第38話 VS九尾の狐 ラスト

「つまり、これで一件落着って話ですよね」


 そこで先輩はフルフルと首を左右に振った。


「まだ……一番の肝心な事が終わっていないわ」


「どういうことですか?」


「貴方と私の関係よ」


「え?」


「貴方、今日は学校を休みなさい。勿論、私も休むから」


「……え?」


「ねえ、森下君?」


「はい?」


「――今から、私と……少し海に行きましょうか」


「海……ですか?」






 


 



 昼下がりの海岸線。

 キラキラと陽光が水面に煌き、春下がりの涼やかな風が心地良い。

 俺と阿倍野先輩は岩場に腰を落ち着けて海を眺めていた。


「ねえ森下君?」


「何ですか先輩?」


「食べ物は何が好き?」


「ラーメン……ですかね」


 クスリと笑って阿倍野先輩は軽く頷いた。


「私もラーメンは好きよ。それじゃあ今度……私と一緒に行列のできるラーメン屋さんに一緒に並びましょう」


「……はい」


 そして訪れるしばしの沈黙。

 阿倍野先輩の絹のような長髪が海風で宙に流れる。

 海面からの照り返しの光で、ただでさえ白い肌が更に透けるように白く見える。

 胸も半端じゃなくデカいし、黙ってれば本当に綺麗なんだけどなこの人……と俺はため息をついた。


「ねえ森下君?」


「何ですか先輩?」


「後、数ヶ月もすれば夏ね。貴方は海は嫌いかしら?」


「嫌いではないですよ」


「それじゃあ、女の子の水着はどんな水着がお好みかしら?」


「青と白のストライプタイプですかね。もちろんビキニタイプです」


「じゃあ今度……私と一緒に一緒に買いにいきましょう。私と貴方は友達なのだから……夏休みは一緒に海に遊びに行きましょう」


「……はい」



 そして訪れるしばしの沈黙。

 先ほどから阿倍野先輩はジッと俺の顔を見つめてきている。

 目が大きくて、通った鼻筋に真紅の唇に瑞々しい白い肌。ほとんど化粧っ気もないのに、本当にそこらの女優なら裸足で逃げ出すレベルだろう。


「ねえ森下君?」


「何ですか先輩?」


「遠い未来。あなたにも奥さんができるわよね?」


「まあ、できないよりはできてくれた方が良いですよね」


「新婚のアツアツ状態で、家に帰った瞬間に『お風呂にする? ご飯にする? それともワ・タ・シ?』的なそんなベタな展開があった場合、貴方はどれを選ぶの?」


 何を言っているんだコイツは……と思いながら俺はゲンナリとした。

 って言っても、先輩の不思議ちゃんは今に始まった事ではない。

 と、いうことで俺は正直に質問に答えることにした。


「ワ・タ・シ……ですかね?」


「ふふ。正直ね」


 そう言って先輩は満足げに頷き、言葉を続けた。


「森下君。それじゃあ今度……私と一緒にコンドームを買いにいきましょう。ああ、そうそう。その時には私と貴方が初夜を過ごすラブホテルの下見も忘れてはいけないわね」


「おいこらちょっと待てお前」


「え……?」


 何を言っているの? 的な感じで阿倍野先輩は大きく目を見開いた。


「ってか、いきなり何の話をしているんですか!?」


「何の話って……セックスの話よ?」


「女の子がセックスとか男の前で平気な顔して言っちゃダメっ!」


 呆れた――とばかりに阿倍野先輩は肩をすくめた。


「あのね森下君?」


「何ですか?」


「私は処女よ」


「そんなことは知っていますよ」


「そうなのよ、つまり私は――」


 阿倍野先輩は押し黙った。

 そして大きく大きく息を吸い込んで彼女はこう言った。



「――処女ビッチよ」



「だから、何故にもったいぶった感じで言い直す必要があるんですか!?」


「正直ね、今回の件で思うことがあったのよ」


「と、おっしゃいますと?」


「戦場に身を置くものとして、処女であるということはそれだけでマイナスだとは思わない?」


「まあ……敵に負ければ……そういうこともあるでしょうからね」


「九尾に貴方が負けていれば、今頃私は……小鬼の精液塗れよ」


「だから女の子が――男の前で平気な顔して精液塗れとか言っちゃダメっ!」


「そうなのよ。つまり――」


 阿倍野先輩は押し黙った。

 そして大きく大きく息を吸い込んで彼女はこう言った。



「――ぶっかけられ放題よ」



「だから、何故にもったいぶった感じで言い直す必要があるんですか!?」


「そう、それはもう……エロ同人のようにね」


「話が生々しいですよっ!?」


「まあ、そんな感じで……処女なんて捨ててしまおうと思った訳よ。弱点にしかならない訳だしね」


「……それはそうかもしれませんけど」


「ちなみに、処女を捨てれば……処女が取れて私はただのビッチになるわ」


「そんな奴と友達なんて嫌だよっ!」


 ふふっと阿倍野先輩は笑って、俺は頭痛に頭を抱えた。


「貴方も童貞なんて……とっとと捨てたいでしょ?」


「意外に俺ってロマンチストなんですよ。初めては……好きな人としかしたくありません」


「2回目以降はどうでも良いのかしら?」


「それは……どうなんでしょう。世の中には風俗産業っていうものもありますしね。男ってまあ……そういう部分があるということは完璧には否定できないでしょうね」


「やはり貴方は……貞操観念がゼロのド変態のゴミクズね」


「アンタにだけは言われたくねーよ!?」


「まあ、さすがはピチクソ野郎と言ったところかしら」


「ともかく、ノーサンキューです。俺は……そんなに適当に……とりあえず、そこに都合良く適当なのがいたからこいつで済ましておこうみたいな……そんな感じで誰かの処女はもらいたくないし、童貞も捨てたくありません」


