第6話

 ――チュートリアルの時……あの日、俺はその場にただ立ち尽くして傷つくコーデリアを眺めることしかできなかった。




 ゴブリンたちが俺の村を襲ったのは、純粋に食料が足りなかったから略奪したかったとか……そういう理由だったんだろうとは思う。




 ……で。


 コーデリアには既に勇者としての神託が下っていた。

 とはいえ、彼女は12歳だったのだ。

 確かに、職業適性が勇者と言う事で、今後の伸びしろは化け物クラスだった。

 その時点でのステータスも通常人と比べると、それは確かに凄いものだ。



 でも……彼女はまだステータス的な意味でも本格的な成長前の、12歳なのだ。

 その時点での実力で言えば、冒険者ギルドで過去の栄光を肴にクダを巻いているような中年ベテランの方がまだいくらかマシだった。





 ゴブリンの数は多分……1000を超えていたと思う。


 ――あまりにも多勢に無勢。

  



 大人たちは勇者である彼女に全てを押し付けて矢面に立たせた。

 自分たちはというと、村の教会に立てこもってただ震えているだけだった。


 所詮は相手は雑魚種とされる……ゴブリンだ。

 周囲の村も巻き込んで……大人達が総出で鍬やクワで応戦し、コーデリアをみんなでサポートしていれば……あるいは村全体の力でゴブリンを追い払う事もできたかもしれない。


 ――でも、大人たちはそれを選ばなかった。

 ただ、勇者と神託が下っただけの12歳の少女に全てを託して、自分たちは我先にと安全な場所に立てこもった。




 そうして、無数の屍の中、刃がこぼれて油が回った剣を片手に彼女は獅子奮闘の働きをした。



 彼女の身体能力をもってすれば、ゴブリンの軍勢から逃れる事はできた。

 でも、彼女はそれをしなかった。



 建物の路地裏。背後は壁。

 馬鹿な事に彼女は……数の暴力に押されてボロボロになりながら、彼女の背後で震える少年を守っていたのだ。


 

 ――そう、その少年とは……逃げ遅れた俺の事だ。



 泣いても誰も助けに来てくれない。

 戦おうにも戦う術がない。


 ただ、目の前でコーデリアは傷ついていく。

 何度も彼女は俺の方を見て、こう言ってくれた。


「リュート!? 生きてる!? 大丈夫だから……私がいるからっ! こんな奴等全部片付けるから……っ! 何かあればすぐに助けに行くから……大声で私を呼びなさいっ!」


 そういう彼女自身が全身から血を垂れ流して、顔面が蒼白だった。

 そして俺は無傷だ。

 正直、その事が一番……辛かった。

 そう、俺は……コーデリアを助けるどころか、戦いの場にすら……そもそもの土俵にすら立てていない。



 ――無力の罪をその時、俺は初めて知った。



 無数に繰り広げられる斬撃。

 そして惨劇。



 返り血と自らの血でコーデリアの朱色の髪が更に真っ赤にそまる。



 やはり多勢に無勢。

 いよいよスタミナが尽きて、彼女は片膝をついた。


 彼女を囲んでいたゴブリンたちがその包囲網をジリジリと詰めてくる。

 ギリギリの状態で彼女はゴブリンと戦っていたが、遂に限界を迎えた。


 ゴブリンの槍をまともに受ける。

 そして……右手に、一生残る程の深手を受けて、その場に倒れ込んだ。

 後は嬲り殺されるだけと思っていたその時――



 ――龍が現れた。



 そうして俺とコーデリアは龍に助けられる事になる。














 これが、前回の歴史だ。



 そして、今回……龍は俺を助けた際に、そのまま龍の里に俺を連れて帰る事になっている。

 だから、俺は出来るだけ前回の歴史になぞってコトを進めなくてはならない。

 変に俺が力を貸して、コーデリアと俺とでゴブリンの軍勢を追い払ってしまったら……龍が来ないかもしれないのだ。



 ――ぶっちゃけ、それは困る。



 だから、俺は今回……ゴブリンの襲撃の際に逃げ遅れたフリをした。

 そして建物に囲まれた路地に迷い込んだ。

 そうしてゴブリンに囲まれた俺のピンチに、狙いすましたかのように、真紅の髪を振り乱してコーデリアが現れた。



 それからの出来事は正に前回のリピートと言った感だった。

 迫りくるゴブリンの軍勢を、コーデリアが物凄い勢いで片付けていく。

 けれど、戦闘に不慣れな彼女はペース配分がつかめずに徐々にスタミナとMP切れを起こしていく。


 今の俺なら正確に分かる。



 ――動きに無駄が多すぎる。身体能力強化を馬鹿正直に使い過ぎだ。俺と違ってコーデリアのMPは有限なのだから……対多数戦のこういった長丁場であれば節約をしなければ……。



