第67話


 フォークを突き刺すとオーク肉から溢れんばかりの油がしたたり落ちる。



 旨味がたっぷり詰まった、甘い油。

 言い換えるのであれば、それは極上の肉汁だ。


 焦げたニンニクの香りと、香辛料の仄かな刺激臭が、程良く胃を刺激する。


 そんなオーク肉を一口食べると同時にリズは感嘆の溜息をついた。



「ふぁ……ふぁ……は……は…………………はふっ……はふっ……うぐぅ……はひっ……ほ……ほぇ……」



 言葉が出ない。

 正にそんな感じみたいだ。

 リリスはそんなリズを見つめながら優し気に笑みを浮かべる。

 そして彼女もまた、肉汁したたる肉にかぶりついた。


「……美味しい」


 そして味わうようにリリスは何度か肉を咀嚼し、そして言い放った。


「……しかし、香辛料の使い方が……やはり下品」


「違うなリリス」


「……違う?」


「この味は、形容するなら下品ではなくジャンクと言う」


「……ジャンク?」


 まあ、その言葉の意図するところはリリスには分からないとは思う。



 ニンニクと肉と油と塩と大量の香辛料。

 俺がいつも作っているのは成人病まっしぐらの……そんな危険な料理なのだ。 


 まあ、俺とリリスの肉体年齢は16歳なのでまだまだ無茶は聞くだろう。


「……」


 そこでリズは押し黙る。

 そして遠くに視線を移して物憂げな表情を作る。


 ただし、フォークと口の咀嚼の動きは止まってはいない。


「……どうしたリズ?」


「……リュートお兄ちゃんの……良い所のお嬢さんだろって質問なんですけど……」


 モグモグと口を動かしながら、やはり物憂げな表情をリズは作る。


「答えたくないのか?」


 リズはオーク肉にフォークを突き刺しながらまつ毛を伏せた。


「……………はい」


 そうしてリズはオーク肉を口に運ぶ。


「どうしても言いたくないのか?」


 リズは更に次のオーク肉を口に入れながらそう言った。


「それは高度にプライベートな話で……私の出生に関わるようなトラウマなんです……」


 言いながら、リズは更にオーク肉を口に運ぶ。


「……そっか。じゃあ答えなくていい」


「はい……聞いてくないでいてくれると助かります」


 バクバクバク。

 モグモグモグ。

 周囲に響き渡る咀嚼音。

 一心不乱にリズとリリスはオーク肉にかぶりつく。


「と、本当に答えなくても良いと言うとでも思ったかっ!」


 そこで俺も神妙な表情を作り――そうしてリズの頭に軽くゲンコツを落とした。


「どこの世界に物凄い勢いでバクバク飯を食いながら、興奮のあまりに鼻息をフンフンさせながらトラウマの話をする奴がいるんだよ!」


「あぐふっ!」


 涙目になるリズ。

 基本的には、今までリズに対して紳士的な対応をしてきたはずの俺の突然の豹変に驚きの色を隠せない様だ。


「痛……痛い……」


 すがるような視線で俺を見つめてくるが、残念ながら俺はどちらかというとツッコミ気質だ。

 リリスと似たような香りを感じた以上、ある程度は厳しく対応せざるを得ないだろう。


 優しく微笑を作るとリリスは、ポンポンとリズの頭を撫で始めた。

 リリスの作ったその表情は美術館の名画の聖母のワンシーンを切り取ったような――


 ――いかん。


 一瞬だけだが、リリスの表情に心を奪われてしまった。


 確かに見た目だけなら凄く可愛い。

 だが、性格が残念だったりで、どうにもこいつには家族や友人に対するソレ以上の感情を今の所……抱けねーんだよな……。


「……リュートに冷たくされて辛かった? リズ?」


 リズは涙目のまま、リリスの胸の中に顔をうずめた。

 とりあえず、この前から……とにかくリリスはリズを溺愛しているのだ。

 俺がリズに、やや強めのツッコミを入れた以上、彼女はリリスに頼る以外ないだろう。


「リリスお姉ちゃん……頭が……叩かれた頭が痛い」


「……辛かった?」


「……うん」


 再度リリスは優しく微笑み――そしてリズの頬を思いっきりつねった。


