第86話 だって涼しいんだもの

「んー やっぱり、炭酸飲料も若鶏も何か一手… 販売促進活動が必要ですかね…」


私は前日の売上表と注文書を眺めながら、そう口にする。


「そうね、今の所、商談相手の商人が、自分自身が楽しむだけに買っている感じね」


「私の実家で協力出来たら良いのだけど、今は大変な時だから…」


そういって、トーカは声を落とす。


「トーカさん、気にやまないで下さい。大暴落に巻き込まれたのはトーカさんの家だけではありませんから」


「マールお姉さま!」


私がトーカに慰めの言葉をかけていると、ラジルが私に駆け寄ってくる。


「ラジル、剣のお稽古が終わったんですね、冷たい飲み物を飲みますか?」


「はい!頂きます!」


 ラジルは元気よく答えて、にっこりする。私は保冷庫から飲み物を取り出し、ラジルに注いで渡す。ラジルは稽古で汗をかいていたのか、ゴクゴクと飲み干していく。


「はぁ、甘くてシュワシュワして、美味しいですね! マールお姉さま」


「もう一杯飲みますか?」


 そう言って私がもう一杯、注いでいると、今度はシンゲルおじい様が顔いっぱいに汗を流しながらやってくる。


「まぁ、おじい様も凄い汗ですね。冷たい物でもどうぞ」


そう言って、おじい様にも冷たい飲み物を渡す。


「おぉ、すまぬ! んっぐ…んっぐ… ぷはぁ! このシュワシュワがたまらんのう!!」


 おじい様は飲み物を一気に飲み干して、タンっと音を立てて、空のグラスをテーブルに置く。


「おじい様、どうして、そんなに汗をかかれていたんですか?」


「あぁ、採掘場を見学に行っておってな」


 最近、色々な所で目撃報告が上がっていたが、そんな場所まで行っておられたのか…


「採掘場ですか?」


「そうだ、地上の物は殆ど見て回ったのでな、地下の採掘場も見てまわったんだよ。あそこは面白い事が出来そうだな」


私はおじい様にお代わりを注ぐ。


「面白い事と言いますと?」


「あぁ、採掘済の坑道を使ってワインセラーや、広い場所ならそのまま醸造所を作るのもよいな」


「醸造所ですか…」


「あぁ、穀倉地帯は殆どの場所でやっておるな。豊作の時や、価格の下がった時に酒にして、売上を安定させるのに持って来いだ」


「普通の領地ではやってますよね… その辺りしていないのは、やはり、父がお酒を飲まず、興味がなかったからでしょうかね…」


私はそう口にもらす。その言葉におじい様も視線を落とす。


「そなたの父ネーズ、そしてその両親も下戸であったからな…」


 父は私が物心つく前に、その両親である祖父祖母は私の生まれる前に亡くなっているので、私より、おじい様の方が色々と思い出が多いであろう。


「すみません、なんだか湿っぽい話になってしまいましたね。それより、醸造は簡単に創められるものでしょうか?」


「酒自体造る事は出来るだろうが、美味い酒や売れる酒となると別だな。先ずは職人を探す所から始めないとダメか…」


「おじい様、伝手はございますか?」


「んー わしの伝手はリーゲルの手が回っているかもしれんのう…」


そこに別の声がかかる。


「私も実家に相談しましょうか?」


 リリーナおばあ様がアメシャを引き連れて現れる。現在、おばあ様にはメイド達に作法を教える講師の役をお願いしている。アメシャ達をいなくなってしまったサツキレベルに引き上げてもらう為だ。


「おばあ様の実家と申されますと…」


「隣の大領主、ベルク―ドだ」


おじい様が答える。


「おばあ様、ベルク―ド公のご出身だったんですか?」


 ベルク―ド公爵家と言えば、帝国12公爵家の一つだ。私の様な有象無象の子爵家とは訳が違う。


「えぇ、でも私自身は第三夫人の末子だから、全然凄くないのよ。それにもう家を出て嫁いできたのはかなり前だから…」


それでも私にとっては、かなり凄い存在である。


「まぁ、あれから何十年も経っているからね、あの当時の若い杜氏が今では偉くなっているはずだから、お願いすれば、何人か人を貸してもらえるかもよ」

 

