第36話 VS九尾の狐 エピローグ その1


 2日後。

 今、色々あって俺は家の近くの森林公園のダンボールハウス内でお茶を飲んでいる。

 結構、本格的なダンボールハウスだ。

 漫画喫茶の個室内程度のスペースの片隅には旅行用のガラガラが置かれている。

 

「どう? 美味しい? 森下君? 京都の玉露よ」


「美味しいです。このお茶って相当高いですよね? まあ、ダンボールハウス内で飲む代物ではないですが」


「ええ。家の台所からパクってきたものだから……」


 ちなみに、お茶のお湯はハウスの外の焚き火で作ったものだ。





 ――あれから。


 九尾が討伐されたことは伏せられて、復活の時期が間違いだったという無茶な理屈で事情説明を押し切ったのだが、割とすんなりと説明は受け入れられた。

 まあ、散々手を焼いていた妖怪を高校生だけでフルボッコにするなんていう説明のほうが無茶なのだから、受け入れられたこと自体はそれほどにはおかしくない。


 そして、色々あって阿倍野先輩は自分の意思で一方的に家を出ることになった。

 後から諸々の事情を聞かせてもらったが、まあ……家を出るつもりになったのも分かる。

 結局、この人は家族から切られたわけなんだから、まあそこは仕方ない。


「ところで阿倍野先輩?」


「何かしら?」


「さっきから何を飲んでいるんですか?」


「雑草のスープよ」


「……それじゃあ、さっきから食べているのは?」


「ドングリを潰して固めて焼き上げたものよ。炭水化物の摂取はとても大事よ森下君」


「……貴方……お金持ちのご令嬢ですよね?」


 ダンボールハウスの天井を見上げながら、遠い目をして阿倍野先輩は言った。


「そう言われた時期もあったわね。自慢じゃないけどお金に困ったことは……今、この瞬間しかないわ。財布の中の残金は7円よ」


「……お金……貸しましょうか?」


「貴方に貸しは作りたくないわ」


「そんなこと言っている場合じゃないでしょうに」


「……」


「……」


 しばし無言で見つめあい、そして自嘲気味に阿倍野先輩は笑った。


「お金が無いって残酷よね」


「先輩の気持ちは分かりますが、家に戻ってください。家族が割れた原因である九尾も消えました。頭を下げて話せばきっと分かります。実の家族なんです。食べて寝ることくらいはできますから」


「あの人たちの世話になんて絶対になるつもりはないわ。相手は実の妹にコカインの錠剤を大量に渡すようなマジキチよ? そもそも今回の件でどうして私が頭を下げないといけないの?」


「気持ちは分かりますが……大人になりましょうよ。確かに先輩は悪くないです。でも、悪くなくてもごめんなさいって言う……そういう大人の対応も大事なんです」


「でも、本当に失敗したわ」


「家を出たことがですか? まあ、今更戻りにくいのも分かりますが、俺も一緒に行きますから頭を下げましょう」


「違うわ。コカインの錠剤を受け取らなかったことよ」


「……?」


「闇ルートで流せば相当なお金になっていたはず……失敗したわ。どうして後になって……つまり、今ね。この事態を想定して売りさばくという選択肢が思い浮かばなかったのか……」


「お願いですから売人ルートは辞めてくださいっ!? 知り合いが懲役なんて嫌ですよ!?」


 お巡りさんをなんだと思っているんだこいつは。


「ねえ、森下君」


「なんですか?」


「ドングリって不味いのよ」


「美味かったら普通にスーパーで並んでいるでしょうからね」

 

