自白

永見亭

馬鹿の華

 僕こそが体裁でできた人間だ。僕、俺、私、自分?わからぬ。全部体裁のようにも思える。

 こうして言葉にしていることも、全部体裁だ。確かにここに書かれていることは先日一人で帰りながら考えたことに基づいて構成されている。その思考は、確かに本音だった。そのはずだ。しかし、ここであれが本音と言ってしまったので、もう嘘だ。ただの格好つけだ。

 僕は、独りだ。嘘だ。独りになりたいだけで、いや、これも嘘だ。独りにはなりたくない。嫌でも人と一緒がいい。これは、本当だろうか。多分嘘だ。きっと、一緒にいてつまらないくらいなら独りのほうがいいと思っていたはずだ。それは、いつのことだ?人と一緒にいて、話している、そのとき、僕はそんなに失礼なことを思っているのだろうか?

 こんな僕でも、少ないながら、友達と呼べる存在がある。これはきっと本当だ。僕自身と僕から見た他人のことについて、僕は嘘ばかり書くが、他人の発言については、責任を持って正しいことを書こうと思っている。僕は、何人かに確認をとったのだ。友達でいてくれるか?とか、お前を親友と思ってもいいだろうか、とか。あぁ、僕が自分の言葉を嘘だというように、奴の放った言葉も、奴の脳の中にあったものとは違うものなのかもしれない。僕の傲慢さだ。傲慢さが、人を信じさせてくれなどいう嘘まみれの台詞を吐かせようとする。お前は自身以上に他人を疑っているだろう?だから、最初に言った、友達といえる存在があるというのも、嘘だろう。

 何に拠ろうか。

 言葉だろうか。僕の脳内にあらわれた言葉を僕は信じられるのに、口から音として発したり、鉛筆で書き込んだり、キーボードで打ち込んだり、自分の外にそれを出すと、途端に胡散臭くなる。汚いものになる。恥ずかしいものになる。嘘になる。言葉は脆い。

 言葉の脆さについて、僕は前から考えていたはずだ。高校一年生のとき、詩をかく課題でそんなことを題材にして書いた。頭の中ではしかくなのに、口に出す言葉はまるい、云々。国語教師は僕の詩に見向きもしなかったという風に記憶している。なぜかは覚えていない。高校一年生の僕がそれを確信するような出来事を経験したためだと思うが、出来事について、具体的に思い出すことができない。いろんな生徒の作品が掲載されたプリントに僕の詩ものっているのをみて、恥ずかしくなった。教師に低く評価されたから?いや、その言葉もやはり嘘と恥にまみれているから。

 書き手がこんなに蔑む文章を、あなたはどんな気持ちで読んでいるのだろうか?僕にはわからない。文字にすること、声にすること、その裏側には相手がいる。そのいやらしさ。わざとらしさ。

「いやぁね。あなただって」

 笑うだろうか。笑ってくれ。すべってしまったら、どんな顔をしたらいい?おい、なんでお前今、鉤括弧をつけた?誰に語らせるつもりだろうか。お前の言葉だろ。いやらしいね。お前、いやらしいよ。

「いやらしい」

 どうかね。わからない。いや、わかる。逃避だろ。逃げて、逃げて……。何を省略した?それが逃避ではないのか。それは、間違いないんだが。

「お前は、何から逃げているんだろうね」

 なんだろうか。他人だろうか。自分の言葉は信じられない。なぜなら、その言葉と、その基の思考とを比較できるからだ。そして他人の言葉はもっと信じられない。他人の思考は全く読めない。僕と同じであってくれ。あなたたちも、何もかも疑いたくなるときがあるでしょう?時にこうして錯綜したような文章を書いて、変人をやってみたいと思うことがあるだろ。そういう文章を、僕はちょくちょく見直して、少し校正しつつ、書き進めている。これは、正しくないことだろうか。

「他人のことがわからなくて、怖いから決めつけているんだね」

「僕は」

 今、飴玉を飲み込んでしまって、全て忘れた。あれは気持ち悪いね。喉に押し込められて胃に無理やり落とされた飴玉の感触が、時間が経ってもねっとり残っている。ここらで終わりにしようか?これはなんだろう。これは、何かにカテゴライズしてはいけないね。これは僕だし。カテゴライズとは言いたくないが、分類、区分、なんだか違うような気がする。

 この文章群の終わりは、他人を認めることの難しさと正しさに僕が気づくというものにしようと思っていた。はじめから着地点は見えていた。これで、本当に僕の言葉が嘘だとわかっただろう!こいつは、迷走して、思ったことをそのまま書いているようなふりをしていて、どこに向かうべきかはわかっているんだ。でもね。この文章群は終わらなかったね。こうして、全てを明かして仕舞えば、フリダシに戻る!僕は明日も人を疑い続けようか。また同じことを考えて、同じ言葉で嘘をつくのだ。人生、そんなものか?人は、やっぱり独りだ。こんな文章をここまで読んでいるあなたも、独りだ。嘘だろうか。では、少なくともあなたの言葉は信じようか。いや、言葉じゃだめだ、僕は言葉が嫌いだし。だから、僕を殴ってくれ、それか、抱きしめてくれ。殴るな。

 結局、かなしいということか。くだらない、全て。これを書いて、何もかもが無駄になった。無駄は嘘よりもいけない。最も嫌いだ。大馬鹿だ。この文章の全てが、嘘のほうがよかった。底が見えないほうが、偽物でも深みがあった。こうして、ひとたび本当のことについて触れると、底が浅い、ただの馬鹿の独り言だ。馬鹿の独り言を読むやつなんて一人もいないとわかっている。きっとほとんどの人間は、このまわりっくどく気持ちの悪い悲観まみれの文章を少し読むだけで、この文章の書き手の本質を見透かしてしまうだろう。そして、読むのをやめる。多分、変人をやってみたいことが……などと言っている時には、観客は呆れ果ててみんな帰ってしまっているだろう。でももう書いてしまった。もっとよく終われるはずだった。文章群の終わりは、などと蛇足も甚だしいことを書くからこういう失敗をする。これも堂々巡りで、さっきから同じことばかり言っている。本当のことは一つで、そこに触りたくない僕がその周りをずっとずっと、ぐるぐるぐるぐる。だからもうやめだ、嘘も、無駄も、本当も

 

 この文章の終わりまでを読むのは僕だけでしょう。僕が見るものは、僕だけのものですし、空の写真をとっても、あなたの目はきっと僕とは違う空色を見るのです。ですから、自分のことを書いた文章というのは誰にも読まれずひっそりとしているのが一番良いのです。こんなことを書きながら、僕はこの文章をどこかに公開することを思案しています。やはり、いやらしいでしょうか。なに、君だって。

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自白 永見亭 @wieschade

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