第2話

 カイちゃんは一ヶ月後、約束通り例のイケメン君を連れてきた。近くで見るとなんとも掴み所の無さそうな雰囲気を漂わせている子だ。飄々としているというかなんというか。塩顔のイケメンではあるけれど、表情の作り方なのかなんなのか、ホイホイついていったら騙されそうな雰囲気を醸し出している。

「大丈夫ですよ。こいつ、こんな見た目ですけど結構真面目なんで」

 カイちゃんは笑いを押し潰しながらイケメン君の肩をバシバシ叩いていた。

「あらやだ、顔に出てた?」

「いえ。大体初対面の人には近付き難そうに、ちょっと引きで見られるって……フッ、自覚はあるみたいで。ナオさんはちゃんと、いつも通りきれいな笑顔ですよ」

 押し潰しきれない笑いが漏れていた。

「他のお客さん達からちょっと遠巻きに見られてましたけど」

「僕はこんなに真面目なのに。なんでだと思います?」

「そういうところだろ。胡散臭い」

「あらカイちゃん、案外お口が悪いのね」

「カイちゃん?」

 私の呼び方が気になったのか、イケメン君の視線ははカイちゃんと私の間を往復している。

「あぁ、イケメン君はこういうとこ初めて、だったわよね」

「イケメン?」

 カイちゃんとイケメン君の声が重なった。その表情は真逆だったけれども。カイちゃんはすごく嫌そうに、イケメン君はにっこにこで。

「ふふっ仲いいわね」

「そうでもないですよ」

「そうなんですよ」

 再び二人の声が重なる。

「あらやだ、カイちゃんってツンデレさんなの?」

「違います」

「あー、こいつこう見えて結構デレデレなんで」

「うるさい」

 パシンと結構痛そうな音がイケメン君の肩辺りから響いた

「でね、そう。こういうところではわりと素性を隠したい人も多いから。変に詮索するのはタブーよ」

 放っておけばいつまでもイチャついていそうなので勝手に話を進める事にした。社会勉強しに来たいと言ったのはイケメン君の方なのだ。ただの冷やかしだけで帰られても困る。

「なるほど。じゃあ、俺の事はアキで」

「はいはい、アキちゃんね」

「カイを見たときも可愛いと思ったけど、ナオさんも美人ですね~」

「あら、おだてても何も出ないわよ」

「お世辞じゃないですよ。昔から、思ったことは素直に相手に伝えるように教育されてるんで」

「お前……そう言うところだぞ」

 カイちゃんは口を尖らせながらも、満更でも無さそうな顔をしている。なるほど、これは、天然の人誑しだわ。カイちゃんは会う度に被害を受けているのだろう。御愁傷様。

「で?アキちゃんは何が知りたいの?」

「何が、って言うわけじゃないんですよ。何て言うか……うーん。俺はただ、無知のままなんとなく無意識に差別的なことしちゃうの嫌だな……って思って。知らないって罪じゃないですか」

「罪ねぇ」

 アキちゃんの言うことはわかるようなわからないような。どことなく不思議な子だと思う。

「自分が発した何気ない言葉で身近な人とか、その人の大切な人を傷付けるの、嫌じゃないですか。でも、変に気を使われるのも嫌だってこの前こいつに言われて。俺の嫌な事と相手が嫌なことどっちも避けるには、まず知らなきゃ駄目だなーと、思いまして……なぁ!?」

「いや、知らねぇよ」

 アキちゃんはうまく言葉がまとまらなかったらしく強制的にカイちゃんを巻き込もうとした。そして、にべもなくフラれた。とはいえ、カイちゃんの口許はむにょむにょとなにか訴えたそうに動いているけれども。嬉しそうね、言葉にはせず心の中だけで呟いておいた。仲がいいから気が緩むのか、はたまた違う理由なのか、カイちゃんはどうにも対アキちゃん限定で感情が表情に出やすいらしい。

 でも、気持ちはわかる。だって間違いなく、アキちゃんの“大切な人”の中にはカイちゃんも入っている。こんな風に正面から『傷つけたくない』何て言われたら気恥ずかしくもなるだろう。

「なんとなく、わかったわ」

 すこしだけ呆れた声が出てしまったのも許してほしい。だって、この前カイちゃんは否定していたけれど、端から見ればこの二人ただのカップルにしか見えない。

「なおさん?」

「なにかしら?」

「なんか、変なこと考えてません?」

「あら、顔に出てた?」

「この前店の中で堂々とイチャついてるバカップルを見た時と同じ目をしてましたよ」

「やだカイちゃん。よく見てるわね」

「一応言っておきますが、俺もこいつも恋愛対象は女性なので」

「はいはい。わかってるわ」

 例え常連さんでも、踏み込まれたくなさそうな事情には踏み込まない。ただし、目の前であまりにも若くて初々しい事をされれば思わず顔に出てしまうこともある。それは仕方ないこととして許して欲しい。

