第39話

 サシミマシの城塞都市。

 城塞都市と言うだけあって街の周囲を高さ10メートル、幅が1メートル程度の高くブ厚い壁に囲まれている。

 交易の要となる都市で、西方の漁港であるシンタイと東内陸のギーサを結ぶ重要な交易路の要所であり宿場町として栄えている。

 しかしながら、地理的条件は最悪に近い。

 前面を迷いの森に接する形であり、背後には魔喰らいの湿地帯が広がっている。

 いわば、モンスターの巣食う危険地域にそのまま街が築かれたような形だ。

 が、当然の事ながらこの街に住む者はそれは全て先刻承知となっている。

 需要があるなら利益がある。そして、利益があるなら覚悟がある。

 そうして作られたのがサシミマシの城塞都市だ。



 今現在、サシミマシ領主の館では作戦会議が開かれていた。

 30畳程の室内中央には巨大なテーブルが置かれている。

 最も奥の席に頓挫しているのはサシミマシの領主が鎮座し、巨大なテーブルの左右にはずらりとお偉方が並んでいる。

 左の最奥にまずは騎士団長。

 右の最奥には教官長。

 騎士団長の次に並んでいるのは勇者としてのコーデリア。

 更に次点として副騎士団長、副教官長、そして仕官、教官達が並んでいる。

 そして末席に近くしてリリス。

 これは特待生であり、なおかつ先刻の戦いで戦績も挙げた事から作戦会議への同席を許された形となっている。

 重苦しい空気の中、顎ヒゲを携えた騎士団長が口を開いた。

「東の砦を任せていた――副団長。戦況の報告を」

「……数人の生き残りからの報告によると、東の砦は瞬く間にオーガの軍勢に呑まれました」

 一同が沈痛な面持ちを作り、騎士団長はヒゲをさすりながらこう続けた。

「南の砦担当の副団長……報告を」

「南の砦。そこには騎士団はほとんど派遣されていませんでした。ほとんどが傭兵か、あるいは新米冒険者で……」

「言い訳は必要としない。私が求めているのはただありのままの報告……それだけだ」

「ハッ……南の砦を守っていた傭兵団はオーガキングを視認すると同時に脱兎の如くに逃げ出しました」

 そこで騎士団長は苦笑した。

「それでお前も交戦もせずに逃げ帰って来た訳か? 南の砦では死傷者はゼロと報告書には書かれていたが?」

「あっ、いや……それは……」

「まあ良い。そして北の砦だ。北の砦に至っては生存者はゼロだ。報告者すらおらず、何が起きたのかすらも分からん」

 そこで、総白髪の長髪。オールバックの領主が口を開いた。

「唯一、勇者:コーデリア=オールストンと、魔法学院の教官達が在中していた西の砦だけが辛うじでオーガを退ける事ができたと言う訳だ」

「退ける事ができた理由は私だけじゃないし、ましてや教官達のおかげでは断じてない」

 コーデリアの視線の先にはブラウングレーのショートカットの少女リリスがいた。

 それを見て、教官長は大きく頷いた。

「特待生クラスのリリス学生。一般枠での受験でありながら、非凡な才能を見せて特待生に選ばれた、そして今回の件で類まれなる功績を挙げた麒麟児ですな」

 うんと頷き、騎士団長はリリスに視線を向けて目を細めた。

「冒険者ランク相当でC+とのことでした。が、コーデリア様からの報告を加味すると、下手をすればBランク級下位程度の実力があるのかもしれませんな」

 その言葉で、リリスとコーデリアの瞳に呆れの色が混じった。

 リリスは誰にも聞こえぬ声でコーデリアに向けて、読唇術のように口を開いた。

「……ねえコーデリア=オールストン?」

「何?」

「……過小評価されるのは……正直、不快」

「でしょうね。でも、我慢してよね、本当に」

 そのやりとりは音声を介さずにいたせいか、誰にも気づかれる事も無く場の議題は次の項目に移った。

「ともかく、今現在、我々は未曽有の危機に襲われている」

 領主の言葉に騎士団長が頷いた。

「オーガ、あるいはオーガジェネラルだけでも危険な害獣だと言うのに、オーガキングすらも今回は複数存在が報告されている」

 その言葉に教官長が追随した。

「事態は災害級……いや、厄災級と判断されるような状況ですな。いや、同一種における上位種の魔物の割合が異常に過ぎていて――これは大厄災までもが想定される」

 オーガとオーガジェネラルと、そしてオーガキング。

 それこそ、大厄災を引き合いに出してもおかしくはない程度に今回は上位個体の割合が明らかにおかしい。

 そこで一同が黙り、各々の表情から血の気が引いていく。

 訪れる沈黙。

 重苦しい空気。

 そんな沈黙を破ったのはコーデリアだった。

「ねえ? みんな? 対処できない事を想定しても仕方がないでしょう? だったら、対処可能な事だけを想定して対策を立てる気にはならないかな?」

 コーデリアの言葉に白髪の領主が怪訝そうに応じた。

「仮に、対処できない事が起きればどうすると言うのだね?」

「その時は全滅でしょうね。対処できないってのは、要はそういう事だから……考えるだけ無駄って奴よ」

 ためらわずにそう言い切ったコーデリアに、場の何割かの人間の表情が引き攣った。

 やはり、死線を潜っている数はここにいる連中と比べるとダントツでコーデリアの方が多いらしい。

 と、その時、教官長がリリスに視線を向けた。

「ふむ。先ほどから黙っているが何か意見は? リリス学生?」

 その言葉にリリスは気だるそうに応じた。

「……特にない」

 そこで一同に弛緩した空気が流れた。

 各々が、リリスの言葉を『たかが一学生である自分に、このような場に置いて発言するような差し出がましい事を……』と言う風に勝手に脳内変換したようだ。

 そうして、まるで微笑ましい物を見るかのようにリリスに視線を向けている。

 まあ、リリスはそんなタマじゃない。

 実際に、本当に意見は何もなかったからそう言っているだけなのだ。

 と、そこでアゴヒゲの騎士団長が眉をヘの字に曲げて、俺に向けてこう言った。 

「ところで、どうしてこのような場所に村人が?」

 うん。

 いや、ぶっちゃけ、俺もこんな場所に呼ばれて戸惑っているんだよな。

「おい、村人よ、分かっているのか?」

 と、言ってきたの騎士団長だ。

 年齢は40台半ばと言う所、頬に走る大きな一本の過去傷が歴戦の勇士を思わせる。

「分かってるいるのかって何を?」

「これは都市一つを守る重大な会議だ。末席とはいえ、本来お前のような者がいて良いはずの場所ではない」

「って言われてもなァ」

 別に俺は自分からお願いしてこんな所にいる訳でもない。

 来いって言われたから来た訳だ。

 そこで総白髪の領主が俺を睨み付けた。

「私はむしろ、君の同席は不謹慎だとすら思っている。聞けば君は魔法学院の新入生でただの学生。いや、それどころか落ちこぼれのクラスらしいじゃないか?」

 その言葉で会議室の所々で失笑が起きる。

 嘲笑と嘲りの視線が一斉に俺に向けられて、気分のよろしいものではない。

 騎士団長がアゴヒゲをさすりながら、更に俺に言葉を投げかける。

「そもそもだな、村人というものは畑を耕し、馬車馬のように働き領主に税を納めるだけの存在だ。それ以上でもそれ以下でも無い」

 酷い言われ様だなオイ。

「……」

「何も言い返さないのか? どうやら被支配者の負け犬根性が心の底まで浸透しているらしい。そんな性根の人間が、戦闘の作戦会議に意見を言おうなんて100年早い」

 ああ、なるほど。

 要はこいつ、喧嘩売ってんだな。なら、買ってやらん事も無い。

 そう思って立ち上がろうとしたその時、コーデリアが俺を手で制した。

「良いの。私がお願いして彼には同席してもらっているから」

 その言葉で俺は思いとどまり、再度腰を深く椅子におろした。

「さっきも言ったでしょう? 彼は西の砦を守った際の功績者なの」

「にわかには信じられません」

「彼の力については、私が保証するって言ってんだけど?」

 騎士団はそこで意を決したように口を開いた。

「しかし、勇者様は……バーサーカーとの異名もあるという話ではありませんか?」

 その言葉を受け、コーデリアの顔色が見る間に変わっていく。

 そういえばコイツ、ゴブリンの時もアマンタの時も、俺がやったって誰にも信じてもらえず全部が勇者の魔力暴走で片付けられたんだったっけ。

 まあ、その点については悪い事をしちまったな。

 更に騎士団長に続いて領主もコーデリアに言葉を投げかける。

「確かに有名ですな。力は確かだが狂言を吐く。北の勇者ならぬ、北のバーサーカー」

 コーデリアの顔面が朱色に染まり、そのコメカミには青筋が浮かんだ。

 ワナワナと肩が震え、テーブルの下では拳を作っている。

 あ、完全にキレてやがるなコレ

 この馬鹿ひょっとしたら殴りかかるんじゃねえのか?

 まあ、コーデリアが殴りかかったら俺も加勢してやろう。多分、俺が動けばリリスもすぐに乗っかってくるはずだ。

 そこでコーデリアはバンとテーブルを叩いて大声でこう言い放った。

「私たちがするべき事はくだらない舌戦ではなく……籠城でしょう」

 意外にコーデリアは大人だったようだ。

 まあ、やる気になってた俺が子供なだけだと言う見方もあるか。

 肩透かしを食らったような気分になっている俺を知ってか知らずか、コーデリアは言葉を続けた。

「いや、正確には開門する」

 騎士団長が怪訝にコーデリアに尋ねた。

「開門……する? 事前の打ち合わせでは守勢に回るはずでは?」

 ここは魔物が闊歩する危険地帯に所在する城塞都市で、馬鹿高い壁で町全体が覆われている。

 街道へとつながる東西南北の堅牢を誇る門が出入りの要となっているのだ。

「古今東西、籠城ってのは味方が来るからやるもんでしょ?」

「ええ、確かに」

「周辺の国々、そして冒険者ギルドに使者を送って既に数日。どこからも何の連絡もない。そうなると、途中で使者はオーガか他の魔物に殺されたか、あるいは……私たちは見捨てられたかのどちらかしかない」

 一同が押し黙った。

 みんな、薄々とその事実に気づいてはいたのだろう。

 沈黙の最中、コーデリアは再度テーブルを両掌で打ち付けた。

「そうであれば、現状、私たちがやるべきは時間を稼ぐことではない」

 騎士団長が重苦しい顔つきでコーデリアに尋ねる。

「どうするつもりでしょうか?」

「これからやるのは籠城ではない。守勢を軸とした迎撃よ。東西南北の門を開き、双方の戦力を特定の場所に集中させる。一般人の被害を少なくする方法はこれしかない」

 なるほどな、と俺は手を打った。

 門は壁よりも堅牢って話だ。

 そこを閉じてしまえば恐らくは都市を囲む壁がオーガたちに攻撃される。

 無秩序に穴を開けられて、色んな箇所から都市に入り込まれて、一般人は好き勝手に蹂躙されるだろう。

 まあ、俺が分身して50人発生させれば話は早いんだが、さすがにこんなところでそれをしちまうとあまりにも目立つ。

 最悪の場合はそれも選択肢には入るが、今のところはそれをやるつもりはない。

 不可抗力的に目立ってしまうってんなら別として、自分から目立つようなマネをするのはよろしくない。

「と、なると東西南北の門に戦力を再編成する必要がありますな」

 騎士団長はしばし何かを思案し、そしてテーブルの上に広がっている地図を指さした。

 そこで今まで黙っていた教官長が口を開いた。

「我々は行軍訓練の一環としてこの場所にいるだけでしてな。武力衝突の矢面に立たされるのは本来業務ではないのです」

「教官長殿? 何を言って……?」

 絶句した表情の騎士団長に向けて、苦笑しながら教官長はこう言い放った。

「とはいえ、我々は戦わないとは言ってはいない。かと言ってこの街を守るとも言い切れませんが……まあ、東の門は任されました。戦力としてはコーデリア様、教官の面々、そして特待生。ああ、ちなみに西の砦で救助した底辺クラスについては戦闘員には数えませんので……好きにしてくださって結構です」

 コーデリアとリリスの総取り、そして教官達自身の戦力か。

 現在この城塞都市が保有する戦力の7割がたを持っていく計算だな。

 っていうか、貴族の子弟はどうしても守るつもりらしいし、発言の内容からも街を放棄してそのままトンズラかます事すら想定されるな。

「教官長?」

「なんでしょうかコーデリア学生? いや、この場ではコーデリア様と言った方が良いでしょうね」

「悪いけどお断り。私は北を担当させてもらう」

 教官長終了のお知らせだな。

 コーデリアの一言で東の門を守る集団の大幅なダウンが決定した訳だ。

 教官長の顔色がマッハの速度で青くなっていっている。

 そこで、教官長は周囲を見渡してすがるような視線でリリスに視線を送った。

「リリス学生は……?」

「……私は南を担当するつもり」

 更に涙目になった教官長。

 まあ、それは良いとして、そこで騎士団長が大きな声でこう言った。

「分かりました。東はアルテナ魔法学院の教官方に任せます。北はコーデリア様と……申し訳ないのですが、逃げ帰った傭兵を再編成した部隊を派遣します」

「構わないわ。それで……西と南は?」

「西と南は我々騎士団が受け持ちます」

 大体の方針が固まった所で、総白髪の領主が天井を見上げて呟いた。

「報告にはオーガキングどころか、オーガエンペラーまでいたと言う話だ。何をしようが勝てるわけがない。焼け石に水だ。全滅は必定……どうしろと言うのだ……」

 今まで敢えてその事実には誰も触れていなかった。

 討伐難易度はAを通り越して、オーバーA……つまりはSランク級だ。

 オーガエンペラー。

 それは幻獣種にも分類されるような規格外生物だ。

 しかも、常駐戦力の大部分が詰めていた東西南北の砦の内、4分の3が瞬く間に落とされている訳だ。

 オーガエンペラー抜きでも、最初から敗色が濃厚な事は誰しもが分かっている。

 そして、誰しもがそれを分かった上で作戦会議に臨んでいたんだ。

 だからこそ教官長は、最初から逃走を前提に先ほどの発言をした訳でもある。

 と、まあ、そんな感じで領主の言葉には誰も応じずる事が出来ずに、会議はお開きとなった。

 お偉いさん連中が次々と去っていき、最終的に場に残っているのは俺、リリス、そしてコーデリアの3人だけとなった。

 そこでコーデリアも立ち上がり、出口へと向けて歩を進めようとする。

「おい、コーデリア? ちょっと待てよ」

「待つ? 何で? 会議は終わったって言うのに?」

「良いから座れ。後、リリス? 三枝を連れて来い」

「……そう言われると思って既に待機させている。コハル……入ってきて?」

「何で私が呼ばれたですか?」

 オドオドとしながら、巫女服を着た小動物が室内に入ってきた。

 俺は手で三枝に座るようにジェスチャーする。

「さて、足手まとい連中は去ったな」

「リュート? どういうことなの?」

 コーデリアの問いに、肩をすくめて俺はこう応じた。  

「始めようか、本当の作戦会議」

「本当の作戦会議? どういう事?」

 すっとんきょうな声を挙げたコーデリアを無視し、俺は地図を指さした。

「北にコーデリア。南にリリス。ここは俺も文句はない。妥当な線だ」

 そこで何とも言えない表情をしながらコーデリアは頷いた。

「うん」

「で、西には俺がつく」

 そこでようやく趣旨を理解したらしいコーデリアはポンと掌を叩いた。

「なるほど。そういう話ね。だったら、それも妥当。っていうかアンタは速攻でオーガを片付けて他の門の連中を助太刀しなきゃいけない訳だからね」

「で、問題は東だ。ボンボン連中と、その護衛の教官連中……俺達を除いた通常戦力の最大級がおかれている場所だが……」

 呆れたような表情をコーデリアを浮かべる。

「教官連中を捕まえて『通常』戦力ね。アレって最低でも魔術系系の実力派ベテラン冒険者のセカンドライフ……通常であれば宮廷魔術師上がりだってのに……」

「ん? どうした? コーデリア?」

 そこでコーデリアは思い直したように首を左右に振った。

「いや、良いよ。アンタにはそれを言えるだけの資格がある。私はそれを知っているから」

 それに……と言葉を続けた。

「アンタの場合は努力に裏打ちされた自信と確信。いや、むしろ、なんかゴメンね。あまりにも浮世離れした発言だったもんだから、それはさておき何の話だったっけ?」

 リリスが不機嫌そうに俺達の会話に入ってきた。

「……東西南北を誰が守るかと言う話」

 ちなみに、三枝はただその場でオドオドとしている。

 世界的にも稀有な存在である勇者:コーデリアと同席しているという事が彼女にとっては異常事態らしい。

 彼女はただ『あわわ……あわわわ……』と顔を蒼くしたり白くしたりしている。

「北はコーデリア。南はリリス。西は俺。そんでもって、現状、ダントツで戦力が薄いのは東を守る教官連中と、特待生クラスだ」

 一同は押し黙り、その場を静寂が支配する。

 そしてしばしの思案の後、俺は口を開いた。

「おい、コーデリア?」

「何?」

「仮に、東にオーガキングが2体、そしてオーガエンペラーが一体出た場合どうなる?」

 コーデリアは顎に手をやり瞳を閉じる。

 頭の中でのシミュレーションを終えたようで、彼女は額に一本の冷や汗を垂らしながらこう言った。

「10分。いや、そもそも抵抗すらしないわね。だったら、守備兵はてんでバラバラに逃げ回って2分で陥落」

 ご明察。

 さすがはコーデリアだ。俺の思っている事とほぼ同一の回答が返ってきた。

「それで、そうなるとどうなる?」

「略奪と凌辱が始まる」

 それもご明察。

 鬼と言うのは基本は魔獣種に属するが、人狼等の亜人の類と縁戚でもある。

 漁師が遠洋航海で、釣れたエイの女性器を使用すると言う笑い話もある。

 性欲と言うものは奥深く、そして罪深い。

 で、あれば、食料や貴重品の略奪は当然として女に対して何が起こるかはお察しの通りだろう。

「で、まあ、色々ぶっちゃようか。俺の見立てではオーガエンペラーは確実に数体いるし、そして東西南北のどこかからかは来る」

「えっ!? 一体だけじゃないの?」

 口をポカンと開いて、コーデリアは慌ててその口を掌で隠した。

「……何を驚いている? コーデリア=オールストン? 報告には確かにそうあったはず」

「いや、確かに報告にはそうあったけどさ……見間違いの眉唾の可能性も高いと思っていたのよ。そもそも複数体確認なんてのは報告書には書いてなしね。オーガエンペラーって言ったら単独で厄災認定されるような超規格外よ!? 複数体だったら、コトは辺境の小国で対処できるレベルを優に超えてしまっているわ」

 苛立ったようにリリスが再度尋ねた。

「……だから、何を言っている?」

「え?」

「……ここにはリュートがいる。オーガエンペラーが複数現れたとして、何の問題がある?」

 リリスの言葉の意味を理解しようとコーデリアはしばし黙り込んだ。

 そして何やら思案した後、こう口を開いた。

「いや、それは分かる。私やリリスでは対応できないだろうけど、この男ならやってやれないことはないだろうね。でも、オーガエンペラーがいるのなら……そう、この場合私が危惧してるのは――」

