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第1話

 幼稚園の頃。お姫様のドレスに憧れた。お遊戯会のために用意されたお姫様のドレス。キラキラふわふわした可愛らしいそれを着たくて、お姫様役に立候補した俺を待っていたのは『おかしい』という友達からの非難の言葉。

 そして、ふわっふわのドレスの代わりに押し付けられたのは王子さまの衣装だった。

「間違えちゃったんだよね?」

 残酷に紡がれ続ける友達からの「変」「おかしい」という言葉を遮るように、先生が言う。幼いながらに、頷くしかないんだと気が付いた。

 『男の子の青』より『女の子のピンク』が羨ましかった。半ズボンよりスカートを履きたかった。でも、俺に与えられるのはいつでも男の子の青で、男の子の半ズボン。俺は男の子だったから、女の子の可愛い衣装が与えられる事はなかった。


 小学生の頃。学園もののテレビドラマで学ランを着て登校する女子生徒が映し出されるシーンがあった。性同一性障害という設定だったその子は、最終的に『男子』として学ランで登校する事を許されたのだ。

 羨ましい。そう思った。でも、俺がそれを認められる事はない。何故なら俺はちゃんと、男だったから。体も性自認も男で、ドラマの中の性同一性障害とはまったく違うものだった。

 ただ、昔から、女性ものの服や小物に憧れる。それだけなのだ。俺がそれを身に付けることは『変』なことで、欲しいと望むのは間違いでいけないことだった。親を困らせたくもなかったし、友達に笑われたい訳でもない。

 だから、人一倍気を付けて生きてきた。決して、自分の変な癖がバレないように。

 運動部に入って、体を鍛え、部長にまでなった。「海音かいとは本当に男らしいよな」口を揃えてそう言われることに安心した。

 ドレスが似合う体はなくなってしまったけれど、それは仕方がない事だ。だって俺がドレスを着るのはおかしいことだから。胸にわだかまる一抹の寂しさには気付かないフリをした。

 そのお陰というかなんというか。県内でも強豪高として認識される高校に進学する事ができ、一度だけだったけれど全国大会に出場する事も出来た。鍛えた体は無駄にはならず、レギュラーとして大会に出場できた事を考えれば、結果的には良かったのかもしれなない。そう思っていた。


「まつ、ば?……松葉、だよな?」

 今日、この瞬間。この都会の街で呼ばれるはずのない自分の苗字が呼ばれるまでは。

 省みる必要すらない自分のふわふわとした格好を確認して、血の気が引いた。相手の姿を確認し、思わず顔を隠す様に俯いたことで目に入った己の手は尋常じゃなく震えていた。なんで……なんで、こんなところに。なんで、バレた。

 混乱する頭で、無意識に踵をかえす。そして、全力で走り出した。

「あ!?おい……!」

 よく知ったあの声から少しでも遠ざかれるように。


◆◆◆


 金曜日。会社から帰宅してスーツを脱いだら、ようやくプライベートな時間となる。ゆったりとしたユニセックスのルームウェアに着替える事でようやく息が出来る気がした。

 社会人になっても、やっぱり男は男らしくあるべきというレッテルが外れることはなく、日中は爽やかに見えるように少しだけ狩り上げられた短い髪とスーツで武装し、仕事をする。そういう意味で言えば、一番緩かったのは大学生の時だったか。中性的に見えるユニセックスの服を着て大学に行っても、髪の毛を少し長くしていても特に何を言われるわけでもなく、みんな普通に接してくれていた。

 高校時代の友人や後輩達に会うと「チャラくなった!」とか「 大学デビュー」だとか「都会に染まった!」とか散々からかわれはしたけれど、その程度。否、その程度になるように抑えた格好をしていた、というのが正しいか。

 『都会に染まった』だけは理解できなかったけれど、他の言葉だけは一応真摯に受け止める素振りだけは見せておいた。

 クロスドレッサーという言葉を知ったのはこの頃で、同じような趣味嗜好を持った人達が集まるコミュニティに足を踏み入れたのもこの頃だったか。


 大学を卒業し、社会人になった俺は土日を利用して、本当の自分になる道を選んだ。自宅から電車と新幹線を乗り継いで二時間弱。様々な人が行き交う東京、新宿。数ヵ月に一回のペースではあるけれど、ここに通い初めてから何年経ったか。

 会社の人も友人も知り合いも、誰もいない街。その代わりにいるのは理解者達。本当の自分でいられる場所がここにある。


 そのはずだった。今、高校時代の知り合いに話しかけられるまでは。一応県内強豪の仲間入りをしていたうちの部活は、県外の高校とも練習試合をする事があった。俺が部長をやっていた時に、相手高の部長があいつで。当時はそれなりに仲がよかったけれど、お互い地元の大学に進学し、競技から離れ、就職が決まった頃にはすっかり疎遠になっていた。それなのに、なんで、今。

 あぁ、そうだ。すっかり忘れていた。ここ、東京があいつのテリトリーだった事を。俺達が全国大会に出場した時、埼玉代表があいつの高校だったんだ。

 埼玉でも東京よりの立地に住んでいたあいつが新宿にいても、なんらおかしくはない。

 最悪だ。見られた。バレた。どうすればいいのかわからない。笑われるだろうか。馬鹿にされるだろうか。友人だと思っていた相手に『変態』と罵られるのは、想像するだけでも結構堪える。


「うわっ」

 考え事をしながら走るには全く適さないヒールで全力疾走した結果。思い切り足をくじいた。それはもう、ぐにっと。これは……腫れるかもしれない。いや、それ以前にこの勢いのまま普段より露出の覆いこの服でスッ転べば大惨事は免れないだろう。躓いた拍子にふわりと捲れ上がったスカートは、俺の足を一ミリも守ってくれてはいなかった。

 痛みに備えて無意識に目をつぶる。その瞬間、後ろからグイと腕を引っ張られ勢いが相殺された。そのまま、すとんと尻餅を付く。

「あっ、ぶねぇな!怪我は?」

 腕を掴み助けてくれたのは今まで俺が逃げていた相手。備海びかいだった。

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