私と先輩と恋のカタチ

怜 一

私と先輩と恋のカタチ


 ふと、疑問に思った。

 恋って、なんだろう?

 生まれてから、十六年。およそ、恋と思われる感情が、私の心に芽生えたことはない。

 好きな人はいる。だけど、その好きはLoveではなく、Like。

 friends。友達。

 それともちょっと違う、先輩と後輩の関係。そう。あくまで憧れている、だれよりも好きな先輩。



+



 「おい。花柳」


 先輩に声を掛けられて、ハッと我に帰った私は、誤魔化すように、手に持っていたお菓子を差し出した。


 「あっ、先輩も食べます?美味しいですよ?」


 先輩は、お菓子を避けるように軽く手を振った。

 相変わらずの塩対応。

 まぁ、先輩になら、冷たくされるのも嫌じゃないけど。


 夕陽が差し込む、放課後の部室。

 先輩と私は、いつものように長机を挟んで、部活動とは名ばかりのお喋りに勤しんでいた。

 一応、文芸部に所属しているが、私は、詩や本を読むことや書くことに興味はない。私が興味を持っているのは、目の前に座っている朝倉先輩だ。


 元々、同じ中学校の先輩で、私は、その頃から、朝倉先輩に憧れていた。スポーツ万能で頭も良く、さらに、なんといっても顔がめちゃくちゃ美人だった。そんな先輩が中学を卒業した後、私は、どうしても先輩のことを忘れられず、気付いたら、先輩と同じ高校と部活に入っていた。


 「花柳。お前、私の話を聞いてたか?」


 先輩は、手に持っているボールペンのノック部分を押して、カチカチと音を鳴らす。これは、先輩がイラついている時の癖だ。

 やっば。聞いてなかった。

 ちゃんと答えなきゃ怒られちゃう。

 私は、脳味噌をフル回転させて、必死に記憶を手繰り寄せる。


 「えーっと…。今週末、私と先輩がデートするっていう話だぁっ!!」

 

 先輩は、持っていたボールペンで、素早く私のおでこを突いた。予想以上に強すぎるその威力は、私のおでこを赤くするのに十分過ぎた。

 

 「誰が、いつ、そんな話をしてた?」

 

 先輩は、痛がっている私を睨みつけ、更なるボールペンをブレザーの胸ポケットから取り出す。

 二刀流っ…!?

 ヤバい。また、ふざけた返事をしたら、確実に殺られる…!!思い出せっ!思い出すんだ、私っ!ええと…、あっ!そうだっ!思い出した!

 

 「じょ、冗談、冗談ですって。文芸部が文化祭でなにやるかって話ですよね。ちゃんと聞いてましたよ。えへへ…」


 戯けるように笑った私を見て、先輩は、怒るのも馬鹿らしくなったのか、取り出したボールペンを、再び、胸ポケットにしまった。


 あ、あぶなかったぁ。グッジョブ。私の海馬。

 先輩は、足を組み直し、机に置かれた資料に視線を落とす。そこには、過去、文芸部が文化祭で行った出し物の一覧が記述されていた。

 

 「文芸部の通例は、部員達が書いた詩集や小説の展示だ。今年もそうしようと思うんだが、花柳は、他に案はあるか?」


 と、言われても、先輩と居られたらなんでもいい私にこれといった案は無いため、首を横に振る。


 「まぁ、そうだよな。私も同じ意見だ。しかも、他の出し物をしようにも、私と花柳の二人だけじゃ、人手が足りなくなるのも目に見えているしな」


 先輩は、深いため息を吐く。

 文芸部は、私と先輩以外に三人の三年生がおり、合計五名で構成されているのだが、三年生は受験に専念するため、今は、文芸部に所属だけしている存在。所謂、幽霊部員になっている。そのため、今回の文化祭は、私と先輩の二人だけで活動することになった。おかげで、先輩と二人っきりになれるという嬉しい誤算に恵まれて、生まれて初めて、受験という地獄のイベントに感謝した。