 その言葉に俺は同意するように首肯した。

「鬼族の進化の最終終着点――鬼神の発生可能性だな?」

 コーデリアが真剣な表情で頷き、リリスは無表情に顎に手をやった。

 そして三枝はただ、その場でオドオドしている。

「今まで、俺達が討って出なかったのは何故だ? コーデリア?」

「援軍を待っていたから?」

「その通りだ。まあ、実際にはお前も承知の通り、近日中に援軍が訪れる可能性は非常に薄いがな」

 若干の悲壮の色を表情に混ぜてコーデリアは俺に尋ねてきた。

「それで?」

「オーガエンペラーは確実にいるんだよ。その状況で奴らは攻めてこない。それは何故か分かるか?」

「私たちが西の砦を守り切っちゃったから?」

「そういうことだ。奴らからするとそれは薄気味悪い事この上ないだろうな。オーガキングを有するような戦力が瞬く間にやられたんだから」

「リュート?」

「何だ」

「答えになってないよ。で、結局はどういうこと?」

 コーデリアの問いに、俺は確信と共に断言した。

「奴等もまた、援軍を待っているんだよ」

 そこでコーデリアの表情から一気に血の気が引いた。

「それってひょっとして……」

 ああ、と俺は頷いた。

「オーガエンペラーが更に複数現れるか、あるいは鬼神が現れるか、はたまたその両方か」

 そこでコーデリアは半泣きになりながらこう叫んだ。

「そんなの……そんなのっ! 本当の大厄災じゃないっ!」

 そこでリリスが眉を潜めて口を開いた。

「……それが実際にそうではないフシがあるからリュートと私も、この件についての対応に困っている。実際に大厄災であれば……それ相応に、龍王様をはじめとして私たち独自のルートで連絡をすべき連中もいるのだから」

「だからいったいどういう事なの? オーガの群れ……そして有りえないレベルでのオーガジェネラルの比率。そしてオーガキングの複数発生、更にはオーガエンペラー……そして鬼神。こんなの……大厄災以外には……」

「確かにオーガジェネラルの比率はおかしいし、オーガキングがこの程度の群れでこれだけの数が複数発生するのも有りえない話だ。ましてや幻獣種に認定されるようなオーガエンペラーが発生するのも異常事態。更に鬼神なんてありえない話だ」

「だったら、これはやっぱり大厄災と考えたほうが……」

 そこなんだよ、と俺とリリスは肩をすくめた。

「大厄災であるなら、そもそもオーガの存在自体がおかしいんだよ」

「どういうこと?」

「なあ、コーデリア? そもそも、大厄災の定義ってなんだ?」

「……種族の中心となる首領格が前代未聞の超存在……例えば、ゴブリンエンペラーの場合は完全なる新種の生物である、本来では有りえない進化先である……アルティメットゴブリンになったって話よね? まあ、鬼神の存在は進化先として歴史上で確認されているし、アルティメットゴブリンに比べるとかなり討伐ランクは下がるだろうけど……で、大厄災だったわね? 確か種族全体に1ランクの進化が強制的に促されるってコトだよね?」

 と、そこまで言ってコーデリアは眉をへの字に曲げた。

「確かに大厄災にしては辻褄が合わないわね。そもそもオーガが存在する事がおかしいわ。オーガは全てオーガジェネラルに強制的に進化していなければおかしい」

 コクリとリリスが頷いた。

「……恐らくはこれは人為的に引き起こされたもの」

 その言葉にコーデリアは絶句してこう言った。

「それって、鬼神クラスの魔物を人間が作っているってコト!?」

「その可能性はある。でも、実際にはそうではないのかもしれない」

「いや、だからどういう事よっ!?」

「仮説はいくつかあって、目星もついてる。だが、確実と言い切れるものは今の所は何もない。それがはっきりと分かれば俺も悩んじゃいねーんだよ。コーデリア」

 俺の言葉に納得したようなしていないような、そんな微妙な表情をコーデリアを浮かべる。

 しかし、すぐに彼女は気を取り直して掌をポンと叩いた。

「それじゃあ、北は私。南はリリス。東はリュートが守る。でも、西はどうするの?」

 そこで俺は、今までキョロキョロとただひたすらに挙動不審な態度を示していた三枝に歩み寄る。

 そして彼女の頭の上に掌を置いた。

「三枝心春……こいつが守る」

「リュート? さっきから気になってたんだけど……この子は?」

 コーデリアの鋭い視線。

 戦場に生きる者としての観察眼なのだろう。

 コーデリアは三枝の足元から頭までを値踏みするように、舐め付けるような視線を上から下まで送った。

「三枝心春だ。安心しろ、こいつの力は俺が保証する」

 しばし何かを考え、コーデリアは唇をアヒルのように平たくして、そして眉をへの字に曲げた。

「いや、そういう問題じゃなくて……私が気になっているのはそこじゃなくて……この子……妙に胸が大きいんだけど」

 そっちかいっ! 

 と俺は思わずその場にずっこけそうになる。

 まあ、それはさておき、コーデリアのジト目の視線を受け俺は言った。

「東方では名家だ。胸はおいといて……本当にこいつは、そこそこできる奴なんだよ」

「ふーん……」

 やはりジト目を崩さないコーデリア。

 彼女は訝し気に俺にこう尋ねてきた。

「で、本当に戦力として使えるの? 胸の大きさに目がくらんだだけじゃないでしょうね?」

 冗談交じりにそういうコーデリアだったが、そこでリリスがドンと力任せにテーブルを叩いた。

「……リュートが、コハルにはそれができると言った。ならばそれはできる」

「ちょっと、どうしたのよリリス?」

 その言葉に、リリスは嫌悪感を明らかにしてコーデリアにまくしたてた。

「戦いに関してリュートが見誤る事など、まずありえない。仮にリュートが見誤るような場合があるのであれば、リュートも含めて私たちは全員が全滅で……それこそありえない異常事態が起きているということ。少なくとも人界の、この状況では可能性の欠片も考慮する必要が無い」

 呆気に取られてコーデリアはポカンとした表情で口を開いた。

「ちょっとアンタ何をマジになってんのよ? 今のは冗談よ?」

 吐き捨てるようにリリスは呟く。

「……今は生き死にがかかっている。私は冗談は嫌いだ」

「本当に絡み辛いめんどくさい女ね」

 しばしの沈黙が走った後に三枝が口を開いた。

「あの……コーデリアさん? リリスさん?」

「何?」

「……何?」

「あっさり信じちゃうんですか? リュート君ができるって言っただけで……二人とも?」

 コーデリアは肩をすくめて、リリスは無言で頷いた。

「まあ、私は1年ほど前にこの目でリュートの本当の姿を見ちゃったからね。本物の規格外の生物の姿を」

「おかしいですよ……そんなのおかしいですよ……相手は鬼帝なんですよ? いや、下手すれば鬼神までいるって話じゃないですか? 私にできるはずないです」

 その言葉には誰も応じず、泣きそうな表情で三枝は俺に視線を向けてきた。

「鬼神や鬼帝はこの際置いておきますです。リュート君は――私が本当に鬼王……いや、オーガキングと対峙できると考えているんですか?」

 半ば怯えたような三枝の視線を受け、俺は深く溜息をついた。

「なあ、三枝?」

「……なんでしょうか?」

「お前ならできる。だから任せる。それじゃあダメか?」

 フルフルと首を振って、三枝は声を荒くする。

「なんでそんなこと言うんですか! 心春はできない子なんですっ!」

「できないって誰が決めたんだよ」

「そりゃあリュートさんはできるから……できない人間の気持ちなんて分からないんですっ!」

 更に深いため息と共に俺は三枝に問いかけた。

「お前、俺の適正職業は何か知っているか?」

「……村人さんって聞いてますけど……そんなことはないですよね? 恐らくは身分を隠して……どんなレア職業なんですか?」

 俺は苦笑した。

「文字通り、そのまんまの意味で村人だよ」

「えっ……?」

 三枝は驚いた表情を浮かべる。

「お前には才能がある。神卸しって言うレアスキルを持ってんだろ? お前さ? 才能がある癖に、ちょっとのスランプで努力もせずに諦めてんじゃねーぞ?」

「……」

「才能があるくせに、ウジウジウジウジお前は何をやっているんだ?」

「……」

 無言の三枝に俺は宣言するかのように言葉を浴びせかける。

「東の門の守りはお前に任せる」

「南はリリスに、北はコーデリアに、そして西は俺が行く」

「でも、でも……私は……」

「できるから任せるんだ。本来のお前の力ならできる。必ずできる」

 三枝はまつ毛を伏せて、消え入りそうな声色で口を開いた。

「あの日、あの時、私は肝心要の時に力を行使できなかったんです……神を卸す巫女……戦術兵器としての私は役目を果たす事ができず、守るべきものが守れなかったんです」

「お前の守るべき者っつーと?」

「私の守るべき者……里の皆……巫女姉さまって言って私を慕ってくれる子供たちの……そんな……みんなの笑顔を守れなかったんです」

 そこでコーデリアは沈痛な面持ちを作った。

 三枝の気持ちに共感する所があるのだろうか、どこか悲し気な、そしてすぐに優し気な表情を作る。

 そうしてコーデリアは三枝に何かを語り掛けようとしたが、そこを俺は手で制した。

「なあ、三枝? 東の国でも……そして西の国でもさ……力無き民は守るべき対象としては同じじゃねーのか?」

「……?」

「この街にも、お前の守りたかった人達みたいな連中がいるんじゃねーのか? そんな子供たちもいるんじゃねーのか? だったらさ……その時に守れなかったんなら、今守れば良いんじゃねーか?」

「……でも」

 俺はそこで掌をパンと叩いた。

「オッケーだ。やらないっつーんなら、無理強いはさせない。西の守りは俺とリリスとコーデリアで、それぞれの分担の守備が終わってから駆けつけて何とかする。まあ、被害は確実にでるけどな……」

 これは半分本当で半分は嘘だ。

 闘仙術で50体の分身を発生させれば、被害は最小限に食い止める事はできる。

 まあ、あまりにも目立つので非常に気が進まない方法ではあるのだけれど。

 俺は咳払いと共に三枝に尋ねかける。

「ただ一つだけ気になる事があるんだ」

「なんですか?」

「どうしてお前はこんな西の果てに来てまで力を求めたんだ? 見返したいんじゃなかったのか? 三枝という一族を貶めた倭国の魔術学院の連中をさ……」

「……」

 黙りこくる三枝に俺は更に質問を投げかける。

「お前は戦士だよな?」

「戦士……うん。そうなんです。戦人(いくさびと)の……家系なんです」

「そうじゃねえんだよ。家系や血筋なんて聞いてねえんだよ。お前は……お前個人は戦士かと聞いているんだ?」

「……そう育てられました」

「だからそうじゃねえんだよ……じゃあ、ハッキリ言ってやる」

 握り拳を作って三枝の胸元に軽く、本当に軽く当身を行う。

 ドスンと思い音が鳴り、三枝の肺から空気が追い出され、口から空気が漏れる音が聞こえた。

「何……するんですか?」

「お前の心臓ココに――――譲れないモノはあるかと聞いているんだよ」

 そこで、三枝は何とも言えない表情を作り、そしてゆっくりと頷いた。

「…………あるんです」

「うん。そうだよな」

「……はい」

「だったら更に聞くけどさ……まあ、勝算が無ければある程度は仕方ないと俺も思う。そうだったら逃げても誰も文句は言わない」

「……」

「けど、今回は勝算がある。その上で聞く。三枝の一族は勝算があるにもかからわず弱者を置いたまま敵前逃亡するような腰抜けか?」

「……違う……それは違うんです……」

「じゃあ、見返そうぜ? お前を、そしてお前の一族を馬鹿にした連中をさ? やるなら今だ、ココしかない」

「でも、でも……」

 三枝の頭にポンと掌を置く。

 そして満面の笑顔を共にこう言った。

「俺もできるだけ急ぐ。何とか持ちこたえろ」

「……」

「任せたぞ、心春」

 三枝の頭に置いていた掌をワシワシと動かす。

 そこで、リリスが満面の笑み共にこう言った。

「……リュート?」

「ん?」

「……私の頭の上にも何かが足りない」

「ん?」

 よくよく見てみると、リリスは笑顔を浮かべてはいるけれど――目の奥は一切笑っていない。

 能面のような笑顔と言えばいくらかニュアンスが伝わるだろうか。

 とにもかくにも、超怖い。主に目が怖い、いや、目の奥が怖い。

「分かった。分かったから……」

 っていうか本当に怖い……。

 これはたまらないとばかりに三枝の頭から掌を離し、リリスの頭の上に右掌を置いた。

 瞬時にリリスは目の奥までをほっこりとさせて、今後こそ本当の笑顔を浮かべた。

「あのさ、リュート?」

 見ると、今度はコーデリアが頬を膨らませていた。

 お前も頭を撫でてほしいのかコーデリア……と、俺は左掌の用意を完了させる。

 右手はリリス。

 左手はコーデリア……これで文句はないだろう。

 今の俺には一切の死角はない。

 そう思っていたその時、異次元からの刃がコーデリアから放たれた。

「ねえ、リュート? 今……拳で胸元を心臓を叩くフリをして……コハルの胸を触ってたよね?」

 ボキボキと拳の関節を鳴らしながら、コーデリアは狂気混じりの笑みを浮かべていた。

「いや、心に譲れない何かがあるかって聞くのに、心臓叩くのそんなに変か?」

 フルフルとコーデリアは首を左右に振った。

「そういう問題じゃない」

「じゃあ、どういう問題だよ?」

「だから、コハルの胸を触ってたよね?」

「いや、だからさっ! ちゃんと理由があって心臓を……!」

「言い訳は聞かない! 触ってたよね!?」

 ダメだ。言葉が通じない。

 ボキボキボキボキ。

 コーデリアが拳の関節を鳴らす音が周囲に響き渡る。

 そしてリリスも何故だかコーデリアの同調して何度も頷いている。

「あー! もう、めんどくさいっ! お前等一体なんなんだよっ!」

「問答無用っ!」

 そうして俺の右頬にコーデリアの左ストレートが突き刺さった。


 ――と、まあ、そんなこんなで作戦会議は終了したのであった。








 城塞都市サシミマスの北門。

 城門の内には楕円の陣形が構築されていた。

 守勢の数は戦闘員と数えて良いレベルで、概ね100名。

 更にその後に控える民兵が400名程度。

 その先頭に立つコーデリア=オールストンは、城門の外に溢れる500を超えるオーガの群れに対して溜息をついた。

「手加減しながらスタミナを温存ってのは性にあわないのよね」

「性にあわないというと?」

 コーデリアの傍らに控える、総白髪の壮年のベテラン冒険者が怪訝に尋ねる。

「見覚えがあるわね。確かCランク級上位……ベテラン冒険者のデリックさんだったよね? 多分、この中では私を除くと貴方が一番腕が立つ」

「いかにも。そして、私のような者を覚えていてくださって光栄です。確かに私はお嬢とは今まで6回ほど高難易度の魔物の討伐任務についたことがあります」

 ――お嬢。

 コーデリアが率いる魔物討伐チームは、何故だか戦場での彼女をそう呼称する事が伝統となっている。

 年齢差と彼女の性格を加味したところで、コーデリアと行動を共にする者は敬称をつけずにコーデリアとそのままに呼ぶことが多い。

 けれど、いざ戦場となれば話は別で――とはいえ、様付けもどうにもしっくりこない――と、言う事からコーデリアの戦場での2人称はお嬢で統一されている訳だ。

 それはともかく、コーデリアは首を左右に振りながらこう言った。

「副官は貴方に任命するわ。ってことで、私、初っ端から全力で行くから……後のフォローよろしく」

 はてな……とデリックは首を傾げた。

「お嬢?」

「ん?」

「全力とは、魔力暴走の完全制御を指すのでしょうか?」

「目視する限り、オーガキングが一体いるわ。シラフじゃとても太刀打ちできない」

「それは分かりますが、魔力暴走の制御は精神と肉体に負荷がかかってシビアな時間制限があるはずでは?」

「大丈夫」

「と、おっしゃいますと?」

 そこでコーデリアは嬉しそうに笑った。

「心配しなくて良いよ。本当に大丈夫だから」

「大丈夫?」

「アイツがいるから大丈夫。ああ、でもこういう感覚って本当に懐かしいな。最近はいつも私は責任者で、みんなの命を背負わなくちゃならなかった。何も考えずに暴れられるなんて、そもそも選択肢になかったからなぁ……」

「……お嬢?」

 まあ、分かんないわよね……とコーデリアは肩をすくめた。

「アイツは私にここの防衛を任せた。注文も何もなく……ただ、任せたのよ。私の性格やその他全てを理解したうえで任せたの。それは私がこういう対応を取る事も分かった上で任せたって事なのよ」

「……?」

「だったら、好きにやっちゃって良いのよ。私がしくじった時のケツモチは私みたいな紛い物では無くて、本当の天才……そして本当の強者がやってくれる。この上なくキザったらしく、そしてすがすがしいまでに見事な仕上がりにね」

「お嬢が何の事を言っているのかはわかりません。けれど今お嬢はオーガの軍勢を目の前に、まるで玩具を見つけた童のような表情を浮かべています」

「まあ、本当に久しぶりだからねこんなのは」

「何度かお嬢とは討伐を同席させてもらいました。いつも、お嬢は張りつめた表情で、私はこんなお嬢の表情を見たことはありません」

「そもそも私が全力でぶっ飛ばして、それを受け止める事ができる魔物自体がレアなのよね。しかも、今回は誰の命の危険を心配せずに良いって話だから純粋に楽しみではあるよ。害獣駆除は嫌いじゃないし」

