第65話 マールの答え

 朝、執務室に向かう廊下で、カオリは異様な光景を目の当たりにする。


「あんたら、ここで何やってんの?」


 カオリの目の前には、赤ちゃん姿をした転生者達が、執務室の扉の前で、ゴロゴロと横たわりながらくつろいでおり、周りには本が散乱している。


「マールたんに、寝る前に本の読み聞かせをしてもらおうと」


一人の転生者が答える。


「そんな事言うても、もう朝やで」


 カオリはそう言いながら、近くに落ちている本を手に取る。その本の表紙には看護婦が赤ん坊姿をした男性を甘やかす絵が書かれていた。


「なんなん? この本… こんな風に甘やかして貰いたいんか?… って!? なにこれ!? ただのエロ本やんか! 何が読み聞かせやねん! 単なるセクハラやないか!!」


カオリは慌てて本を投げ捨て、まるで汚れを落とすように、服のあちこちで手を拭う。


「おい! 投げるなよ! それはただ単に暇つぶしで持ってきた本だ。読み聞かせの本は別にあって、マールたんがもっている」


そう言って、転生者は投げ捨てられた本を、大事そうに拾い上げる。


「大の大人が寄り集まって、エロ本でどう暇つぶしするんやな… とりあえず、マールはーん! うちや! カオリや! 大丈夫かぁ!?」


 カオリは転生者達を横目に、扉の向こうのマールに呼びかける。すると、物音がした後、扉の向こうからマールの返事が返ってくる。


「カオリさん! おはようございます!」


マールの声は元気そうだ。


「何か困ってることないか!?」


「トーカさんに言って、仕事の書類を持ってきてもらえますか?」


 あれがない、これがない等の生活の不便ではなく、仕事の事を言ってくるので、意外と余裕があるのであろう。


「分かった、トーカはんに言うとくわ! あと何かあったらメモでも書いて渡してくれたらええわ!」


カオリはマールにそう伝えると、転生者達の方に向き直る。


「マールはんも、こんな状況で仕事するんや。あんたらもこんな所で油売っとらんと、仕事しいや」


「大丈夫だ、そろそろ交代が来るはず… おっ! 噂をすれば」


 転生者がそう言って、廊下の向こうに視線を向けると、向こう側から赤ん坊達がハイハイしながら、やってくる姿が見えた。


「あんたら、ほんま、ようやるなぁ~…」


カオリは呆れて言い放った。


「せやけど、なんでそこまで、やるん? もうええんちゃうの?」


カオリは転生者達を諭すように言う。


しかし、転生者達はカオリに顔をそむける。


「いいことあるかよ… 諦める事なんてできるかよ…」


転生者は呟くように言う。


「なんで、諦められへんの?」


カオリは尋ねる。


「ここは、俺達が俺達でいられる場所なんだよ…」


その言葉にカオリは何も言い返すことが出来なかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「どうだった? マールたんの様子は?」


「うーん、思ったより手ごわいな…」


「すぐに根を上げるかと思ったが、結構、余裕そうだ」


食堂で、皆と合流した転生者達が、食事を摂りながら相談をする。


「しかし、なんでそんなに余裕なんだ?」


「どうやら、補給を受けている様だ」


「補給? 廊下は俺達が封鎖しているぞ」


「廊下以外の場所… どこか抜け道でもあるのか?」


「いや、抜け道があるなら、今頃、執務室から抜け出しているだろう」


「そうだな。それなら…窓か?」


「窓からって、どうやって?」


「屋根からつるすんじゃね?」


「なるほど。では、逆に考えれば、俺達もそこから侵入できるんじゃね?」


「だな… そろそろ、仕事の時間だから、実行は夕食後だな」


 そう言って、転生者達は納得したようにうなずく。ちなみに真剣に話し合っているが、転生者の姿は皆、赤ん坊スタイルである。



 そして、夕食後の時間。執務室でマールが何気なく、窓の外を眺めていると、転生者の絶叫する声が響き渡り、窓の外に一瞬、転生者の姿が通り過ぎて、次の瞬間、ドンと大きな音が鳴り響く。