「それは頼もしいです。ありがとうございます! おばあ様」


私は頭を下げて、感謝の意を示す。


「でも、最初から商売を出来るものが造れると思ったら駄目よ。最初の内はそうね、自分たち用かしら」


おばあ様がふふふと笑う。


 すると、今度は新しいメイドのくるみが姿を現す。掃除用具を持っている所を見ると掃除をしに来たのであろう。そして、そのくるみの姿を見つけると、アメシャの様子が一変する。

 普段のぬいぐるみの様な可愛らしい顔つきから、あのちょっと怖い、敵意剥き出しの野生の猫の表情に変わっていく。


「シャァァァー!!!」


アメシャが威嚇の声をあげる。


「むむむっ! 貴方はくるみのライバル、アメシャですにゃん!」


アメシャの威嚇に、くるみは掃除用具を手放し、両腕を大きく開いて身構える。


「猫を… 猫を…愚弄するな!」


アメシャは野生モードになると、語尾に『にゃ』が付かない様だ。


「愚弄していないにゃん! くるみはくるみをしているだけにゃん!」


一方、くるみは語尾に『にゃん』を欠かさない。


「シャァァァー!!!」

「にゃぁぁぁー!!!」


「シャァァァー!!!」

「にゃぁぁぁー!!!」


二人の何とも言えない威嚇が続く。


そこへ、今度はカオリが姿を現す。


「マールはーん、こんな所におったんかいな、えらい探したで。って、アメシャもおるやん、アメシャどないしたん? そんな声あげてって… だれ!? この子! アメシャとちゃう! 野生の猫や! 野生の猫がおるで!!」


「いえ… アメシャですよ…」


私はカオリに答える。


「えっ!? でも、アメシャはいつもはぬいぐるみみたいに可愛ええのに、なんで野生の猫みたいな顔してるの!?」


カオリは、アメシャの野生の顔に驚きを隠せない。


「どういう訳かわかりませんが、アメシャはくるみに凄い敵対心を燃やしているんですよ」


「えっ? そうなん? アメシャ! そんな顔したらあかん! シャーシャー言うたらあかんて!」


カオリがアメシャに声を掛けるが、アメシャは一顧だにせず、くるみから目を離さない。


「…カオリ様… お許し下さい… あ奴だけは…あ奴だけは許せないのです!! シャァァァー!!!」

「なんだか分からないけど、にゃぁぁぁー!!!」


……

………


「おい…どうするよ?」

「どうするって、やっぱり、言わんとあかんだろ」

「だよなぁ~ で、誰が言う?」

「やっぱ、言い出しっぺだろ」

「えっ!? 俺!? 俺が言うの?」

「おぅ、頑張ってこい」

「…分かったよ…」


 私が固唾を飲んで、アメシャとくるみの様子を窺っていると、揉み手をして、愛想笑いを浮かべた転生者が私達の前へやってくる。


「あのぅ~… 大変、お楽しみの所、申し訳ございませんが… そろそろ、皆様、自分の場所へ戻られてはどうでしょうか?」


…やはり、言われてしまった…いずれ、言われるとは思っていたが、予想より随分と早い。


「やはり…お邪魔でしたか…」


私は目を伏せる。


「いえいえっ!! そんな事はありませんよ! えぇ、ありません! ただ、皆さん、ご自分の場所の方が落ち着かれるかと思いまして…」


そう…私が今いる場所は執務室ではない…

ここは…ここはそう、あのクーラーのある豆腐寮の二階の広間である…


「………」


転生者の言葉に、皆一様に押し黙る。

それもそのはず、皆、この暑さに、何かに理由を付け、ここに涼みにきているのである。

まぁ、私の場合は、がっつりと仕事道具を持って、腰を据えているが…


「おい、どうするよ?」

「どうするって…もう、これはあれをするしかないだろう…」

「だよな… こう毎日毎日、いられたら落ち着かんし…」

「まぁ、俺達も自分たちだけ先に涼んでいたらからなぁ~」


転生者の一人がこほんと咳ばらいをして、皆に聞こえるように宣言する。


「分かりました。皆さんの部屋にもクーラーを設置します」


こうして、当家は全館冷房完備が決定した。


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