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第1話

 五年前に別れた恋人と再会した。親友の結婚式での事だ。来るだろうとは思っていた。親友が結婚するのは彼女の友人だったから。

 五年ぶりに会った彼女は、全然変わっていなくて。でも、どこか最後に会ったときよりも大人の雰囲気を纏っていた。

 恋人でなくなった彼女は、俺に大しても朗らかに大人の対応で接してくる。それが、どうしようもなく寂しかった。


 問題があるとすれば俺だ。俺は五年たった今でも、彼女の事が忘れられない。勝手に不安になって一方的に別れ話を切り出し、彼女の話を聞きもしないで傷つけたのは俺なのに。まだ若かった、なんて言葉では済まないほどに、ずっと後悔をしている。

 恋人と家族ぐるみの付き合いをしたかった俺は、俺が彼女を実家に招待したのと同じように、彼女の家族を紹介して欲しかった。彼女の家庭環境なんて少しも考えずに。

 両親とうまくいっていないらしい、という話を聞いたのは別れた後だ。


 学生時代。頻度は高くなかったが、たまに不自然な痣を作って登校してくる事があった、と教えてくれたのは当時親友の恋人で今新婦としてスポットライトを浴びている由香さんだ。大体が制服で隠れるような場所。ただし、体操着で動けば見える様な位置に。人目を隠すように計算されつけられたのであろう痣が。

「虐待、だったんだと思う。なんであの時気付いてあげられなかったんだろう。もし、あの時気付いてあげられてたら、もっとさ……。だから、幸せになって欲しくて。助けられなかったから。せめて、幸せになる手伝いをしたいって。私の自己満足だったんだ。愛衣には愛衣のペースがあるのに……余計な事して。ごめんね。吉野くんのことも巻き込んだ」

 由香さんが辛そうに眉を潜めながら言うのを、俺はただ唖然としながら聞く事しか出来なかった。俺はきっと、別れ話を切り出す前に、相談するべきだったのだ。

 由香さんは彼女の学生時代からの友人で、俺よりも愛衣の事を知っている。俺と愛衣を引き合わせ、仲を取り持ってくれたのも親友の健治と由香さんだったのだから。


 言われてみれば、思い当たる節はいくらでもあった。ハグ以上の接触を避けるような素振り。愛衣は何かする度いつも、俺の顔色を伺っていたような気がする。否定の言葉を聞くと慌てて取り繕い笑う。あれは全部、怯えていたからではないか。


 当然のように仲むつまじい家庭に放り込み、当然のように家族を紹介しろと言った俺に愛衣は何を思っていたのだろう。きっと、酷く傷つけたのではないだろうか。教えて欲しかったと思う。けれど、逆の立場だったら?言えるわけない。

 いつでも人の顔色を伺っていた彼女が、家族団欒が当たり前だと思い込むほど暖かい家庭で育った恋人に、『私はそれを知らない』と言うのはどれだけの勇気がいる事だろうか。

 俺自身が、彼女から信頼してもらえるような立ち振舞いなんて出来ていなかったのに。


 気付けば、綺麗に着飾って友達の中で楽しそうに笑う愛衣を目で追っている自分がいた。

 幸せに包まれた雰囲気のなかで、俺は一人何を考え込んでいるんだろうと思う。健治にも由香さんにも申し訳なく思う。けれど、やっぱり、俺は愛衣が好きなのだ。

 純白のドレスを着て、俺以外の誰かの隣で笑う愛衣が頭を過り、ゾッとした。



 そんな、俺の思考を遮ったのは、司会進行をしているスタッフの、移動を案内する声だった。

「ブーケトスだって」

 皆が動き始める中、ひとりでポカンとしていた俺に友人がこっそり教えてくれる。「ちゃんと聞いとけよ」と、笑いながら。


 女性陣が新郎新婦の周りに集まる中、遠慮がちな雰囲気で後ろの、端っこの方を陣取る愛衣に、らしいなと思う。でも、多分その抵抗も無駄に終わる。

 なぜなら、由香さんがちらりと愛衣の位置を確認して苦笑いを溢しているのが見えたからだ。

 そして、わざとらしく肩をぐるりと回してスタンバイする。正面より少しずれて向けられた背の延長線上にいるのは、愛衣だ。

 そして、思いの外勢いがついてとんだブーケは見事、愛衣の上を通過した。

 ポカンとした顔の愛衣が慌ててブーケへと足を踏み出した。一番後ろにいる愛衣の後ろには誰もいないから。

 愛衣の事だから、ブーケを落とすなんて縁起でもないと思ったのだろう。床に落ちることなくキャッチしたブーケを見ながらホッと息をついたのが見えた。

 ブーケを持った愛衣を迎え入れた由香さんを見て思う。多分確信犯だと。


「何、話してたの?」

 女性達が下がり、代わりに前に出ていく男性達。その波にのって動いた愛衣が立ち止まったのは、偶然だろうが俺のすぐ側だった。

 受け取ったブーケを持って新郎新婦に挟まれ写真を撮った際、愛衣は由香さんになにか言われて赤くしながら両手を振って否定するような素振りを見せていた。

 気にならなかった、と言えば嘘になるけれど、どうしても聞きたいかと聞かれれば、そこまてでもない。

 ただの話の取っ掛かりとして、今の出来事を利用する。

「え?」

 振り返った愛衣は、ようやく真後ろに俺がいたことに気付いたらしい。少しわたわたと慌てた様子で、さして崩れてもいない髪を整え始めた。

「写真撮る前。慌ててなかった?」

「えっと……」

 からかうような口調で、重くなりすぎないように。これはただの世間話だ。

 そうは思っても、由香さんの前で見せたように、あたふたとした様子の愛衣を見たら懐かしくて。好きという気持ちが溢れだして、溢れ落ちてしまった。

「話が、話があるんだ。この後時間をくれないか」

「でも」

「頼む。どうしても君と話がしたい」

 戸惑う彼女に縋ることしかできない自分が情けない。

「わかった」

 そんな俺の心情を悟ってか、彼女は綺麗なブーケを握りしめたまま、困ったように微笑んだ。

 その直後、男たちの歓声……というよりはどよめきに近い声が聞こえたと思った直後、俺めがけてブロッコリーが飛んでくる。

「は!?」

 ぶつからないように愛衣を庇い、慌ててブロッコリーをキャッチすれば、その先には健治のにやけた顔が。たしかに、ブロッコリートスをすると言っていが、集まる男性陣を通り越してここまで投げてくるか?普通。

 新郎新婦共に暴投にも程がある。

「お前な……」

 ブーケを受け取った愛衣がそうだったように、写真撮影の為新郎新婦の元へ誘導されながら、思わず悪態をつく。

「話しはできたか?」

「……このあと時間を、もらった」

「へぇ」

 健治はニヤリと笑う。

「頑張れよ」

「しっかりね!」

 俺は、俺の後悔を知る本日の主役二人に背中を叩かれ、勢いよく送り出された。

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