第69話
地面に転がり腹を見せるオルトロス。
見下ろしながら俺はパンと掌を叩いた。
「って事で……今夜は犬鍋だ」
「食べるんですか!?」
「ん? 犬系の魔物は美味いんだぜ?」
オロオロとした様子のリズはリリスに助けを求めるように視線を送った。
「……どうした? リズ」
リリスの言葉にリズは顔を蒼くして再度尋ねた。
「本当に……食べるんですか?」
コクリとリリスは頷いた。
「……オルトロスと言えばAランク級の高級素材。毛皮やら骨やら牙やらは素材として高く売れる。内臓でも……薬師に……冒険者ギルドからの販売価格で……肝臓一つで金貨1枚で売却できる。そして――肉は美味食材10選となっている。これはもう食べるしかない」
そこでリズの顔色が蒼白を通り越して土気色になった。
「いや、でも、その……犬ですよ?」
「ん? だからどうした?」
「私も……その……何ていうか……」
ああ、そういえばリズは獣人の血が入っているから、犬鍋は抵抗があるのか。
俺らで言えばチンパンジーを喰うみたいなノリなんだな。
それは確かに気持ち悪い。
「良し……そういう事なら喰うのは無しだ。この場で解体して素材だけでも売っぱらおう」
「え……?」
「ん? どうしたんだリズ?」
「殺しちゃうんです……か? もうこの子はリュートお兄ちゃんに完全服従しているじゃないですか……許してあげる訳には……いかないんですか?」
ふーむ。
殺すのも良くないようだ。
「じゃあどうすれば良いんだよ」
「この子……街に連れ帰る訳にはいきませんか? 良く見れば可愛いし……」
何を言っているんだこの娘は。
体高は2メートル、体長は4メートルの巨大な黒犬だぞ?
まあ、獣人ならではの感覚……という奴なのだろうか。
困った俺はリリスに視線を送る。
そしてリリスは溜息をつきながらこう言った。
「……確かに可愛らしい。私は幼いころからペットを飼うのが夢だった。これは丁度良い機会かもしれない」
ブルータス! お前もか!
まあ、リリスは相当に不思議ちゃんな所があるから……まあ、分からんでも無いが。
「お前等なァ……」
すがるような視線を俺に向けるリズ。
そしてリリスはオルトロスの腹を撫でながらこう言った。
「……良い? オルトロス? アレがボス」
俺を指さし、更に言葉を続ける。
「……そして群れのナンバーツーは私。そこは絶対にはき違えてはダメだから」
これで飼う飼わないの話は2対1となったようだ。
ってか、どうしてこうなった。
「リリス?」
「街に本当にオルトロスを連れて行くつもりなのか?」
「……魔物使いという職業がある。私は魔狼を従えた魔物使いを街中で見た事がある」
「Cランク級の魔物である魔狼とAランク級最上位のフェンリルでは文字通りに次元が違うだろ?」
「……方法はある」
「ん?」
リリスはアイテムボックスから首輪を取り出した。
「ああ、なるほど」
「……死神の枷。オルトロスの進化前の個体は魔狼の幼体に良く似ている。そして魔狼の幼体は愛玩以外にも番犬としての需用もある」
リリスの取り出したのは国宝級のアーティファクトだ。
魔物の力を奪って強制的に1ランク下げる効果がある、とんでもアイテムだ。
「なるほど。1ランク下がればBランク級の魔物で……躾ければリズの護衛も可能か」
「……そういう事」
主な用途は魔族を捕虜にした時なんかに使われるアイテムなんだが……なるほど、確かにそういう使い方もできるだろう。
「……これで良し」
リリスはオルトロスに首輪を装着させた。
周囲が光に包まれ、そしてオルトロスの巨体が見る間に縮んでいく。
光が消えると同時、その姿を見て俺は息を呑んだ。
「普通に犬になったな」
っていうか、モロにシベリアンハスキーの子供っぽくなった。
うん。普通に可愛い。
尻尾を振りながらオルトロスはリリスに飛びつき、その顔を舐めわした。
「……ふふふ……可愛い」
さて……と俺は顎に手を遣る。
これでオルトロスを連れ帰る件については3対0の全会一致での可決となった訳だ。
「名前は……オルトロスってのも呼びにくいな。オルトにしよう」
――その日の夜。
食器洗いを終えた俺は常日頃からの疑問をリリスにぶつけてみた。
「なあ、リリス?」
「……何?」
「俺のスプーンやフォークって……どうして毎回違うんだ?」
飯を作るのは俺の役目。
食器をアイテムボックスから出して、配膳するのはリリスの役目。
そして食器を洗うのは俺の役目で、寝床を作るのはリリスの役目。
そんな感じで家事分担としてるんだが――何故だか毎回、俺のスプーンやフォークは常に新品が用意されている。
「……リュートに使い古しの食器などを使わせるわけにはいかない」