「え? 痛い! 痛い! 痛い痛いよ! お姉ちゃんっ!」


 リリスはニッコリと笑って、そして瞳の奥が一切笑っていない微笑を浮かべたまま言った。


「……リュートからのゲンコツはむしろご褒美。当然の如くにそれは感謝するべき事で泣くような事ではない」 


 確かにリリスの微笑のあまりの美しさに俺は息を呑んだ。 

 だが、即時に前言撤回だ。



 ――ってか、ガチでヤンデレじゃねえかこいつ。


「で……お前の事情を聞きたい。どういう事なんだリズ? 良い所のお嬢の割りには香辛料を使った料理を喰いなれてないみたいだし、その割には受けて来た教育っつーか、育ちそのものは良さそうだ」


 しばしリズは押し黙る。


「いや、言いたくないんだったら本当に良いんだぜ?」


「……本当に……あまり言いたくない事なんです」


 リリスはそこで何やら思案し、そこでポンと掌を叩いた


「……リズ?」


「何でしょうか? リリス……お姉ちゃん?」


「……あるから」


「あるからって言うと?」


 リリスは自らの更に残るオーク肉をフォークで指し示した。


「……リズの分はもう無い。貴方は猛烈な速度で食べてしまった。でも……喋るなら私の残りを食べても良い」


 いやいやリリス。

 本当に何かトラウマがあるっぽいし、さすがにそんな餌に釣られる訳もないだろう。



 リズは首を左右に振って泣きそうな表情を作る。



 そりゃあそうだ。

 自分の心をエグるような話を、たかが飯で喋ると思われてはリズも心外だろう。


 ワナワナと体を震わせ、リズは力強く言った。


「時を遡る事10年前――エルフの皇女と、獣人の王の息子との間に産まれた私は……」


 喋るのかよっ!

 ってか、ガチで良い所のお嬢さんだったんだなっ!


 リズはリリスの様子を窺うように上目遣いをし、そしてリリスは微笑を浮かべながら頷いた。


 即時にリズのフォークがオーク肉に突き刺さる。


「そぐっひゅっしって、モゴモゴわらっつ……モグわれあし……」


「喋るのはゆっくり食べてからで良いから」


 しばしモグモグとリズは口を咀嚼させる。


「時にリュートお兄ちゃんはエルフと獣人の確執をご存じでしょうか?」


「共に森に住まう亜人だな。魔法文化のエルフと、脳筋文化の獣人。遥か昔はエルフは獣人の奴隷だったが、近世はエルフの魔法文明も進んで獣人の支配から独立した」


「そこでは話は終わりませんよね?」


「ああ、力を得たエルフと、昔ながらの肉体の力に頼る獣人とで戦力は拮抗どころか――差が開きつつある」


「ええ、必然的に起こるのは……」


「戦争だな。いや、この場合は蹂躙だと言っても良い。積年の恨みつらみだ。そりゃあまあ……やることはエゲつない」


 そこで起きたのが辺境の獣人の国であるマッキンリ国と、これまたエルフの国であるフォレスヘイム国との戦争だ。


 まずは、エルフの国が獣人の国に戦争を仕掛けた。


 世界中の辺境の森の中で行われているように、それはやはりエルフの国の勝利だろうと誰しもが思った。



 ――が、今回の結果は違った。


 小難しい顔をして、様々な事を考えるようにまつ毛をリリスは伏せる。

 そして吐き捨てるように言った。


「……獣人とはつまりはワーウルフ。戦争の際にはその大多数がワータイガーへと進化した。更に、元々ワータイガーであるような優秀な個体はワータイガーキングへと進化した」


 コクリとリズは頷いた。


「そして獣人を総べる王は……ワーサーベルタイガーへと進化を果たしました」


「……伝説上の獣人の分類。魔物に換算すると……SSランク上位」


 先日のオーガ事件を思い出したのか、リリスは忌々し気にそう言った。


「戦争は獣人の圧勝となり、エルフの国は蹂躙されました。そうして皇女は獣人の王族へと差し出され、産まれたのが私です。当初は獣人族からのエルフ族への勝利の証として私の存在は広告として扱われました。皇族が蹂躙された生き証人なのですから……まあ、それは都合が良かったのでしょう。でも、ここで問題が起きました」