 デリックは苦笑した。

「誰の事かは分かりませんが、その方の事を信頼なされているのですね」

 真っ直ぐな瞳でコーデリアはデリックの質問に首肯した。

「うん」

「失礼ながら、私はお嬢を子供だと思っています。何せ、16歳の小娘ですからね。お嬢が私に言った言葉の9割がたも理解できません」

「まあ、そりゃあそうだろうね」

 でも……とデリックはコーデリアに頭を垂れた。

「戦場に立つ時のお嬢は超一流の戦士だと思っております。純粋な力量はおろか、修羅場を潜った数も私とは違います」

「それで? 結局デリックさんは何が言いたいの?」

「ならば、そんなお嬢がそう思うのであればそうなのでしょう。私はお嬢を信じます」

「――――うん」

「後衛は私の率いるベテラン冒険者パーティが受け持ちます。何も気にせずに好き勝手に暴れてきなさいな」

 そうしてコーデリアは満面の笑みと共に大きく首を上下に動かした。

「――――――うんっ!」

 コーデリアは白銀の長剣を腰の鞘から抜き放つ。

「見た所はオーガキングが1体に、オーガジェネラルが10体程度。後はただのオーガで烏合の衆。そして、オーガエンペラーの姿は見えない」

 それこそ玩具を見つけた童のようにコーデリアは笑い、そして舌なめずりと共に言った。

「北の勇者を相手にするにはちょっとお粗末じゃないかしら? あんまり舐めてたら、瞬間で壊滅させちゃうわよ?」

 剣を構え、コーデリアはオーガの群れに向けて加速を始め、そして甲高い大声で名乗りを挙げた。


「北の勇者:コーデリア=オールストン! いざ……推して参るっ!」





「……さて」

 南の門から少し外に出た所でリリスは億劫そうに呟いた。

 と、そこで、現況でのリリスの直属の上司となる騎士団の副長が口を開いた。

「リリス学生?」

「……何?」

「腕が立つと言う話だな?」

 そこでリリスは呆れたように肩をすくめた。

「……そりゃあ、赤子の集団の中では腕は立つ。けれど強者の集団の中であれば私などそれこそ赤子同然だ」

 リリスの言葉に怪訝に副長は眉を潜める。

 彼らの後方には300を超える騎士団、あるいは冒険者ギルドからの派遣者だ。

 その全員が彼と彼女に視線を集めているが、リリスには緊張の色は一切伺えない。

「君の今の発言はイマイチ要領を得ない」

「……理解できなければそれで良い」

「ふむ……?」

 しばし何かを考え、副団長は再度口を開いた。

「それで、君はこの戦況をどう見る?」

「……南の城門を攻めるオーガの群れは概ね600。オーガキングが一体にオーガジェネラルは30と少し……」

 そこで副団長はひょっとこのような表情を浮かべた。

「私が危険察知のスキルで把握していた数よりも1・5倍は多いな。そしてオーガキング……だと? 本当にそんな大物がここに?」

「……魔力索敵。一応スキルレベルはマックス。この距離で、方角も特定されているのであれば精度は相当に高い」

「魔力索敵? それは高位の魔術師でなければ扱えないはずだぞ? 冒険者ランクにするとB級以上の……私と同格でなければ……なあ、リリス学生?」

「……何?」

「冗談は良くないぞ?」

「……冗談?」

「魔法学院からの資料によると君の実力はCランク級程度と言う話じゃないか? この場を和ませようとしようという心意気は買うがね?」

 教官を無視して、リリスは前方に伸びる道に視線を移した。

「……道は一本道。直線にして7キロメートル」

 眼前700メートルの所までオーガの軍勢は迫っていた。

 オーガキングの姿が目視で見える。そこで副団長の表情から血の気が引き始めた。

「あれがオーガキング? どうやら本当……いたようだな」

 でっぷりと肥えた、まるで相撲取りのような体型。

 身長3メートル半、体重に至っては500キロを優に超えるだろう。

 冒険者から剥ぎ取ったレアな武具の数々を身にまとい、威風堂々といった風情で悠々と延々に伸びる街道を――大量のお付きと共に練り歩いてきている。

「なあ、リリス学生?」

「……何?」

「オーガキングが存在するようなオーガの群れに、我々はどう対処すればいいのだろうか?」

「……逃げれば良い。どうせ勝てない」

「しかし、そうは行かないのが騎士のサガだろう? 我々の背後には無力な民がいるんだ」

 そこでリリスは感心したように頷いた。

「……騎士道」

 うんと頷き、副団長は笑った。

「言いかえれば、やせ我慢ってだけだけどな。まあ、このままじゃあ全滅は必定だ。リリス学生? 君は学生だ。誰も責めはしないから逃げる事をおススメするよ」

 リリスは周囲を見渡した。

 オーガキングを視認した瞬間から、金銭で動く冒険者ギルド員は既に撤退を始めている。

 騎士の中でも覚悟が足りない連中から、逃走に邪魔な重たい甲冑を脱ぎ始めている始末だ。

「……しかし、貴方以外の騎士は逃げ始めている」

「それでも、俺はここに残るよ。君は皆と一緒に逃げなさい」

 迫りくるオーガの群れ。

 微かに背筋を震わせながら、表情をこわばらせながら、副団長はそれでも引き攣ったような笑みを浮かべてリリスにそう言ったのだった。

「……気が変わった」

「ん? 気が変わった? 何がだ?」

「……私の使える秘術は幾らもある。目立つ方法、目立たない方法……色々ある。そして私の飼い主はできれば目立つ方法は避ける主義。だから、私はある程度の負傷者が出る前提で、最も目立たない方法を取ろうと思っていた。が……気が変わった」

 そうしてリリスは純白のローブから杖を取り出し、右手を掲げた。

「直線距離の全てを――薙ぎ払う」

 しばしの間、リリスは瞳を閉じて念を込めた。



「……金色咆哮(ドラグズ・ジェノサイド)」




 眩いばかりの暴力的な閃光。

 騎士団の全員と冒険者ギルド員はその場で両目を両掌で覆った。

 そして、爆発的な光が消え去ると同時、リリスは大きく頷きこう頷いた。 

「……うん。目視する限りオーガの群れに生存者はいない。オーガエンペラーはどうやら南にはいなかったようだ」

 目をこすりながら、副団長は周囲を確認する。

 そして彼は絶句した。

 何しろ、今まで街道を覆い尽くしてた全てのオーガが薄く立ち込める煙だけを残して全て消滅していたのだ。

「オ、オ、オーガは……オーガジェネラルは……そして……オーガキングは……?」 

「……この術は父から譲り受けたモノ」

「……?」

「……私の最強の術式に、たかがオーガキング如きが一撃を耐えられると? 冗談は休み休み言った方が良い」

「リリス学生……? キ、キ、キミ……は一体……何者……?」

「……私はリリス。姓は無い」

「姓が……ない?」

「ただし、数年後には私はこう名乗るだろう。リリス=マクレーン……。そう、私は地上最強の男の妻になる女。オーガ如きに苦戦しているような暇は断じてない」







 さて……と、周囲の索敵を終えた俺は頷いた。

「北と南はケリがついたみたいだな……」

 っていうか、俺のMPはリリスも使えるからって本当に無茶苦茶しやがるな。

 ったく、俺のMPの5%ほど持っていかれたじゃねえか。まさか、連発したりはしないだろうな?

 自前のMPじゃないからって好き勝手やりやがって。

 

 ――金色咆哮(ドラグズ・ジェノサイド)


 威力は余裕でSランク級の領域に達するが、術者のMPを根こそぎ持っていくという鬼仕様の一撃となっている。

 本来であれば背水の陣で一撃必殺前提の技だが、リリスの場合は打ち放題だ。なので、あいつも大概なチートではある。

 んでもって、俺の受け持っている西だが――

「おい、そこの村人?」

 騎士団長がヒゲをさすりながら、俺に向けて高圧的な態度で言葉を続けた。

「お前は戦況をどう見る?」

 俺達のいる場所は西の城門を出てすぐの場所だ。

 基本的には、ここは魔物が生息する危険地帯だ、

 とはいえ、街道のど真ん中に位置する都市なのだから、伸びる道の見晴らしは良い。

「戦況?」

 そこで騎士団長はやれやれとばかりに肩をすくめた。

「私はコーデリア様の特別な指示だから、お前を戦場で近くに置いている訳だよ。本来であればお前など、私と口を聞く事すら難しい。そういう立場の違いがある」

「ああ、そりゃあどうも迷惑をおけしているようで」

「お前な?」

「何でしょうか?」

「ただの村人が、騎士団長の傍らに置いてもらえると言うその意味を分かっているのか?」

 ああ、と俺は納得した。

 これはまた……中々のウザい系だと。

「で、戦況でしたっけ?」

 索敵完了。

 オーガエンペラーが1体にオーガキングが12体。

 オーガジェネラルが100を超えて、オーガは一匹もいない。

 どうやら奴等の本命はこっちらしい。

 まだ、騎士団の連中は一切気づいていないが、俺らと奴らが目視できる範囲に互いにガッチャンコするには後……数分ってところだろう。

「ああ、お前は戦況をどう思う?」

「まあ、余裕じゃないですか?」

「余裕……だと?」

 そこで俺は口調をタメ口に戻した。

「騎士団長さんは、どうしてコーデリアがバーサーカーって言われてるか知っているか?」

「お前……その口のきき方はなんだ?」

「まあ、それは良いから。どうしてかは知ってるのか?」

「コーデリア様は元々はただの村娘ときいている。12歳……勇者としての本格成長を始める前の時期に1000を数えるゴブリンの軍勢に襲われただとか」

「それだけじゃねえよな?」

「15歳の時に、邪龍……厄災に認定される伝承の魔物を屠ったと来ている」

「そうだ。そしてそれらの魔物は共にその当時のコーデリアでは到底倒す事のできなかった相手のはずだ」

「その通りだと私も思う。だからこその魔力暴走であり、そして、だからこそ彼女は魔力暴走を制御下におくことに躍起になって、常人には耐えられない荒行を行った訳じゃないのか?」

俺は大きく首を左右に振った。

「コーデリアは今まで一度だって魔力暴走になった事なんてねーよ。何だかんだであいつは冷静沈着だ」

「しかし、それではどうやってコーデリア様は絶対に倒す事のできない相手を倒してきたと言うのだ?」

 そこで、周囲の一同にざわめきが走った。

 ――逃げ出す者。

 ――その場でへたり込んで戦意を喪失する者。

 騎士団員達は概ね、その2つの選択のどちらかを選ぶことになった。

 そして騎士団長はその場でへたり込む事を選んだ様だ。

「ひゃああああああああ!」

「ひいっ!」

「で、で、で、でたああああっ!」

「お助けええええっ!」

 そして、9割がたの騎士団員達はその場から逃げ出す選択をしたようで、まるで蜘蛛の子を散らすように、甲冑と武器をその場に捨てて駆け出した。

「……ハハっ……まるで怪獣だな」

 3キロ程前方の巨大質量に対し、俺は苦笑した。

 体長は10メートルを優に超える。

 体重は明らかに数十トン単位。

 ズシィ――ン。

 ズシィ――――――ン。

 例えば、東京ドームのような大規模なコンサート会場に設置された音の増幅器からは、暴力的とも言える音が発生する。

 肺の奥から、臓腑を抉るような重低音が周囲を震撼させるのだ。

 そしてオーガエンペラーの足音はソレに良く似ている。

 大地を揺るがす重低音の足音が、俺の臓腑の底に響き渡る。

 逃げ出した騎士団連中に、特に俺は責める等の気持ちは持ち合わせてはいない。

 相手は本当に怪獣みたいな見た目で、そして討伐難易度はSランクであり、それだけで厄災と認定される個体だ。

 現状、ここの門を守る戦力で到底太刀打ちできるものではない。

 命は投げ打つものではないし、36計逃げるにしかずって言う言葉は本当にその通りだと思う。

 しかも、大怪獣であるところのオーガエンペラーは12体のオーガキングと、そして100を超えるオーガジェネラルを従えている。

「さて、騎士団長殿?」

 あまりの事態に腰を抜かし、逃れられぬ死を覚悟しているらしい騎士団長に俺はそう尋ねかけた。

「何だ? 村人? というか、お前は逃げないのか? 正規の騎士ですら一瞬で逃走するような異常事態だぞ?」

 俺はオーガエンペラーに向けて大股で歩きはじめた。

「確かコーデリアは本来は倒せないような格上の魔物や、あるいは数が多すぎる魔物を討伐した。だからこそ、魔力暴走のせいにされたんだよな?」

「そうだと聞いているが……」

「だが、あいつは一度も魔力暴走を起こしたことは無い」

「……?」

「理由を説明してやろうか?」

「さっきからお前は何を言いたいんだ?」

「コーデリアに対する報告書を読んだ事があるか?」

 はてな、と言う風に騎士団長は小首を傾げた。

「ああ。あるよ。今回の行軍も、コーデリア様の成長プログラムの一環なんだ。そりゃあ、当たり前の事だろう」

「報告書にはこう書かれていなかったか? 幼馴染の村人の少年を守る為にゴブリンに立ち向かい……そして少年の死亡と共に魔力暴走……と」

「確かに書いてあったが? 邪龍アマンタの際には少年の死亡のトラウマを思い出して魔力暴走が起きたとも書いてあった」

「なるほどな。コーデリアは馬鹿だから……ありのままに村人の少年が全てを片付けたと証言したんだろうな。で、色々と捻じ曲げられて……コーデリアに関する報告書にはそう書かれちまったって事だな。なあ、騎士団長よ?」

「何だ?」

「コーデリアは一度も魔力暴走を起こしていない。けれど、格上の魔物は倒された。何故だか分かるか?」

「……?」

「――村人の少年は死んでなんかいない」

 そうして、騎士団長に向けて後ろ手を振りながらこう言った。

「ゴブリンにしろアマンタにしろ、その村人の少年――俺が全て片付けたんだよ」

 言葉と共に俺はSランク討伐難易度の規格外の魔物に向けて駆け始めた。

 音速を超える速度で、ものの数秒で2キロ少しの距離を詰める。

 話は変わるが、冒険者ギルド換算で言う所の討伐難易度は、AからはじまりHに終わる。

 Hランクといえば雑魚中の雑魚とも言うべきゴブリンから始まり、一般人でも武装すればタイマンであれば余裕で勝てるレベルだ。

 Eランク級程度からは駆け出し冒険者のレベルになって、Cランク級のオーガジェネラルあたりでベテラン冒険者相当となる。

 そしてAランク級となれば、俗に戦術兵器と呼ばれるレベルとなり辺境の地方領主の騎士団程度であれば単独で壊滅させてしまう規格外となる。

 オーガキングや、あるいは1年前にコーデリアにちょっかいをかけたせいで俺に血祭りにあげられた最下級の邪神であるアマンタもその辺りにランクインされるだろう。

 ちなみに、アマンタが単独で厄災とされていた理由は、現世で神格化していて何度でも復活するという要素が大きい。

 そしてそれ以上のランクは総じてSランクと定義される。

 つまり、戦術兵器ではなく戦略兵器とされるような個体となってくる。

 それは人間であれば、個人戦力を担保として、国家という枠組みに縛られる事のない力を有している事を意味する。

 要は国一つ相手に対等に個人として話ができるって事だな。

 そして魔物であれば国家を滅ぼす可能性のある危険生物と定義される。

 余談だが、戦術級と戦略級の違いを分かりやすく説明してみよう。

 将棋で例えるのであれば、当代最強の名人を戦術級兵器だとしよう。

 戦略級兵器とは将棋盤そのものをひっくり返したり、相手は自分のターン中に1回しか駒を動かせないのにこっちは連続で3回動かせるとか、そういった能力の事だ。

 つまりは、ルールすらも超越できるようなチート的戦力を意味するのだ。

 で、俺……リュート=マクレーンも当然のことながらギルドランク制を導入するのであれば余裕でSランク級の戦力を有している。

 そして、俺の眼前を悠然と歩くオーガエンペラーもまた、俺と同じくSランク級に属するのだ。

「かかって来いよ化け物」


「ウボ――ゥ―――ォ――ォ――――ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――」


 五臓六腑に響き渡る巨大な咆哮。

 威圧のスキルと混乱の魔法効果が付与されていて、ただそれだけで低位の魔物であれば失神してしまうような代物だ。 

 それは皇帝――正に王者の咆哮と言い換えても良い。

「恫喝の類が俺に通用すると思っているのか。所詮はケダモノだな」

 俺もまた、ゆっくりとオーガエンペラーに向けて歩みを進める。

 彼我の距離差は詰まり、10メートル程度。

 そこで、オーガエンペラーは跳躍した。

 頭上から――正に怪獣としか例えようの無い巨大な拳が俺に迫ってくる。

 二の腕は古代樹と似たような直径……そうだな、直径3メートルって所か。

 拳の大きさも1メートル四方みたいな大きさで、それはどちらかと言えば攻撃と言うよりは工事現場の大事故に例えた方が近い。

 実際問題、現在の戦闘は大袈裟でも何でもなく、ファンタジーと言うよりも怪獣映画の方がイメージに近い。

 と、そこで俺は迫りくる拳を冷静に観察する。

 思った通りに動きは鈍重だ。

 俺はすぐさまに、軽量級の強みを活かし、地面を蹴って15メートル程左方に一気に跳んだ。

 俺が跳ぶと同時に右方より強烈な爆裂音が響いてくる。

 そして少し遅れて土の雨が一面に降り注ぐ。

「……流石に……力はとんでもねえな」

 先ほどまで俺が所在していた空間には、半径5メートル程度のクレーターが形成されていた。

 自らの攻撃の結果に満足したのか、オーガエンペラーは大きく頷きニタリと笑った。

 そうして、自らの力を周囲に誇示するかのように悠然と俺に向かって再度歩いてくる。

 すぐさまに距離は詰まり、オーガエンペラーの拳の射程圏内に俺は捕捉される。

 そうして左の腕(かいな)を振りかぶり、オーガエンペラーはそのまま拳を地面に振り落す。

 爆発音と共に再度、先ほどのリピートのようにクレーターが地面に形成され――はしなかった。

 と、言うのもオーガエンペラーの左拳を、俺は頭上に掲げた右掌で受け止めたのだ。

「なあ、皇帝さんよ?」

 普通にやれば、足場の地面が耐え切れずに俺は地中に埋もれている。

 が、そこは防壁系魔法の応用で、地面に接する圧力面を20メートル四方程度に分散させているので出来る芸当だ。

 Sランク級の領域になってくると、環境そのものが戦闘行為に耐えられない状況が発生してくるので色々と面倒ってなもんだな。

「ウボァ?」

 呆けた表情で、不思議そうにオーガエンペラーは間抜け面を浮かべている。

 無理も無い。

 渾身の一撃を、豆粒にも等しいサイズの人間に真正面から受け止めたられたのだ。

 オーガエンペラーとしては、頭がクエスチョンマークで埋め尽くされる事も当然と言えば当然の話だ。

「滅神剣(エクスカリバー)」

 言葉と同時に、次元のスキマに存在する愛剣の内の一振りを……現世に具現化する。

 そのまま俺は軽やかに跳躍し、オーガエンペラーの拳に飛び乗った。

 腕を伝ってオーガエンペラーの肌を駆け抜けていく。

 うん、凸凹が良い感じに足がかりになって、崖を駆けのぼるよりかはいくらも簡単だ。

「確かに俺とお前はSランクという、同じ領域に属する。でも、あんなもんは物凄く大雑把な括りだ。例えば、ダニから見て、人間のサイズも象のサイズも違いは良く分からないはずだろう? その結果、ダニからすると両者はとても大きい生き物として同じカテゴリーに分類されちまうわけだ。となると――」

 肩口まで登った所で、刀身1メートル半を超える大剣を振りかぶる。

「当然、Sランクの中でも歴然と序列はある」

 そのままオーガエンペラーの右首の辺りに剣をめり込ませ、飛び降りる。

 バターに熱したナイフを突き入れた時のように、滑らかに肉を切裂きながら――首の右側面から左脇腹の辺りまでを、正しく袈裟切りに一閃しながら、重力に従い落ちていく。

「お前はギリギリでAランクを超えたって所かな? 恐らく、コーデリアとリリスの二人がかりだったら十分に対処できるレベルだ」

 着地と同時に俺がそう言い終える。

 間髪置かずに、文字通りの血の噴水を噴き上げながら、爆音としか形容できない大音量と共にオーガエンペラーは地面に崩れ落ちた。

 と、そこで門の方から事態を傍観していた騎士団長が、腰を抜かしてその場にしゃがみこんだ音が聞こえてきた。

「オ、オ、オっ……オーガ……オーガ…………オーガエンペラーを……一撃?」

 騎士団長が驚くのも無理はない。

 そもそも論として、俺がオーガエンペラーを圧倒したその事自体が有りえない事なのだ。

 しかし、彼の本当の驚きはそこではない。

「何故……オーガエンペラー……回復……しない?」

 そう、オーガエンペラーは自己再生能力が悪魔的なのだ。

 それこそ、腕の一本や2本を切り取っても1分も経たずに再生してしまう魔物なのだ。

 確かに俺は致命傷レベルの一撃は与えた。

 けれど、今回は一刀両断で胴体を真っ二つにしたという訳では無く、瞬時に絶命というレベルではない。

 で、あればオーガエンペラーは再生能力をフル稼働させることが普通ならできた。

 無論、崩れ落ちる事もない。何とかその場で踏みとどまる事はできたはずだ。

 が、オーガエンペラーはそれが今回はできなかった。

 何故か?


