第3話

 私が、本当の意味で自分の性を突きつけられたのは、もう20年は昔の話になるだろうか。

 あの頃はまだ、良くも悪くも若かった。狂いそうな程の気持ちなんてまだ知らなくて。知っているのは、吹けば消えてしまいそうな程の淡い恋心だけだった。

 初めは、友達として側にいられればそれでいいと思っていたのだ。親や周りの人達が言うように、男らしくいる事に必死だったから。男が男を好きになるのはおかしいこと。いけないこと。そう自分に言い聞かせていた。

 自分が“女”だという主張は通らない。なぜなら性別を分類する身体が男なのだから。とにかく世間が作り上げたルールに従い、男であるために必死だった。

 それに、若干打算もあったか。彼女とは別れればそこまで。縁が切れて終わりだけど、友達ならずっと側にいられる。ぽっと出の彼女より、断然自分の方が彼に近しい。そう思い込んでいた。否、思い込んでいなければ、心が壊れてしまいそうな程追い詰められていたんだと今になっては思う。

 気付かされたのは、彼から結婚の言葉を聞いた時だった。

 「子供ができた」と嬉しそうに話す彼を見たとき。ガツンと、まるで鈍器で頭を殴られた様な衝撃を覚えた。


 俺は……私は、なんで。なんで、子供が産めないんだろう。なんで、彼の特別になれないんだろう。なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで……なんで!なんで!!この体は男なのか。


 それまで二十数年抑え込んできた気持ちが一気に爆発した。

 私の方が、ずっと側にいたのに。私の方がずっと彼の事を知っているのに。私の方が、彼を愛しているのに。

 なのに、体の性別が男だというだけで、彼に選ばれない。子供が産めない私は、彼にとって恋愛対象にすらなり得ないのだ。想いを告げることすら叶わなかったのに。

 子宮をもって生まれてきただけで彼女は、彼の特別になれる。そんな世の中の理不尽を叩きつけられた。

 気持ちに蓋をして、必死に保っていた心と身体のバランスが一気に崩壊したあの瞬間、自分が何を言いどういう行動に出たのかはよく覚えていない。画面越しにみる映像のように現実味がないまま、気付けばぼんやり帰路にたっていた。

 一応『普通』は取り繕えていたらしく、彼からはその後も連絡が来ていたけれど、返信する事は出来なかった。そうしている間に、彼からの連絡も来なくなり、友達としての関係も消滅した。


 

 それからの私の生活は、とても人に話せるようなものではない。

 自暴自棄。もしかしたら、死にたかったのかもしれない。女に生まれることが出来なかった私は、男にもなり損なった。そんな中途半端な化け物に、この世界は優しくない。

 何がきっかけだったか、同性愛者だとバレて仕事も失った。

 人を好きになることも許されず、収入もない。家族もだ。私が明白に『私』を自覚したとき、とっくに縁を切られている。

 化け物みたいな子供はいらないらしい。可愛い嫁を連れていく事。これが、私が実家に足を踏み入れる為に提示された条件。まぁ、つまり、勘当されたわけだ。

 頼れる人なんて誰もいなかった。


 改めて当時の事を思いだしても、アキちゃんに話して聞かせられるような話しはなにもない。聞かせたくはなかった。特に、カイちゃんには。

 なんとなくだけれど、カイちゃんからは私と同じように『男らしさ』を強要されて育ってきたような雰囲気を感じている。だから、不安にさせるようなことは言いたくない。

 ただ、しいていうなら、今この時期にアキちゃんという友達がいるカイちゃんが羨ましい、とも思う。たとえ、親に理解されなくともアキちゃんがいる。その事実は救いになるだろう。


 ボロボロで、なにもなかった私に全てを与えてくれたあの人の様に。

 私が今のパートナーと出会ったのは十年程前の事だ。

 生きているのか死んでいるのかわからないような生活をしていた私を地獄の縁から掬い上げてくれたのが、今のパートナーだ。何がどうしてそうなったのか、よくわからないのだけれど。気付いたらあの人の家にいて、気付けば暖かな食事を与えられていた。なんの代償も求められず、ただ欲しいものをひたすらに与えられるだけの日々。戸惑う私にあの人は「君のことが好きだから」と、そんな意味のわからない事を事を言い出した。

 なんでも以前から度々、私の事を見かけていたらしく。その危なっかしい姿にずっとハラハラしていたそうだ。今無事なのかどうなのか。そんなことばかり考えている自分に気付いて、そのまま行動に移したとかなんとか。

 あまりにも簡単についてくる私をみて、さらに心配になった、とも。

「ついてこなかったらどうするつもりだったの?」

「その時は、頷いてくれるまで何度でも口説いたさ」

「どっちにしろ、私に選択肢なかったんじゃない」

 呆れたように言う私に、あの人は「そうだな」と苦笑いした。それが、生涯のパートナーとして選んだ彼との始まりだ。

 その後、彼は文字通り私に全てを与えてくれた。この店を開くきっかけを作ってくれたのも彼だ。きっかけというか、たった一言呟いた言葉が、気付いたら店になっていたと言うかなんと言うか。

 プロポーズと共に店を渡された私の気持ちも考えてほしい。思わず「バカじゃないの!?」と返してしまった私だけが悪いわけではないと思う。

 趣味は私のためにお金を使うこと、無趣味だったから他にお金の使い道がない。

 前々からそんな阿保な事を言う彼ではあったけれど、こればっかりは許せない。与えられるだけの関係でいたいわけではないのだ。その頃には私も、本当にあの人の事を愛していたから。

「プロポーズを受けるのは、あなたが私に使ったお金を全て返してから」

 目前に人差し指を突きつけて、そう言ってやった私に彼が見せた表情はまさにぽかんとした間抜け面。ついで、ふわりと……本当にふわりと花が咲くようにじわじわと笑顔を作っていった彼に、私は再び恋をした。

 それから7年。昔の事を忘れてしまいそうな程幸せな生活を送っている。


 後から知ったことだ。彼にも家族といえるものはいなかった。勘当同然で家を出てそれっきり。どこかで偶然私の話を耳にして、似たような境遇の私を気にかけてくれていたそうだ。

 あの頃は、記憶がなくなるほど酔っぱらう事も多かったから何処でなんの話をしていたのかも覚えていなかったけれど、あちこちで相当クダを巻いていたらしい。改めて思うと恥ずかしいのだけれど、それが今の彼と出会うきっかけとなったのだから無かったことにもしたくない。


 人生、何処でどう転ぶかわからない。それは経験した私だから言えること。

 若人たちにはなるべく、辛い思いをしてほしくはない。けれど、その先にある幸せを掴むために、色々悩むのも大切なのだろう。

 私はこの店で、少しだけ前を向く為のお手伝いをしたいと思っている。



T……トランスジェンダーは手をさしのべる

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