第95話 侯爵令嬢の嗜み
「と、とりあえず座りましょう…座って気持ちを落ち着けましょう…」
私はそう一人呟きながら、椅子に腰を下ろし、深呼吸をして息を整え頭の中を整理する。
本来であれば、皇族の方がおいでになる御親臨や御台臨を仰げるのであれば、この帝国の貴族にとって、これ程の栄誉は他にはない。但し、それはその栄誉をお受けする体制が整っていればでの話である。
なんと言っても、私の領地は田舎だ。辺境の草と木しかない辺境領地だ。学院の時に帝都で過ごしていたので、その格差はよく分かる。
最近、色々な事を始めているものの、それは本来自分たち用であり、人様ましてや皇族の方々にお出しするようなものではない。
また、対応する人員にも問題がある。片田舎の私の領地では、作法についてそれほど煩くない。逆に堅苦しい作法など面倒なぐらいである。執事長のリソンや侍女のファルー、今のパーラーメイド達はある程度、作法ができるが、それでも、田舎臭い作法で、都会の例えばトーヤの洗練された作法と比べたら、野暮ったいのは一目瞭然である。
しかし、今はベルク―ド公爵家出身のおばあ様がいる。一度、会議室を使って全員に作法の講習会でも執り行うか… でも、転生者の人達がまじめに受けてくれるのであろうか… そもそも、まだまだお若くてお綺麗なアンナ皇后陛下の御姿を見て、落ち着いていられるのであろうか… ちょっと…いやかなり心配である。
私ははぁぁぁっと大きく長い溜息をつく。もはやこの案件は私一人でどうこう出来る問題ではない。セクレタさんとよく相談して、全員を集めて対策会議を執り行わなければならないだろう…
なので、ここで私一人が思い悩んだ所で仕方がない。
私は気を取り直して、視線を会場に向ける。会場の中は程々に賑わっているが、やはり、下座のこの辺りは、あまり人が来ていない。私のブースの状態が特殊だったのである。
そんな所へ、一人の御令嬢がキョロキョロと辺りを伺いながら、こちらの方へ来るのが見える。レースやフリルをふんだんにあしらった青を基調した服装からして、かなり高位の御令嬢と思われるが、背丈はやや小さい。12~3歳であろうか… しかし、何と言おうか…そう、くるみの様な体型だ。12歳程度の身長にしては、弾けそうな大きさの胸に、女性らしいくびれ… 転生者達が要望していた体型が実際に存在している事に驚いた。
その小さな御令嬢は、大変見事な金髪縦ロールの髪を左右に振りながら、キョロキョロと誰かを探すようにこちらに近づいてくる。
そして、何もない所で足をとられて、大きく見事に転倒する。
ビターン!!
私はすぐさま立ち上がり、その御令嬢の所へ駆けつける。あれは相当マズイ倒れ方だ。思いっきり、顔から転倒している。
「大丈夫ですか!?」
私はその御令嬢の手をとって、身を起こし立ち上がる手伝いをする。
御令嬢はゆで卵の殻を向いたようなつるりとしたおでこが赤くなり、痛みで碧眼の瞳を涙を滲ませている。
「いたたたぁ…」
御令嬢は赤くなったおでこに手を当てる。
「こちらに座って休んでください」
「あ、ありがとう…お言葉に甘えさせて頂くわ」
御令嬢は12歳程度の女の子らしい、少し高い声色の声で答える。
私は手を取りながら椅子へ誘導して座らせる。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「えぇ、大丈夫よ。最近よく転ぶから慣れているの…まだ、この身体が馴染んでいないのね…」
「はい?」
何か変な言葉が聞こえたので声をあげる。
「いいえ! なんでもないわ」
小さな御令嬢は慌てて言葉を取り消す。んーなんだろう?
「それより、申し遅れましたが、わたくし、マール・ラピラ・アープと申します」
私はドレスのスカートをちょんと摘まんで、こうべを下げる。
「貴方があのマール嬢なの?」
小さな御令嬢が少し目を丸くする。
「私の事を御存じなのですか?」
「えぇ、執事のデビドから…私はロラード侯爵家の長女、コロン・ミール・マウリシオ・ロラードよ」
ロラード家って… 前に確か執事を見かけたような気もするけど…先程の空気を漏らされていた方のご息女?
「私、お父様を探しに来たのだけど、御存じないかしら?」
私はその言葉に何とも言えないモノがこみ上げてくる。さすがに貴方のお父様はここで空気を漏らしておられましたとは言えない…
「先程まで、こちらで試供品をお召し上がり頂いていたのですが、品物が尽きたので、立ち去られましたが…」
私は先程の事を思い出して、口元がニヤ付きそうなのを押さえながら、答える。
「あら、すれ違いになったのね… 面倒だわ… それより、お父様はこちらにご迷惑をお掛けしてないかしら?」
「いいえ、なにもございませんよ…」
空気の件があるが、私に実害はないし、それどころか、色々と定期購入を頂いているので助かっているぐらいだ。
「そうなの? お父様は所かまわずオナラをするから困っているのよ」
うぷっ!