 ――俺がさせなかったからだ。


 今回使用した俺の剣……エクスカリバーには神殺しの属性が付与されている。

 それはアストラル体から消滅させるシロモノだ。

 肉体を通り越して、精神体である神すらも滅するダメージを、そうは簡単に再生なんて出来る道理はないのだ。

 と、俺は周囲を見渡した。

 オーガジェネラルはエンペラーが討たれた事で四方八方に逃走を始めている。

 で、この場にはオーガキングが12体存在するわけだ。

 そしてジェネラルと違い、キングはやる気がマンマンのようだ。

 彼らは俺にじわじわと歩み寄り、包囲網を形成した。

 だがしかし、俺はこちらの門を片付けたら他の門に応援にいかなくてはいけない事情がある。

「って事で、瞬殺でいかせてもらうっ!」

 外套の中から刃渡り15センチ程度のナイフを取り出し、オーガキングに放った。

 見たまんまの投げナイフで、威力も低いが奇襲には重宝する。

 一投目を放つと同時に2投目を外套の内部に散りばめられているナイフの鞘から抜く。

 そして放つ。

 ドサリと一匹目が崩れ落ちる音。そして少し遅れて2匹目が倒れる音。

 俺は続けてナイフを3投目、4投目と投げ続けて行く。

 本日のエースピッチャーの調子は良いようで、一球たりともボール球は無く、全てがど真ん中ストレートに急所を次々に直撃していく。

「チィっ!」

 と、そこで舌打ちをする。

 9匹目の……心臓を狙ったのに僅かにそれて左肺に突き刺さった。

 これじゃあ一撃で殺せない。仕方なしにもう一球をオーガにくれてやる。

 更に続けざまにナイフを3振り投擲する。

 ――処理時間はジャストで3秒だ。

 オーガキングが12体で使用ナイフは13本。

 惜しくも完全試合は逃したが、完封試合のコールドゲームである事には変わりない。

 十分に及第点と言えるだろう。

 うんと頷いた俺の耳に、騎士団長の声が届いた。

「あわっ……あわわっ……オーガっ……オーガキングがっ……投げナイフでゴミのようにっ……えっ!? えっ!? えええっ!? オーガキングっ!? ゴミっ!? えっ!!?」

 騎士団長が目を白黒させているが気にしない。

 っていうか、オーガエンペラーを殺ったんだからこれくらいできるのは当然だろうよ。

 まあ、一般人からすると投げナイフで次々とオーガキングが絶命していく姿は恐ろしくショッキングな映像だったことは分かるけどな。

 それはともかくと俺は状況を整理した。

 北と南はどうやら片付いたみたいだ。

 で、西の門は俺が片付けた。

「……後は問題児の所って訳か」

 東を向いて俺はそう呟くと同時に走り始めた。

 索敵の結果によると、今の所、東に陣取る魔法学院の教官と生徒達はオーガの集団と遭遇していないはずだ。

 東西の門は大通りで一直線。街中を5キロ程度の距離となっている。

 その気になれば30秒以内に到達する事も簡単だが、街中を通り過ぎるのに音速近い速度を出すのはあまりにも目立つ。

 と、言うよりも街中は純粋に人が邪魔で、あまり高い速度は出せない。

「ああ、もう……じれったいな!」

 人の波を掻き分けるように、ジグザグに東に向けて小走りに駆けていく。

 と、そこで俺の斜め前方10メートルから女性の悲鳴が聞こえた。

 そしてほとんど間をおかずに、悲鳴が人々に伝播していく。

 更に、悲鳴が聞こえた場所から、我先にとばかりに蜘蛛の子を散らすように人々が四方八方に逃げ回り始めた。

 何事かと俺はそちらに向かう。

 と、俺は絶句した。

 この街の大通りに面した建物は河川の水流を利用した下水が完備されている。

 そして、どうやらそれが仇になったらしい。

 俺の眼前に広がる光景……それはマンホールの穴から続々と筋骨隆々の赤い肌の魔性が沸きだし続けている光景だった。

 今まで俺は索敵は地上部分しか行っていなかった。大慌てで地下部分も索敵する。

 と、同時に舌打ちを行った。

「クソっ! 何が城塞都市だよ……ガッバガバに地下から抜かれてんじゃねーか……っ!」

 俺の眼の前で婆さんがコケて、そしてオーガが婆さんに殴りかかろうとする。

 懐からナイフを取り出して投擲。

 当然の事ながら一撃で仕留めた。

 が、俺はどうしたもんかとため息をついた。

 索敵の感じからすると、地下下水道からの奇襲部隊にはオーガキングはおろか、オーガジェネラルもいないようだ。

 だがしかし、街中の平民連中には十分に脅威だ。放っておけばとんでもない数の犠牲者がでることは必定だ。

 考えている間に、オーガは次から次へと這い出して来る。

 吐き捨てるように、俺は東の門に視線を送りながらそう呟いた。

「さあ、どうする? この場を収めるか……多少の犠牲には目をつむってでも三枝の所に行くか……体は一つしかねーぞ?」





 舞台は移り東の門。

「ひっ、ひっ……ひいいいいっ! オっ、オっ……オーガエンペラーだああああ!」

「父上ええええ! だから私は魔法学院などに行きたくはなかったのですっ!」

「た、た、助けっひゃっ……ひゃああああああああ!」

「教官!? どうすればっ! 我々はどうすればああ!!!」

「た、た、退避だ! 全員退避だ! 我々教官は大貴族の子弟……特待生クラスの護衛を行いながら優先的に退避させるっ! 一般クラスの学生までは面倒を見ない! 各自の責任で撤退しろっ!」

「ぐっ! ひゃあああああああああああ!」

 一切の交戦を行う事は無かった。

 ただ、オーガエンペラーの出現だけで十分だった。

 それだけで、学生たちと教官たちの戦意は失われた。


 ――それは正に阿鼻叫喚だった。


 我先にとばかりに逃げ惑う烏合の衆。

 かろうじで統率が取れているのは教官が率いる特待生クラスだった。

 彼らは一般クラスの生徒を逃走経路上の障害物だと言わんばかりに、強引に――それこそ殴り飛ばす勢いで排除しながら、全力の行軍速度で門の内部へと突き進んでいく。

 例えるなら一つの流れとなって逃げる猛牛の群れと、そして各自が散開しながら逃げ惑う小鹿の群れ。

 そしてそんな猛牛の群れに、一匹の小鹿が巻き込まれた。

「……えっ? えっ? 皆さん、急に怖い顔でこっちに向かってこられても困るんです? えっ? 止まらない? 止まってなんですっ!」

 道の脇に逸れるなりして逃げれば良かったのだが、三枝心春にはそれができなかった。

 オーガエンペラーを目視したことで、彼女自身が過去に鬼に集落を全滅させられたというトラウマを呼び起こされてパニックになっていた事もある。

 そして何より、彼女自身が少し抜けていたところもある。

 ともかく、三枝は先頭を切って逃げる特待生に突き飛ばされてその場で倒れた。

 そして、道に倒れた三枝をわざわざ避けて通るようなお人好しなどこの場には一人もいなかった。

「あっ……」

 三枝はすぐにうつ伏せになり、両手を後頭部に組んで丸くなった。

 ドカドカドカドカと無遠慮に、三枝を踏みしだきながら特待生達は街の中に走り去っていく。

「うっ……あう……ゥ……」

 内臓が破裂しそうな程に、無遠慮に全体重を足裏に載せて叩き付けられ続ける。

 痛みと、ともすれば跳びそうになる意識の中で、三枝は必死に気を失わないように耐えていた。

 が、突如としてその時、痛みが消えた。

「……?」

 見ると、三枝と同じクラスの男が彼女を覆いかぶさるようにして四つん這いの姿勢となっていた。

 つまりは、彼女の代わりに男が踏まれ続ける形になったという事だ。

 しばらくして、猛牛の如くに特待生達の全てが走り去っていった。

 安全を確認すると同時に男は立ち上がる。

 そしてすぐに三枝にも立ち上がるように手で合図をした。

「アーサー君? どうして貴方が……?」

「クラスメイトを助けるのに理由がいるか?」

 三枝と同じクラスで、リュートに事あるごとに突っかかっていた――アーサー=マーカム。

 肩までのブロンドの美しい髪を持つ優男で、貧乏貴族の3男坊だ。

 そして連帯責任というルールの関係で、何度か三枝の被害者になっていて三枝と揉めた事もある。

「でも、アーサー君? あの時、貴方は……食事抜きになった時……あの時……私の事をグズ女って。女じゃなければ殴り飛ばしてやるって言ってたんです。それを……どうして?」

「あの時、俺はこうも言ったはずだぜ? 女は殴るなと親父に仕込まれたってさ。というか、こんな時までドジだなお前は……本当に使えねえ」

 悪びれずに微笑みながらそういうアーサーに、三枝は苦笑しながらペコリと頭を下げた。

「……ありがとうなんです。さあ、私たちも門の中に退避するんです」

 アーサーは頷き、三枝の手を引こうとする。

「痛っ!」

「どうしたんです?」

「……ドジったみたいだな」

 と、足を少し引きずりアーサーは言った。

「足……?」

「ああ、踏まれた時に……良いのを一発もらったようだ。どうにも具合が良くない。良くて捻挫、下手すれば折れてるな」

 そこでアーサーは周囲を確認した。

 既に周りには誰もおらず、全員が門の中に収まった後だ。

 それはつまり、言いかえるのであれば逃げ遅れたと言う事もできる。

 振り返りながら、アーサーは首を左右に振った。

「眼前はオーガの群れ……もうダメだな」

 言葉通り、オーガの群れは50メートルまで迫っていた。

 オーガエンペラーを筆頭に、オーガキングも数体見える。そしてそれらの引き攣れる無数のオーガジェネラルとオーガ達。

 諦めたかのように軽くアーサーは笑い、銀髪を右掌でたくしあげながらこう言った。

「逃げろコハル。ここは俺が……ほんの少しでも食い止める。命を賭けてまで時間を稼いでやるんだ。いつもみたいにドジ踏んで逃げ遅れたら、本当に怒るからな?」

 オロオロとしながら、涙目で三枝は言った。

「……どうしてそこまでして私なんかを? グズでノロマな……私なんかを……?」

「俺は貴族だ。今は没落して貧乏貴族の3男坊なんて陰口を叩かれるが……それでも俺は誇り高き貴族なんだよ」

「……」

「女一人を守れずに何が貴族だ?」

 そしてクールな表情を崩して、大きな声でアーサーは叫んだ。

「落ちぶれて収入も少ないとはいえ……それでもっ! 伊達にこっちは――――庶民から税金搾り取っちゃいねえんだよっ! だからコハルっ! お前は逃げろっ!」

 三枝は動けなかった。

 神卸しの力を行使しようと試みるが――すぐに足がすくんでしまい、上手く力が制御できない。

 三枝家の特殊能力には精神の均衡が絶対条件となっている。

 魔法使いであれば大なり小なりそういうところはあるが、三枝の場合は自前の魔力では無く、神の力を一時借用する形で力を顕現させるのだ。

 例えば、銀行が企業家に金を貸す際に、自信なさげで服装も小汚い社長に融資を実行するだろうか?

 迷いの森で比較的に心が平静な状態ですら行使不可だったのだ。

 そして現在、一族郎党を皆殺しにした鬼種が迫りくる状況で心の均衡を保てるわけも無い。


 ――どうしよう、どうしよう……私じゃ何もできない……このままじゃ……このままじゃ……。


 と、そこで三枝の背後――門の方角から甲高い声が響き渡った。

「へぇ……底辺クラスにも根性あるのがいるんじゃん?」

 そこでアーサーは絶句し、すっとんきょうな声を挙げた。

「コーデリア……オールストン……様?」

 その言葉に続いて、更にもう一つの甲高い声が発せられた。

「……だけではない」

 いつのまにやらコーデリアの横に立っていた少女を見て、三枝は大きく頷いた。

「リリス……さん?」

 二人はオーガに向けて歩みをすすめる。

 すぐに、その場で立ちすくむアーサーと三枝を通り過ぎて、オーガ達とは目と鼻の先の距離となった。

「相手はオーガエンペラーとそのお付き連中。各人で対処していたら一蹴されるのは分かるよね?」

「……恐らくはそうなるだろう」

 そこでコーデリアはリリスに右手を差し出した。

 握手を求めているのだろう。

「……」

 パシっとリリスは差し出された掌をはたき落とした。

「ちょっと、アンタ!? この期に及んで共闘は拒否とか言うつもり?」

「……止むを得ない。だから共闘はする」

「じゃあ、なんで握手を?」

 しばしリリスは黙り、そして冷たく言い放った。

「……ただし、慣れあう気はない」

 言葉を受け、コーデリアは楽し気に口元を吊り上げる。

「ふんっ……上等じゃないっ!」

 そうして二人は、オーガの群れに向き直った。

 コーデリアの瞳が朱色に染まる。同時に、彼女の周囲に朱色のオーラが発生した。

 良し……とコーデリアが頷いたその時、彼女の瞳の色が色を失い瞬時に元の碧眼へと戻っていった

 と、そこでコーデリアは舌打ちし、リリスが怪訝に尋ねた。

「……どうした? コーデリア=オールストン?」

「参ったな……」

 眉を困ったようにへの字に曲げたコーデリアに、リリスは無表情で頷いた。

「……なるほど。把握した」

「お察しのとおりにガス欠って奴ね。北で盛大にやりすぎちゃったみたいだね」

 バーサーカーモードは肉体の限界を超えて戦闘力を一時的に強化する法理だ。

 実際、コーデリアは北の門で本当にガス欠になっても良い勢いでペース配分も考えずに全開でぶっ飛ばした。

 その状態で連戦に耐えろと言う方が無茶という話だ。

「そうなると……」

 そこでコーデリアは三枝に視線を送った。

「やっぱり私……なんですか? そんなのできるわけが……」

 オドオドした表情を浮かべる三枝に、リリスは一瞬だけ視線を送る。

 そして不機嫌そうに首を左右に振った。

「……コーデリア=オールストン?」

「何?」

「……その女に何かを期待しても無駄」

「……?」

「リュートはできると言った。だが、この女はできないという。けれどリュートは無理な事は言わない。だったら導き出される結論は一つだけ」

 吐き捨てるようにリリスは言葉を続ける。

「……やる気がないと言う事。そしてやる気がないということは無能よりもタチが悪い。それはクズ以下の存在で……関わるだけ時間の無駄」

「いや、でもさ? コハルが本気出さないとリュートがいない現状、ここを守る事はできないんじゃん?」

「……やる気のないゴミは本当に放っておいた方が良い。それに……私は独りでもやるから」

 そう言ってリリスは独りでオーガの群れに向けて歩を進めた。

 と、そこで三枝はリリスに尋ねた。

「どうしてなんです? 一人で向かっても勝ち目なんてないんですよ?」

「……リュートが私にやれと言った。そうであればこのミッションは……私できる範囲の最善手を取り続ければ必ず達成可能……だから、ここで引く理由がない」

「どうしてそこまで……リュート君を信じられるんですか?」

「……リュートは私の全てで、私はリュートの全て。それが私の信念だから」

 それだけ言うとリリスはオーガの群れに向け、淀みない歩調で歩を進め始める。

 そこでコーデリアは三枝に問いかけた。

「ねえ、コハルちゃん? アンタの事情は少しだけど聞いたよ。それで聞きたいコトがあるんだけどさ」

「何……ですか?」

 優しく微笑を浮かべてコーデリアは尋ねた。

「戦うのって怖い?」

「コーデリアさんには分からないんですよ。みんなを殺された私の気持ちなんて……生まれ持っての勇者の……勇気ある者である……貴方には絶対に分からないんです」

 そこでコーデリアは肩をすくめる。

「私だって怖いよ?」

 そして自分の足を指さして、三枝に見るようにジェスチャーをした。

 良く見ると、そこには良く見なければ分からない程度に小刻みに震えている、勇者と呼ばれている少女の膝があった。

「……え?」

「そりゃあ怖いよ? 死ぬのは怖いし、痛い思いするのも怖いし、下手すれば敵に捕まって慰み者にもなる。怖いし……嫌だよ」

「……」

「でも、私は力を持ってしまった。私には普通の人にはできない事ができる。いや、できてしまう。だったら、誰かがそれをしなくちゃならない。だから私は戦わなくちゃならない」

 しばし黙って、三枝はまつ毛を伏せる。

「…………逃げちゃえばいいじゃないですか」

「それは私も考えた。そして昔……リュートは私に言ってくれたんだ」

「何をですか?」

「嫌ならやらなくていい。何なら一緒にどこか誰も知らない遠くに逃げても良いって……」

「……どうして行かなかったんですか?」

 遠い目をしてコーデリアは空を見上げた。

「私には好きな人がいるんだ。最初は……ただの村人でしかないその人を守りたいと思った。そして、次にその人を含む……身近な大好きな人達を守ろうと思った。そうして私は剣を手に取る事を決意した」

 そこで悪戯っぽくコーデリアは笑った。

「まあ、蓋を開けてみれば……その村人は私なんかよりもよっぽど強かったんだけどね」

「それって……コーデリアさんの好きな人って……ひょっとして……?」

「まあ、私は……私の好きな人達……そして私の好きな人たちを構成するあの村のみんな、そしてあの村を構成するあの国、そしてこの世界を守ると決めた」

 そうして、話は終わりだとばかりにコーデリアは大きく掌を叩いた。

「――大好きな人たちを守る。それが私の信念」

「……信念ですか」

「戦いたくなければ戦わなくて良いよ。リュートも昔――私にそう言ったから。そしてコハルちゃん? 私が死んでも守りたいって思う人々の内の一人……その対象者に貴方は入っているから安心して」

