第2話 見るも無残な

 暗闇の中、どうしたものか思案しているのも飽きた頃。


 どこからか声が聞こえた。

 何と言っているのか。声に集中する。


「混沌から生まれた魔物よ。来い。そして我に従え」


 なんだか仰々しい言葉遣いで、そう聞こえた。


 次の瞬間、目の前に視界が開けた。眩しい光に吸い込まれる。

 急に重力を感じて地面に叩きつけられる感覚があった。身を起こす。光で目が眩んで何も見えなかったが、数秒で目は慣れてきた。


 そして目に映るのは…


 うわっ

 視界いっぱいに広がる大きな黒いもの、細かい針のような毛が生えている。


 襲われる!


 そう思って腕を前に押し出した…つもりだったのに、前に押し出されたのはその黒い何かだった。

 腕をそのまま曲げ伸ばしてみる。その黒く長いものが動く。


「これが僕の腕…!?」


 そう言葉に出したつもりなのに、耳に聞こえる言葉は「ぷしゅるるる」という泡が噴き出すような音。

 手だけではない。足も、よく見ると足なのか手なのかも分からない。黒くて長いものが自分から何本も生えてウゾウゾと動いている。


 僕は今、発狂してもおかしくはない。

 いやすでに壊れているのかも知れない。


 けれど頭の中はどこか冷静で、暗闇の中で感じた四肢の感覚はこれだったのかという納得すらしていた。


 鏡がないから確認は出来ないが、どうやら僕は怪物になってしまったようだ。

 いや、怪物と判じるのは早い。実は小さな昆虫かも知れない。大きさ比較になるものがなければ自分の大きさすら分からない。


「よくぞ来た」


 声が聞こえる。

 さきほど暗闇の中で聞こえていた声だ。どこだ。

 その声の方向に目を向ける。


 目の前、より下。

 小さい。自分の目線よりもずっと下。


 全身にフードを被っているがどうやら形は人のようだった。もしもソレが『人』であるなら、自分のサイズは20メートルほどはあるかも知れない。

 なんてこった。僕はやはり巨大な怪物になってしまったんだ。


「君は誰かな? もしこの状況が分かるなら教えてくれ」


 僕はそう言ったつもりだったが、やはり言葉らしき言葉は出ない。この怪物にはしゃべる能力はないのか。相変わらず「ぷしゅるるる」という泡の噴き出るような音が響くだけ。


「おまえ、生まれたばかりなのに随分明確な意思があるじゃないか」


 その人物の声は、小さな体に合わずよく響いた。

 周囲を見渡すとここは洞窟の中のようだった。眩しく見えたのは暗闇の反動でしかなかった。洞窟のわりには明るいような気もするけど。


 その人物の姿は明かりを持っている様子もないのによく見えた。


「僕のしゃべってることが分かる?」


 そう問いかけると、その人物は「分かる」と一言発した。


「僕は八角ヤツカド。なぜか気が付いたらここにいたんだ。本当の姿はこんな化け物ではなくて普通の人間なんだよ」


「おまえはどうやら知性を持って生まれてきたようだな。自分が何なのかも分かっていないと見える。普通の魔物は自分が何なのかなど考えもしない」


「分かるなら教えて欲しいんだ」

「教えてやろう。おまえは私の下僕として混沌から生まれた魔物だ。巨大な尾のある体に、8本の固い足を持つ」


 その姿を想像してみる。


「そ、それは真正なバケモンだな…」

「生まれたばかりで自分が何なのか分からないようだな。己の姿を見たいか?」


 姿…化け物になってしまった自分自身を見るのか。

「み、見たい」

 見たくないという本音もあるが状況確認は大事だ。それがどんなに不都合な事実であったとしても。


「では見せてやろう」


 そう言うとフードの人物は両手を優雅に流れるように円を描く仕草をした。

 目の前の空間が歪み、そこに怪物の姿があった。


 巨大な、黒い蜘蛛のような8本の足。

 全身タワシのような毛に覆われており、8本の先には金属のような鋭い爪がある。

 そして、尻尾だろうか。1本だけ生々しく節の連なる形状の長いものがある。

 顔には赤い瞳。複眼?5つの目。口には牙が生え、その口の奥からブクブクと出る泡…。


 目の前のこれは、鏡のようなものだ。

 僕が腕を動かすと、同じように目の前の怪物の腕も動いた。


 ここに映っているのは僕の今の姿なんだ。なんてこった…。


 今まで、付き合う女に苦労したことはなかった。金や弁護士という社会的ステイタスを除いても付き合う女に苦労しないくらいの整った容姿も自慢だったのに。

こんな醜い怪物になってしまうなんて。


 酷い。ひょっとして僕は地獄に落とされたのか。

 何か悪いことでもしたか?

 一度も法で処罰などされたことはないのに。

 ちょっと勝ち組人生を送っていただけなのに。


 精神的にタフであることが自慢のひとつだったが、さすがに堪えた。


 僕はその鏡から目を逸らし後ろを振り向くと、吐いた。

 …吐いたつもりだったが口から出るのは泡と緑のドロドロした液体…しかも吐き出された場所からジワジワと煙が出ている…。

 なにこれイヤだもう。

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