第42話

 ――飲んでたコーヒーを盛大に噴きだした。


 

「ゴホっ! ゴホッ……! ゴホッ! ゴホゴホゴホっ!」



 しばしの間受付嬢はせき込んだ。

 いや、それはせき込むというには生易しい。

 どうにも気管にコーヒーが入ったらしく、それは例えるのであれば、まさに命にかかわる系の発作とか、そういった方面の方が形容は近い。




「ゲホっ! ゲホッ! ゲホッ! ゲヒっ……! ゼッ……! ヒッ……! ヒッ……! フゥー……! ヒッ……! ヒッ……! フゥー……!」




 すました表情を浮かべていたエルフの受付嬢だったが、今は見るも無残な表情となり、鼻水エルフとなり果ててラマーズ法で必死に呼吸を整えている。




 コーヒーが気管に入ったか、あるいは鼻孔に入ったのか……。




 大きく肩で息をしながら、少しずつ受付嬢の呼吸が元に戻っていく。

 そしてようやく呼吸困難から脱した彼女は蒼ざめた表情で叫んだ。


「そ、そ、測定ミスですの! こんなのは有りえなくってよ!」


 愕然とした表情でプレートを眺める受付嬢に、リリスが不思議そうに尋ねた。


「……測定ミス?」


「そう! そうですの! これは測定ミスですのよ!」


 そこで受付嬢は完全に平静を取り戻した。

 どうやら明々後日の方向で現在の状況を理解したらしい。

 そして彼女はコメカミに青筋を浮かべていく。




「どんな手品を作ったかは分かりませんが、公的機関や、あるいはギルドのような準公的機関で求められるステータス開示で……詐称をするのは重大な犯罪でしてよっ!」



 ヴィシっとばかりにリリスを指差し、ドヤ顔でご満悦のようだ。

 思い込みの強い性質のようで、それ以外の可能性を欠片も考えていない様だ。


「そこの貴方?」


「ん? 俺か?」


「貴方も水晶玉に手を触れてみなさいな」


 一応、ギルドの受付嬢は個人情報の漏えいの関係では、相当な制約を課せられているらしい。

 噂によると、禁を破れば即死となる呪術をかけられている……とか、あるいは禁を破れば記憶喪失になる呪術がかけられている……だとか。

 まあ、実際にそのレベルでの何らかの制約は義務付けられている様だ。

 何しろ、実際に情報が漏えいしたという話を俺は聞いた事が無い。


 だからこそ、自らのステータスの公開……みたいな致命的な情報をギルド登録冒険者は、そして俺もリリスも簡単に開示できるのだけれど。


「早く水晶玉に手を触れてみなさいな」


 めんどくせぇ……とばかりに水晶玉に手を触れる。

 そこでプレートに視線を落とし、受付嬢は笑い始めた。


「ふふ……ははっ! ハハハハハハハっ!」


「……どうしたんだよ?」


「だって……ふっ……フハハハハハハハっ! ハハハハハハハハハハハハハハっ……ダメ……お腹痛い……ハハハハハハハハハハハハハハっ!」


 腹を抱えて笑い始める受付嬢。


「だからどうしたんだよ?」


 笑い涙を目尻に貯めて、受付嬢は更に笑う。


「ハハハハハハハハハハハハハハっ……ダメ……お腹痛い……ハハハハハハハハハハハハハハっ……! 詐称……するにしても……ハハハハハッ……もう少し現実的な……数値を……ハハっ! どんだけ頭……ハハっ……悪い……ハハッ……ハハハハハっ! ハハハハハハハハハハハハハっ!」


 そこで受付嬢は、俺に近くに来るようにと手でジャスチャーした。


「うふふ……あー……久しぶりに笑いましたの。詐称とはいえ個人情報は個人情報でしてね? 今からある程度詳細な情報を小声で言いますから、顔をこちらによこしなさいな」


 カウンター越しに数十センチ。

 俺は彼女に耳を近づけ、彼女は俺の耳に口を近づけた。

 そして誰にも聞こえないような小声でささやいた。


「Sランク級冒険者でもこんなステータスはありえないですのよ? 本当に……世間知らずのお馬鹿な詐称の仕方ですわね?」


 まあ、Sランク級程度は余裕で越えてるから当たり前と言えば当たり前なんだが……。

 そこで、再度ヴィシっとばかりに俺とリリスを指差し、ドヤ顔で受付嬢は口を開いた。



「今から衛兵を呼びますからね……この犯罪者がっ!」



 俺とリリスはお互いに見つめ合い、そしてダメだこりゃとばかりに肩をすくめた。

 受付内部に顔を向ける。


「この二人は犯罪者です! 今すぐに衛兵を呼んできてください!」


 そして次に受付嬢はギルドのホールにいた他の冒険者に向けて大声で呼びかけた。





「みーーーなーーーさーーーんーーーー! この者達は犯罪者です! 多少痛めつけても構いませんからーー取り押さえてくださいっ! 金銭的な報酬は出せませんが、ギルドに対する貢献ということでーーーーー評価アップのチャンスでーーーすーーーよーーーーーーー!!」