 ギリギリと俺は歯ぎしりするが、彼女の手助けは出来ない。

 何故なら、俺が手助けをしなくても彼女は死なないからだ。

 そう、多少の怪我はするが……それでも死なないのだ。

 下手に手をだして歴史を変えてしまう方が遥かに厄介な事になる。


「キャっ……!」


 コーデリアの頬にゴブリンの槍の穂先が霞めた。

 軽く血をにじませてコーデリアは絶叫した。


「このおおおおおっ!!」


 ゴブリンの腹部に剣閃が走る。

 パックリと腹部を開いたゴブリンは臓物を垂れ流しながら倒れた。

 彼女が剣を振る。

 ゴブリンが倒れる。

 彼女が剣を振る。

 ゴブリンが倒れる。

 彼女が剣を振る。

 ゴブリンは倒れ、彼女の背後から弓が飛んでくる。

 間一髪で避けるが、彼女の肌に傷が一つ刻まれる。



 戦闘が開始してからどれくらいの時間が経過したのだろうか。

 前回のそれと同じく既に彼女は満身創痍だ。

 肩で息をしながら、彼女は路地の隅で事態をただ眺めている俺にこう呼びかけた。



「リュート!? 生きてる!? 大丈夫だから……私がいるからっ! こんな奴等全部片付けるから……っ! 何かあればすぐに助けにいくから……大声で私を呼びなさいっ!」


 そういう彼女は、やはり全身から血を垂れ流して、顔面が蒼白だった。



 そして、やはり前回と同じく俺は無傷だ。

 それから――無数に繰り広げられる斬撃。そして惨劇。


 返り血と自らの血でコーデリアの真紅の髪が真っ赤にそまる。

 やはり多勢に無勢。


 いよいよスタミナ……いや、正確にはMP切れだな。

 MP枯渇症状に陥り、彼女は戦闘不能となり片膝をついた。

 彼女を囲んでいたゴブリンたちがその包囲網をジリジリと詰めてくる。

 


 このまま放っておけば、コーデリアは深手を負うけれども……後数分で龍が助けに来る。


 だから、俺は奥歯を噛みしめながら、ただその光景に必死に耐えていた。



 ――このままで良い。



 ここで変に俺が歴史を改変しちまって……龍が助けに来なかったら大変な事になる。



 あの時コーデリアが受けた傷はそれほど深い物じゃあない。とんでもない量の血は出てたけど……命に別状なんてありえねえ。



 なら、これで良い。



 そこで一匹のゴブリンがコーデリアの右斜め前方から飛び出してきた。

 あれは……と俺は思う。


 そう、あれは忘れもしない――コーデリアの右手に一生残る傷をつけた腐れ外道だ。

 唇を噛みしめると血の味がした。



 ――このままで良い。コーデリアは死にはしない。




 でも……と俺は思う。

 アイツ……この時の傷……これから受ける大怪我の傷――古傷を見られるのを気にして、夏でも長袖だったよな。




 膝をついているたった一人の彼女。

 大人達に見捨てられて孤軍奮闘の彼女を思う。

 勝手に勇者にされて、祭り上げられて……命を張らされて。

 そして今、出血多量とMPの枯渇で動く事すらままならない。


 そう思うと、彼女の背中が酷く頼りなさげに見えた。




 ――それは12歳の少女の――当たり前の小さな小さな背中に見えた。




 何の為に俺は強くなろうと思ったんだろうと自問する。










 英雄になる為? 


 ――確かにそれもあるだろう。


 コーデリア率いる勇者一行のメンバーになる為?


 ――確かにそれもあるだろう。


 でも、そうじゃない。俺が本当にしたいのはそれじゃない。そんな事じゃない。


 俺が本当にしたいのは――






 ――彼女の隣に立って、対等な関係を築いて……その上で、彼女を守る事ができる自分になる事だ。













 気が付けば俺の体は勝手に動いていた。

 

 ――スキル:身体能力強化発動。


 ――スキル:鋼体術発動。

 

 ――スキル:鬼門法発動。



 何の為に……俺は黙々と牙を磨いていたんだ? 今、この瞬間の為にだろ?



 ―――――そうだろう? リュート=マクレーン……いや、飯島竜人っ!



 ――ああ、違いねえや。




 俺は自問に対して苦笑した。

 そして俺はコーデリアに襲い掛からんとするゴブリンの頭を掴んでいた。


「おい、お前さ……誰に手を出そうとしてんの?」


 そのままゴブリンの鳩尾にボディーブローを入れる。

 グギャっと甲高い奇声と共にゴブリンは胃液を吐き出し、そして崩れ落ち悶絶した。


 ――やっちまった。


 でも、これで良いとも思う。

 ここで俺がゴブリンの群れを片付けた場合、龍は現れないかもしれない。

 けれど、コーデリアをここで泣かせてしまえば――それは本末転倒も良い所だ。


 ――だから、これで良い。


「おい、コーデリア? 良く一人でここまで頑張ったな……ここから先は俺に任せろ」


「リュート……? アンタ……ゴブリンと戦う気? 村人の……アンタが?」


 そうして俺はコーデリアの剣を奪い取る。


「確かに俺は村人だ」


「逃げなさい……良いから! 私を見捨ててもいいから……アンタだけは逃げなさい!」


「大丈夫だ」


「でも、アンタは村人で……」


「俺は村人だ。けれど、普通の村人じゃない」


「……?」





「俺は――地上最強の村人だ」





 周囲のゴブリン全員に睨み付ける。


「こうなっちまった以上は一匹たりとも逃がさないぜ? で……さ、さっきも聞いたけどさ……お前等さ? よってたかって……誰の許可を得て……コーデリアに触れようとしてんだよ?」


 剣を構える。

 俺の正面にはゴブリンの集団……その総数は概ね500程度だろうか。

 以前の俺なら腰を抜かして、ただ震える事しかできなかっただろう。

 でも、今の俺は以前の俺じゃない。


 

 2回目の……この12年間は伊達じゃない。

 




 ――びっくりする位に負ける気がしねえ。




 そして背後には動けぬコーデリア……立場は今ここで、逆転したのだ。

 それを自覚し精一杯の声を俺は張り上げた。






「――さあ……まとめてかかってこいやっ!」






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