第07話 物語のはじまり

 事の始まりを整理する為、時間は少し戻って説明しよう。

帝都で学ぶマールの基に母が倒れたとの連絡が入ったのは五日前の事だった。

授業を終え、寮の部屋に戻ると、学生期間中の契約メイドが連絡が入っている事を告げた。

本来ならば専属のメイドを付けたいところではあるが、マールの領地では帝都で専属メイドを雇うのは厳しい。


 終業時間になっているメイドを帰らせ寝室に入る。事務机の上を見ると連絡用魔法陣の上に光球が浮いていた。


 15才で帝都の学院で学ぶようになって一年。母からの連絡は毎週必ず一度はあった。故郷の出来事を語ったり、帝都での生活を心配したりそんな他愛もない連絡だった。でも、帝都で一人暮らしのマールにとっては掛け替えのないものであった。


 私の父であるネーズ・ラピラ・アープは10年前に亡くなり、母は再婚もせず女手で父の残した子爵領地の経営を担っていた。


 マールもそんな母を早く手伝いたく、一年飛び級して学院に入学し、出来ることなら一年早く卒業したかった。だから辺境の領地から帝都に来ても物珍しさに遊び歩くことはせず、ただ只管に学問に励んだ。そんなマールにとっての心の支えが母からの連絡であった。


マールは連絡魔法を再生しながら着替える為に制服を脱ぎ始めた。

いつもなら優しい母の声で始まるものがその日は異なっていた。


「マールお嬢様。リソンでございます」


母ではなく執事長をしているリソンの声だった。


母以外の者が今まで連絡なんてしてきたことがなかった。その事態にマールは胸のざわめきを覚えた。


「エミリー奥様が倒れられました。至急こちらへお戻りなられるようお願い申し上げます。」


マールはその報告に前身の血の気が引くのを感じられた。しかし、すぐに気を引き締める。


『すぐに戻らないと』


 マールを制服をベッドの上に脱ぎ捨て、動きやすい普段着に着替える。

そして、事務机の引き出しを開け手持ちのお金を調べる。


途中まで転移魔法で行きたいがとても手持ちが足りない。


 一度ぐらいは使えるかもしれないが、使ってしまっては残りの金額では駅馬車に乗る事すら不可能だ。

故郷から帝都に来るときは一週間掛かったが始発、終着の便を乗り継いでいけば一日でも早くつけるかもしれない。


そう決めると着替えや日用品を旅行鞄に詰め込むと急ぎ足で寮の玄関ホールへ向かった。


 鞄を抱え急ぎ足で歩く姿を怪訝な視線で向ける寮生をよそに受付の前に進み扉をノックする。

はいと直ぐに返事があった後、直ぐに扉が開かれる。


「御機嫌ようございます。エミリー・ラピラ・アープの娘、マールでございます」


マールはスカートの摘まんですっと一礼する。その様子に扉を開けた受付はぎょっと目を開くが、直ぐに礼を返す。


「御機嫌ようございます。アープ様。私は受付のアル・ロ・ラフレございます。どうぞ中へ」


「いえ、ここで結構です。私は至急領地へ戻らなければならなくなりました。学院並びに契約メイドに連絡をお願いできますか?後、駅までの馬車をお願いできますか?」


受付はマールの言葉にさらに驚くが直ぐに馬車の呼び鈴鳴らす。


「では、馬車が参るまでどうぞ待合室でお待ちください」

「いえ、外で待たせて貰いますので結構です」


 マールは受付の言葉を振り切るように外に出た。


 そうして、マールは駅馬車を乗り継ぎ故郷の領地へ向かうのであるが、帝都に来た時の希望に満ちた心内とは全くことなる不安に満たされた旅路を辿った。そして、故郷にたどり着いたのが五日後の夕方であったのだ。



 ここはアシラロ帝国の辺境地セネガ。長閑な田園風景の中を少々急ぎの馬車が進む。

馬車は少し小高くなった道を進み、敷地の境界を示す門を潜り、洗練されていない広場を抜けて館の前に止まる。


 馬車の扉は御者に開かれるのを待たず開かれ、中から質素な服装の貴族の少女が飛び出し、そのままの勢いで館の扉をも開く。


「お母様!!」


少女の声の上擦った声が玄関ホールに響く。


その声に清掃をしていた小柄なメイドがビグッと肩を揺らし振りむく。


「マールお嬢様⁉」


貴族の少女は、ストロベリーブロンドの靡かせる様な歩みの速さでメイドに近づきその両肩を掴む。


「メイ。お母様はどこ⁉」


愁眉の顔がメイと呼ばれるメイドを顔を覗き込むように迫る。


「お、お嬢様。しっ暫くお待ちください!」


迫らせたメイドは掴まれた肩を振りほどくように館の奥へ駆けていく。

マールは振りほどかれた両腕を胸に引き寄せ握りしめる。

その彼女の後ろの玄関からカチャカチャと音がする。


「お嬢様!マールお嬢様!」


 そこには白髪だらけの門番であるタッフが息を切らせながら立っていた。正門で止まらず直行で館に馬車を付けたので追いかけてきたのだ。


「ようお戻りになられました。ようお戻りになられました…」


門番タッフの大きく見開かれた瞳からポロポロと大粒の涙がながれる。

その姿にマールの目が少し広がる。

そして、マールが辿るようにタッフへ足を一歩進めた時に後ろから声がかかる。


「お帰りなさいませ。マールお嬢様」


そこには肩で息をするメイを後ろに従えた執事長リソンが、白髪交じりの頭を下げたまま不動の体制でいた。


「リソン!お母様は!お母様はどこ⁉」


マールは思いの強さを込めるように執事長リソンの両肩を掴む。

しかし、リソンはマールの問いに頭を上げず、後ろのメイは目を伏せる。


「エミリー奥様は…」


マールは掴んでいる両手を通してリソンの肩が震えている事が伝わる。


「エミリー奥様はマールお嬢様にご連絡差し上げました後、容態が急変しお亡くなりに…」


リソンの肩を掴んでいた両腕が撫でるように滑り落ち、大きく視界が揺らぐ。


視界が揺らいでいるのは意識が揺らいでいるのか、手足から力が抜け身体が崩れ落ちているためか…


 気が付けば視界には床が映り、ぽたぽたを落ちる自分の涙があった。ぽかりと空いた胸の内から喪失と後悔の濁流があふれ出し、体と心を飲み込んでいく。


「お母様…」


グラスの淵から溢れた水がこぼれるように呟く。そこから感情の渦が涙と嘆き声となって迸った。


マールの感情の嵐が玄関ホールを満たす様子をリソン、タッフ、メイの三人は唯々見守るしかなかった。

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