 それだけ言うとコーデリアはバーサーカーモードになりもしない状態でリリスの後を追い始めた。

 微かに震えるコーデリアの背中。

 だが、力強くオーガに向かう彼女の心は決して折れていない。

 ただし、コーデリアの膝は完全に笑っていて、気持ちとは裏腹にその肉体的な限界が近い事は誰が見ても分かる状況だ。

「全く……どいつもこいつも、どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつも………………人をクズとかゴミとか、挙句の果てには……フラフラの状態のクセして…………頼んでも無いのに、勝手に……私を守るとか宣言しちゃって……」

 そうして、三枝の中で何かがキレた。

「人を……東方の巫女……エリートの家系に生まれ育ち、巫女様巫女様と言われた……この三枝心春を……よくぞ……よくぞ……ここまで舐め腐りやがって……です」

 半笑いになって三枝はパシンと景気良く両掌で自らの両頬を叩いた。

 そして自らを奮起させるために、自らに向けて叱咤激励を行った。



「なあ、三枝心春? 三下共にここまで言われて黙ってんのか? 違うだろ? お前は三枝の一族の長……神卸しの力を持った東方の……やんごとなき血族の長だろうがよっ!」



 そうして、三枝の髪が逆立ち始めた。

 静電気の大袈裟なヴァージョンとでも言うのだろうか、彼女の黒長髪がワックスとスプレーでガチガチで固めたように宙に固定された。

 次の瞬間、彼女の周囲……半径5メートルに青白い紫電が走り始めた。

 今まで、グズでノロマと言われ続け、家名を汚され、彼女のフラストレーションは溜まり続けていた。

 そしてリリスに弱者として扱われ、無遠慮にゴミと呼ばれ、あまつさえコーデリアに至っては自分を完全なる足手まとい以下の、その他大勢の……守るべき対象者の内の一人と言い放った。

 戦巫女としての名家に生まれた彼女にとって、これ以上の屈辱はない。

 今回、三枝心春が覚醒しようとしている原因。

 それは、正義の気持ちを理解する事ではない。

 ましてや、クラスメイト達が危険であるから助けなければならない等の使命感でもない。



 ――それは純粋な怒り。


 

 今まさに、彼女の心の中で過去のトラウマを払拭するに十分に足りる怒りが発生し――心春は覚醒したのだ。

 バチっ、バチっと空気中に電流が走る。

 そして三枝はその場で叫んだ。



「武神降臨ッ――――ツ! 建御雷神(タケミカヅチ)ッ――――!」



 何事かとリリスとコーデリアは瞬時に振り返る。

「おい、コラ、そこの根暗?」

 そうして三枝はリリスに向けてズカズカと歩き、その胸倉を掴んだ。

「……根暗? 私の事?」

 驚いた表情のリリスに、三枝は噛みつかんばかりの勢いで食ってかかった。

「さっきテメエな? 私の事をなんて言いやがった? オイ、コラっ? やる気のねえ奴だと? 無能だと? ゴミだと? おい、コラっ! 舐めてんじゃねえぞ?」

「……貴方……本当にコハル?」

 もっともな疑問を、三枝は一蹴した。

「やかましいわ! どこからどうみても私は超絶美少女のロリ巨乳……三枝心春ちゃんだろうがよ? ってかな? お前な? 後でタイマン張ってやるからな? オイ、コラ! この根暗ビッチ! おい! 聞いてんのか?」

「………………根暗ビッチ」

 あまりの事態にリリスは言葉が出ないようで放心状態となっている。

「リリス? これは一体……?」

 コーデリアの言葉でリリスは我に戻り、すぐさまに口を開いた。

「……神を降ろした副作用で……トランス状態になっているのかもしれない。あるいは降ろした神の人格がコハルの精神に変容を……」

「2重人格的な……?」

 コクリとリリスが頷いたその時――狂犬の牙はコーデリアにも向けられた。

「それとな、そこの脳筋メスゴリラっ!?」

「脳筋メスゴリラ……? 私のコト……?」

 三枝はコーデリアの下に歩み寄り、そして胸倉を掴んだ。

「どう考えてもテメエしかいねーだろ? 頭ついてんのか? ってかなテメエな? 上から目線で人様を諭してんじゃねーぞ? ちょっと勇者だからって調子乗ってんじゃねーぞ! お前も後でタイマン張ってやるからな? 覚悟しとけよゴリビッチっ!」

「ゴリ……ゴリビッチ……?」

 困惑した表情のコーデリアだが、三枝は止まらない。

 次に、狂犬の牙はようやく本来の敵に向けられる。

 そうしてファックサインと共に三枝は叫んだ。

「さあ、腐れ鬼どもっ! 今からテメエラを屠るのは雷神……東方の巫女:三枝心春だっ! 今から全開で電気流して逝かせてやっから――――ビクンビクンと踊りやがれっ!」

 三枝は右手で握り拳を作り、コツンとコメカミを軽く叩いた。

 と、同時にべロリと舌を出してこう言った。

「神域速攻(オートマータっ)!」

 急激な加速。

 バーサーカーモードのコーデリアに勝るとも劣らないような速度で、三枝はオーガの群れに一気に駆ける。

 この術式の仕組みとしては、自らの脊髄に電気信号を流し、通常ではありえない反射速度とそして人体の限界を超えた筋力を引き出すと言うモノだ。

 そのまま、三枝は上方に向けて跳躍した。

 野球のピッチャーのように、空中で彼女は大きく振りかぶる。

 彼女の右掌を中心に、紫電が幾つも走り、巨大な球体が形成された。

「ど真ん中に直球ストレートをぶちかましてやるぜっ! 吹き荒れろ――雷神演武っ!」

 そうして彼女の掌から放たれた雷のボールは、オーガの群れの中心部に向けて物凄い勢いで直進していった。

 オーガに向けて直進するごとにボールの半径は増していく。

 そして着弾点に達する頃には、ソレは半径100メートルを優に超える電流の結界となっていた。

 まずイナビカリが走った。周囲の全てが蒼と白に包まれる。

 そして次の瞬間にイナビカリと共にドンっと爆発音が鳴った。


 ゴロゴロゴロ――ゴゥーーーーーン。


 電流の結界の中で、オーガジェネラル以下の雑魚連中は湯煙をあげながらバタバタと倒れていく。

 その数は数百の単位だ。

 これで周囲に散開するオーガの群れはたったの一撃で、その数の6割程度を失った事になる。

 とは言え、オーガキング以上の強者には戦闘不能になるほどのダメージは与えられていないらしい。

 目下、彼女の視界に入るオーガキングの数は3体となっている。

「へへ、楽しませてくれそうじゃねえか? 鬼の王共……じゃあ……お次はこいつだっ!」

 三枝は懐をまさぐり、拳大の鉄球を取り出した。

 彼女は鉄球を上空に放り投げ、そして掌を真正面に突きだした。 

 と、そこでリリスの表情が蒼ざめていく。

 三枝が何をしようとしているのかを正確に理解したリリスは、コーデリアに向けて突進した。

「ちょっ? リリス?」

 そのまま、ラグビーのタックルの要領でコーデリアは地面に引きずり倒された。

「……正直に言う。バーサーカーモードではない貴方は……足手まとい」

 言いながら、リリスは呪文を口ずさみ、自分とコーデリアの周囲に防御結界を幾重にも張り巡らせた。

 防御結界が張られるとほぼ同時――鼻歌交じりに三枝が口を開いた。

「――零式電磁制御(レールガン)」

 音速を簡単に突き破る、ありえない初速で鉄球が放たれた。

 辺り一面に衝撃波が走り、メキメキと効果音と共に樹木が薙ぎ倒されていく。

 三筋の弾丸は宙を切裂き、そしてオーガキングに着弾した。

 胸。

 腹。

 そして頭部。

 反応すらできずに3体のオーガキングは肉片を周囲に爆散させて、地面に倒れた。

 リリスは溜息と共に防御結界を解除した。

「ちょっとリリス……あれ……」

 更に次の鬼の群れに突進していく三枝の背中を指さしながらコーデリアは戦慄の表情を浮かべていた。

「言いたい事は分かる」

「本当にコハルちゃんなの? 意味分かんないんだけど……?」

「……言いたい事は分かると言っている」

 そうしてコーデリアは首を左右に振った。

「私たちより下手すれば……」

「……下手をしなくても貴方と……現在の条件下の私よりはあの子は強い」

「やっぱり? ってかあの鉄球は何なのよ? 尋常じゃない速度よ?」

「……リュートが昔使っていたのを見た事がある。あれは……レールガン」

「レールガン?」

「……リュートが言うには、雷の力を極限までのレベルで扱い、そして極限の精度で操る時……達成可能な超物理魔法ということ……」

「超物理魔法……?」

 物理魔法と言う意味がコーデリアには上手く理解できない様だ。

 ローレンツ力により超速度による質量攻撃を可能としたのがレールガンだ。

 現代地球の科学技術を前提とした自然現象の応用をコーデリアが理解できないのは当たり前の話だろう。

「……しかし解せない」

「ん? どういうこと?」

「……レールガン……リュート曰く、カガクの力……知識を併用しなければ決して不可能な魔法のはず……」

「カガクの力?」

「……まあ、それは良しとして」

 リリスの言葉をコーデリアが補足した。

「どう考えても飛ばし過ぎ……よね?」

 二人の眼前で、再度――百メートルを超える規模の雷の結界が放たれた。

「ああ……またあんな大規模範囲魔法を……」

 そこでコーデリアがリリスに尋ねる。

「コハルちゃんをAランク級の魔術師と仮定しても、何故にあんな無茶な飛ばし方でMPが枯渇しないの?」

「……恐らくコハル自身はMPを全く使用していない」

「MPを使用していない? あんなに極大魔法クラスの超上位魔法を連打しているのに?」

 呆けた表情のコーデリアにリリスはうんと頷いた。

「……魔術師ではない貴方には分からないと思う。今……大気に充満している精霊の気が急速に失われている。いや、消費されている」

「外付けで魔力供給をしているってワケ?」

「……平たく言えばそういうことになる。東方では八百万の神と呼ばれていると言う。森羅万象……ありとあらゆるものに神は宿ると考えられていて……神とはどこにでもいて、そしてどこにでもない存在となる」

「ごめん、難しい話はちょっと私には分かんない……カナ?」

 呆れたようにリリスは苦笑する。

「これだから脳筋は……まあ良い。要はコハルの言う神卸しの力とは、つまりは……街や都市等の人界すらも含めた、大自然の力をそのまま身に宿すと言う事……そしてその依代……この場合の媒介……つまりはコハル自身を巫女と言う」

「なるほど」

 しばし考え、リリスは言った。

「……しかし、あの戦い方は幾ら何でも無茶。あんな事を何度も続けていてれば、よほどのケアが無い限り、長くは生きられない」

「長く生きられないってのは穏やかじゃないわね」

「……コハルの筋繊維は勿論の事、大脳と小脳、更には消化器官に至るまで全てに負荷が生じている。恐らく、代々の三枝の血族は神卸しの度にエリクサーを含めた秘薬を使用しているはず」

「エリクサーってめっちゃ高いんじゃないの? けど、あの子は今……」

「……貧乏留学生も良い所。恐らく、ケアは出来ない。必然的にとんでもないレベルで寿命を縮める」

「どうするの?」

「……無論、ウチのリュートが何とかする」

 そこでコーデリアの声色に困惑と苛立ちの色が混じった。

「ウチのリュート……ね」

 コメカミに血管を浮かべながらコーデリアは憎々し気に吐き捨てる。

 それを見て、リリスは嘲笑の笑みを浮かべた。

「……私とリュートの仲は例え貴方の聖剣でも切っても切れないものだから」

 と、そこでコーデリアは掌でリリスを制した。

「今、この現場でくだらない舌戦を行う気は私には無いから」

 その言葉で、リリスは少しだけバツが悪そうに肩をすくめた。

「で、結局コハルちゃんはどういう状況なのよ?」

 しばし考え、リリスは応じた。

「クスリがなければ数年ともたない……文字通り、命を削って戦う、刹那限りの超人といったところ。だからこそ彼女達の一族は集落を結成し、血族の長たる巫女にあらゆる財とクスリを集中させた」

 と、その時、三枝の眼前にオーガエンペラーが立ちはだかった。

 それは怪獣映画を見ているかのような巨大質量で、迎え撃つ巫女の身長は150に優に満たない。

「ハハっ! デカけりゃ良いってモンじゃねーぜ? アレだってデカすぎりゃあ……ただ痛いってもんだっ!」

 何が可笑しいのか馬鹿笑いと共に三枝は続けた。

「まあ、まだ経験はねーけどなっ! ハハッ! アハハハッ!」

 そうして、彼女は懐から鉄球を取り出した。

「零式電磁制御(レールガン)!」

 パチュンっと冗談のような音と共に、オーガエンペラーの腹部ド真ん中に半径2メートルの風穴が開いた。

 垂れ流される臓物、噴き出す血液。

 だがしかし……。 

 オーガエンペラーは倒れない。

 それどころか、ニタリと笑って三枝に笑みを浮かべた。

 後ろで見ていたリリスが、深いため息をついた。

「……やはり……どこまでいってもコハルはAランク級最上位相当。いかに強いとは言え、Aランクに認定される程度ではオーガエンペラーを倒す事はできない」

 ウネウネとオーガエンペラーの大腸が蠢く。

 肉が瞬時に塞がり、盛り上がったように、あるいはめくりあがったように傷口が塞がれていく。

 その回復能力に呆気に取られ、コーデリアは首を左右に振った。

「あれがオーガエンペラー? あんなのどうやって始末しろってのよ? ねえ、リリス?」

「……何?」

「リュートは今どこにいるの?」

「……街中にオーガが侵入している。そのゴタゴタで……少し遅れるみたいだ」

 そしてリリスはコーデリアに目配せする。

「……コーデリア=オールストン? 10秒で良い。バーサーカーモードで本気で動ける?」

「何か策があるって顔ね?」

 うんとリリスは頷いた。

 それに応じて、コーデリアは数瞬……思案にふける。

「12秒……いや、15秒かな。それくらいなら最大戦速で持たせる事はできなくもない」

 露骨に眉を潜め、苛立ったようにリリスは尋ねる。

「……12秒? 15秒? どっち?」

「15秒」

 満足げにリリスは頷く。

「……上等」

 と、コーデリアは三枝に迫りくるオーガエンペラーを睨み付けながらリリスに尋ねた。

「で、どうするの?」

「……ねえ、コーデリア?」

「何?」

「……オーガエンペラーの強みは何だと思う?」

 しばし考え。コーデリアは言った。

「回復能力?」

「……その通り。それは圧倒的破壊力を誇るコハルのレールガンが通用しない程度には厄介な能力」

 マジマジと、オーガエンペラーの巨体を眺めながらコーデリアはコメカミに汗を流した。

「あの巨体とパワーの上に……再生能力。一体全体どうしろって言うのよ?」

「……話は非常に単純」

「どういう事?」

「……再生力が凄いなら、それを上回る速度で破壊してしまえば良い」

 ニヤリと口元を歪めるリリスに、コーデリアは困惑した表情を浮かべた。

「それができれば苦労は――」

 コーデリアの言葉の中途で、リリス首をフルフルと振った。

「……10秒」

「10秒?」

「……Sランクの厄災級個体。それを私が束縛できる最長の時間」

「……?」

「……あのデカブツを、私が動きを止めると言っている。つまりは一方的に……10秒間はボッコボコにできる」

「本当に貴方……あんなのを10秒も止める事ができるの?」

 コーデリアの言葉にリリスは頷いた。

「……その間、貴方がオーガエンペラーを聖剣でナマスに刻んでくれる?」

「アンタに従うのはシャクだけど……了解」

 満足げにリリスは頷き、10メートル程先でオーガエンペラーと交戦中の三枝に向けて呼びかけた。

「……コハルっ!!!」

 億劫そうに三枝はリリスに応じた。

「こっちは無駄にタフな鬼帝にてこずってんだよ―――――邪魔すんなっ! 三下共は引っ込んでろっ!」

「……貴方だけではソレには勝てない! だから私たちが助太刀するっ!」

「助太刀? 何を言ってやがんだ?」

 心春は懐に手を伸ばし、そして鉄球を取り出した。

 再度のレールガンを敢行するつもりだろう。

 そこでリリスのコメカミに青筋が浮かんだ。

「……良いから言う事を聞け! このド素人っ!」

「ド素人? 私が?」

 困惑の表情を浮かべる心春。

「……力に振り回されている程度の分際で……あまり調子に乗らない方が良い」

 大気が震えるほどの大声で、リリスは心春に呼びかけた。

「……コーデリア=オールストンと私がオーガエンペラーの耐久力を削る! だから、貴方の仕事はラストの……一発で良いっ! オーガエンペラーの――ドテッ腹をブチ抜けっ!」

 リリスが言うと同時にコーデリアは駆け出した。

 その瞳は朱色で、そして纏うオーラもまた緋色。

 狂戦士と化したコーデリアは、オーガエンペラーとの間合いを一気に詰める。


 ――ここまでで、2秒経過。

 コーデリアが正面を取ると同時に、オーガエンペラーの巨体から右拳が繰り出される。

 コーデリアは横っ飛びに攻撃を避け、地面に数メートル規模のクレーターが形成される。

 巻き上げられた土砂が振り落ちる中、彼女はオーガエンペラーの背後に回る。

 と、そこでオーガエンペラーの動きが完全に止まる。

 金縛りとしか表現できないような感。リリスが瞳を閉じ、甲高い声で呪文を紡いでいた。


 ――ここまでで、4秒経過。

 コーデリアが聖剣を思いっきりに振りかぶり、そして横凪に一閃。

 パチュンっと軽い音と同時、オーガエンペラーの右足アキレス健が分断された。

 ズシィィンと重低音と共にオーガエンペラーは片膝をついた。


 ――ここまでで、6秒経過。

 コーデリアはそのまま回転しながらオーガエンペラーの左足に向けて聖剣を繰り出した。

 音速に迫る勢いで、遠心力で勢いをつけられた聖剣がオーガエンペラーのふくらはぎを粉砕する。

 血と肉が飛び散り、それと同時にオーガエンペラーは地面に両膝をついた。

 と、そこでコーデリアは舌打ちを行った。

 初っ端の一撃。アキレス健の傷が、既に塞がりかけていたのだ。

「どんだけなのよ……このデカブツ……」

 剣を振り回す。

 コーデリアはザックザクとオーガエンペラーの体表に深い傷を刻み続ける。

 正に、ナマス斬りと言うにふさわしい格好だ。


 ――ここまでで、11秒経過

 剣の舞。

 あるいは鮮血の乱舞。

 幾十にも渡る斬撃を終え、そしてトドメとばかりにコーデリアは跳躍し、オーガエンペラーの首の右側――頸動脈を切裂いた。

 彼女は地面に着地すると同時に、後方のリリスを振り返る。

「結局、最初からそれが本命だったのね。私の役目は時間稼ぎ。まあ、実際に再生能力をぶっちぎる形での剣撃は与えられなかったわけだから別に良いんだけどさ」

 そうして、苦笑いと共にその場から急いで退避した。


 ――ここまでで12秒経過。

 地面に膝をつくオーガエンペラー。

 治りかけた足で彼が起き上がろうとした所で――それは起きた。



「……本日2度目。金色咆哮(ドラグズ・ジェノサイド)」



 暴力的とも思われる発光現象。

 つまりは、周囲が一面の金色に包まれたのだ。

 それはMPをそのまま、金色の光と言う名の暴力装置に変える――最悪クラスに燃費が悪い魔法。

 そして破滅の閃光が消え去った後、リリスは舌打ちを行った。

「……最下級クラスとは言え、さすがにSランクか。私とコーデリアでここまで追い込んでも……まだ最後の一押しが足りていない」

 ほとんど炭化しているとは言え、それでも生存しているオーガエンペラーを見てリリスは苦笑した。

 見る間に炭化した皮膚や肉、そして骨が新規に再生されていく姿を確認し、リリスは三枝にこう呼びかけた。

「……とは言え、奴は既にボロボロ。ここで最後の一撃を叩き込めば終了する」

 リリスの言葉を聞き終える前に、既に三枝は全ての準備を終えていた。

「やかましい! もうやってるよ! ってか、誰がド素人だよ! このネクラっ……ああ、もう、めんどくせえな! とりあえず、テメエはとっととくたばれ! 零式電磁誘導(レールガン)!」

