったら私――にぃにと結婚するんだ』


 花が舞い散る花壇で私が本当のにぃに――兄に言った言葉を、何故か思い出した。


 ――そして。


「私の為にこれ以上……大好きな人を死なせないっ! 絶対に――死なせない!」



 ――強くて優しい勇者様。

 あの人に憧れているから、だから、もう一回……私の翼よ羽ばたいて。



 ――強くて優しい勇者様。

 あの人を死なせたくないから、だから、もう一回……私の翼よ羽ばたいて。



 ――強くて優しい勇者様。

 にぃにみたいな……勇者様。

 あの人の事が大好きだから、絶対に死なせたくないから。だからお願い私の翼よ――



「限界を超えて――天の頂まで私を運んでっ!」



 朦朧とした意識の中、半ば無意識で私は更に飛び続ける。

 そこで私の心臓は、私の脳に明確な意識を保てるだけの酸素の供給を与えることのできる限界を超えた。


 と、そこで私の視界は完全に暗転――ブラックアウトとなった。

 いよいよここで終わりか……と思ったその時――



 ――時間にすれば意識を完全に失ったのは数秒のできごとだったと思う。



 ともあれ、気が付けば私は崖の上で仰向けで突っ伏していた。




 エクストラポーションは、市街地から離れた森の中の古びた井戸から湧き出ている。

 聞いた話によると、井戸の中には錬金術の最高傑作と呼ばれる賢者の石が保管されていて、その影響で水が魔術的に変異しているとのことだ。


 ともかく、実はそんな感じでいくらでも溢れ出るものなのだ。

 勿論、この土地で数年間を過ごした私はそのことを知っているし、ほとんど警備がないことも知っている。


 恐らくは……都の市街地を避けての森林伝いのルートであれば、それこそ一人とも会わずにすむだろうと思っていて、事実そうなった。

 ただ一つの誤算があるとすれば――私の叔父が本当に私達の家族を快く思っていなかったということだろうか。




「2度と……都には戻らぬという話ではなかったか? まさかコソドロに戻るとは思わなかったぞ」


 エクスポーションを革袋の水筒に詰めた所で、私は衛兵に囲まれた。

 事の顛末を説明すると、要は私達には呪いがかけられていたとのことだった。

 つまりは兄妹が吸血鬼の混じり物だと分かり、この土地を追放された時に、再度の侵入の際に自動発動するアラームのような魔法を叔父にかけられていたという話だった。


「叔父様。先ほど説明差し上げた通り……勇者様を……お願いですから……ここは見逃してください」


 しばし考えて、叔父は軽く頷いた。


「見逃せ……という話なら条件が二つある」


「条件?」


「アリエルという名前の意味を知っているか?」


「……分かりません」


「天翼人の始祖と同じ名前だ。お前のような存在がその名を名乗ることは我々にとっての冒涜に等しい。故に、今後一切お前はアリエルという名前を名乗ることは許さん」


「分かりました。もう一つは?」


「もう一つの条件……それは死だ。そして、これはもう条件が成就してしまっている」


「……?」


「私達がお前の侵入を察知した原因のアラーム……その呪術式の名前を知っているか?」


「……分かりません」


「ケルベロスの鎖だよ。そして、呪殺は既に始まっている」


「……盗みを働いたものを呪い殺す……と言う?」


「その通りだ。私たちは殺生を好まない。だから、一度目は罪人を逃がす。そして、魔物との混じり物であることを隠していたお前たちの命も奪わなかった。そうして、呪殺は都への再訪をトリガーに行われる」


「……そうだったん……ですね」


「もう行っても良いぞ。助けたい人がいるのだろう? 残り時間は1時間もなかろう。おい、お前ら……この子に道を開けてやれ」


 そこで、衛兵の一人が叔父に不思議そうに尋ねた。


「本当に通しても……よろしいのでしょうか? たかがエクストラポーションの盗難とは言え……」


「真祖の吸血鬼と恋に堕ちた……哀れな女とは言えコレの母親は俺の妹だ。どの道、既に……この子の命は冥府の神へと……光の粒子となって届けられることは確定している。最後くらい……好きにさせてやれ」