 アク抜きが重要と聞いたことがあるが、基本はお嬢さんのこの人はそんなことも知らないだろう。

 つまり、今、この人が食っているドングリの煎餅は食えたもんじゃないはずだ。


「私は色々……限界よ。ダンボールハウスも昨日の大雨で大ダメージを受けたわ。寝ているときにポタポタポタポタ……雨漏りが激しくて……正直、情けなくて涙が出たわ」


「まあ、ダンボールハウスですからね」


 若干やつれた表情の阿倍野先輩を見ているといたたまれない。

 そもそも、この人は今回の件で何も悪いことはしていないのだ。

 どうしてこんな仕打ちを受けているのか……という気持ちは俺にもある。


「本当に、お金なら貸しますよ? お年玉貯金で結構な金額はあります。当座は何とかなる程度はありますから」


「だからそれは要らないわ。私は自力で何とかするわ」


「自力って言っても……色々無理ゲーでしょう?」


「ねえ、森下君?」


「何でしょうか?」


「自分で言うのもアレだけど、私って美人よね?」


「貴方に対してこんなことはあまり言いたくないことですけど、顔だけならとんでもない美人です。軽く引くレベルです。テレビに出てる女優さんよりも普通に綺麗だと思います」


「そして私は色々と限界なの」


「はい、まあ……ご令嬢が突然のダンボールハウスで雑草やらドングリやらを食べてるレベルだからそうなんでしょうね」


「そして私は美人。つまりね森下君――私、体を売ろうかと思っているの。SNSを使えば申し込みは殺到よ」


「おいお前ちょっと待て」


「プライドとお金を天秤にかけて、お金が勝ちそうな――そこまで私は追い込まれているの」


「だから、お金なら貸すって言ってますよね?」


「そこで提案があるの」


「提案? そんなことはどうでも良いですから……先輩。もうめんどくさいですから俺からお金を借りてください。いや、むしろ10万までなら差し上げます。返さなくて良いですから」


「だからこれ以上は貴方の世話にはならないわ」


「本当に面倒な性格してますよね」


「そこで提案の内容を言うわね。森下君が協力してくれるなら私は本当に体を売っても良いと思っているのよ」


「協力?」


「まず、森下君がハッテン場でマッチョのガチムチに体を売るのよ。安心して……コミュ障の貴方の変わりにガチムチ兄さんとの話は私がつけてあげるわ」


「意味が分からないですよっ!? ってか、コミュ障は貴方でしょうに!?」


「勿論、仲介役の私が……貴方が体を売ったお金の半分を受け取るのは当たり前の話なのだけれど」


「無茶苦茶言ってますけど自覚ありますかっ!?」


「そしてこれが大事なのだけれど……そうすれば私も覚悟をすることができるのよ。私の為に森下君がそこまで頑張っているのだから私も体を売らないとって……」


「だからお金を貸すって言ってるじゃないですか!」


「……だから、これ以上……貴方の世話にはならないわ」


「……」


「……」


「……」


「ともかく、私はそこまでお金に困っているのよ。お風呂も入っていないし、今は全然大丈夫だけど、1週間後には異臭騒ぎが起きるわ……それだけはプライド的に絶対に無理よ。ありえないわ」