「ちょっと! えっ!? なんですか? 今の!?」


マールは慌てて、窓に駆け寄り開け放って、窓の下を確認する。すると、転落して痛みに痙攣する転生者の姿が見えた。


「ちょっと! ここは三階ですよ! 大丈夫なんですか!?」


マールは転落した転生者に声をかける。すると、転生者は痛みに痙攣しながらも、親指を立てて、そのまま這いつくばりながら、どこかに消えていく。


「ほんと、なにやっているんですか…」


マールは少し心配しながら呟いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



その様な日々が4・5日続いた。


そして、午後の時間。トーカは執務室の扉の前にいた。


「マール! 書類貰いに来たわよ!」


 相変わらず、赤ん坊達が周りを警戒している中、トーカが扉の向こうのマールに声を掛ける。赤ん坊達の姿を見ると、流石に疲れの色が見える。


「トーカさんですか! ちょっと待ってください!」


そう返事が返ってきて、中で物音がし始める。


「えっと… これがこれで… あぁ、背中がかゆい!」


そして、布がこすれるような音がする。


「マール、貴方大丈夫なの?」


トーカは心配になって声を掛ける。


「えぇ、毎日、お湯で身体を拭いたり、着替えも行っていますが、さすがにお風呂入りたいですね…」


「マールさにゃ… さすがにお風呂は無理にゃ」


アメシャの声もする。どうやら中にいるようである。


「はい、トーカさん。これをお願いします」


 そういって、扉の下から書類がでてくる。トーカはいつもの様に書類を受け取るが、今日は、そのまま扉を見つめる。


「ねぇ、マール」


「なんですか?トーカさん」


「こんなこと、いつまで続けるの?」


トーカは扉の向こうのマールに問いかけるが、すぐには返事が返ってこない。


「貴方もそろそろ限界なんじゃないの? 転生者達も疲れているわ」


「……」


トーカは書類を胸に抱き締め、じっと扉を見つめる。


「…そうですね…」


ぽつりとマールの返事が返ってくる。


「いつまでも、問題を先送りにするのは、良くないですね…」


 トーカはマールのその言葉に声を掛けようと口を開くが、その前にマールの次の言葉が聞こえた。


「…でも、もう少しだけ…時間を貰えますか…」


 そう聞こえた時、トーカは開けた口を言葉を飲むように閉じる。そして、しばらく扉を見つめてから答える。


「分かったわ…」


トーカはそう言い残すと扉の前を去っていった。




『分かってます…分かっているんですよ… でも、もう少し…もう少しだけ… このまま…このまま…みんなとの…』


その夜、マールは胸の内で、そう思いながら、眠りについた…


 次の日の朝、マールは廊下の方から響く異音で目を覚ました。それは、いつもの転生者達の物音ではなく、ゆっくりとした呼吸のリズムで、低く小さく響いてくる。


 マールはソファーからおもむろに立ち上がり、物音を立てないように、ゆっくりと扉に近づく。廊下から聞こえる音には変化はない。


 マールは一度、固唾を飲んでから、手を扉のノブにかける。そして、物音を立てないように、ゆっくりと力を掛けて扉を小さく開く。特に何も起こらない。


 そこから、扉を徐々に開け放っていき、廊下の状況が見えるようになった。そこには、大の字に横たわり、寝息やいびき声をあげる赤ん坊や転生者達の姿があった。


「ほんと…なにやっているんですか…」


マールは、自分自身でも聞こえないような小さな声で呟く。


 そこへ廊下の向こうから、たまたまやって来たフェンが、執務室から出ているマールの姿を見つける。


 フェンはすぐさま声を掛けようと駆け寄るが、マールは口の前に人差し指を立てて、声を出すことを制止する仕草をする。


「フェン、みんなの為に毛布を持ってきてもらえますか?」


マールは小さな声でささやく。


フェンはマールの言葉にうなずくと、物音を立てないようにしながら、毛布を取りに行く。


しばらくすると、フェンは他のメイドや、カオリとトーカを引きつれてやってくる。


「マール」

「マールはん」


トーカとカオリがマールに声を掛ける。


「毛布を掛けるのを手伝ってもらえますか?」


マールはメイド達から毛布を受け取り、転生者達に掛けていく。


「マールはん、もう外にでてええんか?」


カオリが眠っている転生者一人一人に毛布を掛けていくマールに言葉をかける。


「私…母の言葉を思い出していたんです…」


「お母さんの言葉?」


トーカが聞き返す。


「昔、母は『男は大人になっても大きな子供』って言っていたんですよ。赤ちゃんの恰好までして、バカ騒ぎして、ここで大の字になって眠っているこの人たちを見たら、本当だと思いました…」


そう話すマールの顔は、呆れている訳でもなく、困っている顔でもなく、やさしい顔であった。


「この人達は、私の子供になるって言ってましたけど、私がこの人達の保護を決めた時から、この人達は私にとって、『私の大きな子供達』だったんですよ… だから、今更、否定したり、拒絶したりすることは無かったんですよ…」


マールは母親の様な優しい笑顔で微笑んだ。


「せやけど、ほんまにこいつらを、跡取りにすることはでけへんやろ? 跡取りの話とか結婚の話は、どないすんの?」


カオリがマールに尋ねる。


「そうですね。ツール伯にはお見合いの件はお断りを入れておきます」


マールはあっさりと答える。


「貴方はそれでいいの?」


トーカがマールに尋ねる。


「えぇ、だって、こんなに手のかかる大きな子供たちを置いて、結婚できる訳ないでしょ」


マールは少し苦笑い気味に微笑む。


「せ、せやな… でも、跡取りは? 跡取りの件は解決でけへんやろ?」


「その件に関しては、いい考えが思いついたので、何とかなりそうです」


マールはウインクして答える。


「それはどないな考えなん?」


「んー それは今は秘密です。 それより、トーカさん」


マールはトーカに向き直る。


「何かしら?」


「ここの人達だけでなく、みなさん、似たような状態だと思うので、今日は、全員お休みにします。みなさんにお伝え願いますか?」


「えぇ、分かったわ。伝えておくわ」


トーカも微笑んで答える。


マールはその言葉を聞いて、欠伸しながら背筋を伸ばす。


「実は私も、ずっとソファーで寝起きしていたので、満足に眠れていないんですよ… それにお湯で身体を拭うだけでは、背中がかゆいですし… だから、私はお風呂に入って、眠ります… 申し訳ございませんが、あとはよろしくお願いしますね…」


 マールはそう言うと、眠たそうにしながら、廊下の奥へと去っていった。カオリとトーカはそのマールの背中が消えるまで見守っていた。

 

「ねぇ、カオリさん」


トーカがカオリに声をかける。


「どないしたん?トーカはん」


「もしかしたら、私も彼女の『大きな子供達』の数に入っているのかしら?」


「どやろ?それ言うたら、うちも入ってるかもしれんなぁ~ でも、こいつらみたいな息子やのうて、娘やから、母親の手伝いを色々せなあかんなぁ…」


「…そうね… そうかもね…」


トーカは独り言のように呟く。


「じゃあ、私、皆に休むように伝えてくるから!」


そう言って、トーカはカオリに手を振りながら、廊下を駆けていった。



こうして、マールの館はこの日一日、皆の穏やかな寝息に包まれた。





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