 先輩は、隣の席に置いておいた学校指定の黒いボストンバッグからノートを取り出し、机の上で開いた。


 「それじゃあ、今日は、文化祭までの活動スケジュールを決めるか」


 先輩は、白紙のページにボールペンを走らせ、文化祭までのスケジュールを書き上げていく。

 文芸部に入って良かったことが、二つある。まず、先輩と一緒にいられること。そして、文字を書いている先輩を、近くで観察出来ることだ。

 綺麗な黒髪を耳に掛ける仕草や、書いている間の無防備な表情。そして、白く、長い指が握ったペンから書かれる、先輩のイメージとは違う、可愛い丸文字。

 うへへ…。もう、最高。


 「花柳は、このスケジュールで完成させられそうか?」


 先輩から差し出されたノートには、三週間で四百字詰めの原稿用紙十五枚程度で完結する作品を完成させるという予定が組まれていた。

 スケジュールを確認した私の表情が、露骨に曇る。


 「うわぁ…。こんなに書かなきゃいけないんですか?」


 入部してから、ちょっとだけ詩や小説のようなものを書いたことがあるが、どれも完成させるだけで精一杯で、ページ数も、多くて原稿用紙六枚程度だった。


 「文化祭の出し物だからな。多ければ良いという訳ではないが、活動実績として、文句を言われないであろう目安だ。極端に少ない

ページ数だったり、あきらかに手を抜いた作品でなければ、この目安を下回っていても、問題はない」


 先輩は、続けて話す。


 「問題なのは、テーマだ。花柳は、どんなテーマを書きたい?」


 先輩からの質問に、私は首を傾げた。


 「テーマ?テーマって、ホラーとか、サスペンスとかってことですか?」


 先輩は、すぐさま否定する。


 「それは、ジャンルだ。テーマというのは、作品を通じて読者に伝えたいこと、もしくは、読者への問いかけだ。例えば、人間の愚かさをテーマに、ホラーを書くとか。あるいは、命の価値とはなにか?というテーマに、サスペンスを書くとか。そんな感じだ」


 先輩の小難しい話に、さらに、私の首は傾く。

 うーん。わかったような、わからないような。伝えたいことと言われても、誰かに伝えたいことなんて無いしなぁ。読者に問いかけることなんて、尚更、思いつかないなぁ。


 そんなことを考えて、お菓子を頬張っているうちに、頭の片隅にあった疑問が口から漏れた。


 「恋って、なんですかね?」


 唐突な質問に、先輩は、顔をしかめる。


 「恋?」


 私は、慌てて補足する。


 「あの、私って誰かに恋とかしたことなくって、前から恋したらどんな風になるんだろうなーって思ってて。だから、恋ってなに?みたいなテーマだったら、書けるかもなぁ、なんて」


 私の拙い説明に、先輩は、顎にボールペンを当て、興味深そうにしていた。


 「なるほど。そういう考えがあるなら、良いテーマだと思う。…しかし、そうだな。あくまで私の意見なのだが、そのテーマで書くならば、私は、花柳が考える恋のカタチを読んでみたいな」


 私の、恋のカタチ────

 先輩の言葉に、一瞬、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。

 あれ?なんだろう、この感覚は。

 なんか、ヘンだな。


 「恋のカタチって、なんですか?」


 私の質問に、先輩が答える。


 「恋した相手の人物像とか、その恋した相手と自分の関係とか、あとは、自分は、なぜその相手に恋をしたのか。そういった、自分と相手の色んな要素を一つにした時に、浮き出てくるカタチ。そんな、イメージかな」


 先輩は、私も上手く答えられないがと言って、苦笑する。

 また、難しい話。

 そんなに色々言われても、恋をしたことも、しようと思ったこともないから想像つかないなぁ。


 「花柳は、恋愛物の作品は見ないのか?漫画だったり、ドラマだったり」


 先輩の質問に、妙に納得する。

 確かに、お話を通じて、恋愛を体験することがあるかもしれない。しかし、残念ながら、私にそういった経験はなかった。


 「あんまり見ないんですよね。興味はあるんですけど、話が長いから、見てると眠たくなっちゃって」


 先輩は、少しだけ微笑む。

 

