第1話 まず自分の今いる状況を確認してみよう

 暗闇の中、自分の形すら覚束ない状態。

 僕は今、動揺している。


 僕は今まで何度も危うい状況を自分の才覚で克服してきた。


 落ち着こう。僕にはそれが出来る。

 深呼吸をして…自分が吸っているものが酸素なのかすら怪しいが…これは儀式みたいなものだから。

 そして思い出せる最近の記憶を呼び起こしてみよう。

 なぜ今この状況にあるのか、次第に思い出してくるかも知れない。


 まず僕は誰か。


 僕は、八角人志やつかどひとし

 年齢は38歳。職業、弁護士。


 法科大学院を出て次の年に司法試験に合格し、それから1年だけ検察官を経験してから弁護士になった。検察官は権力をバックに強権を振るうことが出来るので大いに自尊心を満足させることが出来たが、所詮は公務員だ。


 僕には才覚がある。それを活かして金を稼ぎたかった。少しくらい危ない仕事の方が儲かる。


 法に触れるギリギリを見極めるのに、検察の経験は役に立った。仮に危ういラインを踏み越えたとしても発覚しないで済ませることが出来ると思っていた。


 その目論見通り、僕は気持ちよく金を稼いだ。

 金の稼ぎ方はシンプルだ。とにかくクライアントを選べばいい。金を持っている人を気分よくさせる。高い金を払うほど良い買い物をしたと信じる連中だから扱いやすい。

 大々的に広告を展開する。大抵の連中はバカだから、広告が派手なら信用して客が来る。

 そこで大勢集めて、儲かる事件だけをいただく。儲かりそうにない場合には適当にお引き取り願う。金のない相手は時間の無駄だから一切関与しない。それだけでいい。

 

 金を儲けていたので私生活も充実していた。

 何人かの美人セフレもいたし、身を固めたいと思ったことはない。

 世の中不倫で身を持ち崩すバカが多いが、独身で結婚さえ匂わせなければ複数の女の子と付き合っても問題にはならないものだ。遊びたいなら結婚なんてするもんじゃない。自分の人生に『パートナー』などは必要ない。利用する相手だけだ。


 その点、よく弁えている大人の女はいい。いい女ほどプライドが高いので別れる際にもめ事が起こりにくい。

 世の中には自分の支配欲を満足させるために従順で無知な、子どもみたいな若い女を好む連中もいるが、僕はそうは思わない。

 未成年者を相手にすることは法的にも社会的にもリスクが高いし、そもそもそんなバカを相手に自尊心を満足させるほど僕は程度の低い人間じゃない。


 そんなわけで、独身で社会的な地位もある女性達とスマートに付き合ってきたし、僕の人生を脅かす危険は存在しないはずだった。


 仕事の方は順調だった。

 政府系外郭団体の顧問弁護士にもなり、政府高官の紹介で企業案件を扱うのがメインだ。


 が、最近、企業案件とは若干異なるトラブルを処理した。


 とある政治家のバカ息子が、女を妊娠させてしつこく付きまとわれているという話で、その父親からフィクサーまがいの仕事を頼まれた。

 こういう細かい仕事は好きではないが、とにかく報酬が良かったし、何より父親は政界ではなかなかの大物。政界とのコネは大切にしたい。


 最初は渋ることにより、父親には大いに恩を売れた。

 仕事内容は、要は女を説得して付きまとわなくなるようにすることだ。


 妊娠させたことはほぼ間違いないようだったので、現状では女の方に分があった。そこでまず女の事情をよく調査し、交友関係を洗った。女の何気ない付き合いの異性をことごとく肉体関係があるかのような調査報告を作り上げた。これで『多数の異性と肉体関係のある女性』の出来上がり。

 その報告書を見せて優しく説得したところ、女は諦めた様子だった。


 いい具合に相手の女と話がまとまったから、あとは余計なことをしないようバカ息子に釘を刺すため、彼に会った。程よく接待を受けてから、地下駐車場で各々の車に乗って別れようとした。


 そのとき、駐車場の柱の陰から例の女が姿を現した。その手にはナイフを持っていた。

 思いつめた挙句、そのバカ息子を殺すつもりだったのだろう。


「君はこれからやり直して幸せになることが出来る。そんなことで人生を台無しにするのはやめるんだ」


 僕は静かにそう諭した。こういう場面で動揺する素振りを見せてはいけない。


 しかしバカ息子は芯から愚かだった。散々動揺し、女をなじった。

『たくさんの男と寝てできた子供をオレに押し付けるクズ女』とか何とか。


 当然女は激高した。

 こりゃ殺されても仕方ないなと思っていたところ、女の怒りに怯えたバカ息子は、よりにもよって僕に責任を押し付けてきた。


「この弁護士がそう言ったんだ。全部おまえのせいだって!オレはおまえを大切にしてたけど、弁護士が言うから仕方なかったんだ」


 こういった場面で責任逃れのため『弁護士に唆された』と言うやつは多い。下手に矢面に立たされても困る。

 巻き込まれたくないので彼から数歩離れた。


 血走るような眼の女は、両手でナイフを持ち渾身の力でそのナイフをバカ息子に向け走り寄ってきた。それを見たバカ息子は、なんと僕の腕をつかみ引き寄せ、自分の前に押し出し…盾に使いやがった。


 そして…


 そこから記憶がない。


 これはひょっとして僕は死んだのではないだろうか。でなければ昏睡状態のまま死線をさまよっているのかも。最後の記憶がアレでは他の可能性を考え出すのに時間がかかりそうだ。


 この暗闇は死後の世界なのかも知れない。


 非科学的なことはちっとも信じてない僕だけど、新たな証拠や事実の提示があれば考えを変えることもやぶさかではない。


 とりあえず自分の思考は自分のものだ。それだけは安心出来た。

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