第81話 家族
「それでいいの?マールちゃん」
セクレタさんが確かめるように訊いてくる。
「100人も養っているのですから、今更3人増えたところで… 但し、これからは賓客扱い出来ません。そうですね… 家族扱いですね」
ツール伯とリリーナ夫人が目を見開く。
「セクレタさん。ラジル君の保護者は、当主の座を失っていても、ツール伯のままで、法的に養子縁組を承認する権限はツール伯にありますよね?」
「…そうね…帝国の貴族典範ではそのようになっているわね… ツール伯。放逐される時にラジル君の保護者権限は取り上げられていないのでしょ?」
「あぁ、リーゲルはラジルを嫌っておったからな」
思わぬ事の運びにツール伯は、少し狼狽えながら答える。
「では、マールちゃんの解釈通りで問題ないわ」
「わかりました。では、ラジル君を呼んできて頂けますか?」
私はツール伯とリリーナ夫人に声を駆ける。二人は力強くこくりと頷き、部屋を発つ。そして、暫くした後、ラジル君を連れて現れ、ラジル君を私の前に立たせる。
ラジル君はいきなり二人に呼び出され、真剣な顔する皆に囲まれて、少し不安に感じている様子であった。
私はしゃがんで、ラジル君の視線に高さを合わせ、その小さな両手を握る。ラジル君はその行為にピクリと肩が動く。
「ラジル君」
「はい、マール様」
これから、何が起こるか分からないラジル君は少し声が震えている。
「ここの暮らしは気に入れましたか?」
「はい、みなさん、親切ですので」
「ツール伯とリリーナ夫人とずっと一緒に居たいですか?」
「もちろんです!」
「二人とずっとここで暮らしたいですか?」
「い、居させていただけるのですか?」
ラジル君は一度息を飲む。私は続けて質問をする。
「その為に私と家族なることができますか?」
「マール様と…僕が…家族になるのですか?」
予想外の事で、ラジル君の声は上擦る。
「えぇ、貴方が望むのであれば」
「…」
ラジル君が目を伏せる。
「どうかしたのですか?」
「…家族になれば…」
「家族になれば、なんですか?」
私はラジル君の顔を覗き込み、ゆっくり尋ねる。
「家族になれば…みんな、何処かにいったり、離れ離れになったりせず、ずっと側にいさせてもらえるのですか」
私の手を握り返す、ラジル君の手が強まり、肩を震わせている。
そうだ、この子は父を失い、母とは遠ざけられ、唯一の祖父や祖母からも引き離され、一人ぼっちになる所だったのだ。思い返せば、この子はずっと、気丈に振舞おうとしていたし、期待に応えようともしていた。
それは捨てられまいとする彼なりの努力であったのであろう。しかし、気持ちではそう望んでいても、心では不安に怯えてしまう。そんな心の動きが事あるごとに、身体をピクリと動かすのであろう。こんな小さな子供がずっと孤独になる恐怖と戦ってきたのだ。
「えぇ、そうです。家族になれば、貴方が望む限り、私も、ツール伯も、リリーナ夫人も、ずっと側に…一緒にいる事ができますよ」
私は優しくゆっくりとラジル君に告げる。ラジル君は私の言葉に顔を上げると、瞳一杯に溜まっていた涙があふれ出て、胸の奥底に閉じ込めていた感情が一気にあふれ出す。
「僕は… 家族になりたいです!!!!」
ラジル君の叫び声が部屋中に木霊する。
「おじい様と一緒に居たいです! おばあ様と一緒に居たいです! 手を繋いで欲しいです!! 抱きしめて欲しいです!! いなく成らないで欲しいです!!! 離れ離れにしないで欲しいです!! ずっと側にいて欲しいです!! そして…一人にしないで欲しいです…」
ラジル君は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、感情の爆発を一気に流し出した。
私はそんなラジル君をそっと抱き締める。
そして、自分自身が転生者の事も養子縁組の事も素直に受け入れた理由が漸く分かった。私もラジル君と同じだったのである。
祖母と祖父は生まれる前におらず、父は物心つく前になくし、最後の肉親である母さえ失った。大切な人は全て消え去り、一人ぼっちの孤独になっていたのだ。ラジル君は素直な気持ちの私自身を写す鏡だったのであろう。
「ツール伯。養子縁組の承認よろしいですか?」
私は顔をツール伯に向けて訊ねる。
「もちろんだ…」
ツール伯は直立不動で男泣きをしていた。
「リリーナ夫人もよろしいですか?」
「よろしくお願いします…」
リリーナ夫人も流れる涙をそのままに頭を下げる。
「では、セクレタさん。契約書を」
セクレタさんは頷くと、一枚の契約書と銀細工の針を取り出す。そして、私の前に進み出る。私は、ラジル君を抱き締めたまま、片手をセクレタさんに差し出す。
「セクレタさん。お願いできますか?」
セクレタさんはふっと微笑むと、私の親指を銀細工の針でチクリと差し、血がにじみ出た親指を契約書に押し当てる。暫くしてから放すと、契約書に私の血判が押されている。そして、その契約書を持って、ツール伯の前へ進み出る。
「ツール伯、血判を」
ツール伯は、差し出された銀細工の針を迷いなく、親指に突き刺し、その親指を契約書に押し当てる。ぐっと力んだ後、指を放すと赤い血判が見える。
セクレタさんは血判を確認した後、皆に見えるように掲げ、声高らかに宣言する。
「ラジル・レ・アープを子とし、マール・ラピラ・アープを親とする養子縁組の契約、このセクレタ・ロピラ・ノルン立ち合いの下、今ここに成立す!」
私はその宣言にほっと胸を撫でおろし、ラジル君に向き直る。
「ラジル。これで、貴方と私は家族、書類上では親子になりました」
「あっはい、マ、マールさ…ま?」
ラジルの返答に私はふふっと笑う。
「親子と言う事は、女である私は母と言う事になりますが、ラジルにとってのお母さんはただ一人ですよね? だから…私の事は姉と思ってくれませんか?」
ラジルは私の言葉の意味を理解して、顔を少し赤らめる。
「はっはい…マール…お姉さま…」
ラジルははにかみながら答える。
「そして、ラジルにとってのおじいさんとおばあさんは、姉の私にとってもおじいさんとおばあさんになります。そうですね?」
ラジルは大きくうなずく。
私達の様子を見て、ツール伯とリリーナ夫人は泣きじゃくり、カオリももらい泣きして、何故だか、シンゲルおじい様の頭髪の不自由な頭を撫でている。
「よかったな! シゲリン! よかったな! 我慢した甲斐があったで! よかったなぁ!」
「カオリン! わしは夢でも見ているようだ! 夢なら覚めないで欲しい!」
カオリさん…私のおじい様をシゲリンと呼ぶのはやめて欲しい…
おじい様も私の友人をカオリンと呼ぶのはやめて頂きたい…
兎にも角にも、今日、私は家族がふえました。
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