 「あぁ。花柳らしいな」


 その微笑みにつられて、私も笑う。

 談笑がひと段落し、のんびりとした時間が流れる。先輩が走らせるペンの音のみが、部室に響く。いつもなら、三階にある部室にまで響いてくる体育会系の人達の声は、ぱったりと聞こえてこない。どうやら、今日は休みの日らしい。

 いつもなら、そろそろ解散の時間だが、ここである事に気がついた。

 

 そういえば、先輩に恋人がいるとか、先輩に好きな人がいるっていう噂は聞いたことがないな。先輩に告白して、振られた人はいっぱいいたけど。

 普段なら聞き辛いけど、今ならいけるかも。

 私は、そんな軽い気持ちで、先輩に質問した。


 「先輩って、好きな人とかいるんですか?」


 ボールペンを走らせていた先輩の手が、ピタッと止まった。そして、先輩は顔を伏せながら、こう言った。


 「どうだろう。分からない」


 先輩らしくない曖昧な返事に、私は、頭の中が真っ白になった。


 二人の間に、沈黙が流れる。

 夕陽が落ちかけた部室は、もうじき暗闇に包まれようとしていた。

 私は、重くなった口を強引に開いて、先輩を問い詰めた。


 「わからないって、どういうことですか?私、恋愛経験はないですけど、好きかどうかくらい、わかりますよ?」


 先輩の顔は、斜めに伸びた影に隠れ、しっかりと表情を確認することはできない。しかし、先輩の右頬を紅く染めたのは夕陽ではないということは、理解できてしまった。

 

 「先輩。好きな人、いるんですね?」


 先輩は、なにも答えてくれなかった。


 胸が、苦しい。

 先ほどの違和感とは、違う。誰かに心臓を握り潰されそうになっているような感覚だこれまで感じたことがないほど、苦しいく、痛い。

 なんでだろう。

 なんで、こんなに苦しいんだろう。

 なんで、こんな気持ちになるんだろう。


 「花柳?」


 先輩が、心配そうに私を見つめる。

 

 「花柳。なんで、泣いてるんだ?」


 私は、自分の顔を両手で触る。

 体温とは違う、生温い暖かさが伝わる。

 私は、先輩から逃げるように部室から飛び出した。

 普段、走らない廊下を全速力で走った。駆け降りない階段を、駆け降りた。

 少しでも先輩から遠ざかるように、走って、走って、ひたすらに走った。

 そして、いつの間にか、誰もいない体育館裏に辿り着いた。息を切らし、冷たくなった壁に持たれかかる。


 「はぁ、はぁ…」


 火照った身体を、秋の夜風が冷ましていく。冷静さを取り戻した私は、自分を抱きしめ、ぐちゃぐちゃになった感情を見つめた。


 そっか。

 全部、分かっちゃった。

 なんで、こんな感情になっちゃったのか。

 なんで、涙が溢れちゃったのか。

 先輩を想う気持ちは、特別だった。

 憧れの存在のままじゃ、嫌だ。

 先輩と後輩の関係じゃ、嫌だ。

 友達以上の関係じゃなきゃ、嫌だ。

 先輩の好きな人が、私じゃなきゃ、嫌だ。


 「私が、先輩の恋人じゃなきゃ、嫌だ…!」



+



 蛍光灯の光が漏れる部室に戻ると、先輩は、申し訳なさそう顔で私を待っていた。


 「花柳…。その、私は「先輩」」


 私は、先輩の言葉を遮った。先ほどまで泣いていたとは思えないほど雰囲気を纏った私に、先輩は、目を丸くする。


 「私、朝倉先輩に伝えたいことがあるんです」


 多分、酷い顔だと思う。目が真っ赤だろうし、髪はぐしゃぐしゃだ。服は制服だし、正直、空気は悪い。きっと、告白ってこういうのじゃない。それでも、今、先輩に想いを伝えたい。

 私は、呼吸を整えて、真っ直ぐと先輩の顔を見た。


 「先輩。私は────」




end

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