「スプーンやフォークは銀製の高級品だろ?」
「……それでもそういう訳にはいかない」
「でも、皿やコップは普通に毎回同じのを出されてるぞ?」
リリスは罰が悪そうに肩をすくめた。
「……正直に言おう」
「正直? どういう事だ?」
「……リュートの使用済みスプーンとフォークは私のコレクションになっている」
「コレクション?」
「……うん。コレクション。洗わずにそのまま大切にアイテムボックス内で保存されている」
物凄く嫌な予感がする。
この話を続けてはいけないと言う第6感が働いたが、それでも俺は尋ねずにはいられなかった。
「どういうことなんだ……リリス?」
「……楽しみ方は色々ある」
「楽しみ方ってお前……」
うっわァ……聞きたくねぇ……。
でも、それでも俺は尋ねずにはいられない。
「……例えば、リュートのフォーク」
「フォーク?」
「…………まずは香りを楽む」
「すまんリリス。何言ってるのかサッパリわからん」
俺の発言をガン無視し、リリスはコレクションの楽しみ方を解説していく。
「……次にテイスティング」
「テイスティングっ!?」
「……そして……色々…………本当に色々な事ができる」
「色々な事って言うと……?」
コクリとリリスは頷いた。
「……それは流石にリュートには言えない。私も一応は女……最低限の恥じらいはある」
「すまんリリス。再度言うが俺にはお前が何を言っているのかサッパリ分からない」
「……それではもう少しだけ説明した方が良い?」
「いや、言わんで良い」
これ以上聞いたら、俺はこいつと一緒に旅が出来なくなる自信がある。
だから、聞かない。
俺は頭を抱えながらその場で蹲った。
「……どうしたリュート? 頭痛? 風邪?」
心配そうにリリスは俺に声をかけてきた。
蹲る俺にリリスが近寄って来たその時――パコンと乾いた音が鳴った。
「……ウボフォっ!?」
アッパーカット。
およそ物語のヒロインの内の一人が発して良い類の音声とは程遠い、そんな声をあげながらリリスは数メートル上空に吹き飛んだ。
そして数瞬の後、ドサリと地面に崩れ落ちる音。
「出せ」
「……出す? 何を……?」
「お前のコレクションを全部出せ」
「……嫌」
「もう一回殴るぞ?」
「……むしろ、それはご褒美」
そういやこいつドМだったな!
ああ! もう……うっとおしい奴だなっ!
ってか、本当にこいつはどうしてこうなったんだよ!
「良いから出せ! これは命令だっ!」
「……命令? 束縛……?」
急にリリスは頬を赤らめた。
「どうしたんだリリス?」
「ふふっ……リュートが……私に命令……私を支配下に置こうとしている……私を束縛しようとしている……ふふっ……うふっ……うふふっ……」
思春期の女の子が決して見せてはいけないような……ほぼイキかけたような恍惚とした表情でリリスはクスクスと笑い始めた。
正直凄い怖い。誰か助けて。
困惑の俺を無視して、リリスはアイテムボックスからスプーンとフォークを取り出していく。
その数、実に257セット。
「お前なァ……これは俺が責任をもって廃棄するからな?」
「…………私のコレクションが……」
涙目になったリリスをガン無視し、俺は袋にスプーンとフォークを収納する。
全部が銀製だ。
街に戻って売ればそれなりの金額になるだろう。
「さっきの飯の時に、俺が使ったのはこれだな?」
「……そう」
1セットのスプーンとフォークを取り出して、俺はリリスに預けた。
ちなみに、それは当然の事ながらまだ洗われていない。
「今すぐ洗って、アイテムボックスに収納しろ。スプーンとフォークが壊れるまでは、ずっとそれを出してくれれば良いから」
不満げな表情でリリスは頷いた。
「……了承した」
――翌朝。
俺に配膳されたスプーンとフォークは完全な新品だった。
そして俺は、リリスの頭に思いっきりゲンコツを振り落した。
と、まあそんなこんなで俺達は街への帰路についたのだった。
そして数日後、その日は休日で、俺とリリスはリズを連れて魔法学院のある街でショッピングの真っ最中となっていた。
「しかしアイテムボックスって便利だよな」
「……一応スキルレベルはマックス」
ビックリするくらいの収納スペースで、現代日本でこんなスキルが使用できれば流通業者さんは軒並み倒産に追い込まれちまうだろうな。
まあ、おかげさまで雑貨屋を丸ごと買い取るレベルでの買い出しができる訳なんだが。
「お、お、おっ、お会計は金貨5枚(日本円で500万円)になりますがっ!?」
「はい、お代金ね」
目を白黒させているエルフの従業員が中々に面白いな。
見ると、リズも同じことを思っていたようでクスクスと笑っている。
そうして俺たちは店を出ると――