 そのホールに響き渡る大音響。

 冒険者達の目の色が変わり、すぐに俺とリリスは囲まれてしまった。



「……どうする?」


 リリスは半笑いになっている。

 基本的にリリスは無表情で……しかも、半笑いと言っても目の奥は決して笑っていない。


 ああ、これはキレちゃってるな……と俺は溜息をついた。

 っていうかリリスのこの表情はマジで怖い。



「どうするもこうするも……」



 いや、本当に困った。

 別にこの場で冒険者達をボコるのは構わないが、あまり目立ち過ぎるのも好ましくはない。

 とはいえ、大人しく捕まるのは完全に違う。



 どうしたもんか……と思っていたその時、受付の奥から大男が現れた。

 髭面の茶短髪で、どこか赤龍のオッチャンの人化のバージョンを思わせるような筋肉質の中年男だった。



「一体なんなんだこの騒ぎは? 犯罪者がどうとか聞こえたが……」



 そこで受付嬢は椅子に座り、優雅にコーヒーカップを手に取った。

 



「ふふ? 貴方もおしまいね? 元はAランク級冒険者であるギルドマスターが現れてしまったのだから……絶対に逃げきれないですのよ!? ふふっ……! はははっ! ははははははっ!」




 俺とギルドマスターの目と目があった。

 そしてギルドマスターは硬直し、そしてパクパクと何度も口を開閉する。

 






「あっ……あっ……あっ……あな……貴方は……リュっ、リュっ……リュートさんじゃないですか!」







 ああ、そういえば……修行中に金稼ぎの為に冒険者の真似事をしてた時に、何度か会った事あるなこいつ。

 確か、初めて見たのは……いつだったっけかな。俺がせいぜいSランク級程度の実力の頃だから、確か邪龍アマンタ戦の前だ。

 あの時は確かこのオッサンも冒険者で……確か魔獣フェンリルにパーティー丸ごとボッコボコにされてたのを助けたんだっけか。




 っていうかこのオッサンがBランクからAランクになった時に功績とされた魔物の討伐の数々は……大体俺のせいだ。




「おう、久しぶりだなオッサン」


「きょ、きょ、今日はどういったご用件で?」


 ペコペコと頭を下げるオッサン。

 昔からこのオッサンは腰が低いよな。


「おう。オッサンの所で冒険者ギルドに登録しようと思ってるんだ」


「リュートさんも……遂に冒険者の道を?」


「ああ、ちょっとギルドランクを上げておきたくてな」


「というか……ありがとうございます!」


「ん? なんで俺はいきなりお礼を言われるんだ?」


「貴方ほどの実力者が我がギルドに所属していただく訳ですよね? 高ランク冒険者を輩出すればギルド全体の評価につながりますし、高ランク依頼をこなしていただければ手数料も入ります。いや……本当に助かりますよ」


「って言うか、目立つから……そういう話は誰もいない時にしてくれ」


 ああ、とそこでオッサンは頷いた。

 そして小声で俺に語り掛けてきた。


「昔からリュートさんは目立つの嫌いでしたからね。了解しました」


 俺も小声でオッサンに応じる。


「ああ、本当にそういうのは辞めてくれよ」


 そこで二人はガッチリと握手をする。


「いやあ、でも……リュートさんが当ギルドを選んでくださるなんて……本当にありがたいですよ」


「しかしな……」と、俺は困ったように肩をすくめた。


「ところがどっこい、さっき……ギルドへの所属を断られたんだよ」


 はてな……とオッサンは首を傾げた。


「断られた……? 確かにリュートさんの年齢は低いし、第一印象では舐められる事もあるかもしれません。けれど、ギルド登録の際はステータス開示は必須…………私はリュートさんのステータスを見たことはありませんが……まあ、とんでもない事になっているのは分かります。そして、それを見た上でそのような応対……全く意味が分かりませんが?」


「いや、俺も分からないんだよ。それどころか犯罪者扱いまでされている」


「犯罪者? リュートさんが? しかし、そのような扱いをした輩がいるのであればギルドマスターとしても捨て置けません。処罰せねばなりませんので詳細を聞かせてもらえますか?」


 ああ……と頷いてエルフの受付嬢に視線を向けると彼女は――





 ――再度コーヒーを盛大に噴いていた。





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