ふいに言われるオナラの件に私は吹き出しそうになって、口を押さえて、顔を背ける。あの方は娘さんの前でもやらかしていたのか…
「…その様子を見ると、ここでもやらかしていたのね… ふぅ…お父様にしろ、デビドにしろ… そして、あいつにしろ…困った男達ばかり… ホント、私、男運がないのね…」
コロンちゃんはそう言って、憂いた瞳で溜息をつく。
「そんな気を落としにならずに… まだまだ、お若いのですから… 年頃になられたらまた変わってきますよ」
私はコロンちゃんに気休めの言葉をかける。
「…マール様 私、小さく見えますけど… 貴方の一つ下の年齢ですのよ…」
えぇぇ!! どう見ても12歳ぐらいだと思っていた! 私の一つ下と言えば15歳? それにしては身長が平均と比べて頭一つ分程低い… あっ、なるほど、身長にいく分の栄養が胸にいったのか…
「でも、どうして私の年齢を御存じなのですか?」
私はふとした疑問を尋ねる。
「私の友人…いえ親友…違うわ恩人ね… その方の知人が貴方の良く知る人物なのよ」
えっと、恩人の知人が私の良く知る人物? はて?誰だろう?
「私とその恩人が、学院の生徒と言えば分かるかしら?」
私はコロンちゃん…いえ、一つ下で、15歳の成人となっているのだからコロン様と言うべきですね、コロン様の言葉に頭を捻る。
「という事はセクレタさんですかね? 私の所に来る前に学院に入学する方の家庭教師をやっていたと仰っていたので… となると、コロンちゃ…様は学院の一年生と言う事ですか?」
「ふふ、そうですよマール先輩。貴方の後輩になります。あと、何処から仕入れてくるのか分からないけど、執事のデビドがよく貴方の話をするから…」
「デビドさんと言うと…前に一度だけ、帝都でお会いしたぐらいですが… ガラムマサラを持っていたのが印象的でしたね」
私がそう言うと、コロン様は眉をしかめる。
「また…ガラムマサラを買い足しに行っていたのね… 止めてって言っているのに…」
「えっ? コロン様がガラムマサラ風味のアップルパイを御所望されているのではなかったのですか?」
私の言葉にコロン様は更に顔をしかめる。
「あいつ…そんな事を言いふらしていたのね…」
そういって、はぁと溜息をつく。
「あいつのする事なす事、全て見た目は完璧なのよね… でも、どこか歪んでいるのよ…例えば、料理なら見た目は最高だけど、味が変なのよ… 最初は嫌がらせかと思ったのだけど、ある日、私が食べる前に自分で食べてみろって言って見せたら、美味しそうに食べるから、私も食べてみたら、いつも通りのガラムマサラ風味のアップルパイだったわ…」
うわぁ~それは質が悪い… 見た目も味も悪いなら作り直させる事を言えるし、自分で食べないのであれば、嫌がらせと言う事になる。
「では、残されたよろしいのでは?」
「それは駄目よ。領民が汗水ながして作った作物や納めたお金を、私が無駄にすることはできないわ」
コロン様はその事をさも当然のように答える。見た目は我儘お嬢様の様に見えるが、芯は立派な領主一族の方だ。でも、まぁ…残すことが出来ないその性格を分かっているから、それを利用して嫌がらせされているような気もするが…
「あっ、連れが来たようね。それでは私は失礼するわ。ありがとうマール様」
人混みの中に執事のデビドの姿を見つけたコロン様は、恭しく一礼すると、その執事の方へ駆けていく。途中、また転びそうになるが、なんとか合流出来た様だ。なによりである。
さて、セクレタさんはまだだろうか…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「貴方、何処をウロウロしていたのよ」
「すみません。お嬢様。色々と面白いものがございましたので…」
「貴方、私の執事という立場を忘れてない?」
「立場を忘れる程でして…それより、コロンお嬢様。マール様はいかがでした?」
「なに?デビド。 優しい普通の御令嬢だったわよ」
「さようでございますか、ご無事であったお嬢様を助けて頂いたようですので…また、助けられるかもしれません…」
「なに?それ?」
「ふふふ、こちらのことです… 今後、マール様も、法務局の御令嬢の様に、運命を乗り越えられればよろしいのですが…」
「なにをいってるの? ほら、早くお父様の所に行くわよ」
「そうですね、急ぎましょう… もうそんなに時間はありませんから…」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
連絡先 ツイッター にわとりぶらま @silky_ukokkei
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