第53話

 翌日。

 宿屋の食堂で俺は飯を食っていた。

 特別料金を払って、ふわふわの白パンとバターを出してもらった。

 後は野菜中心の燻製肉のスープと、4分の1にカットしたオレンジと至極平凡な内容だ。


「昔はそういえばとんでもない貧乏旅行をしてたっけ……」


 と、白パンをほおばりながら龍の里を飛び出した頃を思い出す。

 あの頃は街にすら寄らずにひたすら森や山、あるいは古代遺跡、そしてダンジョンを巡り高レベルの魔物を狩り倒していた。

 今はリリスに全部任せているが、当時は俺の一人旅でアイテムボックスも持っていなかったし、素材の持ち帰りなんてできるはずもなく……。

 殺した魔物の肉を、原始的な火起こしからの焚き木で焼いて喰って、野草を喰って……。

 とにかく、暇さえあれば魔物を追って、そして狩って……とにかくあの時は時間が無かった。



 だから、喰えれば良かった。



 今は成長限界に近いほどに強くなって……ある程度に時間に余裕もある。

 修行の旅の途中でリリスと合流して、アイテムボックスのおかげで素材やらなんやらもたんまりストックできたし、リリスのレベル上げの際にここのギルドマスターとも出会えた。

 一気に金持ちになって食生活も豊かになって……。


 手に取った白パンをまじまじと眺めながら俺は感傷の溜息をついた。




「……ラーメン……喰いてえなぁ……」




 と、正直な感想が出た。

 いや、ぶっちゃけた話、この世界の白パンは美味い。

 庶民ではまず食べる事が出来ない高級品だけあって、日本でもそれなりのホテルのモーニングで出てくるようなふわふわ感とモッチリ感、そして仄かな甘みも持っている。


 牛肉や豚肉も高級品の熟成肉を買い込んでいるのでそこらスーパーで売っているものよりも幾らか上等だ。


 しかし……化学調味料が恋しいのはまあ……仕方ないだろう。


 まあ、贅沢言ってもキリねーな。

 と、そこで寝ぼけ眼のリリスがリズを抱えて部屋から降りて来た。


「……おはようリュート」


「おはよう……」


 やや引きながら俺はリリスに応対する。

 なんせ、両手で抱えて――いや、正確に言うのであればクマのぬいぐるみか何かのようにリズ――若干8歳の幼女を抱いてリリスはこちらに近寄ってきたのだ。

 リズもまた寝ぼけているのか、獣耳を隠しもせずに、半目を開いて口を開いて寝言とも何とも言えない言葉をつぶやいている。


「ところでどうしてお前はヌイグルミみたいにリズを抱いているんだ?」


「……え?」


 しばし考え、リリスは小首を傾げた。


「……獣耳が可愛いから?」


 質問を質問で返されても困る。


「ってかリリス……リズの獣耳見えてんぞ」


 そこでリリスはハっと息を呑んだ。


 なんせ、エルフと獣人だ。

 森に棲む二つの種族は犬猿の中で知られており、エルフの容貌に獣耳……そのハーフだと一目で分かるリズの存在は非常に目立つ。


 慌ててリリスはリズのパジャマに取り付けられているフードを被せた。



 事件が起きた時にコーデリアの支援をスムーズにできるように冒険者ギルドに登録したのだが……訳アリの厄介な子供をリリスが拾った。

 それが俺達の置かれている現状だ。


 と、そんな事の俺が思いを馳せている時、二人は俺と同じテーブルについた。


「白パン……私が食べても良いんですか?」


 恐る恐ると尋ねて来るリズに俺は微笑で応じた。

 と、同時に彼女はバクバクと白パンにかぶりつきはじめた。


「凄い勢いだな……良く噛んでゆっくり喰えよ?」


 まあ、欠食児童状態が続いていたので無理もない。

 見た所、昨日の薬草の雑炊で体力も大分戻っている様だし、弱った内臓が食物を受け付けないって事もないだろう。


「で、とりあえずどうする? 今日はギルドの魔物の討伐依頼を受けているが……とりあえず宿屋に預けておくか?」


 リリスに尋ねるが、彼女は首を左右に振った。


「……連れて行く」


「まあそうなるわな。リズの出自はどうにもキナ臭い。オマケに命を狙われているようだ。しかもどうにも相手は国家権力……秘密裏にとは言え、ガチでこられたら……この宿屋では対処できるわけもねーからな」