 阿倍野先輩は立ち上がり、岩肌に座る俺の前で中腰になった。

 そして俺の両頬を掴んで、瞳を真っ直ぐと見つめてくる。

 顔の距離は10センチと言ったところで、先輩の吐息が俺の鼻筋をくすぐった。


「ねえ、森下君? 私が――そんなに適当に選んだみたいな感じで、貴方にこんなことを言っているように見える?」


「……え?」


「私はエロいわ。そう、私は処女ビッチよ。そして……処女が取れればただのビッチよ。いや、むしろ――クソビッチよ」


「クソビッチって……」


 先輩は大きく大きく息を吸い込んで――何かを決心したように軽く頷いて断言した。




「ただし――貴方専用のクソビッチよ」




「先輩……? 何を言って……?」


「じゃあもう……ハッキリ言っちゃうわね」


 先輩は頬を軽く染めて、そして――


「森下君――私と結婚を前提にした……お友達になってください」


「日本語がおかしいぞお前っ! 結婚を前提とした友達ってどういうことだよっ!?」


 そこで先輩は儚げな表情を作り、目じりに涙を貯めた。


「ねえ森下君? 私のこと嫌い?」


 いかん。そういえばこいつ……すぐに泣くんだった。

 強気なのか弱気なのかどっちなんだよ……と思いながら俺はため息をついた。


「嫌いじゃあありませんよ」


「じゃあ、どうするのよ森下君?」


 ああ……と俺は天を見上げた。

 最初はちゃっちゃとこのメンヘラから逃げようと思っていたが……なんだかんだで……いつの間にか……雁字搦めに固められてしまったなと。

 

「とりあえず……やっぱり友達から……ですかね」


「友達……から?」


「貴方とお付き合いをするには……あまりにも俺は貴方のことを知らないんです。だからこの場では回答できません。でも、俺も真剣に考えますから」


「……」


 不満げに阿倍野先輩は顔をしかめて、アヒルのような口を作った。


「先輩? 友達以上恋人未満という言葉を知りませんか?」


 そこでパァっと阿倍野先輩は花を咲かせたように笑顔を作った。

 あまりにもその笑顔が美しくて――まるで美術館に飾られている一枚の絵画のようで。

 俺は阿倍野先輩の笑みに、その瞬間、確かに心臓を鷲づかみにされてしまった。


「ええ、分かったわ。今日のところはそれで手打ちにしてあげる」


 手打ちって……男女のこういう場面で使う言葉じゃねーぞと俺は苦笑する。

 そして腕時計を眺めると、ボチボチ良い頃合の時間となっていた。


「それじゃあ帰りましょうか。駅まで歩きましょう」


 立ち上がり、俺たちは岩場を抜けて砂浜を並んで歩き始めた。

 

「ねえ、森下君?」


「何ですか?」


 阿倍野先輩は自分の右手を見つめ、そして不機嫌そうな表情を作った。


「右手が寂しいわ」


「どういうことですか?」


「だから、右手が寂しいのよ」


 そうして阿倍野先輩は俺の左手を指差した。


「手をつなげって……事ですか?」


「端的に言うとそういうことになるわね」


「でも、俺たち……付き合ってる訳じゃないですよね?」


「あら? 私たち……友達以上恋人未満じゃなかったかしら?」


 こう言われてしまったら何も言い返せない。

 俺は阿倍野先輩の手を握り、そして駅まで歩き始めた。

 5分ほどして、駅が見えたところで阿倍野先輩は立ち止まった。


「どうしたんですか? 駅はすぐそこですよ?」


 フルフルと阿倍野先輩は首を左右に振った。


「一駅くらい歩きましょうよ」


「どうしてですか?」


「今……貴方の右手がとても温かいから。もっと貴方のぬくもりをもっと感じていたいから。一駅歩く理由――それは理由にはならないかしら?」


「えっ……?」


 そうして俺たちは、道を右に曲がって次の駅へと歩き始めた。

 長い沈黙だったが、阿倍野先輩の右手の温もりが妙に……心地良い。


「ねえ、森下君? 父親と姉に裏切られて私は……本当に悲しかったのよ」


「はい。そうでしょうね」


「本当に胸が張り裂ける思いだったわ。でも、そんな事は今はどうでも良いの。九尾の廃神社……あの日あの時あの場所に、私を助けるために貴方が来てくれたから。そして今、貴方が私の手をつないでくれている。ただそれだけで私はとても幸せなの。今、この瞬間のこの心臓の高鳴り――もしも人生をやりなおせるとしても、今のこの瞬間の時の為だけに、きっと私は今と全く同じ道を歩んでいるわ。ねえ、森下君? 信じられる? 私――今、そんなことを本気で思っているのよ。今から言う言葉は本当の本当に、金輪際私の人生で貴方以外の……いえ、貴方にすらもこれから2度と言わないから、耳をかっぽじって良く聞きなさい――」


 そして阿倍野先輩は困ったような顔をして、頬を真っ赤に染め上げて言葉を続けた。


「大好きよ森下君。愛しているわ」




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