「……うふふ」
外に出るや否や、軒先にヒモでつないでいたオルトがリリスに飛び掛かってきた。
そうしてペロペロとその頬を舐めて、尻尾もブンブンと振って……まあ、ご機嫌みたいだな。
「……オルト、とてもモフモフ……」
リリスは可愛いものが好き……というかケモノ好きだからな。
リズのことも愛しているし、オルトのことも当然ながら大好きのようだ。
「良し、それじゃあ次は寝具屋さんだ。天蓋付きの貴族のベッドとまでは言わんが、せめてきちんとしたところで寝てもらわないとな」
俺の言葉でリリスとリズが頷いた。
そうして俺はオルトのリードを手にもって歩き始めた。
しばらくして、串焼きの屋台を見かけたので一人二本ずつの買い食いとなった。
小腹も空いていたので丁度良いな。
店に併設されているテーブルに腰を押し付けて、串から取り除いた肉をオルトにも食わせてやる。
「よしよし、ゆっくり食べるんだぞ」
尻尾をフリフリしながらワンと嬉しそうにオルトは鳴いた。
オルトは本当に人間に懐いていて、リリスじゃなくても可愛いと思うだろう。
と、その時――。
「あ、リュートじゃん? こんなところで何やってんの?」
おう、コーデリア……と俺が言う前に、リリスはキっとコーデリアを睨みつけた。
「……一家の団欒を邪魔しないでもらいたい」
「一家の団欒っ!? どーいうコトなのっ!?」
リリスは俺を指さして――
「これが父親」
次に自分を指さして――
「これが母親」
更に次にリズを指さして――
「そして娘」
最後にオルトを指さして――
「そして、ペットの犬(オルトロス)」
そうしてリリスは恍惚の表情を作り、ドヤ顔でこう言った。
「そう、これが一家団欒。夫婦から始まり、そして派生した温かい家族というものだ」
「やかましいわっ!」
俺のゲンコツがゴンと落とされたところで「痛い」とリリスは涙目を作った。
「コーデリア? 知っているとは思うがリリスはちょっとアレな性格で……」
と、コーデリアを見ると――
「あ……そうなんだ……。なんかごめんね? 一家の団欒を壊しちゃったみたいで……」
――冷たい視線だった。
更に言えばジト目だった。
「いや、だからリリスは変な性格なんだよ。真に受ける馬鹿がいるかよ」
「別に真に受けてる訳じゃないよ? ただ、ふーん、そうなんだーって……私なんて完全に蚊帳の外なんだーってさ」
あ、これは怒っている感じだな……ああ、もう面倒だな。
と、そこでコーデリアはオルトに視線を移して瞳をランランと輝かせた。
「あ、ワンちゃんだ。うりうりー」
良かった、一瞬で機嫌が戻ったようだぞ。
あー、そういえばこいつは昔から動物とか好きだったっけ。
そうしてコーデリアはオルトに手を伸ばしたんだが「ガウッ!」と、オルトは後ろずさった。
続けて、「ウゥ――っ!」と、威嚇の唸り声をあげる。
「あ……」
と、コーデリアは手を引っ込めて、数歩下がってオルトから距離を取った。
「しかし、お前は絶対に初見の動物には警戒されるよな? オルトは相当人懐っこいはずなんだが……」
「まあ、慣れたらちゃんと懐いてくれるんだケドね」
「家系的なもんだったっけ?」
「うん。変な話なんだけど、父方の親戚は動物に嫌われる人が多いみたいね。まあ、父方の親戚ってロクなのいないから、そういうロクでもない空気みたいなのが動物には伝わっちゃうんだろうね」
「ああ、お前の叔父さんも酷かったな。でも、お前はまともなのにな……動物に嫌われる家系ってか、本当に変な話だ」
そこで、少しだけ寂しそうな表情をしたコーデリアだったが「あっ……!」と目を大きく見開いた。
「こんなところで油売ってる場合じゃなかったわ。それじゃあね」
「おう、またな」
勇者様ってのは忙しいらしくて、休日も色んなところを走り回っている。
育成プログラムの実施や、あるいは各国の要人との会合やら何やらかんらで本当に大変だよな。
そうして、コーデリアが走り去ったところで、俺は「やれやれ」とため息をついた。
と、いうのもいつの間にか俺たちはゴロツキ五人に囲まれていたのだ。
「おいおい兄ちゃん? かわいい子連れてるんじゃねえか?」
「へへ、可愛い犬も連れてるな?」
「悪いが兄ちゃん? 女子供と犬を借りるぜ?」
男たちは拳をバキバキと鳴らして、どうにも白昼堂々と人攫いのような行動に及ぼうとしているらしい。
「しかし、これで何回目だリリス?」
「……今週に入ってから三回目」
「それじゃあ、チンピラをボコってオッサンのところに行くか。そろそろ頼んでいた調査も終わっている頃だろう」
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