 とにかく、どちらにしろ時間は無さそうだ。

 通してもらえるというのなら……早く通してもらおうと、私は一歩足を踏み出した。

 と、そこで叔父は私の肩をポンと叩いた。


「再度の確認だ。例え……後、少しの命とはいえ、それでも今後アリエルという名前は今後名乗るな。それは全天翼人に対する冒涜となる。それがここを見逃す絶対条件だ」


「分かりました。叔父さんもまた……最後に……お母さんに対する優しさを見せてくれたのだと思います。ならば私も約束を守ります」










 一面が焼け焦げた渓谷の岩場。

 勇者様……にぃに……が……目を覚ました。


「アリエル……お前……足……は?」


 一面に舞い散る銀色の粒子。

 昼のホタルとでも形容できそうなそれらは……元は私の膝から先の足だったものだ。

 崖の上の都から滑空して降りてくる時から、肉体の光への変換は始まり、どうやら加速度的にその速度を上げてきているようだ。

  

「ダイキ。これはケルベロスの鎖と呼ばれる呪殺術よ」


「呪殺の最上位魔法だよな。確か天翼人の都から盗みを働くと発動するって……まさか……アリエルが?」


「そう、おとぎ話の世界だと思っていたんだけど、どうやらマジだったみたいなのよね。さっきから調べているんだけど……解呪どころかどういう魔法かすらもわかんない」


 ブ厚い魔術書に目を走らせながらアナスタシアさんは溜息をついた。


「あの世とこの世をつなぐ……ケルベロスの鎖に引き寄せられ、光となりて川を渡らん……って書いてるわね。まあ……ケルベロスの住む地獄への片道切符……呪殺って事だろうね」


 そこで、にぃにはアナスタシアさんの肩を掴んだ。


「状況は大体分かった。で、アリエルは助かるのか? 助からないのか? お前でどうにかなるのか」


 悔し気な表情でアナスタシアさんは首を左右に振った。


「……ごめん。私じゃどうにもできない。何もしてあげられない」


「そうか……分かった」


 その時、足だけじゃなくて私の手先も光に包まれた。

 そして見る見る間に指先が光の粒子となって消えていく。

 手首まで光となって消えた時、にぃには……悲痛な表情を作った。


「アリエル? 何か言いたいことはあるか? お願いごとがあるなら聞いてやるぞ」


「私ね、本当のにぃに……に……言ったことがあるんだ」


「何をだ?」


「大きくなったら私――にぃにと結婚するんだって……」


「……」


「勇者様。あなたは……優しくて強くて……にぃにみたいで……」


「……」


「お願い事……言っても……良いかな?」


 涙を流しながら、それでも……にぃには無理やりに笑みを浮かべた。


「ああ、良いぞ。何でも言ってくれ」


「今度生まれ変わったら……お嫁さんにして……くれるかな?」


「……ああ、分かった」


「約束……だよ?」


「ああ。約束だ」


「にぃに……大好き……だよ……」


「なあ、アリエル?」


「……何?」


「お前は今までいろんな悲しい目にあった。いろんなことを我慢した。俺たちにすら……ずっと気を使っていただろ?」


「……うん」


「次は……やりたい放題にワガママに生きろ。生まれ変わったら――お前がドレイ扱いされるんじゃなくて、お前が周囲をドレイのようにして振り回すくらいで丁度良いさ」


「……はは……そ……だ……ね……」

 

 手足が完全になくなったところで、にぃにが私をギュっと抱きしめてくれた。

 


 温かい。

 にぃにの胸って、とっても温かいなぁ……。

 

 幸せな気分になっていたところで――パっと私の体全体が一気に発光した。

 何となく、私にはわかる。

 終わりは、近い。


「バイバイ……にぃ……に……」


 全てを察したように、とめどなく涙を流しながら――それでもやっぱり、にぃには無理やりに笑顔を作った。


「さよならじゃない。別れ際には――またなって言うんだ。俺も死んだら……お前のところに走って行くから」


「うん……それじゃあ……また……ね」


「あの世で必ずまた会えるから。だから、少しだけ待ってろ。寂しくなんてないからな」


 そうして、ポタポタと流れ落ちる……にぃにの涙を頬に受けながら、私の意識は――


 ――消失した。











 ――それはとても寒い白夜だった事を覚えている。

 白い夜だから、白夜。まあ、それは今はどうでも良い話か。


 ――ともかく、ケルベロスの鎖によって……私は光の粒子へと変わって川を渡り、こちらの世界へとたどり着いた。

 


