第9話 魔王裁判

 僕はクイを伴い、マルテルの様子を見に行くことにした。後で3人で魔王のところに行かなければならない。


「マルテル、具合はどうよ?」

 クイがマルテルに声をかけた。

クイはどうやら少女の姿の『正体』のままでいることにしたようだ。それがいい。


「ぴぇ…っ、ヤツカドいルの?」

 すっかり怯えられている。マルテルは僕の姿を見るなり背中を丸めてしまった。


 マルテルの住処はとても高い場所にあった。見上げると鍾乳洞の窪みに藁が積んであるのが見える。あそこらしい。

 しかし今負傷したマルテルは飛べないようで、その下で床にもたれていた。


 とにかくここで遺恨を残して無駄に敵を増やすことは得策ではない。なんとか気持ちを宥めないと。


「マルテルさん、本当に申し訳ない。無意識とはいえ酷いことをしてしまったみたいで…」


 さりげなく『故意ではなく責任がない』ことの念を押しつつ謝罪の言葉を述べた。この世界で法的責任云々を問われることはなさそうだけど、こういうのはもう職業上のクセみたいなものだから。


「ヤツカド…」

 小さく丸まって僕を警戒している。まあねぇ…食われそうになったらそうなるよね…。


「あの、本当にマルテルさんのこと食べたいなんて思ってませんから」

「ホント…? もう食べようとしナイ…?」

「大丈夫です。さきほどいただいたコレ、たくさん食べましたから」

 そう言って、クイにもらったパンのようなものを見せた。


「う…うン」

 一応マルテルは納得したようだけど、警戒心を解く素振りはない。


「薬塗ってるんだろ? 手伝うぞ」

 そう言ってクイは床に置いてある皿のようなものを手に取った。それが薬か。


「あ、うン。お願イ。背中とか自分ではうまク塗れなくテ…」


「手伝います」

 僕はマルテルの傷口を見えるように羽を横に押さえた。マルテルは警戒してるようだけど、ここは僕に敵意がないことを何とか印象付けなければ…。積極的な拒絶かない以上は攻めていく。