 東方の巫女が誇る超物理魔法が炸裂した。

 受けた者に訪れるのは必定の滅びと破壊――その定めの通りに、鉄球が着弾したオーガエンペラーは爆裂飛散し、その場に肉片を撒き散らした。

 しかし、オーガエンペラーの特性は異常な再生能力にある。

 一同はオーガエンペラーの四散した肉片に視線を送り続ける。

 5秒。

 10秒。

 15秒。

 そして、30秒が経過し、オーガエンペラーが肉完全なる骸となった事を確認した所で安堵の空気が流れた。

「やったの……?」

「……まず、間違いない」

 と、そこで周囲にパチパチと拍手の音が鳴り響いた。

「ははは、いやいや見事見事。オーガキング、そしてオーガエンペラー、その他の雑兵、そのほぼ全てが無力化されてしまったね。これは困ったお姉ちゃん達だ」

 声の方角を向いた瞬間、コーデリアは完全にフリーズした。

 コーデリアの顔色は土気色にそまり、瞬時に冷や汗が全身に流れている。

 彼女は立っている事すらもままならないとばかりに、膝をガクガクと震わせ始めた。

 そしてリリスは、お手上げだとばかりに両手を軽く挙げて深く溜息をついた。

 リュートと共に世界中を飛び回っていた為、それ系の魔物に、相当な耐性がある彼女は現状を正確に認識したのだ。

 彼女達の視線の先――そこには小柄な少年が立っていた。

 身長は150センチ程度、体重は40キロに満たないだろう。

 見た目は当たり前の10歳前後の少年だが、彼にはツノがあった。

 コーデリアは込み上げる吐き気を堪えながら、吐き捨てるように呟いた。

「本当にいたのね。どうして予感ってやつは悪い方悪い方にばかり当たるんだろう……」

 無邪気な表情を少年は浮かべる。

 と、そこで三枝は無言で懐から鉄球を取り出し、そして少年に向けて挑戦的な笑みを浮かべた。

「体力的に私に残された弾丸(タマ)はラスト一発。だが、それだけあれば十分なのさ。鬼帝と違ってテメエには再生能力はないことは……伝承で知っているっ!」

 懐から鉄球を取り出して、三枝は言葉を続けた。

「私の零式はどんな装甲でも一瞬で貫くっ! 四肢爆散させながら脳味噌ぶちまけやがれっ!」

 超物理魔法が少年を襲う。

 着弾を示す大音量が周囲に鳴り響く。巻き起こる風、土煙が周囲に充満する。

 そして風邪が吹き、煙が晴れて三枝は絶句した。

「無傷だと? 確かに……直撃したはずだぞっ!?」

 三枝の疑問に、リリスが呆れ顔で応じた。

「……やはりド素人。曲がりなりにも名前に神と言う文字がつく……この領域の存在にその程度の攻撃が欠片でも通用するわけがない。後……その伝承は間違い。普通に奴は再生能力が異常に高いはず」

「ねえリリス?」

「……何? コーデリア?」

「命を削ればバーサーカーモードの延長もできない事は無い。何か策はある?」

 フルフルとリリスは首を左右に振った。

「……何をしようが無駄。例えば、昆虫のカマキリが束になったところで、ライオンには絶対に勝てない。そのレベルで無駄」

「……」

「……」

 押し黙った3人を見て満足げに少年は頷いた。

「ああ、自己紹介が遅れていたね。これでもボクは神を務めている」

「知ってるわ。その異常なオーラを見れば、瞬間に分かる」

 コーデリアの言葉を少年は鼻で笑った。

「――鬼の神。略して鬼神。キミ達の基準で言うと個体としては厄災の最上位に数えられる存在だ。キミ達が相手をしていたオーガエンペラーの数ランク格上と言えば分かり良いかな?」

 レールガンが無効だったという事実。

 更に、そこにいるだけで分かる圧倒的な霊的質量を伴うオーラと存在感。

 それらは絶望的な力の差を感じさせるに、問答無用な程に十分なレベルだった。

 コーデリア、リリス、そして三枝の三人はただただ押し黙る事しか出来ない。

「……」

「……」

「……」

 3人はとんでもない数のオーガを退治してしまっていて、オーガキングやオーガエンペラーまでを殺ってしまっている。

 鬼族全体からすれば彼女達は紛れなき虐殺者であり、捕まえられた場合は何をしても文句は言えない。

 道理や倫理や建前。

 戦う理由は様々あるが、どれだけ綺麗ごとを言おうが、つまるところは戦場に身を置くと言う事はそういう事なのだ。

 そして、三枝については若干怪しい部分はあるが、少なくともコーデリアとリリスについてはその覚悟はできている。

 そこでコーデリアは脂汗混じりに少年に質問を投げかけた。

「で、アンタは私らをどうするつもり?」

一瞬だけ少年は驚いた風に目を見開き、すぐに嬉しそうに破顔した。

 どうやら、あまりにもストレートなコーデリアの物言いが気に入ったらしい。

 そして、彼は首をかしげて左手で顎をさすった。

「んー。そうだね。東西南北。ボクが指揮するココ以外は全滅の憂き目にあっているね。そして、その理由の大半はキミ達かな?」

「そうね。で、私達をどうするつもりって聞いてんだけど?」

 睨み付けるようなコーデリアの視線を受け、少年は肩をすくめた。

「そうだね、キミ達はボクの眷属を大量に虐殺してしまっている。当然、タダで済む訳はない。キミ達には相応の責任を取ってもらうよ。とは言え、ボクは慈悲深い」

「慈悲深い?」

 そこで少年はパンと掌を打ち鳴らした。

「話は変わるが、野菜の塩漬けを食したことはあるかな?」

「塩漬け? お漬物の事?」

「そう。その塩漬けだ。それでは次の質問だ。野菜を塩につければ水が出るのは知っているかな?」

「まあ、一応。これでも村育ちだからね。お漬物から燻製から保存食の作り方のイロハは分かっているつもりよ」

「では、更に質問だ。何故に塩でつければ野菜から水が出るかは知っているかい?」

「え? そんなこと……考えた事もなかったケド?」

「これは失礼。見るからの脳筋相手に質問をしたボクが悪かった。そこの魔術師のキミなら分かるかな?」

 少年はリリスに視線を向ける。

「……浸透圧。水気は塩分や糖分の密度の高い方に流れる性質がある。だから塩漬けにすると水が出る」

 ご名答とばかりに少年は大きく頷いた。

「シントウアツ? ってか、あんたどうしてそんな事知ってるの?」

「……旅の途中、保存食を作るときにリュートに教えてもらった。万物を司る法理は均一を好む傾向がある。浸透圧……他にも、例えば空気等は温度や圧力が違えば均一にならす方向に力が流れ、天候の変化等の様々な自然現象が起きる」

 そこでコーデリアは少年を睨み付けた。

「で、そのシントウアツとやらがどうしたって?」

「野菜も生き物。人間も生き物」

「だから、何が言いたいのよ?」

「当然、人間を塩漬けにして水を与えなければ、浸透圧ですぐに干からびる」

 ゾクっとコーデリアの背筋に悪寒が走った。

 そうして少年は人差し指を一本突き立てた。

「一か月塩漬けになってもらう。ああ、そうだね。キミ達を詰める漬物容器は人間用の棺桶にしようか。ハハ、我ながらこれはナイスアイデアだ。死んでしまえばそのまま埋葬の手間もかからない……ハハっ! ハハハっ!」

「人間の……塩漬け?」

「ボクは綺麗好きだ。棺桶には毎日新鮮な塩を入れ替えてあげるから安心すれば良い。ああ、後、皮膚は干からび、唇もひび割れ、瞳からは精気も失われるまで……水を与えなければ通常2日もかからない」

 しばし絶句した後、コーデリアは吐き捨てるように呟いた。

「さっき、アンタは自分は慈悲深いみたいな事言ってたケド、一体全体、どこが慈悲深いって言うのよ」

 ああ、その事かとばかりに少年は掌を叩いた。

「キミ達の生命力が強い事は折り紙付きだ。1か月という期間はギリギリで生きるか生きないかというラインじゃないかな? まあ、ボクも鬼の頂点に君臨するモノとして、他の者への示しもあるから……キミ達に罰は与えなければいけない」

「結局、何が言いたいの?」

「ボクは優秀な女性には敬意を払う事を信条としている。要はキミ達には力を示してほしいんだよ」

「力を? どういうこと?」

「罰では無く、試練だと言い換えても良い。そして――その試練でキミ達が壊れなければ生存を約束しよう」

「生存を約束?」

「キミ達自身の遺伝子の優秀性を示せば、特別に人と鬼の合いの子を産む機械として生存を許可しようって事さ。まあ、連日連夜、発狂するまで性欲旺盛な若鬼衆の相手をすることになるだろうけれど……」

「塩漬けの試練を耐えても……いや、そこまでやってようやく嬲り物に昇格できるって訳ね」

 なるほど、そういうオチかとコーデリアは肩をすくめた。

「ん? 何か言いたげだね?」

 唾を少年に吐きかける。

 と、同時にコーデリアはファックサインを作った。

「最低のゲス野郎ねっ!」

 少年はほんの少し顔を背け、放たれた唾をひょいっと躱す。

「ははっ! はははっ!」

「何を笑ってんのよ?」

「ゲス野郎か。まあ、言いたいことがあるなら今の内に言えば良いよ。どうせキミはこれから行われる苦境で、何度も何度もボクに懇願するんだ。助けて下さいってね」

ハァ? とばかりにコーデリアの眉間にシワが寄った。

「助けてくださいって? もう辞めてくださいって? 私が貴方に? ハっ! そんなの誰が言うもんか。私は北の勇者コーデリア=オールストン……人類の剣としての矜持はあるっ! 死んでもアンタに許しを乞わないっ!」

 その言葉に、呆れたとばかりに少年は首を振った。

「全く……ズレてるね?」

「ズレてる?」

「助けてくださいってところは一緒だけど、もう辞めてくださいって所は違うね」

「……?」

「辞めてくださいじゃなく、終わりにしてください、もう殺してくださいって……キミはボクに懇願するんだ」

 心底楽し気にそう言う少年に、コーデリアの背中にゾクっゾクっと悪寒が走る。

「そう! 死が最高の救いになるんだっ! キミ達がこれから送る生活はそんな場所なんだよっ!」

 リリスはいつものポーカーフェイスを貫こうとしているが、頬から首にかけて一筋の冷や汗が流れ落ちる。

 張りつめた表情の二人が思うことは全く同じ内容、つまりはこういう事だ。


 ――こいつは多分、有言実行でソレをマジでやる。


 コーデリアは剣を抜き、リリスは杖を構える。

 敵意全開の二人の視線に少年は、はてなと首を傾げた。

「あれ? おかしいな? 力の差は理解しているよね? それでもボクに歯向かうと? まあ良い。それじゃあワンランク罰則を上げようか。どうにも塩漬けはお気に召さないようだしね」

「ワンランク罰則を上げるって? どういうこと?」

「両手両足の骨を粉砕させてもらった上で逆さ吊りだ。そして、それから1か月、水と食事は肛門から摂取してもらう」

「……? ごめん、ちょっと何言ってるかサッパリ分かんない」

「まず、逆さに吊られ続けるだけで人間は簡単に死ぬんだよね。数時間も吊られると頭蓋の中の血圧が上がって意識が飛び、更に放置し続けると死に至る」

「そこじゃない」

「そこじゃないとは?」

「私が訳分かんないっていったのはそこじゃなくて、水と食事って所」

「まあ、キミ達は簡単には死なないだろうから。と、いうよりもボクも簡単に殺すつもりはない。故に、延命の為にその間ヨーグルトやらの流動食を肛門に突っ込んで直接に小腸から栄養補給をさせてもらうってコトさ」

「……」

「……」

 さすがにコーデリアも蒼ざめた表情を作った。リリスに至っては吐き気が込み上げて来たのか口元に手をやる。

 二人は目配せをしあい、そして無言でうなずき合った。

 コーデリアの瞳が朱色に染まる。

 それに呼応するようにリリスが呪文の詠唱を始めた。

「こちとら、大人しく慰みモノになるようなタマじゃなくってね!」

 コーデリアに続いてリリスが言葉を続けた。

「……5秒で良い。時間を稼いで。私がリュートに使用を制限されている枷を全て撤廃して金色咆哮(ドラグズ・ジェノサイド)を最大出力でぶちかますなら……少しだけ勝機は作れると思う」

 リリスの言葉の途中、その場の誰もが反応できない速度で、少年はいつの間にかコーデリアの背後を取っていた。

 瞬き――あるいはそれ以下の時間だった。

 手刀でコーデリアの脊髄に衝撃を加える。と、同時にコーデリアはその場に崩れ落ちた。

「本当にズレている。そもそも、この成長半ばの不完全な勇者では5秒もボクは足止めはできない」

「そして」と少年は言葉を続けた。

「キミの金色咆哮とやら……今日撃っていたあの極大魔法だよね? 確かにとんでもない威力だったが、それでボクに有効なダメージが与えられると? これでもボクは鬼族の頂点でね。タフネスと堅さには自信があるんだ」

「……貴方が見たのは不完全な咆哮。アレは完全な金色ではない」

 リリスの言葉を受け、少年は足元に落ちていた拳大の石を拾う。

「ああ、そうなんだ? まあ、どうでも良いけど」

 ニヤリと笑って、無造作に小石を投げる。

 カーブがかかり、絶妙な角度で小石はリリスの顎を掠める。

 リリスは脳を揺さぶられて、強制的に意識を刈り取られてその場に崩れ落ちた。

「本当はこの街を壊滅させてから撤退しろとの話だが、想定と大分ズレてしまった。まあ、Aランク級冒険者相当の二人も捕虜にしたし、今回はここで解散としようか」

 コーデリアを担ぎ上げた少年は、倒れたリリスに向けて歩みを進める。

 そのまま、少年はコーデリアに重ねるようにリリスを担ぎ上げた。

 少年は踵を返し、街の方角から森へと方向を転換した。

 そうして、スタスタと二人を担いだまま歩き始めた。

「おい、お前? 私は無視だって言うのかい?」

 その問いかけに対し、笑いながら少年は返した。

「ああ――雑魚は要らないって事だよ」

 そこで、ポカンとした表情を三枝は作った。

「雑魚? 雑魚だって? 誰が?」

 パチンと少年は指を鳴らす。

 それと同時に、三枝はその場にカクンと膝をつきて崩れ落ちた。

「あっ、あれ? 私、確かにさっきまでは神を降ろして…………一体全体、この状態はどういうことなんです?」

「キミに宿る神の気を散らさせてもらった。いや、この場合は自然に宿る大精霊か? まあ、どうでも良い。なにせ、神を降ろしたは良いが、中の人……君がその力を全く力を扱えていない。もしも有効活用できていれば、恐らくボクを相手にしても30秒くらいは戦いの形になっていたと思うよ」

「……神の気を散らす?」

「キミの技量が雑魚以外の何者でもない。だが、血統によるスキル遺伝は有効だとは思う。でも、キミをボクは必要としない。鬼の血が混じってしまえば、キミの子孫に神は力を貸さないだろう。だったら……キミはボクにとってはやっぱりただの雑魚でしかないんだ」

 それだけ言うと、少年は再度踵を返して、森の方角へと歩を進める。

 が、しかし、三枝は再度立ち上がった。

「待って……待ってくださいなんですっ!」

 面倒くさそうに少年は再度振り返る。

「雑魚なだけではなく、頭まで悪いか……仕方ない。1から10まで説明してあげよう。要は、ボクはキミを見逃してやると言っているんだ。まあ、それには当然意味もあって、鬼神たるボクの鮮烈なデビュー戦を目撃した生き証人として、人間の権力者に諸々と宣伝してもらう予定というところだね」

 軽いため息と共に少年は言葉を続けた。

「それに待ってって言っても、ボクを待たせてどうするつもりだい? まさか……ボクと戦うつもりかい?」

 三枝は瞳を閉じた。

 周囲に電気が走り、静電気で彼女の黒髪が逆立つ。が、しかし、すぐに逆立った髪は重力に従って下方に流れる。

「短期間で2度の降臨なんて無理に決まっているだろうに? 上位クラスの霊的生命体が現世に力を顕現させる際にある程度の制約を伴うんだ。短時間に何度も下界に干渉することはルールと言う形で禁止されている。最低でも数日間のインターバルは置かなければ力の再行使は不可能なはずだよ」

「そうでしょうね。でも……方法があります」

「方法?」

「あくまで三枝が降ろす神々は古の盟約によるものなんです。だから、建御雷神(タケミカヅチ)さんは基本的には嫌々ながら私に協力をしてくれている……そういうスタンスなんです」

「……で?」

「制約破りは神々の間ではご法度……でも、それはあくまでご法度なだけであって、できない事はないんです」

「高次元生命体である最上位精霊に人間の都合でリスクを負わせると? アレ等が霊的生命体としてあっちの世界に引っ込んで、そして現世に過度の干渉をしないようになっているのは理由がある。無論、短期間に複数回の干渉という制約破りには罰則が伴うんだよ?」

「でも、私はここで折れちゃ……ダメなんです」


 ――結局……と三枝は思う。


 自分が何に対して一番トラウマを抱いていたのか。いや、何が許せなかったのか。

 生まれ育った里が全滅したあの時に、何も出来なかった事が起因するのは間違いない。

 あの時、自分は震えて地下室に籠る事しかできなかった。

 大好きな人たちが傷つき、死んで、そして嬲り者にされているのに、ただ、薄暗い地下室で怯えて震える事しかできなかった。

 確かに、あの時は神を降臨させる力は特殊な呪術で無効化されて、自分の戦力は並の男以下だっただろう。

 でも、戦闘要員ですらない男衆が農具を手に鬼に立ち向かった。

 女や子供までもが、自らの体を囮にすると言う形で自分を守ろうとしてくれた。

 自分より弱い者を盾にして、自分はただ、震えているだけだった。

 けれど、三枝は知っている。

 ――自分の両手はあの時、動いた。無力かもしれないけれど、戦う事はできたし、誰かの囮になる事はできた。

 それは、三枝の長たる自分。

 神を宿す能力を持つ自分を生かすためだけに死地に赴いた、みんなの思いを無為にすることかもしれない。

 だが……と三枝は思う。

 みんなとの話し合いの結果、その結果としてそういう結論になるのならば、それは仕方がない。

 けれど、神を降ろせない事が分かった時。

 そして鬼が里に迫っているのが分かった時。

 ただ、自分は足がすくんで、頭が真っ白になって。言われるがままに地下へと誘導された。

 そもそも、戦うという選択肢はなく、言われるがままに安全な位置に逃げ込んだのだ。

「結局……多分そういう事なんですよね」

 心の中。

 建御雷神たけみかづちのかみが自分に問いかけてくる。


 ――なあ、三枝心春? 三枝家が没落して、その代表であるお前が無能扱いされている事が許せないのかい?