 まぁ、目の前で楽しそうにコントのような会話を始めた二人が気分を害した風にも見えないので問題はなさそうか。


◇◇◇


「なにかわかった?」

 アキちゃんに私の話をしたのはもう一時間以上前になる。正直、トランスジェンダーを自覚し、開き直った生活をはじめてからもう随分経つ私には、今更困る事なんてあまりない。特定のパートナーと付き合い初めてもう長いし、お店にやって来るのはかつての私のように悩みに悩んでいるお客さんや、今の私のように開き直ったお客さんばかり。

 アキちゃんみたいな子は例外として、面白半分で冷やかしに来る様な輩の入店はお断りしているから、不躾で失礼極まりない言葉をぶつけられる事も少なくなった。

 かつて私が感じていた悩みや嫌だったことなら、カイちゃんが既に話していそうだと思ったし、実際そうだった。

 そういうのは基本、アキちゃんみたいに他人の気持ちを優先しようとする子が言わないだろう言葉や態度だから心配もしていない。

 そうやって話をしている間に、アキちゃんは他のお客さん達とも仲良くなっていた。

 ここのお客さんは基本的に朗らかな人が多い。だからなのか、私達の話を聞き、率先してアキちゃんのお勉強会に参加してくれた人もいる。私の元を離れた後もカイちゃんがうまくフォローしてくれていたのか、アキちゃんの人間性なのか、全く問題が起きることもなく、来店していたお客さんの殆んどと話をしてから二人はカウンター席へと戻ってきた。

「んー。わかんないのがわかりました」

「は?」

「カイちゃん可愛いお顔が台無しよ」

「だってそうだろ。セクシャルマイノリティっていうけど、マジョリティの奴らと何が違う?カイがこの前言ってた事だろ。それを改めて実感したというか。だから、俺がこうやって理解しようとしてる事自体が愚かな行為だって気がしてきた……といいますか」

「なるほどねぇ」

「マジョリティ同士だって相手の全てを理解するなんて無理でしょう?別に特別な事なんてなにもない」

 当たり前の事を当たり前のように言う。それは、案外出来ることじゃないと思う。特に、こういう場で、マイノリティに気を使うことなくズバッと平等を主張してくれる人は少ないのではないだろうか。

「アキちゃんいい男ね」

「ナオさん?」

「あ、別に狙ってないわよ?ただ、ほらアキちゃんの言うマジョリティの中には『理解してやろうとしてる』って感じの人も結構いるじゃない?だからなんか、嬉しかったのよね。さっきの言葉」

 アキちゃんは何をいっているのかわからない、と言わんばかりの顔をしていた。そういうところがいい男だ。カイちゃんの方は相変わらず、なんとも言えない顔をしているけれど。なるほど、デレデレね。思わず、一番最初にアキちゃんが言っていた言葉を思い出す。アキちゃんはきっと、こういう所をちゃんと見ているんだろう。今までも。

 アキちゃんが誉められて嬉しいけど、素直に表現するのは悔しい、そんな顔を。ツンデレのツンもここまでくるとデレなのか。アキちゃんにとっては。

「ほんとお似合いなのに、残念ねぇ」

 思わずそう口から出てしまう程度にはお似合いの二人だと思う。でも、二人とも口を揃えて言うのだ。「ないです」と。パートナーに間違われる度に訂正していたから、そういう否定の言葉は耳にタコが出来そうな程聞こえてきていた。

「いっそもう、付き合っちゃう?」

 そして、その流れのままこのコントが始まるのを見るのは二回目か。他の客の前ではやらなかったのに、二人で話し始めるとこうなるらしい。

「ごめんなさい。俺、こう見えて女性が好きなので」

「俺もだよ」

 冗談風の口調で仕掛けるのは毎回アキちゃんから。そして、最終的に自分でも「ない」と言う。見ている分には愉快だが、この二人はなんとも面倒くさい方法でコミュニケーションをとっているのかと呆れたくもなる。どこまでが冗談で、どれが本心なのか。


 アキちゃんと居るときのカイちゃんは楽しそうだけれど、冗談の様に紡ぐ言葉を使って自分に呪いをかけているようにも見えた。『自分は男だ』と。

 かつて、『なお』になる前の私がそうだったように。男でなくてはいけないのだと。

 私の場合はその呪いに耐えられなくなって一度潰れた。体は男で心は女。この世の中で心と体のバランスをとるのは凄く難しい。

 結果として今の私があるのだから、今までの人生に後悔はしていない。けれど、あの時の辛かった日々を忘れる事はないだろう。老婆心ながら、今の若い子達には出来るだけそんな思いをして欲しくは無いと思ってしまう。

 いつか、カイちゃんをその呪いから解放してくれる人が現れますように。そう願わずにはいられない。

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