「……でも、私達なら」


 そこで俺はリリスの言葉を手で制した。

 まあ、国家権力相手でも俺とリリスならどうにかなるだろう。

 が、そんな発言を宿屋の食堂でしてしまったら目立って仕方がない。


 と、その時俺の肩が後ろからポンポンと叩かれた。


「ん? 誰だお前は?」


 柔和な笑顔を浮かべたのは小太りの中年男だった。


「見ましたよ」


「見た? 何を?」


 リズを指さし、男は笑みを強めた。


「その子……ハーフですよね? しかもさっき、慌ててフードを被せていた。これはどうにも表向きにしちゃいけない案件でしょう?」


 男の笑みに下卑た色が混じっていく。


「それで?」


「私はね。好きなんですよ」


「好き? 何が?」


「そしてね、回りくどいのは嫌いなんですよ。だから単刀直入に要件を言いたいんですが……どうにもそれを言うまでの前提の説明がややこしい」


「だから何のことなんだ」


 そこで男は遠い目で天井を見上げた。


「私が生まれ育ったのはね。しがない貧村でしてね? そりゃあ今はね……Cランク冒険者でそれなりの暮らしをしてますけどね?」


「……?」


「幼馴染と言って良いんですかね……近所に3歳上のお姉ちゃんがいたんですよ」


 コーデリアと俺は同い年だが……まあ、似たようなもんか。


「それでね、そのお姉ちゃんが……子供のころから私は好きでねえ……いや、惚れていたんですわ」


「……それで?」


「しかし、お姉ちゃんが11才になった時に領主に見初められちまってねえ……支度金だけを渡されてお姉ちゃんは領主の屋敷に連れられていったんですわ。まあ、妾って奴ですわな」


 若干ロリコンが過ぎるが、珍しい話ではない。

 そういった場合は性奴隷に準じた扱いをされた後、飽きられたら下女としてこき使われることになる。


 まあ、そこらにいくらでもありふれているお話だ。


「それでね……お姉ちゃんが好きだったんですよ。川遊びなんかをしているとね? そりゃあもう……綺麗だったんですわ」


「相当な美人だったんだな」


 そこで男はキョトンとした表情を作った。


「不細工か綺麗かでいえば、やや綺麗より程度で……その程度だったと思いますよ? 少なくとも私の好みではありませんでしたね」


「どういう事だ? さっき綺麗って……」


「いやね、足の指が……特に親指が綺麗だったんですわ」


 話がおかしな方向に転がってきた。

 はてさてどうしたもんか……と俺は顎に手をやる。


「つまりね。私は足の親指が好きなんです。それも……当時のお姉ちゃんと似たような年の……幼女の」


「で?」


 男はそこで醜悪な笑みを浮かべた。





「その子の秘密は黙っといてあげますから……その子の指……しゃぶらせてもらって良いですか?」




「え……」


 絶句する俺に男は更に言葉を投げかける。


「私の部屋に30分その子を連れていきます。ただそれだけなんですわ。なあに、親指以外には手も触れませんから……」


 と、そこでリリスが立ち上がる。


「ひぎゃげぶっ!」


 そしてノータイムでリリスの拳が男の鼻っ柱に突き刺さった。

 みしゃりと嫌な音が鳴る。

 盛大に鼻血を吹き出しながら、ピクピクと泡を服ながら男は大の字に床に倒れた。


 まあ、見た所……命に別状はないな。


「……ねえリュート?」


 呆れ顔の俺にリリスは親指を立たせてこう言った。


「……目立つ気はないが……不可抗力は仕方がないと私は思う」


 深いため息。


「全く……やれやれだな」


 それだけ言うと俺は肩をすくめた。





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