 ――それもあると思います。


 ――三枝の里を壊滅させた鬼が、そして魔物が、今でも大手を振るって世界中で暴れている事かい? それが許せないのかい?

 ――それもあると思います。


 ――これで問いかけは最後だ。お前が一番許せなかったってのは、結局一体……何なんだい?



 心の中の自問自答。

 最後の問いに、三枝は自らの肉声で応じた。

「許せないのは私自身っ! ここで何かをしなければ、私はこれから先……ずっと負け犬のままなんですっ! だからお願い――力を貸してっ!」

 言葉と同時、三枝を包む紫電。

 その規模は半径10メートルを優に超え、落雷の爆音と共に三枝は叫んだ。

「武神再降臨ッ――――ツ! 建御雷神(タケミカヅチ)――――!」

 少年は驚いた風な表情を作り、そして顔をしかめた。

「たかが人間に神にも等しき大精霊がこの短期間に2度も力を……貸しただと?」

 が、すぐに思い直したように首を左右に振る。

「それにしても意味の分からない事をするね? そもそも、それだけの巨大霊的質量を人間が短時間で2回。下手すれば廃人……いや、死亡すらも想定の範囲内だ。本職のキミであればそれは分かっている事だろうに?」

 自嘲気味に三枝は笑い、そして頷いた。

「ああ、そうかもな」

「それに……キミが再度神を降ろした所で何か意味があるとでも? 何ができるというんだい? 先ほどのキミの最強の技も……ボクには無傷だったんだよ?」

 そこで三枝は不敵に笑い、掌を頭上に掲げあげた。

「私の事を舐めるなら、こいつを捌いてからにしてもらおうか?」

 気が付けば、三枝の頭上半径500メートル程の範囲内に光の槍が舞っていた。

 その数は尋常では無く、パッと見で数百、いや、それ以上――千を超えているだろうか。

「千に及ぶ雷神の槍――受け切れるモノなら受けきってみやがれっ!」

 そこで少年は目を細める。

 その表情はネズミをいたぶる猫のソレと同じく、紛れなき絶対的強者による無慈悲な笑みだった。

「ははっ……これは楽しそうだね! これでもボクは鬼の頂点だ。タフネスと頑丈さには自信があってね? 全てをボクが無傷で受けきった時、無傷だった時のキミの表情が楽しみだ」

 その言葉と同時に、宙を舞う雷神の槍は次々と少年を襲い始めた。

 まずは10本。

 少し時間差を置いて、更に10本。

 都合20本の槍が襲い掛かった後、無傷の少年は薄ら笑いを浮かべながら三枝にこう尋ねた。

「はは、ご自慢の槍はボクにはカスリ傷一つつけられないようだけど?」

 その言葉に三枝は胸を張って挑発的に言葉を投げかける。

「残り1000近い全てを受けきってからその台詞を言ってくれるかい?」

 三枝は掌を振り、再度10本の槍が少年に襲い掛かる。

「ああ、後ね……ひょっとして10本ずつしかコントロールできないのかい? 時間がかかって仕方がないんだけど?」

「だから全て受けきってからって言ってんだろこのスカタン! 上から目線のその表情――ド肝抜いてやんよっ!」

 どこまでも挑発的な三枝に対し、心底嬉しそうに少年は口元を歪めた。

「ははっ……本当に楽しみだ。ご自慢の1000の槍を全て叩き潰した時、キミがどんな表情をするか」

「ああ、私も楽しみだぜ? お前の驚愕の表情がな――」

 そうして再度、三枝は掌を振った。

 10本でワンセットとし、数秒の時間差をつけて次陣の槍を放つ。

 波状攻撃が続々と繰り出されて行き、残弾は見る間に減っていく。

 着弾の度に周囲に土煙が経ち、派手な雷鳴が轟くが少年にはダメージの色は見えない。

 ――概ね5分が経過。

 残る槍が10本となった所で無傷の少年は、うんざりだとばかりに肩をすくめた。

「キミの鼻っ柱を折る為に、わざわざここまで付き合ってあげたけど……これまでボクはノーダメージ。そしてこれから何ができるとも思えない」

 言葉には応じずに、三枝は最後の槍を少年に突き立てるべく掌を振るった。

 宙を舞う雷神の槍が少年に向かい――そして土煙が立つ。

 土煙が晴れた所に立っていたはやはり無傷の少年だった。

「さあ、これで全部終わりかい?」

 堪え切れないとばかりに少年は喜色の笑みを浮かべる。

「えらく自信マンマンだったようだけど、結局……キミには何ができたっていうんだい? ねえ、キミはボクに傷一つつけられなかったんだよ? 5分も無抵抗の相手に一方的に攻撃を加えて――キミはかすり傷ひとつつけられなかったんだよ? ハハっ! ハハハハッ! ご丁寧に再度の神の降臨を経て、全くの無為、無駄、無益! 自信マンマンだったのにね……ハハハッ! ハハハハハッ!」

 少年の笑い声が周囲に響く。

 それを受け、三枝もまた堪え切れないとばかりに口元を歪めた。

「わざわざ……読み通りにご丁寧に受けきってくれてありがとうよ! このマヌケ野郎っ!」

 言い終えると、三枝の逆立った髪が下に流れた。

 それは彼女の周囲を覆っている静電気が完全に取り払われたと言う事だ。

「降臨を解いた?」

「はいです。さきほどあなたが言った事ですよ? 体の負担が半端じゃないってね? これ以上は無駄な負担を私もかけたくないですから」

「どういう事……?」

 少年の問いかけを受け、笑いながら三枝は掌を胸の前に突きだした。

 そして、天に向けて親指を突き上げる。

「ああ、そうそう。私に何ができるって質問でしたよね?」

 そして手先を反転。

 親指をくるっと回転させ、一気に地面に向けて親指の先を向ける。


「リュート君が来るまでの時間稼ぎができたんですっ! わざわざ時間稼ぎの為だけに用意した、最下級の技を受け続けてくれてありがとうございましたっ!」


 ゴンっ。

 音と共に少年――鬼神の後頭部に衝撃が走った。

 それは鬼神の後頭部に何者かが放った蹴りが炸裂した音だ。

 綺麗に弧状の軌跡を描いて、そのまま鬼神は顔面から地面に落ちる。

 同時に、巻き起こる爆音と吹き上がる土砂。

 地面に半径数メートル単位のクレーターが形成される。

 そして中心部には地面に頭部を突き立て、足と頭を逆にして真っ直ぐに気を付けの姿勢で直立不動の状態となっている鬼神と言う、まるでコントのような光景ができあがった。

「頑張ったな。三枝。コーデリア達が瞬殺されてから結構時間が経つよな? 正直、お前がここまで粘るとは思わなかった」

「はは、リュート君が言ったんですよ?」

「俺が言った?」

 小首を傾げたリュートに、三枝は呆れたとばかりに言葉を投げかけた。

「私にこの場所を任せられると思ったから任せるって……言ったんですよ?」

 言葉を受け、リュートは青空のような笑みを浮かべた。

「はは、違いねえな。ってか、お前も色々限界だろ? ここから先は俺に任せろ」

 そこでようやく、鬼神が頭を地面から引っこ抜いた。

 ゲホゲホとむせ返り、鼻から血の筋を一本垂らしながら、鬼神はリュートに尋ねかける。

「完全な不意打ちとは言えこのボクが血? キミは……キミは一体?」

「ん? 俺か? 俺は――」

 しばし考え、リュートは言った。



「――世界最強の村人だ」









三枝はその場でヘナヘナと腰を抜かしたように倒れ込んだ。

 そして彼女はリュートに訝し気な視線を送る。

「……でも、本当に?」

 リュートが意味の分からない規格外だと言う事は彼女は十分に認識している。

 だからこそ、自分を捨て駒としてリュートが来る時間だけを稼ぐために先刻の茶番劇を演じたわけだ。

 だが、リュートに対峙する相手もまた空前絶後の規格外なのだ。

 相手は、個体として最上位級厄災にも認定されるような魔物だ。

 ――魔王。

 そう表現しても差支えの無い、正真正銘の超越者にして絶対者。

 そんな存在に対して、リュートは所詮はただの学生に過ぎないのだ。

 理由があって実力を隠して底辺クラスに存在し、そして有りえない事に……どうやらコーデリア=オールストン以上の実力を持っているらしい事も窺える。

 確かに、自分はリュートの為の時間稼ぎを行った。

 規格外の相手をするにはやはりこちらも規格外を出すしかない。その一点を思ってそうした訳だ。

 けれど……と三枝は思うのだ。

 つまりは、今回は相手が悪すぎるのじゃないかと。

 そんな心境で三枝はリュートの背中に心配そうに視線を向けていた。






「さて……」

 俺……リュート=マクレーンは拳をボキボキと鳴らし始めた。

 そうして、眼前に立ちはだかるショタの足元から頭までに視線を送る。

「見た所、キミは武器も持っていないし防具も軽装だ。蹴りでボクにわずかながらでもダメージを与えているのだから……まあ、見た通りの徒手空拳の格闘タイプか」

 どうやらこいつは何か勘違いしているらしい。

 まあ、それは良い。

 大体のこいつの力量は、さっきの蹴りで察しはついているが確認は必要だ。

「とりあえず、少し手合わせを願うぜ?」

 言うと同時、俺は拳を振りかぶり鬼神に突進した。

 フェイントもクソもない。

 ただ、思い切りに拳を振り上げ、そして思い切りに右ストレートを放つ。

 対する鬼神は、そんな俺の猪突猛進に愉快そうに口元を歪ませる。

 そして俺の拳に対して、頭突きと言う形でカウンターを繰り出してきた。


 ――ドンっ!


 拳と頭蓋骨が真正面からぶつかり合う。

 大気が震え、衝撃波が発生する。

 互いが互いに後ろに吹き飛び、地面に足を滑らせて威力を殺しながら着地する。

「今の攻防は完全に互角だったね。これは楽しめそうだ。見た目は幼い少年の姿だが、ボクは鬼だからね。特技は殴り合いで実はガッチガチのパワータイプなんだよ」

「俺の全力の一撃と同レベルの頭突きか、なるほどね」

 俺の言葉が終えると同時、今度は鬼神が俺に向けて突進してきた。

 音速を突破したらしく、風切り音が右ストレートに遅れてやってきた。

 今度は俺は鬼神の右ストレートを頭突きで受ける。

 空中で拳と頭突きがぶつかりあう。

 さっきはこの時点で二人は吹き飛んだが、今回は二人とも重心を落としてしっかりと地面に踏みとどまった。

 そこで俺と鬼神はお互いに満面の笑みを浮かべた。

「産まれて初めて本気で殴り合いができそうで、ボクは嬉しいよ」

「いいぜ。付き合ってやるよ……空前絶後のド突き合いにな」

 鬼神が大きく――大きく振りかぶる。

 野球のピッチャーも真っ青な程に、全力まで体のバネを振り絞る。

 はっきり言ってしまえば隙だらけだが、攻撃動作の途中でそれを潰すようなヤボな真似は俺はしない。

 いや、更に言うのであれば回避すらも取らない。

 何故なら、恐らくフェイントも何もなく、大きく振りかぶった後に鬼神が繰り出すのは……馬鹿正直な右ストレートなのだろうから。

 そして予定調和の如くに、全力の打撃が俺の鼻ッ柱に突き刺さる。

「――――強烈だなっ! オイっ!」

 下半身に力を込めて、その場に何とか踏みとどまる。

 鼻にじんわりと鈍い痛みが広がる。俺の鼻から一筋の血液が流れ、鉄の味が口内に広がった。

「次は俺の番だな?」

 俺の言葉に素直に頷き、鬼神は身構える。

 緩慢と言っても良いほどのゆっくりとした動作で、俺はその場にしゃがみこんだ。

 下半身のバネを、下方に溜めて、溜めて、溜めて――そして上方に向けて解き放つ。

 カエル跳びアッパーとは良く言ったものだ。

 ジャンプの加速に加え、上半身の筋肉で更に上乗せで加速された拳が鬼神のアゴに突き刺さった。

「――――グフっ!」

 鬼神は上方に数メートル吹き飛び、そして空中でくるくると回転。

 涼しい顔で華麗に着地を決めた――かと思いきや、その場でフラリと膝から崩れ落ちそうになる。

「膝が笑ってるみたいだが、大丈夫か?」

「キミこそ、鼻血面を浮かべてそんな事を言っても締まらないよ?」

 再度、俺と鬼神は喜色の笑みを浮かべ、そして互いに拳を鳴らしながら歩みを進めた。

 そして鬼神がボディーブローを放ち、受けきった後に俺が右ハイキックを放つ。

 お返しとばかりに鬼神が左ローキックを放ち、俺は鬼神の胴体をガッチリとロックしてバックドロップを決める。

 真正面からの殴り合い。

 互いにガードを捨てた、全力の一撃一撃を交互に叩き込んでいく。

「いやあ、重い……本当に重い攻撃だよ」

 俺の会心の正拳突きを鳩尾に綺麗に貰った鬼神は、顔を歪めながらそう言った。

「お褒めにあずかり光栄だな」

 返礼とばかりに鬼神は俺の頭部にアイアンクローを決めた。

 そのまま無造作に振りかぶり、そして地面に向けて叩き付ける。

 数メートル級のクレーターが形成されるが、土煙と振り落ちる土砂の中で俺はゆっくりと立ち上がった。

「それに堅いね……いや、本当に堅い。ボクの本気の打撃を受け続けて、全てを耐えきり精々が鼻血程度のダメージしか受けてはいない」

 パチパチとそこで鬼神は拍手を始めた。

「拍手? 一体どうしたんだ?」

「賞賛を送っているんだよ。キミという稀有なる存在。人類最高峰に登りつめた格闘家。武術の達人の才能と努力に……賞賛をね」

 やっぱりなんか勘違いしてやがるなこいつ、まあ良いけどさ。

「しかしキミは一体何者なんだい? こんな力を持つ人間がこの周辺に存在しているなんて聞いたこともないけれど」

「……とおりすがりの村人って奴かな」

 自嘲するような俺の言葉に、軽く鬼神は鼻を鳴らした。

「で、キミはどう見る?」

「何をだ?」

「互いにパワータイプの格闘家で互いに防御力も高い。ボク達はこのまま殴り合いを続ければダブルノックダウンが順当というところだろう――ただし」

「ただし?」

 そこで鬼神は心底楽しそうに、嘲りの視線を俺に向けてきた。

「高位の鬼が持つ再生能力を別にすればだけどね。現時点でキミに勝ち目はないよ」

 いや、まあ、そんな事は知った上で俺は殴り合いに付き合ってたんだけどな。

 しかし、正直なところ驚いた。

 ガチンコの殴り合いで、まさか人界で俺と対等に渡り合える奴がいるとは。

「まあ、確かにお前の堅さには舌を巻いたよ」

「聞こえなかったのかな? 堅さだけじゃないんだよ? ボクは再生能力もオーガエンペラーの比では無いんだ。つまりはキミの勝ち目は消えたんだ」

「やってみねえと分からないと思うがな?」

 ハハハっと鬼神は笑う。

 どうやら『やってみないと分からない』と言う俺の発言は冗談と受け取られたようだ。

「ああそうだ。久しぶりの全力の殴り合い……まあ、キミにとって不幸な事にボクには回復能力があった訳だけど、ボクはそれなりに楽しめたよ。だからキミに提案があるんだ」

「提案?」

「キミはボクに血を流させた。それは高く評価しているんだ。キミの遺伝子は優秀だ。鬼と人間の合いの子を作るのに都合が良い」

 どうにも何を言っているのかが理解できん。

「……?」

 押し黙った俺に向けて、鬼神はドヤ顔でこう言った。

「鬼の巣でハーレムを作ってみないか?」

 ゾクっと背筋を鳥肌が覆った。

 後ろを振り向くと、そこにはオーガの群れだ。オスもメスも分からないような状態で、見た目的には完全に化け物だ。

 人型である事が救いだが、あんな化け物共相手に子づくりしろってか?