「問題?」


「私の父と母は……本当に愛し合ってしまったのです。最初は捕虜……性奴隷と飼い主の関係だったと聞きますが……」


「……それで?」


「獣人の王の長男である父はエルフ族に寛容になり、融和政策を唱えたのです。そのせいで政治的に非常に微妙な立場に置かれました。更に不味い事に……私の存在を……いや、正確に言えば私と両親を獣人族とエルフ族の調和の道の一つとして内外に喧伝し始めてしまった……」


「なるほどな」

 

 俺の言葉にリリスは頷いた。


「……獣人の国家としては貴方は邪魔になった。そして王の息子の子供を表だって殺すわけにもいかない。そして……貴方は色々あって、あのスラム街で高度な呪殺の術を受け……死にかけていた」


「驚きましたか? 私はそんな連中に命を狙われているんです。ちょっとぐらいリュートお兄ちゃんとリリスお姉ちゃんが強くたって……」


「……いや、驚いてはいない。むしろ――」


 大きく頷いて俺はリリスの言葉を続けた。


「まあ……大体は想像通りだな」


「想像通り?」


「まあ、亜人だから色々と語弊はあるが……リリスの言う通りに、ワーサーベルタイガーってのは、魔物だとすると冒険者ギルド換算では討伐難易度SS+クラスだな。文字通りで単騎で一国相手に喧嘩を売れるレベルだ」


「ええ、単独で大国の師団を……あるいは冒険者ギルドの精鋭部隊を壊滅させる。それが私のおじい様です」


 リュートとリリスは互いに顔を見合わせて頷き合い、そして肩をすくめた。


「……リュート? 獣人の国には異常な戦力強化……種の進化が起きている。これは大厄災?」


「オーガの事件があっただろう?」


「……うん」


「大厄災の亜種なのかもしれねーが、自然発生したものじゃねーよ」


「じゃあ……?」


「これは間違いなく、人為的なものだ」


「……うん。それじゃあ……やっぱり?」


 俺は大きく頷いた。


「主軸になっているのは俺と同じく、転生の際に女神からチートを与えられた連中だ。この世界の人間以外が起こそうとしている事なんだから、この世界の調和を保つための防衛装置であるコーデリア……いや、東西南北の勇者を集結させてもどうにかできるはずもない」


「……世界の理そのものが崩れつつある。このまま放っておけば、あるいはこの一連の騒動は人界も魔界も極地も含めて――世界が消失するような大転換が起きるような危機となる。魔界の魔女マーリンと仙人……劉海の読み通り……と言う事?」


「そういう事だな」


 あるいはそれは勇者で無く、大陸を席巻する大皇帝であっても。

 はたまた、規格外の戦闘力を誇るSランク冒険者達を総べる、冒険者ギルドの元締めであるグランドギルドマスターであっても。



 所詮は彼等はこの世界における常識的な軍事力しか有していない。



 ぶっちゃけた話……俺単独でも世界相手に喧嘩を売ってもそこそこやれるはずだ。



 それどころか知り合いを総動員すれば下手をせんでも互角……いや、多分勝てる。



 ――それは何故かというと、俺は転生者だからだ。



 俺の場合、元々がカスみたいな境遇だったから、普通にやってれば詰みだっただろう。

 が、上手く立ち回れたおかげでここまでこれた。


 でも、俺みたいな初期状態が村人ではない、モーゼズのような恵まれた転生者もいる。



 それも……一人や二人ではない。

 大厄災が人為的に引き起こしうる状況となっている現況を、俺が聞かされたのはゴッドイーターのスキルを手に入れてすぐだったから、丁度1年前か。


 本当なら、ベルゼブブを喰ってからも、更に魔王や魔神の類の力を得たかった。

 が、実際……そこらがタイムリミットだった。

 