 そういえば先輩……今日は香水の匂いがかなりキツいな。

 まだ全然大丈夫なレベルだろうに、本当に気にしているらしい。

 俺はなんとも言えない気持ちになってくる。


「緊急事態ですから匂いが気になるなら学校は休んでも良いですから。でも、体だけは安売りしないでくださいね」


「ええ、そこは安心して。私の処女は最低でも10万円以下で売るつもりはないわ」


「だから売らないでっ!?」


 まあ、実際に募集かければ買うやつはたくさんいるだろう。

 認めたくはないが、顔とスタイルだけなら本当に先輩はとんでもない。

 そこで阿倍野先輩は儚げに笑った。


「色々と心配をかけて申し訳ないわね」


 と、そこで俺は腕時計を確認した。

 ボチボチ午後7時で……そろそろ母ちゃんの機嫌が悪くなる。


「ともかく、今日は俺は帰りますけど、俺に相談も無く早まったことだけはしないでくださいね!」


「ええ、貴方の忠告は話半分で聞いておくわ」


「ちゃんと忠告は聞いてくださいっ!?」


 と、そんなこんなで俺はその日はダンボールハウスから家に帰ったのだった。




 翌日。

 俺は通学路を歩いていた。

 と、そこで……ウルトラ超高級喫茶店が目に入った。

 確か、コーヒーの一杯で1500円も取るというセレブ御用達の喫茶店だ。

 嘘かまことか、カツサンドで2500円もするらしい。


「金に困っている女子高校生がいるってのに……本当に世の中狂ってるよな」


 ゲンナリしながら俺は喫茶店の窓から店内を覗き込む。

 株か、土地か……まあ、不労所得で稼いでいそうな連中が上品な笑みを浮かべながらシックな内装の店内で朝の一時を楽しんでいた。


「世の中には本当に金に困っている……ホームレス女子高校生がいるってのに……って……えっ!?」


 俺は口をパクパクとさせながら、店内をガン見した。


「なんでホームレス女子高校生が超高級喫茶店で――モーニングを優雅に食ってんだよ! 残金7円って言ってただろ!?」


 阿倍野先輩を発見した俺は、いてもたってもいられずに店内に入る。

 そして阿倍野先輩のテーブルの対面に座った。


「どういうことなんですか!?」


「どういうこともなにも……仕事を終えた後に一服して何が悪いの?」


「仕……事……?」


「ええ、ついさっき仕事は終わったのよ。一晩中……大変だったわ。眠る暇も無かったわね。正直、ハードすぎてヒィヒィ言ったわ。まあ、おかげでお金はたんまり貰ったけどね」


「先輩? 売ったん……ですか?」


「ええ、売ったわ。気持ち良いくらいに売ってやったわ。ええ、そうとも――私は全力で売ってやったわ」


 どことなくやつれた表情の先輩を見て、俺の頭痛が強くなってきた。


「俺に相談もなく早まるなって言いましたよね?」


「確かにそれは悪いと思っているわ」


 ともすれば涙が出てきそうになる。

 この人は確かに口は悪い。でも、悪い人ではない。

 何が悪いといえば……それはやはり社会が悪いのだろう。

 拝金主義――この社会が悪いのだろう。


「しかし先輩……早まりましたね?」


「まあ、確かに早まったかもしれないわね」


「……先輩は悪く無いです。そこまで追い込まれていたのも分かります。でも――」


「でも?」


「俺は先輩を……見損ないました」


 プライドと強がりの塊みたいな人で、俺は先輩のそういう部分は正直……ウザいけど嫌いじゃなかったんだ。

 でも、アッサリと自分を安売りするなんて……と。


「見損なう? どうして?」


「そりゃあそうでしょう? アンタ……自分の大事なものを……アッサリと売っちゃったんだろ?」


 そこで阿倍野先輩はクスリと笑った。


「まあ、そうかもね。確かに安売りはしたわ」


「……正直……見損ないました」


「でも、15億の商談よ? お金に困っているなら仕方ないじゃない」


「15億?」


「ええ、それが私の売ったモノの値段よ」


「……15億?」


 確かに先輩は恐ろしい美人だ。そして処女だったらしい。

 かなりの高値で売れるのは分かるが……15億? 

 ちょっと意味が分からん。


「その単位はジンバブエドルじゃなくて?」


「ええ、ジンバブエドルではないわ」


「訳の分からん国の通貨でもなくて?」


「日本銀行が価値を保障している15億円よ。きっちりと――15億JPYよ」


「すいません先輩。訳が分かりません。どうして先輩の処女が15億円で売れるんですか?」


 何を言っているんだこの人は的な感じで阿倍野先輩は大口を開いた。


「それは売ってないわ。そもそも昨日の話は冗談よ? 例え100億と言われても処女を売るわけがないでしょう? 私こそ貴方が何を言っているかサッパリ訳が分からないわ」


「どういうことなんですか阿倍野先輩?」


「つまりね森下君、私はセレブよ。超高校級の――お金持ちになったのよ」

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