 そして、冬のフィンランド――教会の前の雪上で、意識を失い倒れていた私は神父様に声をかけられて目を覚ました。


「翼……天使……様? 君? 名前は?」


 と、そこで叔父の言葉が脳裏を駆け巡った。


 ――今後アリエルという名前は名乗るな。それは全天翼人に対する冒涜となる。それがここを見逃す絶対条件だ


 私は首を振って、神父にこう言った。 


「アリエル……ARIEL……いや……」


 後になって思ったのだが、逆さ読みってのも芸がない。

 でも、その時は真剣だったのだから仕方ない。


「私は――LEIRA……違う。REILA……そう、私はレーラです」


 こうして、私はフィンランドで聖職に従事している……日本人のクォ―ターである、サカグチ夫妻の養子となった。








 それから翼を持つ私――レーラ=サカグチはヴァチカン奇蹟認定局より奇蹟認定を受けた。

 つまりは本物の天使として認定され、丁重な扱いを受ける事になったのだ。まあ、勿論……吸血鬼としての部分は未だ誰にも見せていないんだけど。


 とはいえ、再生能力の異常な高さは……若干疑われているフシはある。

 と、それは良しとして、その後はヴァチカンであらゆる分野の教育を受け、アメリカへの留学時に博士号も取った。

 最終的には退魔に最も適正があるということで、その名もズバリのドミニオンズに配属されることになる。



 ――そして、フィンランドの教会の前で倒れていた時から数えると、なんやかんやで10年が過ぎて……現在に至るというわけだ。


「……ああ、もう……本当に出来の悪い話ね」


 高級ホテルの高層階の一室で、私はコーヒーをすすりながら階下のネオンを眺める。



 ――あれは、子供の頃の遥か昔の物語。

 そして、科学全盛のこの世界で私は育ってしまった。

 そりゃあもう、あっちの世界でのことなんて……今では夢物語っつーか、本当に夢かなんかだと……最近はマジで半分そう思っていた。


 嫌な思い出ばかりだったから、脳が忘れたがっているってのもあるんだろう。

 実際、恐らくは普通の人よりも遥かに子供の時の記憶が……年の経過と共にどんどんボンヤリしていっているみたいだし、あの頃に出会った人の顔はほとんど思い出せない。


 ――だから、初見では……私はアイツに気づけなかった。


 当時の映像記憶はあんまりなくて、当時のアイツの顔もあんまり思い出せない。


 けど、これだけは覚えている。

 そもそも、異世界で出会ったアイツは……何というか目つきも鋭くて、張り詰めた感じで……ハッキリ言っちゃうとカッコ良かった。


 何っつーの? 雰囲気イケメンって奴?


 でも、ここで最初に会ったアイツはなんだかニヤケ面というか、腑抜けているというか。

 っていうか、白銀の甲冑を着こなす勇者と、ヨレヨレの学生服の冴えない男なんだから……そりゃあ私も気づかない。


 いや、本当は心のどこかでは違和感と言う形では本当に少し程度は気づいていたのかもしれない。

 けど……瞳に魔力を帯びていないという、この世界での裏社会の常識にアイツがあてはまらないという……そんな分かりやすいところに気を取られてしまった。


 ってか、大前提として……普通に帰ってきた場合とケルベロスの鎖で引きずりこまれた場合では時間が違うってのはあまりにも想定外に過ぎたってのも非常に大きい。


 ――でも、今日……アイツが九尾を仕留めたのは雷撃の魔法だ。それは子供の時にお母さんにおとぎ話で散々に聞かされた、勇者にしか使えないという雷属性の究極の技のはずだ。



 アレを見て……勇者とアイツと結び付けるなっていうほうが無理がある。

 そして、少しでも結びついてしまえば、すぐに全てが一気に頭の中でつながった。


 で、そんでもって……今日。

 とりあえず、九尾を倒した現場から……私は挨拶もそこそこに逃げるように去ってきた訳だ。 

 当然、明日にはアイツと高校で嫌でも顔を合わせることになる。


「さあ、どうするか……」


 私はアイツの家の方角を眺める。


『必ずまた会えるから。寂しくなんてないからな』


 あの時のアイツの言葉を思い出して、私はトクントクンと……高鳴る胸の鼓動を感じながら――うんと頷いた。


「にぃに……いや、アイツの言うとおりだった。本当に……私達……もう一度会えたんだよね」


 明日――高校でアイツとどんな顔をして会えば良いのだろう。

 アイツは旅の途中で拾った哀れな――小さな小さな女の子の事を覚えているだろうか。


 明日が待ち遠しいようで、それでいて……少し怖い。

 嬉しいようで……不安でもある。



 色んな気持ちが私の胸をうずまいているが、二つだけ言えることがある。

 一つは今夜は私は絶対に眠れないだろうということ。

 そしてもう一つは、私は朝、教室でアイツに会った瞬間に絶対にこう言うだろうということだ。

 つまりは――


『ちょっとアンタ? 大事な話があるから、今すぐ屋上まで顔を貸しなさい?』



 




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