 ――モーゼズはコーデリアを狙っている。しかも、手段は選ばない。



 そして、モーゼズがコーデリアに手を出さない事が担保されているのは、前回、俺が死んだ直後までだ。



 つまりは俺が修行の当初からタイムリミットと設けていた魔術学校の入学までとなる。



 鬼神の関係にしたって、恐らくは連中が絡んでいるのも間違いない。

 じゃあ、どうして俺は呑気にコーデリアから離れてこんな事をしているかと言うと……まあ、ここ数か月だけは超絶ウルトラCでコーデリアの身に危険が迫っても絶対に安心な保険があるって訳なんだよな。

 

 それはさておき。


 と、リリスはうんざりした様子で口を開いた。


「……想像していたのと違う」


「ん?」


「……今回、私達は冒険者ギルドで雑魚相手に戦って、AランクだかBランクまでランクを上げて、コーデリア=オールストンの護衛として舐められないだけの肩書を手に入れる。これはそんなお気楽珍道中だったはず……」


「お気楽珍道中って……もうちょっと真面目にやれよな……色々とさ」


 リリスをたしなめる風に、多少詰問口調でそう言った。



 が、まあ、俺もリリスに偉そうなことを言えた義理ではない。

 なんせ、この近辺の食い倒れグルメ情報満載の――魔術学園の売店で買った本が懐に収まっているんだからな。


 と、俺とリリスはお互いに顔を見合わせてガックリと肩を落とした。



 ――何だかんだで、結局のところは……こんな所でまで自分達の追い求めている事件にぶちあたる事になるのか……と。



「あのぅ……リュートお兄ちゃん?」


「何だ?」


「さっきから全然話についていけないんですけど……」


「安心しろ、とにかくお前は安全だ」


「いや、ですから私は魔物にするとSS級の獣人に命を狙われているんですよ?」


 ハハっと笑いながら俺はリズの頭にポンと掌を置いた。

 ふわりと髪の毛が揺れ、リズは大きく目を見開いた。

 エルフ特有の純白の肌に、絹の金髪。



 んー……後、数年もしたらひょっとしたコーデリアよりも美形になるんじゃねーか、こいつは。



 俺はコホンと咳払いした後、胸を張って言った。


「言ったろ? 拾ったからには俺は――お前を全力で保護するさ」


「でも……物理的に……無理ですよね? そりゃあ、国王自ら私を襲ってこないでしょうけれど、これは文字通りに軍事を旨と一国を相手にするような……」


 ああ、めんどくせえとばかりに俺は森の茂みを指さした。


「なあリズよ?」


「何でしょうか?」


「あの化け物が何だか知っているか?」


 丁度都合の良い所にあらわれたのは――。


「え? あ、あ、あれは……オル……オルトロ……討伐難易度Aランク級中位……どうして……こんなところ……に?」


 分かりやすくリズが説明してくれたが、アレは何を隠そう、リズの言葉通りにオルトロスだ。


「どうしてこんなところに?」


 まあ、そんな高ランクの魔物がこんなところに普通にいたら大パニックで、すぐさまに冒険者ギルドで王都やら帝都やらで超高ランク冒険者へ討伐要請が飛ぶ案件だ。


 が、普通にそんな高ランクの魔物がピンポイントでこんな所に、偶然に出現する訳もない。


「恐らくは、お前等の血族の誰かがけしかけたんだと思うぜ」


 あ……とそこでリズは納得したかのように頷いた。


 そして申し訳無さそうにまつ毛を伏せる。


「リュート……お兄ちゃん……リリス……お姉ちゃん……ごめんなさい。私のせいでこんな災難に……」


 リズの言葉を無視して、俺は背中の剣を引き抜いた。

 そして悠然とオルトロスに向けて歩を進める。


「そんな……立ち向かう気なんですか?」


「それ以外の何に見える?」


 あわわ……とリズは狼狽しながらこう言った。


「む、む、む、無茶です! 逃げ……逃げましょう! みんなで……逃げましょうっ!」


 はは、と笑いながら俺は言った。


「まあ、見てろって。んで、さあ……ついさっきに……言ったばかりだろ?」


「え?」





「お前は俺が保護するってな」





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