 これは中々無茶をおっしゃる。

「悪いな。生憎だがノーセンキュ―だ」

 そこで鬼神は心の底から残念そうに肩をすくめた。

「キミを無傷で連れ帰るには難しいと思っての提案だったんだ。が、しかし、最悪この場で殺してしまっても仕方がない……か。言うまでも無い事だが、提案を呑まなかったのだから客人としての待遇はしないよ?」

「むしろ、客人の扱いをしてくれるつもりだったのか?」

 逆に驚いたが、大真面目に鬼神は頷いた。

「キミ程の優秀な遺伝子であれば本当にボクは欲しい。鬼族としても……ボクのいる一代限りの栄華だろうからね。ボクが存命の内に次代のジョーカーカードは手に入れておきたいんだ」

「今回の事態、規模としては大厄災クラスの突然変異個体の大量発生だからな。何を言っているか分からんではない」

「まあ、それが故の特別待遇を考えていたんだけどね。とはいえ、僥倖をキミは自ら手放してしまったんだ。結局、そこに転がっている二人のように捕虜として家畜以下として扱われる事になる」

 そういえばコーデリアとリリスは気絶してて連れ去られそうな感じになってたんだっけか。

「家畜以下だと? お前はその二人に何をするつもりだったんだ?」

「そうだね。キミにも彼女達と全く同じメニューを体験してもらおうか。まずは両手両足の骨を粉砕させてもらった上で逆さ吊りだ」

「……」

「そして、それから1か月の間……水と食事は肛門から摂取してもらう。延命の為にヨーグルトやらの流動食を肛門に突っ込んで直接に小腸から栄養補給をさせてもらうってコトさ」

「それで1か月経てばどうなるっていうんだ?」

「彼女達の場合は子供を作る為の機械として日夜生産に励んでもらう。キミの場合も似たようなものだね。最下級の知能の無い鬼共は種族の違いも良く分からずに盛るから、まあ大変だとは思うから頑張っておくれよ。ははっ! はははっ!」

 鬼神は馬鹿笑いを始める。

「お前、今、何をするって言った?」

「ん? 何だい? 良く聞こえなかったのだけれど」

「お前は今、コーデリアとリリスに何をするって言いやがったって……聞いてんだが?」

 虚空からエクスカリバーを瞬時に召喚。

 そして一閃。

「剣……? どこから?」 

 目を丸くする鬼神。

 そして鬼神は、噴水のように血液を噴出させる自らの右手の肘から先を凝視して絶句した。

「え? ボクの手が……一撃……地面……転がって……えっ? えっ……? 何……で? こんな……ありえ……な……」

 そして地面に転がる右手を眺めて呆然と口をパクパクとさせている。

「ああ、後な? 俺を頑丈だけが取り柄のパワータイプの格闘家だと思っているみたいだがな? 生憎だが――俺はスピードタイプの剣士だ」

「あ? え? う?」

 目を白黒させる鬼神に俺は無慈悲に言葉を投げかける。

「逆さ吊りだな」

「逆さ吊り?」

 ポカンとした表情でオウム返しする鬼神。

「お前への刑罰だよ。コーデリアとリリスに同じ事をする予定だったんだろう? なあに、俺は慈悲深い。延命も嬲りもなしで……吊ったらすぐに殺してやるから安心しろ」

「……へっ?」

 再度、剣を一閃。

 鬼神の左手の親指が吹き飛んだ。

「……何で……何で……再生が……始まらない……?」

 そこで初めて鬼神の表情に恐怖の色が混じった。

「再生が始まらないのは俺の剣が特殊なだけだ」

「それって……ひょっとして……神……殺……し……クソっ! これは完全な油断だった!」

「って事で逆さ吊りだ――」

 ニッコリと笑いながら俺は言葉を続けた。

「――まずは四肢を切断させてもらおうか?」

「四肢を切断? 確かにボクの右腕は使えなくなった。けれど……これを見て驚かないでおくれよ?」

 瞬く間に鬼神の背中から腕が4本生えてきた。

「阿修羅……ね」

 日本時代の記憶を呼び覚ましながらそういう俺に、鬼神は満足げに頷いた。

「こうなってしまえばボクも手加減はできない。生け捕りなんて甘い事は言わないよ? この場でミンチにしてあげるから」

「良いぜ。胸を貸してやるよ。かかってきな」

 俺の態度に頭にきたようで、鬼神は眉間に皺を寄せる。

「減らず口をっ!」

 右手は斬ってるから、今の鬼神の腕は5本。

 一発目、左フックを避ける。

「めんどくせえな」

 左フックを避けると同時にそのまま背後に回る。

 そして剣をクロス状に2度振う。

 ボトボトボトボト。

 新規に発生した4本の腕が切断され、地面に落ちた。

 そこでようやく鬼神は俺に背後を取られた事を察知したらしく、呆然自失に声を挙げた。

「……ハァ?」

「さっきの殴り合いで何か本格的に勘違いしてたみたいだがな、俺は敢えてお前の攻撃を受けてやってただけだぜ? お互いにそんなノリになってたしな」

「………………えっ?」

 どうにも上手く理解をしていないらしい。

 面倒なので俺は分かりやすく解説を始めた。

「人間の職業で言うとだな。ガチガチの前衛職の大楯を構えた戦士が、ガチガチの後衛職の盗賊とガチンコで殴り合いをして互角だったって話だ」

「……?」

 そこで、あっと言う表情を鬼神は作った。

「ここまで説明しても理解できねえくらいにオツムが足りねえのか?」

 俺の言葉で完全に顔を蒼ざめた鬼神は、半泣きの表情で口を開いた。

「待て! 待てっ! 待て待て待て待て!」

「ん?」

 半泣きどころか、涙を流しながら鬼神は言った。

「少しだけ、少しだけ話を聞いてくれ」

「まあ良い。聞いてやろう」

 俺の言葉を受け、安堵したように鬼神は溜息をついた。

「ボクはキミを客人として迎え入れると……そう言ったよね?」

「ああ、それは聞いたよ」

 そこで鬼神は神妙な顔つきを作り、まつ毛を伏せた。

「今、ようやくボクは気づいたよ。キミとボクでは役者が違う……と」

「役者が違う?」

「ああ」と鬼神は頷いた。

「キミの繰る剣は……神殺しだろう? それ以外にボクの再生を止めるスキルが思い浮かばない」

「まあ、そこに気付かないなら神としてモグリだろうな」

「キミはどこまでも失礼な奴だなあ」

「龍王を始めとして、良く言われるよ」

 と、そこで鬼神はこの上なく楽しそうにニヤリと口元を歪めた。

「油断してくれてありがとう。100%充填されたよ」

「……?」

 俺の疑問に余裕の笑みで鬼神は応じる。

「この技は戦闘中に使用するには不向きでね? 何しろ体中の全ての力と神経を集中して時間をかけてようやく発動可能な攻撃スキルだ」

 なるほど。

 こいつの体の中心部から凶悪で禍々しい巨大な気を感じる。

「……発動前に何故に俺を晒す?」

 爆笑と共に鬼神は言った。

「ははっ! はははっ! そんなのは――回避不能の広範囲爆撃だからに決まってるじゃないか!」

「ああ、だろうと思ったよ」

 鬼神は大口を開いた。

 アニメか何かのエネルギー粒子砲の発動直前の如く、粒子状になった高密度エネルギー体が鬼神の肺に吸い込まれていく。

 そして、絶対の自信と共に鬼神は叫んだ。

「鬼神咆哮(ビッグバン・インパクト)」

 この上無く涼し気な表情。

 それはそうだろう。

 直撃を受ければ俺の後方20キロ程度が、扇形……130度程度で完全な焼け野原になるような頭のおかしいレベルのエネルギー砲だ。

 まあ、つっても俺には通用しねえけどな。

 俺は苦笑いと共に右掌を突きだした。

「――暴食の王:ベルゼブブ」

 エネルギー波が鬼神の口から俺に向けて放たれる。

 が、その全ては俺の右掌に吸い込まれていく。

「高密度エネルギー放射か。まともに喰らってれば大ダメージだったかもな。でも、それ系の攻撃はこいつの大好物だ」

「えっ? えっ? へっ……? いや、あの、その……鬼神咆哮……えっ? そ、そんな………」

 へなへなと鬼神はその場で崩れ落ち、そして言葉を続けた。

「……無傷……いや……喰われた? ボクのとっておきの一撃が……ただ……吸い込まれた……だと?」

 怯えた表情の鬼神を無視し、俺はエクスカリバーを鞘に納める。

「さて、それじゃあ吊ってやるか」

 その言葉で鬼神は全てを理解したらしい。

「待って、待って待って待って待って! 待ってくださいっ!」

 ようやく口の利き方を理解し始めた様だ。

 だが、ちょっとばっかしタイミングが遅かったようだな。

「ああ、当然の事だが待たないよ」

 続けざま、俺はコーデリアとリリスを指指し、次に鬼神を睨み付けた。

「コーデリアとリリスにお前がする予定だった事をさせてもらう――」

 さあっと鬼神の表情から血の気が引いていく。

「……あっ……ぇ……って……え……?」

「なあに俺は慈悲深い」

 ニッコリと笑いながら俺は言葉を続けた。

「お前は一瞬でも俺を客人として迎え入れる気はあったみたいだから、俺はそこまで怒っちゃいねえよ。実際、俺が本気で殺意を抱いたのはコーデリアとリリスの話が出た瞬間からだ」

 言葉を受け、鬼神の表情に安堵の色が灯る。

「そ、そ、それじゃあっ! キミはボクを助けてくれるっていうのか?」

「ああ、俺個人としては場合によってはお前を許しても良いと思っている」

「ほ、ほ、本当に? 本当になのかい?」

「20秒だけ時間をやる」

 コーデリアとリリスに向けて視線をやる。

「だから、命乞いならあの二人にやれ」

「えっ?」

 鬼神は数秒固まった。

 そこで彼は現状を正確に理解したらしい。

 何しろ、鼻水まで垂らして、必死の形相で叫んだんだからな。

「た、た、たしゅけてくさいっ! コーデリアしゃん! リリスしゃんっ!」

 コーデリアとリリスに向けての精一杯の大きな声で。

 そして俺に向けての慈悲を乞う切ない声色で。

 とはいえ、当然の事ながらコーデリアもリリスも応じない。

 そりゃそうだ。気絶してんだからな。

 約束の20秒が経過し、鬼神はすがるような視線を俺に視線を送った。

「はは、残念だな。気絶してて答えられねえってよ。そうだな、最後にチャンスをやろう」

 ピラニアの如くに鬼神は食いついてきた。

「ちゃ、ちゃ、ちゃ、チャンス?」

「お前は防御力には自信があるんだよな?」

 コクコクと、いや、ブンブンと頭を振りながら鬼神は頷いた。

 応じるように、俺もエクスカリバーを全力で振りかぶる。

「なら、全力で耐えきって見せろ。この一撃で殺し損ねたら……助けてやるよ」


「そ、そ、そ、そんなの、むっ……無茶……無茶だあああああああああああああ――っ!」


 絶望に包まれた鬼神の顔面にエクスカリバーの一撃をお見舞いする。

 必然的に上顎と下顎がお別れした。

「びゅっ!」

 冗談みたいな断末魔と共に鬼神はその場に倒れ、脳を失った肉体はビクンビクンと仰け反り、そして痙攣する。

 そこで俺は舌打ちを一つ。

「しまったな……何てこった……」

 頭を抱えながら、俺は吐き捨てるように呟いた。



「吊る前に殺っちまった」









オーガの討伐で、叙勲式が行われる事になった。

 ちなみに、鬼神を失ったオーガ達は戦意を喪失し、森の奥深くへとバラバラに逃げ去っていった。

 後日、サシミマシの残存騎士団とSランク級冒険者も含めた大規模な捜索・殲滅部隊が結成され、森は焼かれた。

 その際の煙で、数週間の間サシミマスの城塞都市を燻し続けられたレベルだったと言う。

 その戦力は国一つどころのレベルではなく、周辺地域の全ての国家が多額の金を出し、そしてお抱えの虎の子の冒険者も派遣した。

 オーガエンペラーやオーガキングが複数確認されるような異常事態ではそれは決して大袈裟な事では無く、裏では討伐隊の失敗に備えて世界規模での討伐部隊が組まれるという風な話もあったという。

 それはともかく、俺達は王都:バーミスハムに招かれている。

 今現在の場所はアルテナ魔法学園から徒歩20キロの距離にある宮殿で、玉座の設置された大広間内はピカピカの総大理石だ。

 毛の長い真紅の絨毯。

 煌びやかなシャンデリアには色とりどりの宝石が彩られている。

 何気ない調度品が壁際に所せましと置かれているが、そのどれもがかなりの芸術的価値を伴う事は、素人の俺でも良く分かる。

 庶民の税金の使い道が何となく分かったが、まあ……これは仕方ないかとも思う。

 この大広間は外交関係でも使われるらしいし、叙勲式みたいな大袈裟な式典でも使われる。

 国家の顔的な意味合いもあるのでケチ臭い事もできないのだろう。

 まあ、ぶっちゃけた話をすると俺はこんな所に出たくなかった。だが、渋々ながら俺も式典に参加していると言う次第だ。

 魔法学院側が俺の服を用意してくれたが、これもまたいただけない。

 何と言うか、歴史の教科書に良くあるような織田信長がルイス=フロイスと遭遇しましたみたいな、ヒラヒラというかビラビラ系の服装だ。

「へえ、馬子にも衣装って所じゃない?」」

 ヒュウと口笛を吹きながらコーデリアはそう言った。

「どんな美的センスしてやがんだ。俺はこういうゴテゴテした服装じゃなくて、黒のスーツっていうか礼服でバシっと決めたいんだよ」

「スーツ? 何の事?」

 まあ、言っても分かんねーよな。

「いや、気にせんで良い」

 と、そこでリリスが会話に割り込んできた。

「……私には分かる。龍王様の来ているあの服の事」

 まあ、大体あってるな。

 ちなみに、コーデリアは髪をアップにまとめて背中をはだけさせた黒のドレス。

 薄化粧にピンクのルージュが良く映えている。

 リリスはいつもどおり化粧っ気もなく、いつもの白ローブでマイペースに無表情を貫いている。

 三枝は……『巫女は巫女服が正装なんですっ!』とのことで、いつもと同じ服装だ。

 何というか、まあ、この二人についてはそれらしいと言えばそれらしい。

「ところでリュート?」

 コーデリアが怪訝に俺に尋ねる。

「何だ?」

「あの時、どうやって駆けつけてきてくれたの? 貴方が守っていた砦の近くではオーガが城内に侵入して城下町の民衆も巻き込んでの大乱戦だったんでしょう?」

「ああ、だから俺は駆けつけるのが遅れちまったんだ。一般人が紛れてるところでの乱戦だったからな。闘気術や真空刃の類で広範囲を一撃って訳にもいかねえ。そりゃあもう手を焼いたよ。一般人を見捨てる訳にもいかねーしな」

「じゃあ、どうしてあんな短時間で駆けつける事ができたの?」

「騎士団のオッサンがいたんだよ」

「騎士団?」

「オーガエンペラーの登場で砦を守る戦闘員は全員逃げちまってな。そして、城内の雑魚掃討まで俺みたいなガキに全部任せちゃあ男が廃るって話だ。オッサンが本気出したんだよ。散った戦闘員をすぐに掻き集めて即時に組織しなおしたって訳な」

「それって、とんでもない指揮能力というか、何というか……」

「まあ、俺みたいなガキに全部やられるのはプライドが許さなかったんじゃねーか? で、俺はそんな感じで後は正規軍の連中にお任せしたって訳だ。城内に溢れたのは雑魚ばっかりだったしな」

「なるほど」

「でもさ……」とコーデリアはその場でまつ毛を伏せた。

「本当に良いの?」

「何が?」

 首を左右に振りながら、何とも言えない表情でコーデリアは吐き捨てる。

「全部アンタがやった事なのに、お偉方の間では手柄は大部分が全部私のモノになっちゃってるわよ? 鬼神の存在に至っては私たちが幻覚魔法にかかってるって事になっちゃったし。アンタなんて私が倒したオーガエンペラーが息絶え絶えの所に運良くトドメだけを刺したみたいな事にされてたのよ? だから、勲功は最初は無かったんだけど……まあ、私が無茶苦茶に抗議してこういう運びになってるんだけど」

「頭の固い連中は信じやすい事を信じて、理解できない事は否定する。どこの世界もそれは変わらねえみたいだな。まあ、村人が全部やっちゃうよりも勇者がやっちゃったって方が報告書も書きやすいんじゃねーの?」

「でも私はやっぱり事実は事実として……うん、そうよ! やっぱりもう一回かけあって……」

 唇を噛むコーデリアに、俺は『マジメだなこいつ……』と苦笑した。

「良いよ、別にそんな事はどうだってさ。俺は勇者コーデリアの従者としてオーガ退治のサポートをした。それでいいじゃんか。そもそも俺はこんなバカバカしい式には出る気は無かったんだからさ」

「バカバカしい……?」

「お前には勇者としてのメンツがあるんだろ? お偉いさんが下々の俺みたいな存在にまで、コーデリアの助力をしたって事で褒美をくれようって話だ。そこで俺が出なかったらお前の顔に泥を塗る事になる。だから俺はお前に付き合ってここにいる」

 はァ……とコーデリアは深いため息をついた。

「何か色々……ごめんね?」

「気にするな」

「……うん」

「これから俺とお前は同じ道を行く。だったらこんな場面はこれから腐る程ある。だから気にするな」

「これから同じ道……? 私とリュートが?」

 そこでコーデリアは目を爛々と輝かせた。

「ああ、そうだ。だから気にするな」

 そして何かをしばし考えて、頬を少し染めたコーデリアは青空のような笑みを浮かべた。

「うんっ! 気にしない! 私全然気にしないから!」

 コーデリアは満面の笑みと共に俺の右腕に抱き着くように両手を絡ませてきた。


「アーリス――トモリス――ユーリハイネケン――モモリス――キュンソー……コギト=エグゾリズム」


 リリスが殺意の視線と共にこちらに呪文を唱えてきた。

 ――ってか、この呪文は………………本当によろしくないっ!

「ガチの呪術をコーデリアにかけようとするな馬鹿っ! 禁術中の禁術じゃねえかっ!」

 ダッシュでリリスに駆け寄り、そしてグーでゲンコツを落として詠唱を強制中断させる。

 ガチコンっとばかりに音が鳴り、リリスは涙目になってうつむいた。

「……それでも私は悪くない」

 と、そこで俺達の近くにいた学園長が『コホン』と大袈裟に咳払いをした。

 どうやら、叙勲式の主役である王様がお出ましするみたいだ。

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 学園長の咳払いから数分経過し、服装だけはやたら豪華な小太りのオッサンが大広間に登場した。

「オーガエンペラー及びオーガキングの討伐。誠にご苦労であった。これより勲功式を行う」

 言葉を発したのはオッサンのお付きのヒョロヒョロの男だ。

「リュート=マクレーン……前へ」

 やはりヒョロヒョロの男が声を発する。

 無言で俺は前に進み、王様の眼前で一礼と共に片膝をついた。

 コーデリアにしつこい位に叩き込まれた礼儀作法だったので、特に淀みも無い。

と――そこでオッサンが遂に口を開いた。

「学生故、当王国付きとはしない。が、その功績を称え、リュート=マクレーンに勲5等を授与し、また、国際連合の騎士の資格と権限を与える」

 アルテナ魔法学院のパトロンは多国籍だ。

 色んな国から金が出されているので、学生の内から勝手に就職の内定を出したりするのは国際関係上非常に不味い。

 俺みたいな立場の奴だったらそれほど問題はないかもしないが、例えばコーデリアであれば各国の争奪戦となる事は目に見えている。

 引き抜き合戦と言うよりも、その場合は各国の話し合いの下でコーデリアの身元引受が決まるのだ。

 大なり小なり魔法学院の生徒にはそういった側面があるので、俺みたいな底辺クラスの人間ですらも扱いはややこしい。

 故に、わざわざ王様はこういった言い方をしている訳だ。

 ちなみに、国際連合の騎士資格と言うのは自動車の国際ライセンスみたいなもんで、どこの国においても騎士を名乗っても良い事を国王の名に置いて認められたことを意味する。

 これは結構凄い事で、ただの村人からすればこの年齢でこれ以上の出世はない。

 まあ、オーガエンペラーが複数絡むような厄災処理の功労者となれば、ある意味ではそれくらいは当たり前なのかもしれないけれど。

 ――ただの村人の俺が10代半ばで騎士か。

 王様自ら、銀色の勲章が手渡された。

 そっと受け取り、そして一礼。

 俺はじっと自らの掌の上の銀の勲章を見つめる。

 ――思えば遠くに来たもんだ。

 あの村でこいつの背中に隠れてた、死に戻る前の俺かすれば本当に上出来だ。

 でも、ここで俺は終わらない。

 この程度で止まる実力じゃないのは俺自身が一番良く分かっている。

 そして俺は立ち上がり、王に一礼して元の場所に戻る為に踵を返して歩を進める。

 純粋に嬉しかったのもあって、コーデリアとリリスに向けて右手の親指を立たせて屈託なく無言で笑いかけた。

 コーデリアとリリスも微笑を浮かべて、大きく頷いた。

 そうして俺は誰にも聞こえないように独りごちた。 



 ――さあ、成り上がりはこれからだ……と。



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