第52話

 結局、その日はリズから素性に関する踏み込んだ話はほとんどしなかった。



 8歳の少女があの状態でスラム街に打ち捨てられると言う異常事態だ。思い出すだけでも辛いような何かがあったことも想定される。

 いや、そもそも、風呂場から上がって来たリズのアレを見てしまうと……訳アリ以外にはどう考えても思えない。

 だから、とりあえず……少なくとも体力が回復するまでは……と言うのが俺の見解だった。




 俺とリリスの部屋は別に取っていたのだが、とりあえず寝かしつけるまでは全員が一緒にいようと俺がリリスに提案して……現況となっている。


 暗い室内。

 ソファーに毛布をかけたままで薄目を明けている俺と、リリスに抱かれながらスヤスヤとベッドで寝息を立てているリズ。


 リズが寝息を立て始めてからきっかり45分が経過した時、俺はコンコンと軽く床を叩いた。

 するとリリスも壁をコンコンと鳴らす。

 それは、既に睡眠に入っているリズを起こさないように、リリスが追い打ちで非常に軽い睡眠誘導の魔法を施した合図だ。



 互いに無言、そして無音で起き上がる。

 ドアを細心の注意を払って開き、そして俺達はもう片方の部屋に入った。


 俺がランプに火を入れている間にリリスはポッドの水を魔法で湯に変え、ハーブティーを煎じる。

 互いに無言で作業を行い、そして数分後。


 香りの強いハーブティーを、カップに入れて手に持った所で俺は口を開いた。


「なあリリス?」


「……何?」


「あの子の事なんだが」


「……何?」


「俺が拾ったみたいになってるけど。本当は……お前が拾いたかったんだろ?」


「……ん」


 リリスは元々奴隷だ。

 そして、基本的には容赦のない性格ではあるが、自らのかつての境遇のせいからか、力の無い子供なんかには甘い所がある。


「で……拾って来たけどどうするつもりなんだよ?」


「……衰弱状態が戻れば孤児院にでも入れるつもりだった。コーデリア=オールストンの口利きでもいいし、ここのギルドマスターの口利きでも良い。それでまともな施設は見つかるはず……だった」


「だが、問題が起きた……と」


「……正直私も困っている」


 リズが風呂場から戻って来た時に……俺とリリスはとんでもない事実を確認している。

 だからこそリズにはすぐにフードを被るように指示したし、明日にはもっとしっかりとしたフード付きにローブを買い与えるつもりだ。


「ああ……そうだよな。エルフと獣人のハーフなんて尋常な事じゃねえよな」



 そう、リズには……獣耳があったのだ。



 リズの容貌はエルフ特有の線の細い金髪碧眼で病的なまでの白く滑らかな肌を持っている。

 壊れそうなガラス細工のような印象を見るモノに与えるが……彼女の長いエルフ耳は自前のものでは無かったのだ。

 付け耳で、実際の耳は頭点に近い位置……金髪の中に隠されていた。


 リズはずっとそのことを隠していたのだが、風呂場では隠し通しようも無く……という事だった。


「古来……エルフと獣人と言えばそれこそ犬猿の仲とされている」


 人間も入れた亜人同士はそもそも……しょっちゅう戦争ばかりをしていて仲が良くない。

 互いに利益のある交易なんかであれば必要最低限に行うのは通常となっているが……それでも特に仲の良くない種族同士であれば話は別だ。



 魔法を主体とした文明を築いているエルフ族は知識をひけらかして高飛車で高慢だ。

 対する獣人族は身体能力を頼りに原始的な生活をしているが……戦士としての自分達に誇りを持っている。



 共に、森に生きる同士で、更に価値観が違えば見た目も異なる。

 現代の地球でも肌の色の違いみたいなしょうもない事で……笑えない数の戦争が起きて笑えない数の血が流れ、笑えない数の悲劇が起きている。


 それはある意味……ヒト種のサガで……これで仲良くしろってのがそもそも無理な話だ。


「オマケにリズにかけられていた呪いの術式は金も手間も人数も必要だ。で、ここいらで獣人の国と言えばマッキンリか? で、エルフの国と言えばフォレスレイム」


「……うん」


「政争なんだろうな。多分……リズは……どちらかの、あるいは最悪の場合は両方の……貴族ないし王族の血を引いている。あるいは、そうでなくてもそのレベルでの重要人物だ」


 どこの世界に浮浪児に手間暇かけて日本円で言えば数千万のコストが必要な呪いをかけるのだろう。

 リリスも俺と同じことを思っていたようでコクリと頷いた。


「……すまない」


「何で謝るんだよ?」


「……私たちは早急にギルドランクを上げなければならないのに……本当に厄介事を抱え込んでしまった。正直な話……普通の施設に預けてしまえばそれはあの子を見殺しにしたと同義となる」


 実際にそうだろうな。

 わざわざ衰弱死か、あるいは餓死に仕向けていたということは……色々と込み入った事情があったんだろう。

 普通はスラム街に転がっているそういった浮浪児は助かる見込みはほとんどない訳で、そういう意味ではリズを追い込んだ連中の目算は正しい。


 俺らみたいなお節介焼きの存在はイレギュラーに過ぎる。


「まあ、多分……あの手この手で殺しにかかってくるわな」


「……すまない」


「いや、別に構わないぜ」


「……?」


「だってお前、最初にあの子を見た瞬間に拾うつもりだっただろ? パパとかママとかお姉ちゃんとか……まあそういった寸劇は置いといてさ」


「……うん」


「お前が拾うと決めて、俺もそれで良いと思った。だったら……俺達がしばらく庇護してやるしかない」


 その言葉でリリスは頷き、そして部屋のドアに手をかけた。


「とりあえず私は……あの子と一緒に寝る。いや、今すぐに寝なければならない」


「どうして?」


「……そこにケモ耳があるから」


 そういえばこいつ……リズを寝かしつける時に自ら進んで一緒に寝てたよな。

 こいつの服についているフードも猫耳っぽいし、恐らくは……それはリリスの趣味なのだろう。

 そこで俺は気づいた。



 なるほど……どうやらリリスはケモナーだったらしい。

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