「ふう。こんなもんかな。大丈夫か?マルテル」

 クイの繊細な指は、薬をきれいに塗った上で当て布をし傷口を押さえた。

 第一印象と違って、クイは力押しというよりは器用なタイプのようだ。


「たぶん、ダイジョブ。ありがとネ」

「痛くねぇか?」

 面倒見も良いな。


「ウーン、表面がちょっと焦げちゃっタみたい。羽が溶ケちゃったカラ飛ぶのは大変だけど、そんなにケガは酷くないヨ」


 確かに負傷の程度はそれほどでもなさそうだ…。良かった…。

 大怪我なんてさせたら、それこそ魔王から何を言われることか…。


「そんな気にしないデいいヨ、ヤツカド。ちょっト驚いタだけだカラ」

 僕は責任をいかに回避するかを考えていただけなんだけど、マルテルはどうやら僕が罪悪感を抱いているようだと解釈したらしい。


 内心、僕はほくそ笑んでいた。

 僕はもともと『罪悪感』というものを感じないらしい。

 そもそもそんな感情が本当に存在するのかが分からない。

 罪を犯したという後悔、それが罪悪感だろうが。


 しかし人間社会においては『法に触れ』なおかつ『捜査機関に発見され』そして『起訴され』『有罪』にならなければ『悪いことをした』ことにはならない。

 罪、つまり処罰されない限りは『悪いこと』をしたことにならない。従って『罪悪感』なんてふわふわしたものは持つ余地がないというものだ。


 どうも僕は、普通の人間が持ち合わせると言われる感情をいくつか欠如させている節がある。『罪悪感』の他は『良心』、そして『愛』。

 でも多分、そんな感情は生きていく上で無駄であり、無くても不自由ないものだと思っている。

 今まで効率的に金を稼ぎ、勝ち組人生を生きてこれたのは、余計な感情を持たず合理的に生きてきたからだ。


 とはいえ、今回のように『罪悪感』を抱いている素振りは相手に対して怒りを緩和させる効果を生じさせる。だから僕は『罪悪感を抱いているフリ』をする。


「マルテルさん…本当に…」

 と言って僕は少し歯を食いしばるような苦悶の表情を浮かべて俯く。


「ネ、ヤツカド生まれたバカリだっタから! 鬼眼きがんのコトも知らなかっタンでショ?」

 ほらね。被害者の方がフォローしてくれる。僕の演技は板についている。

 何せ物心ついたときからだからな。


 そういえば鬼眼きがん

 ちょっとマルテルに聞いてみたい。


「マルテルさん、鬼眼きがんって使われるとどんな感じなんですか?」


 もうちょっと知っておきたい。使われている間はどれだけ正気が残っているのか。覚えているものなのか。とか。


「あ、ウン。ポクも初めて受けたカラすっごくビックリしちゃっタ。すごいね」

 もう少し具体的に聞きたいな。トラウマになってるなら突っ込むことは危険だけど…。

 慎重に探りを入れてみますかね。


「『僕を食べて』って言っていたじゃないですか。あれは本心だったんですか? それとも心とは別に身体や口が勝手に動く感じ?」


「あのときはネ…本心だったノ。でも!アレ本心じゃないカラ!食べないデ!!」


 また怯えさせてしまいそうだったので、この話は止めることにした。


____________________________________



「ヤツカドは悪くありません。オレがヤツカドを殴りつけたから姿が戻っちまったんです」

 魔王の面前。

 申し開きにどう説明したものか考える間もなく、クイがそう告白した。


 クイは最初と違って随分僕に対して好意的になったようだ。

 恩を売れたのが良かった。


 僕はもともと親切で寛大な方だ。

 なぜなら、その方が得だからだ。

 世の中には他人の無礼な攻撃に対して反射的に怒ってしまう単細胞が多いが、それは得策ではない。


 もちろん不当な攻撃に対してはしっかりと異議を唱えなければならない。そうしなければ舐められる。

 だが相手が確かに自分に対して無礼を働いたことを認識しているのなら敢えて異議は最小限にするのも有効な手だ。怒らずに恩を高く売るのは貸しになる。

 クイに対しても、仮にあそこで思う存分痛めつけてしまっていたなら、こいつは自分の無礼を反省もしなかっただろうし、むしろ僕に恨みを抱いていたに違いない。

 しかし僕の優位を見せた後に寛大に振舞ったことで逆に恩を売れた。

 こういう処世術を駆使して僕はもともと世の中を良い具合に渡ってきた。


「それに、ヤツカドは姿が戻ったあとも、ずっと大人しくしていました」


 更にクイは僕を弁護している。

 こういうのは自分で言うよりも他人が言う方がいい。


 弁護士だって自分が被告人になるときには別に弁護士を立てるものだ。

 自分で弁解すれば『言い訳』に受け止められがちで印象があまり良くない。ここは僕は可能な限り黙っている。

 クイに言うだけ言ってもらうのが良いだろう。


「ではマルテルを食おうとしていたことについては、なんと申し開くか?」

 魔王が問いかけてくる。これもクイは説明してくれるかな。


「ヤツカドは生まれたばかりで、自分の鬼眼きがんのことを知らなかったんじゃねぇですかね。空腹で無意識に鬼眼を発動して、マルテルが自主的に食われようとしてると思ったってとこかと」


 おお、素晴らしいぞクイ。君はなかなか頭の回転が速い。素質あるぞ。うちのパラリーガルとして採用してやってもいい。


「そうなのか? ヤツカド」

 魔王が直接僕に問う以上は喋るしかないな。


「自分でもよく分からないんです。そもそも鬼眼きがんというのがどういうものだかもサッパリで」

 故意でないということなら、そう責任は重くないだろ。


 魔王は小さくため息をついた。

「それもそうだな…。おまえが生まれたばかりなのは分かっていることだ。ではマルテルはどうだ?ヤツカドの行為についてどう考えている?」


 そう言って今度はマルテルに話を振った。負傷したマルテルを支えて魔王の元にまで運んできたのは僕とクイだ。それを見せただけでも魔王にポイントを稼げたはず。


「ポクは…、ビックリしたけど、ヤツカドやっぱり別に悪気なかタと思うノ。それにクイに殴られるまでは一緒にお掃除とかシテたし悪いコじゃないヨ」


 オッケー。被害者感情も悪くない。

 これで無罪放免ですね。


「そうか。分かった。ヤツカド、今回の件は不問に処す」


 よし!


「ただ、鬼眼きがんのように、無自覚のままでいると周囲に害が及ぶ…」


 え? まさかまた監禁コースでは…


「ヤツカドの処遇については、追って沙汰を申し渡す」

 魔王はそう言うとその場を去ってしまった。毎度のことながら風のように消える。


 ええと…とりあえず猶予は出来たんだろうけど。一体何を考えているんだろう。


 しかしあの魔王、今回の件にしても、僕とクイとマルテル、つまり加害者と第三者の証人そして被害者。その三者から話を聞いた上で決めている。

 あまりにも理性的で冷静だ。やはり一筋縄ではいかないようだ。


 そして間違いなく、この界隈の権力者でもある。

 魔王の懐に入りこみ、取り入れば…

 この怪物だらけの世界であっても、僕の立場はかなり安泰となるはずだ。


 弁護士の世界では、いかに優良な顧問先を見つけるかで事務所の未来が決まる。

 何としてでも魔王の信頼を勝ち取り、魔王と顧問契約を締結したいところだ。


 

 このとき僕はまだ考えもしなかった。

 順風満帆に生きていた僕が、生き方を変えることになるなんて。

 どこに行っても自分は自分だと思っていたのに。

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