第76話

 ――魔界の奥深く。

 ここはポラリムの大樹海。

 方位磁石は磁石としての体を為さず、昼夜の寒暖差は四十度を超えるような苛烈な環境の森だ。

 この樹海の特筆すべき所は、そこらに自生する巨大食虫植物という所だろうか。

 ここでは食虫植物が魔物を捕らえて食するのは有名だが、初めてこの森を訪れた高ランク冒険者パーティが驚くのはその光景とは別のものになる。

 と、いうのも樹海の至る所に魔物の干し肉が吊るされているのだ。

 食虫植物が自らのツタとツルを使って、保存食を作成しているというその事実は、この森を訪れる者に等しく驚愕の表情をもたらす事になる訳だ。

 どうして植物が知能を持っているのかという疑問は誰にも解けず、大樹海のミステリーとして語られる事になる。

 そして、そんな森の中に、木製の小さなほったて小屋があった。

 その家の主はかつて賢者:モーゼズと同じく、いや、別のアプローチから人工進化の研究を行っていた者であり、とある植物に知恵の実を与えた張本人でもある。

 と、そんな訳アリの主の住む小屋のドアが、三十代半ばの屈強な男の手によってコンコンとノックされる。

 ほどなくして部屋の中から『入れ』との声が聞こえてきた。

 言葉通りに男はドアを開き、小屋の中に一歩足を踏み入れる。

「うっ……?」

 入ると同時に鼻が曲がるほどの異臭に、男は顔をしかめた。

 部屋の真ん中には錬金術に使う、紫色の液体を煮る大釜が置かれていた。

 また、部屋の四隅には棚が置かれ、所狭しとカエルの燻製やらコウモリの目玉やらの怪しげなアイテムが並んでいる。

 そして部屋の床は足の踏む場のないような形となる。

 つまりは、古今東西の魔術書が至る所に積み上げられて、山を作っているという訳だ。

 その全てが最低でも超一級の危険度に指定される魔術書であり、魔法大学院の大図書の最深部に厳重保管されるようなシロモノだ。

 いや、それどころか遺跡から発掘された未知の魔術書――危険度を認定されていないような本も混じっている。

 中には、魔術書を数文字読んだだけで発狂するような危険な魔術書も混じっていて……正に悪魔の書物群ともいえよう。

 と、そこで、無造作に積み重なった書物の山の一つが動き、本がバラバラと崩れていく。

「来客は久方ぶりじゃの」

 本の中から出てきたのはロリババアだった。

 年のころは十歳~十二歳程度。身長は百四十に満たないだろうか。

 くるぶしまである長髪は正に金のシルクと言えるように滑らかだ。

 紫色のシースルーのネグリジェを身にまとう彼女は、大きく口を開いて欠伸をした。

「錬金術の大鍋……変わりませんねぇ……マーリン様」

 部屋の中央の巨釜を眺めて、男は感慨深く頷いた。

「ああ、錬金術はワシのライフワークじゃからの。まあ、天才じゃからの」

「天才? 濁水を沸騰させて、集めた蒸気から蒸留水すら上手く作れないのに? 魔術学院生の初等科でも……簡単にできますよ?」

 そこでマーリンと呼ばれた少女は天上を見上げて、遠い目を作る。

「天は二物を与えぬものじゃな。世界最強の魔術師……魔界の禁術使いと言えば我の事じゃが、我は大雑把なのじゃ」

「爆発魔法は本当に半端じゃないですけどね。繊細な魔力調整を要する風系の魔法は生活魔法程度すらも使えないんでしたっけ?」

 うむとマーリンは頷いた。

「ところで、錬金術の大釜で何を作っているんですか? 作れもしないのにまた……凄い難易度に手を出して……ノーブルエリクサーか何かでも?」

 ふむ……とマーリンは顎に手をやって首を振った。

「あの大釜で作っているのは今回は錬金術ではない。あの紫の液体はじゃの……ホワイトシチューじゃ」

 三十代の男は口をパクパクと開閉させた。

「白色だからホワイトシチューなのでしょう? アレはどう見ても紫なのですが?」

「うむ。ワシも疑問なのじゃ。確かにワシはホワイトシチューを作っていたはずじゃったのじゃがな?」

「と、おっしゃいますと?」 

「……何故か世界三大毒の一つであるウロボロスエキスが出来上がってしまったのじゃ」

「超難易度の合成毒物ですよっ!? ってか、それはそれで凄いですねっ! 材料は?」

「小麦粉とバターと塩とマカロニと鶏肉と……」

 そこで男は小首を傾げた。

「それでどうやってウロボロスエキスが?」

「そうなのじゃ。ごく普通の材料なのじゃ。小麦粉とバターと塩とマカロニと鶏肉と……他にちょっと色々とアレンジしただけじゃぞ?」

「アレンジ内容が凄く気になりますっ!」

「アレンジ内容はの……?」

「はい! どんなアレンジが?」

 マーリンは起き上がり、腰をくねらせる。

 そしてウインクと共に言った。

「それは隠し味じゃから企業秘密じゃっ♪」

「これまた一本取られましたな!」

 ノリのいい男だった。

 いや、だからこそ男は魔界の禁術使いであるマーリンに気に入られ、面通しを許されているのだ。

「で、何の用なのじゃ? ワシの睡眠を妨害した罪は重いぞ? 下手な理由であればお主ですらも消し炭も残さんが?」

 そこで男は真顔を作って懐に手をやった。

「リュート=マクレーンからの手紙ですよ」

 マーリンは片眉を吊り上げた。

「リュートがワシに手紙じゃと? 尋常ではない事態じゃな」

「ですから私はマーリン様にすぐにでもと。最速で急いで参りました」

「むしろ至急に届けなんだら、お前なぞミリ単位に刻んでコイのエサにしておるわ」

 言葉を受けて、男は困り顔を作った。

「これでも私はSランク級冒険者のトップランカーとして忙しいんですけどね? 他にも面倒な役職もあるし……」

「くはは。言うようになったのう? お前なぞ『龍王と愉快な仲間達』の一味の中では最下層の最下層のパシリじゃぞ? そこに人権なぞありはせぬ」

「むしろ、そこの括りに私を入れてもらえていたのかと……驚きです」

「まあ、正確にはお前は、マーリンと愉快な仲間達の下っ端メンバーじゃがな」

「下部組織という事ですか? まあ、仲間に入れて貰えた事を光栄に思いますよ」

「世間一般的にはお前もまた人外じゃからの」

 そうして、マーリンはリュートからの手紙に目を通した。

「少し待っておれ」

 マーリンはすぐに真顔になり、小屋の奥に引っ込んだ。

 そして黒一色の魔術師のローブとトンガリ帽子、そして愛用の……大邪神の髑髏で作成した杖を片手に戻ってきた。

「時にギルド総本部の……グランドギルドマスターよ?」

「何でしょうか?」

「手紙には目を通しておるか?」

「目を通していいという話なので見ておりますよ。ちなみにリュート=マクレーンは私の事をただのSランク級のオッサンと思っているので……完全にパシられてます。まあ、ワンパンでやられた私が悪いんですが……」

「国家を含めて、人界では最強クラスの実力と、そしてギルドの全てを束ねる……ある意味では大国の王よりも遥かに権力を持つお前に敢えて問う」

「何でしょうか?」

「相手は辺境の小国なのじゃな?」

「その通りでございます」

「これって……ワシ……必要か? リュート一人で余裕じゃね?」

 困惑した表情でそう尋ねるマーリンに、グランドギルドマスターは大きく頷いた。

「間違いなく……必要ありません」

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